『関東大震災と民衆犯罪ーー立件された114件の記録から』 [明治以後・国内]
関東大震災と民衆犯罪ーー立件された114件の記録から
著 佐藤冬樹(さとう・ふゆき)
筑摩書房 (筑摩選書 262)
判型:四六判 ページ数:320
筑摩書房 (筑摩選書 262)
判型:四六判 ページ数:320
ISBN:978-4-480-01780-2
今までほとんどなかった関東大震災時の民衆犯罪の実態を、そのほとんどが有罪となっている、主題とした本。1923年の事件記録・資料を通して、検察が立件・起訴した600人以上の被告のプロフィールを分析。1923年の関東大地震。その直後から自警団による、朝鮮人、中国人らに対する襲撃事件が多発し、日本人を含む多くの犠牲者をだしたが、その実態はいまだ明らかではない。誰が誰をなぜ殺したのか? 検察が立件、起訴した600人以上の被告、約90人の日本人被害者のプロフィールを分析するなどして、民衆犯罪の全貌に迫る。事件から100年、地域に根差した庶民が起こした史上最大最悪の惨事=ヘイトクライムをとらえなおす。
「東北弁だったから/沖縄人だったから殺された」説の検証もあり、方言撲滅・標準語強制教育との関係での考察には刮目
「東北弁だったから/沖縄人だったから殺された」説の検証もあり、方言撲滅・標準語強制教育との関係での考察には刮目
著者 佐藤 冬樹(さとう・ふゆき):一九五九年、大宮下町生まれ。中央大学法学部法律学科卒業後、シンクタンク勤務等を経て、一九九四年、労働調査を担う株式会社社会構想研究所を設立、代表取締役。
主な著作に『生き残る物流』(毎日新聞社)、『労働基準監督官のための時短問題副読本』(埼玉労働局、福井労働局)、『おきつるコミュニティQ&A』(横浜・鶴見沖縄県人会)など。
本書は沖縄県の「伊江島から出稼ぎに来た人びとの労働史から生まれた副産物」とのこと。
主な著作に『生き残る物流』(毎日新聞社)、『労働基準監督官のための時短問題副読本』(埼玉労働局、福井労働局)、『おきつるコミュニティQ&A』(横浜・鶴見沖縄県人会)など。
本書は沖縄県の「伊江島から出稼ぎに来た人びとの労働史から生まれた副産物」とのこと。
はじめに より
関東大震災の際、自警団が大勢の人びとを殺傷したことは良く知られている。彼らは朝鮮人や中国人を殺し、ときに日本人をも巻き添えにした。検察はこれらの民衆犯罪のうちーー四件を立件した。殺人、騒擾及殺人、殺人及殺人未遂などの罪で約六四〇人が起訴され、そのほとんどが有罪になった。ふつうの住民が四〇〇人以上を殺害した、近代日本史上類例のない刑事事件であった。
付け加えれば検察は、事件の捜査に熱心ではなかったし、犯人すべてを検挙したわけでもない。民衆を刺激したくなかったからである。埼玉県では一一六人を検挙したところで 「民情にわかに騒然を極め、村治等にも困難」を来したとして、やおら声明を発表した。「ほかにも多数未検挙のものもあるが、これ以上の検挙を見合わせる」と。こうしてわずかひと月で捜査を手じまいとした (第2部 3〔 2〕 )。神奈川県に至っては無警察状態が長く続いたおかげでほとんどの犯人が野放しになった。検挙されずに済んだ者とその被害者は永遠の謎になってしまった。それでも六四〇人が裁かれた。百年前の関東地方で、私たちの曽祖父や高祖父にあたる人びとは何ということをしでかしたのか。
本書の主題は、これらの民衆犯罪である。・・略・・先行研究は国家の責任を次々に明らかにした。 しかしその反面、民衆犯罪の実態解明が疎かになり、いつまで経っても虐殺事件の史実が「私たちの歴史」になりきらないという課題が残されている。
