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太閤検地=秀吉が目指した国のかたち--2019;08 [中世・国内]

太閤検地rL.jpg太閤検地=秀吉が目指した国のかたち
シリーズ名1 中公新書
シリーズ番号1 2557
著者名1 中野 等 /著 
出版者 中央公論新社
出版年 2019.8
ページ数 3,273p
大きさ 18cm
坂井輪館 NDC分類(9版) 210.48
ISBN 978-4-12-102557-9


内容紹介 豊臣秀吉が実施した政策の革新性とは-。各地を征服するたびに奉行を派遣し検地を断行し、全国の石高を数値で把握し、加増や減封、国替えを容易にすることで、統治権力を天下人に集約した。後に江戸幕府の支配基盤となった太閤検地の実態を描き、単なる土地制度上の政策にとどまらず日本の社会構造を大きく変えた意義を示す。

  なぜ豊臣秀吉は検地を全国レベルで徹底して行ったのか。彼の最重要政策を再検討し、日本史の中に位置づける試み。検地の軌跡をたどることで、土地制度だけでなく社会構造をも変える狙いが見えてくる。


目次
序章 太閤検地と日本近世社会
第1章 織田政権下の羽柴領検地
第2章 「政権」としての基盤整備
第3章 国内統一と検地
第4章 大名領検地の諸相
第5章 「御前帳」「郡図」の調製
第6章 政権下の「在所」と「唐入り」
第7章 文禄検地の諸相
第8章 政権末期の慶長検地
終章 太閤検地の歴史的意義


著者について
中野等(なかの・ひとし)
1958年、福岡県生まれ.1985年、九州大学大学院文学研究科博士後期課程中退.柳川古文書館学芸員、九州大学大学院比較社会文化研究院助教授を経て、2006年より同教授.著書『豊臣政権の対外侵略と太閤検地』(校倉書房、1996年)『立花宗茂』(吉川弘文館〔人物叢書〕、2001年)『秀吉の軍令と大陸侵攻』(吉川弘文館、2006年)『筑後国主 田中吉政・忠政』(柳川市〔柳川の歴史〕、2007年)『文禄・慶長の役』(吉川弘文館〔戦争の日本史〕、2008年)『石田三成伝』(吉川弘文館、2017年)共編著『絵図学入門』(杉本史子、礒永和貴、小野寺淳,ロナルド・トビ,平井松午共編、東京大学出版会、2011年)など

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黄金文化と茶の湯;安土桃山時代ー2006 [中世・国内]

黄金文化と茶の湯―安土桃山時代
監修・著 中村 修也【なかむら しゅうや】

著 竹内 順一【たけうち・じゅんいち】、吉岡 明美【よしおか・あけみ】、佐藤 留美【さとう・るみ】

出版社 淡交社(2006/11発売)

 シリーズ よくわかる伝統文化の歴史-③

サイズ A5判/ページ数 111p/高さ 21cm
商品コード 9784473033451
価格 ¥1,728(本体¥1,600)

新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館1F28番書架 NDC分類(9版) 702.148

内容紹介 戦国武将だけでなく、庶民もパワーをみなぎらせていた安土桃山文化の最盛期を、「南蛮文化と黄金文化」「茶の湯の黄金時代」「新しいやきものの時代」「衣服と染織」の視点から検証する。

よりよくわかる用語解説付き。伝統文化の歴史年表室町~安土桃山時代 付き。


目次
黄金文化と茶の湯57.jpg第1章 南蛮文化と黄金文化  中村 修也
(ヨーロッパからもたらされた文物
;安土城にみる信長の革新
;黄金文化の象徴、秀吉の聚楽第
;世紀末、京町衆のエネルギー
;かぶき踊りの発生と変容)


第2章 茶の湯の黄金時代  中村 修也
(戦国武将と茶の湯
;信長が利用した名物茶道具
;宣教師が記した「茶の湯」と「数奇」
;秀吉が利用した茶の湯イベント
;茶の湯の大成者・千利休)


第3章 新しいやきものの時代  竹内 順一
(窯業の技術革新―大窯から登り窯へ
;初めてのコンテンポラリー・アート―茶の湯の陶器
;白いキャンバスを得た陶器―志野焼
;アシンメトリーの美―織部スタイルの流行
;激化するやきもの戦争―美濃vs唐津)


黄金文化と茶の湯58.jpg第4章 衣服と染織  吉岡 明美
(「名物」になった渡来織物
;西洋ファッションを着こなした戦国武将
;小袖に咲いた「辻が花」  佐藤 留美
;能装束にみる小袖の優品)

よりよくわかる用語解説


伝統文化の歴史年表室町~安土桃山時代


監修著者等紹介
中村修也[ナカムラシュウヤ]
1959年和歌山県生まれ。筑波大学大学院博士課程単位取得修了。博士(文学)。京都市歴史資料館勤務を経て、文教大学教育学部に勤務。同大学教授。専門は日本茶道史・古代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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日元貿易ー南北朝~室町時代の中国大陸との関係=新潟市図書館の収蔵品から [中世・国内]

モンゴル襲来の衝撃』(佐伯弘次、中央公論新社の日本の中世9、2003年、ISBN 4-12-4902182)

モンゴル襲来の衝撃8.jpg世界中を恐怖に陥れていた巨大軍団の襲来に日本列島は震撼した。しかし、初めて体験する亡国の危機を体験してなお、大陸文化への憧れは断ちがたく、日中の交流は絶えることなく続く。

新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館2F13番書架 NDC分類(9版) 210.4



僧侶と海商たちの東シナ海』(榎本渉、選書日本中世史4 、講談社選書メチエ№469、2010年、ISBN 978-4062584685)
内容紹介
遣唐使途絶後も海商の助けを得て、何百もの僧侶たちが大陸へと向かっていた。多くの史料を残した僧侶たちの足跡を辿ることで、「海域交流」から「中世」の実相に迫り、歴史世界としての東シナ海を描く。
新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館2F13番書架 NDC分類(9版) 210.36

僧侶と海商たちの東シナ海_w.jpg



室町幕府論_w.jpg室町幕府論』(早島大祐、講談社選書メチエ№486、2010年、ISBN 978-4062584876)
内容紹介
朝廷権力の「肩代わり」から「主体」の政権へ。室町幕府を読み直す画期的論考。100メートルを超える大塔、眩く輝く金張りの仏閣、華やかな祭礼──首都京都の強大な経済力を背景に空前の「大規模造営」を将来した武家政権は、今や朝廷を凌ぐ威光を確立した。弱体政権論を覆し、武家政権が「権力」と「権威」を2つながら掌握してゆく過程を義満時代を中心に描く。(講談社選書メチエ)


朝廷権力の「肩代わり」から「主体」の政権へ、室町幕府を読み直す画期的論考


新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館2F13番書架 NDC分類(9版) 210.46


日本歴史大系 2 中世』(山川出版社、1985年、ISBN 4634200201)第一編「武家政権の形成」第五章「蒙古襲来と鎌倉政権の動揺」補説3「日元の文化交流」(執筆:村井章介)
新潟市図書館収蔵  中央・ホンポート館 自動書庫 NDC分類(9版) 210.1
 /210/ニ/2


港町と海域世界L.jpg港町と海域世界』(青木書店、 シリーズ港町の世界史の1、2006年、ISBN 4-25-020538-X)所収 村井章介「寺社造営料唐船を見直す」
新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館 2F14番書架 NDC分類(9版) 209
内容紹介 港町のはらむ豊かな歴史的様相を「世界史」の観点から導き出すシリーズ。1では、港町と外部世界とのつながりに重心をおき、両者を結ぶ水陸の交通路と、その上で活動する人々、その上を動く物たちの姿を描き出す。





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近世の開幕と貨幣統合―三貨制度への道程--2017 [中世・国内]

近世の開幕と貨幣統合―三貨制度への道程
高木 久史【著】[タカギ ヒサシ]
思文閣出版(2017/08発売)
サイズ A5判/ページ数 280p/高さ 22cm

商品コード 9784784219025
価格 ¥7,020(本体¥6,500)


内容紹介
歴史上には、かつて数々の貨幣(通貨)統合が存在した。日本においては、「三貨制度」と呼ばれる貨幣様式の統一が知られている。16世紀に民間で自生的に成立した貨幣システム(金貨・銀貨・銭)をベースに、信長・秀吉・家康政権の時代を通じて、近世的な貨幣統合が政策的に達成された。
本書は、地域別の定点観測的な事例研究に基づき、その統合過程を復元しようという試みである。

現在の貨幣システムや貨幣統合を考えるためのヒントが、近世開幕期にある!


目次
近世の開幕と貨幣統合―三貨制度への道程_.jpg問題の所在―三貨制度の形成過程を考える
交通集中点に生まれた近世的銭統合の萌芽―近江の状況(一)
金・銀の普及と羽柴秀次のインフラ整備―近江の状況(二)
江戸幕府の貨幣統合政策と彦根藩の対応―近江の状況(三)
東西結節点に見られる近世への傾斜―紀伊の状況
もう一つの東西結節点はどう特殊か―伊勢の状況
京都隣接地域の独自性・共時性―摂津の状況
生野銀山を挟む南北の対称と非対称―播磨・但馬の状況
毛利領国における銭の未統合―出雲の状況
瀬戸内海南岸の銭秩序―伊予・讃岐の状況
江戸幕府に先行する銭生産―九州北部の状況
国産銭に関する江戸開幕以前の法制
紙幣前史―中世手形類の技術的到達点
近世貨幣統合の経緯を振り返る
三貨制度成立過程の政策史的ロードマップ
醍醐寺僧房玄は夢を見る


著者について
高木久史[タカギ ヒサシ]1973年大阪府生まれ.1996年神戸大学文学部卒業、2005年神戸大学大学院人文学研究科修了、博士(学術).織田町歴史資料館(町村合併により越前町織田文化歴史館と改称)学芸員を経て、現在、安田女子大学文学部准教授.主著に『日本中世貨幣史論』(校倉書房、2010年)、『通貨の日本史』(中央公論新社、2016年).   (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