筆者は、先行研究に対して次のような問題を感じている。・・略・・人びとは「不逞鮮人」襲来に備えよという指示命令に従って武装した。しかし、その後の行動は彼ら自身が選び取った。彼らは「不逞鮮人」(朝鮮独立運動家)と思しき青年男子ばかりか、女性や子供、妊産婦や乳幼児に至るまでを惨殺した。証言によればおよそ六〇人の朝鮮人女性が殺されている。官憲は「不逞鮮人」と「良鮮人」を区別せよと命じたが、自警団は、朝鮮人の抹殺—エスノサイドを選んだのであった。
また、千葉や埼玉、群馬では、数百数千の群衆が警察署や巡査駐在所を取り巻き、収容された朝鮮人を引き渡せと大騒ぎした。こうした騒動が三〇件近くも発生し、このうちーー件では、群衆が警察署構内に押し入って朝鮮人を虐殺した。民衆犯罪の多くは、権力の思惑を超えていて、先行研究の認識枠組みからも大きくはみ出している。
次に、関東大震災時の虐殺事件と、それ以前の朝鮮人、中国人労働者に対する襲撃事件や排斥事件などとの関係が明らかではない。これらのヘイト・クライムは、外国人の働く職場とその周辺でほとんど日常化していた。震災時の事件もこれと地続きだったのではないか。連続性の問題は、治安当局による「民衆の警察化」政策においても問われている。震災以前、警察は、地域の中に警察活動への支援者を育て、暴動勃発などに際して自ら鎮圧にあたるような組織を作ろうとした。すなわち自警団 (保安組合、自警義団、安全組合)の結成であった。震災前と震災時の自警団、両者のあいだの連続性も気にかかる。
そして何よりも自警団に関する基本的な知見が不足している。自警団の結成状況、規模、構成メンバ—、組織編成、活動内容が分からない。このため自警団が避難民の救護と朝鮮人の殲滅、二つの活動を矛盾なくやり遂げた事実、自警団の主力も、虐殺事件の主犯も消防組だった事実が等閑視されてきた。警察が「民衆警察」の中核と位置づけ、「自警自衛」意識を強く教え込んだのも消防組員であった。朝鮮人虐殺事件における消防組の関与を、治安当局は隠蔽し、先行研究もこれに注意を払うことなく今日に至った。
さらに日本人襲撃事件の実態が手つかずのまま残されている。警視庁『大正大震火災誌』によれば、自警団は、朝鮮人ばかりではなく「同胞なりとも発音不明瞭なるもの」を殺傷したという。東北や沖縄出身者、ろう者が被害をこうむったという証言も数多い。自警団に襲われたのは「朝鮮人ばかりではない、日本人も」という伝承も根付いている。しかし、これらはどこまで史実なのだろうか。日本人が自分の加害責任から目をそらす中で生まれた「受難」伝承ではないのか。
先行研究なしに本書の一行たりとも綴れなかったのは間違いない。それでも常に頭をかすめたのは、民衆犯罪と自警団の実態がほとんど分かっていないという思いであった。本書が上記の課題をすべて解決したとは毛頭考えていないが、少なくとも今後の叩き台は用意したつもりである。民衆犯罪を直視する。これもまた、取り返しのつかないものを取り返すための試みである。
続く
警察の社会史 大日方 純夫/著 -- 岩波書店 -- 1993.3 [明治以後・国内]
警察の社会史 著者 大日方 純夫 オビナタ すみお
出版者 岩波書店 岩波新書 新赤版 番号 271
出版年 1993.3
新書 大きさ 18cm ページ数 230p
ISBN 4-00-430271-4
日露戦争直後,東京市の警察署の八割が襲撃される日比谷焼打事件がおきた.だがわずか十数年後,関東大震災では「自警団」が登場し,民衆はすすんで「治安」に協力する.この変化は何を意味するのか.「民衆の警察化」が典型的に押し進められた大正デモクラシー時期を中心に,社会生活のすみずみにまで及んだ「行政警察」全体像を解明する
1950年生まれの日本近代史研究者が、1993年に刊行した20世紀前半、特に大正期の日本警察の社会史。明治政府は、ヨーロッパから大陸型の警察制度を導入し、東京府から独立した東京警視庁と、中央集権的な警察制度を創設した。その際、事後処理的な司法警察と並んで、予防的な行政警察が設けられ、特に後者は人民の「守役」として、民衆生活の広範な領域に介入した。