目次
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序章 問題の所在―三貨制度の形成過程を考える
第1節 日本近世の貨幣統合過程を復元することの現代的意義
第2節 近年の議論と課題
第3節 本書の構成


第1章 交通集中点に生まれた近世的銭統合の萌芽―近江の状況(1)
第1節 近江の銭をめぐるこれまでの議論と地理的環境
第2節 1560年代以前―階層化と浅井長政の統合政策
第3節 1570年代以降―ビタ・上銭による統合の方向性
第4節 16世紀に見られる近世的銭統合の端緒


第2章 金・銀普及と羽柴秀次のインフラ整備―近江の状況(2)
第1節 近江の金・銀をめぐるこれまでの議論
第2節 金
第3節 銀
第4節 金・銀の普及契機の差異


第3章 江戸幕府の貨幣統合政策と彦根藩の対応―近江の状況(3)
第1節 江戸幕府貨幣の基準貨幣化をめぐって
第2節 慶長~元和期の彦根藩経理記録に見る基準貨幣
第3節 彦根藩による江戸幕府貨幣の受容


第4章 東西結節点に見られる近世への傾斜―紀伊の状況
第1節 紀伊の銭・金・銀をめぐるこれまでの議論と地理的環境
第2節 北部―ビタ内階層化と狭義の銀遣い
第3節 南部―ビタ・上銭と金・銀の普及
第4節 銭の再階層化、金統合の方向性、狭義の銀遣いの端緒


第5章 もう一つの東西結節点はどう特殊か?―伊勢の状況
第1節 伊勢の貨幣をめぐる千枝大志氏の議論と地理的環境
第2節 千枝氏著書の成果
第3節 千枝氏著書への疑問―伊勢の地域性に関する問題を中心に


第6章 京都隣接地域の独自性・共時性―摂津の状況
第1節 摂津の銭・銀・金をめぐるこれまでの議論と地理的環境
第2節 銭―特殊な階層間価格比
第3節 銀―価値尺度としての使用
第4節 金―現物使用の存在
第5節 銭使用の独自性、金・銀使用の共時性


第7章 生野銀山を挟む南北の対称性―播磨・但馬の状況
第1節 播磨・但馬の銭・銀・金をめぐるこれまでの議論と地理的環境
第2節 播磨―銭のプレゼンス低下と金・銀の使用
第3節 但馬―銀山の存在はその所在地で銀を普及させるか
第4節 銀使用の非対称、金使用の共時性


第8章 毛利領国における銭の未統合―出雲の状況
第1節 出雲の銭をめぐるこれまでの議論と地理的環境
第2節 高位銭―精銭・清銭・吉銭・古銭
第3節 低位銭―悪銭・南京・鍛・なみ銭・当料
第4節 基準銭の政策的設定、未統合の実態


第9章 瀬戸内海南岸の銭秩序―伊予・讃岐の状況
第1節 伊予・讃岐の銭をめぐるこれまでの議論と地理的環境
第2節 伊予―小早川検地にみる銭の階層性
第3節 讃岐―上銭の存在
第4節 四国における銭の階層化と統合の方向性


第10章 江戸幕府に先行する銭生産―九州北部の状況
第1節 九州北部の銭をめぐるこれまでの議論と地理的環境
第2節 豊後・筑後―「和銭」「清銭」
第3節 佐賀藩の銭製造事業
第4節 地方政府による銭生産への視野


第11章 国産銭に関する江戸開幕以前の状況
第1節 16世紀の国産銭を文献史学的に考える
第2節 「日本」の語を含む銭種
第3節 「地」の語を含む銭種
第4節 京銭
第5節 打平―無文銭
第6節 今銭・新銭
第7節 社会の実態レベルにおける普及と政策による追認


第12章 紙幣前史―中世手形類の技術的到達点
第1節 近世紙幣の系譜をめぐるこれまでの議論
第2節 前史―紙券の支払手段的使用の経験・発想の端緒
第3節 割符―「割符=紙幣」説をめぐって
第4節 預状・替状―近世紙幣への機能的接近
第5節 山田羽書―近世紙幣の初例
第6節 中世手形類と初期私札の連続性


第13章 近世貨幣統合の経緯を振り返る
第1節 近世開幕期に何が起こったか
第2節 銭について
第3節 金・銀について
第4節 紙幣について


終章 三貨制度成立過程の政策史的ロードマップ
第1節 政策史の視野
第2節 信長以前―三貨比価公定と銭統合の端緒
第3節 信長―ビタの基準銭化
第4節 秀吉―銭の全国統合と金・銀規格化の方向性
第5節 家康―三貨制度の確立
第6節 家康以後―江戸幕府外貨幣の淘汰
第7節 結びにかえて


補章 醍醐寺僧房玄は銭の夢を見る
第1節 房玄「観応二年日次記」と夢記
第2節 房玄が見た銭の夢
第3節 房玄の夢解釈の歴史的特徴―さとりを求める伝統性
第4節 銭に聖性を認める発想

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撰銭・えりぜに とビタ一文の戦国史--2018 [中世・国内]

撰銭とビタ一文の戦国史 =中世から近世へ
著者 高木 久史 /[タカギ ヒサシ] 
出版者 平凡社
 B6判: 19 x 13 x 1.8 cm/ページ数 222p

新潟市図書館収蔵 亀田館 NDC分類(9版) 337.21
ISBN-13: 978-4582477405
出版/発売日: 2018/8/25
価格 ¥1,944(本体¥1,800)


内容紹介
中世から近世への移行期にあたる、戦国時代そして信長・秀吉・家康の時代に、銭をめぐってなにが起きていたのか。銭が英雄たちをどう振り回したのか。カネという社会通念を軸に、戦国・江戸期の実態に迫る。

銭に独自のルールが作られたそのワケは―。人々は外国の銭を輸入し、模造し、英雄たちはその銭に振り回される。銭不足に悩まされた中世から近世初めの日本で、社会はいかに成り立っていたのか。


目次
撰銭とビタ一文の戦国史0_.jpgはじめに―英雄が歴史を動かすのか、動かされているのか
第1章 銭はどこからきたのか―ないならつくる
(銭とはなにか;銭不足から始まる「中世から近世へ」 ほか)
第2章 銭はどう使われたのか―撰銭と銭の階層化
(「どの銭も一枚一文」原則;撰銭とは ほか)
第3章 銭はひとつになったのか―ビタと信長・秀吉・家康
(変わる信長イメージ;信長、銭の不足に直面する ほか)
第4章 銭はどうなったのか―寛永通宝とその後(寛永通宝はビタのなれの果て;東アジア史のなかの寛永通宝 ほか)


著者等紹介
高木久史[タカギ ヒサシ]
1973年大阪府生まれ。2005年、神戸大学大学院文化学研究科修了。博士(学術)。専門は日本中世・近世史。越前町織田文化歴史館学芸員を経て、安田女子大学文学部准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

出版社内容情報
信長家康期の貨幣統合の足跡から中世と近世の転換点を探る。カネという社会通念を軸にして初めて見える戦国・江戸期の実態に迫る。


はじめに――英雄が歴史を動かすのか、動かされているのか

第1章 銭はどこからきたのか――ないならつくる
銭とはなにか
銭不足から始まる「中世から近世へ」
銭が再び生産される
交換手段は誰がつくり出す?
後醍醐天皇、未完の造幣計画
室町時代も模造銭がつくり続けられる
日本独自の銭、無文銭が登場
室町幕府による銭の輸入量は小さい
銭の輸入チャネルはさまざま
そもそも輸入銭は潤沢だったのか
97枚で100文か、100枚で100文か
銭がなければ、紙片でまかなう
紙幣の先駆け、割符と祠堂銭預状
紙媒体を使うようになったわけ
銭を動かさず、ツケで取引する
戦乱と銭不足が信用取引を促す
日本産模造銭は庶民のニーズに応えた


第2章 銭はどう使われたのか――撰銭と銭の階層化
「どの銭も一枚一文」原則
撰銭とは
新しい銭を嫌い、古い銭を好む
撰銭する基準は地域でさまざま
等価値使用原則を変則的に運用する――組成主義
銭の階層化と減価銭
基準銭の地域差と悪銭売買
政府が撰銭現象を放置しなかったのはなぜか
大内氏が撰銭令を定めた背景
組成主義を採用する
基準銭を求める理由
食糧を求める人々を保護する
銭が持つ購買力を保証し続ける
大内氏と室町幕府の撰銭令の共通性
戦争と飢饉が撰銭令を促す
納税と貸借について規定する
撰銭令は「人々の期待への対応」?
撰銭令が語る16世紀半ばの銭不足
関東地方で永楽通宝が不足する
撰銭令が語る銭不足の地域差
人々は撰銭令に従ったのか
銭があれば戦争ができる社会
銭を階層化させる慣行に政府が乗る

渡来銭を模した日本製のビタ銭B.jpg

第3章 銭はひとつになったのか――ビタと信長・秀吉・家康
変わる信長イメージ
信長、銭の不足に直面する
銭の慣行を受け入れる
米の使用を禁じる
石高制を導入する
撰銭令の目的は「秩序の回復」?
銭に振り回される
減価銭の台頭による方針転換
ビタ登場!
ビタが基準銭になる
信長もビタを選ぶ
全国統一までの秀吉の銭政策
東西の銭秩序を結合する試み
撰銭と銭の階層化が再び起こる
銭より金・銀を優先する
伝統が贈与の支払いを拘束する
江戸幕府もビタを基準銭にする
ビタを基準銭にする意図
それでもビタの階層化は続く
藩と民間による銭の供給と輸出
銭不足が紙幣を登場させる
私札の後を追って藩札が発行される
覇者たちは銭をつくらずビタに頼る


第4章 銭はどうなったのか――寛永通宝とその後
寛永通宝はビタのなれの果て
東アジア史のなかの寛永通宝
さよなら、ビタ――長い中世の終わり
中世の残照
銭の時代の終わり


おわりに

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日明関係史研究入門 ーアジアのなかの遣明船=2015 [中世・国内]