日清・日露戦争後の帝国主義期には、工業化を背景として、風俗や道路への規制に加えて、工場や衛生、海外渡航への積極的な介入が目立つようになり、警察権限は無限定に膨張してゆく。しかし大正期の民衆騒擾の頻発は、警察の転換の契機となる。藩閥政府の私兵的性格の強かった警察は、以後「警察の民衆化」を掲げると同時に、巡査の待遇を改善して貧民との遮断を図り、加えて「陛下の警察官」としての精神的統制を強化する。
また同時に、「民衆の警察化」も目指され、「自警」が組織化されていくが、その問題性は関東大震災下での朝鮮人虐殺(警察も流言の流布に一役買っている)の際に露呈した。
日清・日露戦争後の帝国主義期には、工業化を背景として、風俗や道路への規制に加えて、工場や衛生、海外渡航への積極的な介入が目立つようになり、警察権限は無限定に膨張してゆく。しかし大正期の民衆騒擾の頻発は、警察の転換の契機となる。藩閥政府の私兵的性格の強かった警察は、以後「警察の民衆化」を掲げると同時に、巡査の待遇を改善して貧民との遮断を図り、加えて「陛下の警察官」としての精神的統制を強化する。
また同時に、「民衆の警察化」も目指され、「自警」が組織化されていくが、その問題性は関東大震災下での朝鮮人虐殺(警察も流言の流布に一役買っている)の際に露呈した。
結果として1930年代には、警察は「民衆化」されずに戦時体制を支える「力の警察」へと向かい、自警団は権力の末端組織として編入された(その過程の解明は今後の課題)。戦後、GHQによって警察権限は縮小し、地方分権化されたが、戦後の過程で再びゆり戻しが起こっていることを、著者は憂慮している。戦前警察の歩みを社会変化と関連付けて論じた好著であるが、著者が「今後の望ましい警察のあり方」をどう考えているのかが気にはなる。戦後の日本警察については、永井良和『風俗営業取締り』(講談社メチエ、2002年)がある。
日比谷焼き討ち事件を機に群衆に警察署や派出所が襲撃され、警視庁廃止論まで飛び交った時点から警察が民衆を取り込んでいく過程とその顛末を、資料を盛んに引用して示していく著作。過去において群衆に警察署が襲撃されたなんていうのが今の状態から考えるとまず信じられなかったが、そんな行為が信じられない位にまで馴致されていく過程が段階的に示されていく。それはいわゆるパブリック・リレーションズ、批判的に言うなら印象操作の連続で、草の根から警察に親しみを覚えさせたり警察に頼らせたりしていく手際がたくさん収録されている。
挙句には地域ごとの自警団も青年団や商業会や婦人団体などの肝いりで作り上げていく。統治を広げていく人たちの目論見と統治される気持ちよさに嵌っていく人たちの心情が並行的に示される。そんな自警の動きは関東大震災の下で朝鮮人虐殺へと結びつくが裁判では厳罰をまぬかれ、戦時体制下の産業報国会・大政翼賛会へと民衆は気持ちをぶれさせずに警察との絆をつなげていく。
挙句には地域ごとの自警団も青年団や商業会や婦人団体などの肝いりで作り上げていく。統治を広げていく人たちの目論見と統治される気持ちよさに嵌っていく人たちの心情が並行的に示される。そんな自警の動きは関東大震災の下で朝鮮人虐殺へと結びつくが裁判では厳罰をまぬかれ、戦時体制下の産業報国会・大政翼賛会へと民衆は気持ちをぶれさせずに警察との絆をつなげていく。
目次
序章 警察廃止をめぐる2つの事件
1 行政警察の論理と領域
2 変動する警察
3 「警察の民衆化」と「民衆の警察化」
4 「国民警察」のゆくえ
終章 戦後警察への軌跡
近代日本の戦争と宗教ー2010年 [明治以後・国内]
近代日本の戦争と宗教
著者 小川原正道 /オガワラまさみち
出版者 講談社 講談社選書メチエ 474 大きさ 19cm 222頁
出版年 2010.6
ISBN 4-06-258474-6
新潟県立図書館収蔵本 /210.6/O24/