日明関係史研究入門 ー アジアのなかの遣明船
 編集代表  村井章介 
出版者 勉誠出版
日明関係史研究入門 ーアジアのなかの遣明船00_.jpgA5判22cm/ページ数  17,528,13p
 ISBN 978-4585221265
価格 ¥4,104(本体¥3,800)

新潟県立図書館収蔵 資料コード 0010015402603
NDC分類(9版) 210.46


内容紹介 勘合ってなに? 東アジアにおける遣明船の位置とは? 外交、貿易、宗教、文化交流など、さまざまな視角・論点へと波及する「遣明船」をキ-ワ-ドに、14~16世紀の日本と明代中国の関係と歴史の実態を炙り出す。

 近年、研究が飛躍的に進展し、その歴史的重要性が注目されるアジアにおける国際関係。日中のみならずアジア諸地域にまたがり、外交、貿易、宗教、文化交流など、さまざまな視角・論点へと波及する「遣明船」をキーワードに、14~16世紀の歴史の実態を炙り出す。日本史・東洋史のみならず、文学・美術史・考古学などの専門家総勢35名を執筆者に迎え、現在における研究の到達点を示す待望の入門書。

目次
日明関係史研究入門3.jpgはしがき 村井章介
本書掲載地図一覧/本書掲載表一覧
凡例

第一部 通史と研究史
総論I 遣明船の歴史―日明関係史概説― 村井章介・橋本雄
総論II 研究史と史料―遣明船を研究するために― 伊藤幸司・須田牧子
《各論1》~《各論7》

第二部 遣明船に乗った人々
総説 伊藤幸司
《各論1》~《各論15》

第三部 遣明使節の旅
総説 須田牧子
《各論1》~《各論18》

第四部 遣明使節の異文化接触
総説 村井章介
《各論1》~《各論9》

第五部 彼我を行き交うモノ
総説 関周一
《各論1》~《各論11》

第六部 外交文書と儀礼の世界
総説 橋本雄
《各論1》~《各論9》

本書掲載図版出典一覧
編集後記
執筆者一覧
索引(人名・寺社名)


著者について
村井章介(むらい・しょうすけ)
立正大学文学部教授。専門は東アジア文化交流史。
著書に『東アジア往還―漢詩と外交』(朝日新聞社、1995年)、『日本中世境界史論』(岩波書店、2013年)、『日本中世の異文化接触』(東京大学出版会、2013年)、『中世史料との対話』(吉川弘文館、2014年)などがある。

橋本雄(はしもと・ゆう)
北海道大学大学院文学研究科准教授。専門は中世日本国際関係史。
著書に『中世日本の国際関係―東アジア通交圏と偽使問題』(吉川弘文館、2005年)、『中華幻想―唐物と外交の室町時代史』(勉誠出版、2011年)、『NHKさかのぼり日本史 外交篇7室町〝日本国王〟と勘合貿易』(NHK出版、2013年)などがある。

伊藤幸司(いとう・こうじ)
九州大学大学院比較社会文化研究院准教授。専門は日本中世史・東アジア交流史。
著書に『中世日本の外交と禅宗』(吉川弘文館、2002年)、『東アジア海域叢書11 寧波と博多』(共編著、汲古書院、2013年)、『東アジア海域に漕ぎだす4 東アジアのなかの五山文化』(共著、東京大学出版会、2014年)などがある。

須田牧子(すだ・まきこ)
東京大学史料編纂所助教。専門は日本中世対外関係史。
著書に『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)、『笑雲入明記―日本僧の見た見た明代中国』(共編、平凡社、2010年)、『描かれた倭寇「倭寇図巻」と「抗倭図巻」』(責任編集、吉川弘文館、2014年)などがある。

関周一(せき・しゅういち)
宮崎大学教育文化学部准教授。専門は日本中世史(対外関係史)・海域アジア史。
著書に『中世日朝海域史の研究』(吉川弘文館、2002年)、『対馬と倭寇―境界に生きる中世びと』(高志書院選書、高志書院、2012年)、『中世の唐物と伝来技術』(吉川弘文館、2015年)などがある。

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戦国武将と茶の湯ー1986年淡交社刊の再刊;2014 [中世・国内]

 戦国武将と茶の湯
著者 米原 正義[ヨネハラ マサヨシ]

出版者 吉川弘文館

   読みなおす日本史―  淡交社 1986年刊の再刊
戦国武将と茶の湯200_.jpgB6判: 18.8 x 13 x 2 cm/ページ数 234p 
出版年 2014.7

ISBN-13: 978-4642065788
発売日: 2014/6/13
価格 ¥2,376(本体¥2,200)

新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館1階芸術34番書架 NDC分類(9版) 791.2


内容紹介 文武両道の信念のもと、真の武士をめざした各地の武将は、戦さに明け暮れながらも広い教養を身につけ、この時代の文化を牽引した。彼らが嗜んだ茶の湯を中心に文化活動を追い、地方にもたらした経済効果にも言及する。