ISBN 4-06-258474-6
新潟県立図書館収蔵本 /210.6/O24/
内容紹介
明治国家の歩みには、戦争がともなっていた。そうした戦いのなか、宗教は、神社界、仏教界、キリスト教界は、国家といかに向き合ったのか。従軍布教や軍資金の提供といった積極的な協力姿勢から、反戦論・非戦論をはじめとする消極的姿勢まで、その実態を描く。
明治国家の歩みには、戦争がともなっていた。そうした戦いのなか、宗教は、神社界、仏教界、キリスト教界は、国家といかに向き合ったのか。従軍布教や軍資金の提供といった積極的な協力姿勢から、反戦論・非戦論をはじめとする消極的姿勢まで、その実態を描く。
目次
ブロローグ ー「前奏曲」として・・・・・002頁
第1章 戊辰戦争と宗教―権力交代劇の狭間で
㈠ 戦争と本願寺・・・・・014
㈡ 神職たちの戦争と天皇の祈り・・・・・022
㈢ 徳川家菩提寺のゆくえ・・・・・030
第2章 台湾出兵―初めての海外派兵と軍資献納
㈠ 初の海外派兵と大教院・・・・・040
㈡ 出兵と神宮・出雲大社・・・・・050
㈢ その他の神社界の動向と外交交渉の妥協・・・・・058
㈣ 凱旋と教導職賀章上呈・・・・・061
第3章 西南戦争―日本最期の内戦の中で
㈠ 教部省の廃止と戦争の勃発・・・・・070
㈡ 戦争下における真宗・・・・・075
㈢ 戦争下における神社・・・・・092
㈣ 真宗解禁の意義とその後の田中直哉・・・・・098
第4章 日清戦争―アジアの大国との決戦と軍事支援
㈠ 戦争の勃発と仏教界の協力・・・・・106
㈡ キリスト教界の協力と戦争観・・・・・115
㈢ 神道界の動き・・・・・125
㈣ 「従軍」から「開教」へ・・・・・130
第5章 日露戦争―列強との対決と「団結」
㈠ ロシア正教迫害問題の発生と正教側の対応・・・・・136
㈡ ロシア正教問題に対する政府・宗教界・軍の対応・・・・・146
㈢ 日本軍の展開と従軍布教・・・・・162
㈣ キリスト教界と非戦の声・・・・・177
エピローグ ― 「交響曲」へむかって・・・・184
あとがき・・・・190
註・・・・194~222
著者紹介
小川原正道[オガワラまさみち] 1976年長野県生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。同大学法学部准教授。専攻は、専攻は、近代日本政治史・政治思想史・宗教行政史。著書に「西南戦争」「評伝岡部長職」「大教院の研究」など。
ブロローグ ー「前奏曲」として
近代日本の戦争と戦没者慰霊
明治三十八(1905)年五月一日。東京九段の靖国神社で日露戦争の戦死者約三万名の招魂式が執り行われた。この日から四日闇、境内では戦勝を祝う臨時大祭が開かれ、「国光発揮」と記されたアーチが入り口にかけられ、中には「忠勇」 「義烈」と書かれた二本の塔ひそびえ立った。会場には戦場で獲得した戦利品が陳列され、相撲が奉納され、花火が打ち上げられ、鉄塔も華やかに電飾された。
日露戦争の戦没者で靖国神社に合祀されたのは約八万八千名にのぼり、この頃から、祭神は「英霊」と呼ばれるようになる。すでに小学校では、唱歌「招魂祭」が歌われていた。
こゝに喬マツる。君が霊ミタマ。蘭はくだけて。香に匂ひ。骨は朽ちて。名をぞ残す。机代物。うけよ君。
此所にまつる。戦死の人。骨を砕くも。君が為。国のまもり。世々の鑑。光りたえせじ。そのひかり。
十年前の日清戦争では約一万四千名、その十七年前の西南戦争では約七千名が、靖国神社に合祀された。西南戦争は内戦てあったため、ぽぼ同数の薩軍将兵が戦死している。戊辰戦争後に設けられていた車京招魂社が靖国神社と改称されたのはこの西南戦争後のことで、『春秋左氏伝』にある 「吾以靖国也」から名前がとられた。国を清く安んずる、といった意味である。