目次
総説 戦国武将と文化
始章 戦国武将と茶の湯の展開
第1章 越前朝倉氏
第2章 能登畠山氏
第3章 出雲尼子氏
第4章 周防大内氏
第5章 豊後大友氏
第6章 駿河今川氏
第7章 相模小田原北条氏
第8章 奥羽伊達氏
終章 戦国武将にとって茶の湯とは

米原正義[ヨネハラ マサヨシ]
1923年島根県に生まれる。國學院大學大学院博士課程修了。元國學院大學文学部教授。2011年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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古琉球 海洋アジアの輝ける王国--2019=その下 [中世・国内]

古琉球 海洋アジアの輝ける王国
【著】村井章介[ムライ ショウスケ] KADOKAWA
角川選書 616 
ISBN-13: 978-4047035799
発売日: 2019/3/28
価格 ¥2,376(本体¥2,200)
 
新潟県立図書館収蔵 資料コード 0010019309213  NDC分類(9版) 219.9




序論 古琉球から世界史へ より


「日本」の広がりは自明でない

現代の日本人は、北海道から沖縄までが「日本」であることを、あたかも自明のことのように思いこみがちだ。しかし、いうまでもなく沖縄(硫球諸鳥および大東諸島)の施政権が米国から返還されたのは一九七二年のことであり、その後も南千鳥・竹鳥・尖閣諸島の帰属は、国際的には未解決のままである。一九四五年以前に遡れば、「日本」は満洲・朝鮮・台湾・南洋諸鳥を支配下においていたし、軍事占領地域となればもっと広がる。これは帝国主義時代の特異な状況だが、そこにいたる勢力圏拡大の起点は、ロシア船が千島や北海道の近海にあらわれた一七七八年以降の時期に求められる。
 それ以前、北海道以北では、渡島おしま半島南端部に居を構える松前氏が唯一の大名だった。
 「和人地」とよばれた松前藩の直接支配地はわずかで、その外に樺太・千島まで広がる「蝦夷地」に点在するアイヌとの交易拠点「商場あきないば」を、松前氏は家臣に知行として給与した。やがてこれは商場の権利をヤマトの大商人に請け負わせる形態へ移行する。これらの制度を通じて、松前氏以下の「和人」はアイヌを経済的に従属させていったが、なおアイヌは幕府-松前藩の領民となったわけではなく、蝦夷地は「無主の地」とされた。それゆえアイヌは幕藩権力の国家的負担を負わなかったが、同時に和人の苛酷な搾取から保護されることもなかった。そのいっぼうでアイヌは、本州北部からユーラシア大陸東端部へと広がる交易世界を活動の場とする海洋民であり、東北アジアへ進出してきたロシア人とも交易関係を結んでいた。幕藩権力はアイヌがロシアの領民となりかねない事態を国家的危機ととらえ、それまでの「無主の地」扱いから一転して、一七九九年以降、松前藩の頭ごしに蝦夷地を幕領化する方向へ政策を転換させた。

古琉球・渡島おしま半島large.jpg

 朝鮮半島を目前にみる対馬藩は、釜山プサンの「倭館」を拠点に朝鮮との外交・貿易を担い、府中(現在の厳原いづはら)の以酊庵いていあん・には京都五山僧が輪番で詰めて外女文書を取り扱った。この体制は、中世の「三浦さんぽ」(薺浦チエポ・富山浦プサンポ・塩浦ヨンポ)や梅林寺・西山寺さいざんじ、の外交機能をひきつぎ、幕藩制に適合させたものである。中世には対馬島内の諸勢力が朝鮮国王から官職をもらったり(受職人)、朝鮮から外交文書に捺す図書〔印章〕を受領して貿易権を与えられたり、といった姿が見られた。むろんいっぽうで、古代には国・郡が設置され、中世には守護・地頭がおかれたように、日本の領域内という性格を明瞭にもっていた。
 列島の西南端では、一六〇九年、独立国だった琉球を、幕府の承認をえた島津氏が征服し、奄美群島を薩摩藩領に割き取った。沖縄/鹿児島の県境が沖縄本島/与論島のあいだにあるのはその結果だ。沖縄本島の那覇には薩摩から派遣される琉球在番奉行がおかれて琉球の国政を監視し、土地制度面では琉球をふくめて薩摩藩の石高が算出された。
 こうした従属状態のいっぼうで、沖縄本島以西は薩摩藩領に編入されたわけではなく、国を代表する王とそのもとでの国家機構は健在で、明ついで清との問には皇帝を君とし国王を臣とする冊封関係も継続した。中国から見れば、琉球は朝鮮等と同等の被冊封国だった。このような半独立状態は、琉球側の希望をうけいれた要素もあったが、基本的には、中国との情報チャネルを欲していた幕府と、「異国」を従える雄藩という体面を保ちたい薩摩藩と、双方の思惑が生み出したものだった。