戦争と宗教との関係を考えるとき、我々の念頭には、まずこうした戦没者の慰霊や追悼といった取り組みが思い浮かぶであろう。そして、戦前の靖国神社が陸海軍によって管理・運営され、僧侶が軍に随行して前線で葬儀を執り行ったように.その慰霊と追悼は.「国家」や「顕彰」と分かちがたく結びついていた。靖国神社に限らす.戦争に際して神社界や仏教界.キリスト教界は.戦争を遂行する「国家」といかに向き合うか.という課題に直面することになる.そこには「国光発揮」「忠勇」「義烈」といった言葉に象徴されるような、参加、協力、支援や賞賛といった積極的姿勢から、反戦論・非戦論をはじめとする批判、あるいは沈黙、逃避といった消極的姿勢まで、さまざまな態度をみてとることができる。
明治期の日本は、戊辰戦争によって旧幕府勢力が打倒されて新たな政権が誕生し、台湾出兵によってはじめての海外派兵を経験し、西南戦争によって国内の批判分子が一掃され、日清戦争・日露戦争の勝利によって対外的な地位を向上させていく。かくして明治時代はおわり、やがて日本は第一次世界大戦によって戦勝国の一員となり、満州事変によって大陸での版図を拡大し、日中戦争・太平洋戦争で大日本帝国の規模を最大限に拡大したところで、敗戦によって一気にその範囲を隔小させる。
その「国家」のあゆみに対し、宗教はいかなる反応をみせたのか。本書は、ます明治期に焦点をあて、その実態を描いてみようとするものである。
日清・日露戦争のインパクトと本書のねらい
これまでで近代日本における宗教と戦争との関係を考えるとき、画期として注目されてきたのは、日清・日露戦争であった。
明治六年に真宗東本願寺派が中国布教に乗り出して以降.明治十年には同派の釜山別院が創設され、真宗西本願寺派は明治十九年にウラジオストックに僧侶を派遣して布教にあたらせ、浄土宗は明治二十七年にハワイに布教徒を送った。仏教各派のこうした初期の開教が、現地在留邦人の要求に応えるという性格が強かったのに対し、日清戦争では従軍・慰問・現地宣撫といった軍事行動に附随する宗教活動が展開され、日露戦争でも開教使が従軍して慰問や教誨にあたり、満州開教の遁が開かれた。西本願寺派の清国・韓国開教の発端は日清戦争にあったし、戦後には台湾開教の道も開かれ、日露戦争では釜山や大邱に臨時出張所や仮布教場を設置して軍隊布教を展開、京城には韓国開教総監部が設置された。以後、満州での日本権益拡大や、韓国併合、第一次大戦による南洋諸島の委任統治、そして日中戦争から太平洋戦争へと進む過程で、各派の教線や従軍僧の活動範囲が拡大していく。
真宗が戦争に協力し、政治を翼賛していく論理として、「真俗二諦論」が用いられたことは、よく知られている。真宗西本願寺派では、仏教の真理(真諦)と世俗の真理(俗諦)が共に真理として両立するとする真俗二諦論に依拠した「宗制」のもと、戦時下において、当時の門主から僧侶に戦争協力を呼びかける「消息」が発せられた。実際、日露戦争に際しても東西両本願寺の門主は、真俗二諦、王法為本の立場から積極的に戦争に協力するよう門徒に呼びかけている(なお、本願寺派は平成十九年の臨時宗会で「宗制」を変更し、これらの「消息」を含めた歴代宗主(一部の宗主は除く)の撰述を「聖教に準ずる」扱いから外すこと、また真俗二諦的な表現を削除することを決議した。)
神道界に目を向けると、日清戦争に際して伊勢神宮に勅使が派遣されて宣戦奉告祭が催され、戦後には平和克復奉告祭が開催、外苑に記念砲が献偏された.日露戦争の際も神宮では宣戦奉告祭が催され、戦後には明治天皇が平和克復奉告のために参拝し、外苑には戦利品の大砲が設置されている。第一次大戦時も宣戦奉告祭と平和克復祭が催されており。太平洋戦争でも宣戦奉告祭が開かれた。その終結にあたって催されたのは。戦争終結奉告祭と皇国護持祈願祭である。日露戦後に日本が南満州鉄道の利権を獲得すると、満州の日本人居留地域から中国奥地に至るまで、続々と神社が設立されていく。朝鮮では日清戦争以前から居留民の手で神宮遥拝所が設立されていたが、日露戦争当時から教化的意味合いを含めた神社創建が主張されるようになり、韓国併合後に官幣大社朝鮮神宮(朝鮮総鎮守)が創建された。すでに台湾では。日清戦後に官幣大社台湾神社(台湾総鎮守)が創建されていた。戦前に存在した海外神社の総数は、千六百以上にのぽるといわれている。
昭和四二年に日本基督教団出版部が刊行した『日本基督教団史』は.昭和期に入って全休ぶ『義的傾向が強まる中、「キリスト教も、ついに引き出されて、いやおうなしに、国策の一部の担い手とされはじめた」として、教団の設立や戦時下の教団の動向、戦後の教団の複興の過程について詳述しているが、同時に、すでに大正期までに「キリスト教各派の宣教は、前時代の線に沿うてなされ」、台湾、朝鮮、満州、中国などへの外地伝道を積極的に展開していたことにも、ふれている。「前時代」の画期となったのが、日清・日露戦争であったことはいうまでもない。植村正久、本多庸一、海老名弾正といった名だたるキリスト者たちが、戦争への協力を呼びかけた。
こうした意味で、日清・日露戦争が近代日本における宗教にとって、大きなインパクトをもたらしたことは間違いない。
しかし、すでに戌辰戦争の際には、仏教や神道勢力には積極的に新政府軍に協力する姿勢が見られたし、冒頭で触れた靖国神社の前身である東京招魂社が創建されたのも明治二年で、維新志士や戊辰戦争の戦没者の慰霊と顕彰に収り組むところから、その活動をスタートさせていた。西本願寺派は戊辰戦争に際して新政府軍に協力し、その戦闘にあたっても「勤王」の姿勢を貫くよう消息を発していた。これまで宗教との関係についてほとんど目を向けられてこなかった台湾出兵に際しても、日本軍の出兵によって清国との開戦の危機が発生したことから、伊勢神宮や出雲大社などから多頷の軍資金が寄せられ、天皇による神宮への祭告と詔勅による宣戦布告、そして天皇親征による戦争の遂行が提案された。西南戦争では、政府に対して批判的な鹿児鳥の人々を慰撫すべく浄上真宗が真俗二諦論を掲げて布教に乗り出すものの、僧侶たちは政府の密偵と疑われて逮捕され、逆に鹿児島県内の神社は薩軍側に協力したことで、敗軍としての痛手を負うこととなった。また、日清・日露戦争においては、仏教界、キリスト教界を挙げて、『義戦』としてこれを支援し、僧侶や牧師等が従軍して士気を鼓舞し、経済的な負担をはじめとする銃後の支援も担ったが、とりわけ日露戦争においては、ロシア側が「キリスト教対異教徒」という戦争の構図を持ち出し、日英同盟と列強における外偵募集を支えとして戦っていた日本にイデオロギー的なくさびを打ち込もうとしたため、日本国内の仏教者やキリスト者、神道家たちは政府とともに結束して国内のロシア正教を保護し、「文明対非文明」といった別の構図を提示していくこととなった。宗教界における戦争に対する批判的言説としては日露戦争の際の内村鑑三の非戦論が有名だが、仏教界にも非戦論はみられたし、台湾出兵の際にはすでに僧侶から戦争反対意見が政府に提出されており、時の政府中枢のもとにまで届けられていた。これらの諸事実は今日、一般にほとんど知られていない。
以上のような点から、本書では戊辰戦争にまで遡って、戦争と宗教とのかかわりについて論じていきたい。もとより、靖国神社研究をはじめとして、戦没者の慰霊や追悼といった側面については、これまで多くの研究が蓄積されてきた。最近のものだけに限っても、
秦郁彦『靖国神社の祭神たち』(新潮逸書、半成二十一.乍)、國學院人學研究間発推進センター編『霊魂・慰霊・.顕彰』(錦下卜、平成ニト二年).同『慰霊と顕彰の間』〔錦f祉、斗成二丿年〕’Sj神社編『故郷の護閥神社と蜻國神社』(展転刳、平成卜九乍)、西村叫『戦後日本と戦争死者慰霊』(心志舎、平成十八年)、赤渾史朗『靖圃神社』(岩波書店、半成I七乍べ人野敬一『慰霊・追悼・顕彰の近代』〔吉川弘文郎、平成卜八乍〕、今珪昭彦『近代日本と戦死者祭祀』(東洋3林、平成卜七乍)など、