 江戸幕府は、右にみた三つの列島周縁で生じる異国・異域との関係(広義の外交)を、松前、対馬、薩摩という三つの藩に「役」として委ねていた。三地域における外交のあり方は、それぞれに中世以来の伝統を色こく反映して、大きく異なっていたが、藩権力への委任という共通性に着目すれば、「対外関係の領主制的編成」と規定できよう。これに対して長崎における外交・貿易は、長崎奉行以下の幕僚が指揮し実務を長崎の町人に委ねるという形態をとり、しかもヨーロッパ勢力の出現以前に遡る歴史をもたない。これを三地域と対比して、「対外関係の官僚制的編成」と規定することができる。近年の近世史研究では、右の松前、対馬、薩摩、長崎を幕藩制国家の「四つの口」と総称しているが、各「口」における外との閥係のありようは、安易な一般化を許さない多種混合ハイブリッドな性格をもっていた。
 周縁部に右のような地域をもつ前近代の「日本」を、近代的領土理念にあてはめて、どこからどこまでと空間的に定義することができるだろうか。それは「外」と峻別された均質な空間ではなく、その内部に孕まれた諸地城-たとえば中世で「東国」とか「鎮西 (九州)」とかよばれたような―も、現代の都道府県のような、均質な「日本」の一部を切りとった空間ではなかった。

 
四つ口、.jpg


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古琉球 海洋アジアの輝ける王国--2019=その上 [中世・国内]

古琉球 海洋アジアの輝ける王国
【著】村井章介[ムライ ショウスケ]
出版社: KADOKAWA
角川選書 616
B6判: 18.8 x 12.8 x 2.8 cm/ページ数 413p
ISBN-13: 978-4047035799
発売日: 2019/3/28
価格 ¥2,376(本体¥2,200)
 
新潟県立図書館収蔵 資料コード 0010019309213  NDC分類(9版) 219.9

内容説明
世界に開かれていたのは日本ではなく「琉球」だった!13~17世紀の古琉球の時代、ボーダーレス海域でどのような歴史と文化が展開されたのか。琉球に残されたかな文字の碑文や『歴代宝案』などの外交文書、中国・朝鮮ほか、近隣諸国に残る史料などから総合的に検証。冊封体制論からはみだした古琉球の独自の事象を浮き彫りにする。同時代の日本を含むアジア世界の歴史のありかたに境界史から光をあて、その全体像に新たな視角を拓く。


目次
古琉球 海洋アジアの輝ける王国0_.jpg序論 古琉球から世界史へ
第1章 王国誕生前夜
第2章 冊封体制下の国家形成
第3章 冊封関係と海域交流
第4章 和/琉/漢の文化複合
第5章 王国は滅びたのか

著者等紹介
村井章介[ムライ ショウスケ]
1949年、大阪市に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。同大学史料編纂所助教授、同大学大学院人文社会系研究科教授を経て、立正大学教授、東京大学名誉教授。専攻は日本中世史、東アジア文化交流史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


序論古琉球から世界史へ
古琉球史は何たっておもしろい
  「古琉球・こりゆうきゆう」とは「沖縄学の伊波普猷・いはふゆう・が造ったことぱで、一六〇九年(日本慶長一四年・民万暦三七年)に薩摩島津氏に征服される以前の琉球をさすI伊波の処女作にして代表作のタイトルも『古琉球』という〔伊洩二〇〇〇、原著は一九一一年初刊〕。
 古琉球の時代、琉球は日本の国家領域の外にあった。そのころの日本を現在の日本と区別して学問的にとらえようとするとき、何とよべばよいか。現在でも使われることばに 「内地」「本土」があるが、いずれも「内」「本」を優位とする階層性を含意する点で、学問用語としては好ましくない。
 ここでヒントとなるのか、琉球人とアイヌが自身および「日本」をどうよんでいたかだ。琉球人は、自身の「国」をウチナー、「日本」をヤマトとよび、それぞれの人は「ウチナーンチュ」「ヤマトンチュ」といった。アイヌのばあいは人と「国」の関係が逆になって、自身を「アイヌ」(人の意)「日本」人をシサム(なまってシャモ)とよび、それぞれの「国」を「アイヌモシリ」「シサムモシリ」といった(モシリは「土地」の意)。
 その広がりも性格も現在とは大きく異なる前近代の「日本」を、いちいちカギ括弧を付けて表記するのも煩わしいので、琉球を考察の対象とするこの本では、琉球語を採用して「ヤマト」とよぶことにしたい。


 古琉球時代の琉球は王国を形成してヤマトから自立した領土支配を実現し、中国を中心とする国際社会で日本・朝鮮・安南(ベトナム)・暹羅しゃむ(タイ)等の諸国と横ならびのメンバーシップをもっていた。中国王朝による冊封が被冊封国の独立性と背馳・はいち・するものでないことは常識だろうし、琉球国王が室町幕府の首長とのゆるやかな君臣関係に甘んじていたことも、琉球側の自発的選択によるものだったと考えられる。
 陸地面積でいえばケシ粒のような琉球が、大きな存在感をもった理由は、東アジアと東南アジアをつなぐ海の道の結節点にあって、しかも中国、朝鮮半島、ヤマトという早く文明化した地域から遠くないという、地理的要因か大きい。
 古琉球の姿は、六三六年に成立した『隋書』の東夷伝流求国条を始めとする中国史料や、『日本書紀』を始めとするヤマト史料、遺構や発掘遺物等の考古資料にも断片的にあらわれているが、継続的に推移か追えるようになるのは、十四世紀なかばすぎに、沖縄本島にあった三つの小王国(中山・山南・山北の「三山」)が明とのあいだにそれぞれ朝貢-回賜の関係を結んで以降である。
 明は倭寇わこう対策として施行した「海禁」によって、海外(とくに東南アジア)産品を入手するルートを閉ざしてしまっており、その代替として琉球を人手ルートの窓口に位置づけた。おりしも一四二〇年代に三山の分立を克服した琉球王国は、明の手厚い助成のもと、東南アジア諸国や朝鮮に船を送って手広く交易活動を展開し、獲得した産物を明に貢納した。こうして琉球は、一四五八年に首里城正殿に掛けられた鐘の銘文に「舟楫を以て万国の津梁・しつりよう・橋渡しと為す」と詠われるような、輝かしい季節を迎えた。これを「大交易時代」とよんでいる。そのピークを過ぎたころ、東南アジアで、ポルトガルを先頭とするヨーロッパ勢力と琉球人との接触かあった。


 いっぽう、言語を始めとする文化面で距離が近いヤマトとの関係は、大交易時代にあっては影が薄く、それも中央政府である室町幕府よりは、鳥津氏を筆頭とする西日本の大名、さらには倭寇勢力の一翼を構成する商人や武士、両国を往来した僧侶などによる交渉が中心だった。十五世紀後半以降、ヤマトや中国、さらにはヨーロッパの海上勢力(それらの複合体が「倭寇」である)が、「万国の津梁」の競争者としてあらわれ、琉球の繁栄の基盤を掘り崩すようになると、相対的にヤマトとの関係の比重が増してくる。とくに重要だったのかヤマト・琉球間の交通ののど元をおさえる薩摩との関係であり、その一定の帰結が十六0九年の事件だった。
 以上のような古琉球の歴史をひとことで特徴づけるなら、海によってつながれた広大な舞台の上で、多種多様な人や物や文化が混合・雑居する多種混合・ハイブリッドな世界ということになろうか。「単一民族国家」という言説を始めとして、大昔から「日本」が均一な空間として存在してきたかのような幻想はなお跡を絶たない。そんなのっぺらぼうな歴史観から脱却するための解毒剤として、私のようなヤマトンチュにとってこそ、古琉球を知ることの意味は大きいと思う。
 

そんな理屈はともかくとして、古硫球は何たっておもしろいのだ。日本をかたちづくる要素の多元性を雄弁に語ってくれるだけではない。日本なんか飛び越していきなり世界史とつながってしまう意外さがある。かと思えば、表層の激しい変化にもかかわらず基層文化が根強く残っていたりする。私が論じたことのある事例にかぎっても、鎌倉北条氏に臣従した薩摩武士の相続文書に沖縄島直前までの島々が記されていたり、中国文化の所産である石碑にかな文字で琉球の神歌が刻まれていたり、ポルトガル製のある地図ではJapam(日本)がLequios(琉球)という大地域の辺境にすぎなかったり、ごく短期間だが硫球国王が鳥津氏をふくむ南九州の武士たちを臣従させていたり……といった具合だ。

「日本」の広がりは自明でない に続く


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沖縄対外文化交流史ー考古学・歴史学・民俗学・人類学の視点から=2004 [中世・国内]

沖縄対外文化交流史ー 考古学・歴史学・民俗学・人類学の視点から
編著者 鹿児島国際大学附置地域総合研究所  
出版者 日本経済評論社
A5判: 21.2 x 15 x 2.8 cm;327p
ISBN-13: 978-4818815780
発売日: 2004/04
定価:本体4200円+税

 

新潟市図書館収蔵 礎町・クロスパルにいがた1階・生涯学習センター図書館  NDC分類(9版) 219.9

沖縄対外文化交流史_.jpg

内容紹介
沖縄は海を媒介して、東アジアなどとの文化交流の接点であった。先史・古代の文化はどのようなものであったのか、考古・歴史・民俗・人類学などの視点から考察する。「沖縄をめぐる対外交渉史の研究」の研究成果をまとめる。

目次
1 沖縄の先史・古代―交流・交易 上村 俊雄/著 1頁-72
2 東アジア的視座に立った弥生時代の再解釈―九州・南西諸島・朝鮮半島・中国 中園 聡/著 73頁-122
3 古代の沖縄と『隋書』流求伝―六~七世紀、沖縄史への接近 中村 明蔵/著 123頁-154
4 古代東アジアと奄美・沖縄諸島―南島論・交易論への接近 中村 明蔵/著 155頁-192
5 習俗からみた琉球の対外関係 増田 勝機/著 193頁-220
6 黒潮圏の先史文化 小田 静夫/著 221頁-262
7 琉琉孤および台湾出土の開元通宝―特に六~一二世紀ごろの遺跡を中心に 高宮 広衛/著 263頁-280
8 百済・統一新羅時代遺蹟出土の開元通宝 高宮 広衛/著 281頁-312
9 沖縄県内出土人骨及び埋葬遺構に関する一考察 谷畑 美帆/著 313頁-327

タグ:琉球・沖縄
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