枚挙に遑がない。そこで本書では.慰霊・追悼の側面については必要な範囲で言及するにとどめて、あとはこれらの優れた研究にゆずり、主に、戦争を遂行する「国家」に対して宗教各派がいかなる協力や反対といった「反応」を見せたのかという「実態」をみていくことにする。宗教各派は、その壇家や信徒を戦争に動員する物理的な力と、戦争を教義に基づいて正当化する精神的な力とを有している。いうまでもなく物理的動員の放棄や教義妁正当性の否定は、戦争を遂行する国家にとって痛烈な痛手となる。その意味で、『実態』の考察は、戦争という国家的危機に際しての宗教による物理的・精神的国民動員・非動員の『実態』を明らかにすることにもなろう。宗靫をめぐる紛争が絶えない今日、我が国の歴史的系譜をたどっておくことは。決して無駄ではあるまい。
浄上真宗西本願寺派がその「宗制」の変更を平成十九年に実施したように、昭和期の戦争に対する宗教界の動向についてさえ。いまなお、検証、反省、回顧の段階にある。日中戦争期に「戦争は罪悪である」などと発言したため陸軍刑法によって有罪判決を受け、大谷派から法要座次を最下位に落とす処分を受けた大谷派明泉寺の住職竹中彰元シヨウゲン が、大谷派によって公式にその名誉を回復したのも、平成十九年のことである。平成九年にブライアン・ヴィクトリア氏が「Zen at Wap」を出版して禅宗が深く日本の軍事行動にかかわっていたことを叙述し、四年後に邦訳『禅と戦争』(光人社)が刊行されると、同宗妙心寺派は戦争協力の過去について遺憾の意を表明した。妙心寺派の河野太通管長は平成二十二年四月、これまでの同派の懺悔によって、「妙心寺派は人命尊重、人権尊重という釈尊の教えの二つの柱に基づいて過去の誤りを反省した。この点で戦前とはがらりと変わった教団となったこを銘記し、教化活動に当たってほしい」と力説している。
キリスト教界でも、日本基督教団が戦争協力について謝罪したのは昭和四二年だが.「反省」のときはなお続いており、平成ニ十年には『ミッションースクールと戦争-立教学院のディレンマ』(東信堂)が上梓され.学院自身の手によって戦時下の学院の動向に詳しい検討が加えられた。明治期の戦争と宗教の関係については、歴史的事実そのものの多くが、資料のなかに理もれたままとなってきた。
昭和期の戦争に対する宗教の協力を不気味な交習曲にたとえるなら、我々はそのフオルテッシシモを大平洋戦争の戦時体制下で耳にし、いまなお、その余韻のなかにいる。その交響曲を導く前奏曲は、明治期から流れはじめていた。その調べはいかに形成され、展開されていったのか。これが、本書を通じて読者諸氏に届いてほしいテーマである。
我々はまず、時代を戊辰戦争勃発のとき、すなわち慶応四年の一月にまで、遡ろう。
『関東大震災と民衆犯罪ーー立件された114件の記録から』ー目次 [明治以後・国内]
関東大震災と民衆犯罪ーー立件された114件の記録から
著 佐藤冬樹(さとう・ふゆき)
筑摩書房 (筑摩選書 262)
判型:四六判 ページ数:320
筑摩書房 (筑摩選書 262)
判型:四六判 ページ数:320
ISBN:978-4-480-01780-2
今までほとんどなかった関東大震災時の民衆犯罪の実態を、そのほとんどが有罪となっている、主題とした本。1923年の事件記録・資料を通して、検察が立件・起訴した600人以上の被告のプロフィールを分析。【目次】
本書の第1部では、朝鮮人虐殺事件の経緯 とその背景を概観した上で、自警団に関する基本的な知見を検証する。
はじめに
第1部 関東大震災下の国家と民衆
1 軍・官・民一体のエスノサイド
エスノサイド (ethnocide).[独自の文化と独自の言語を楽しみ、発展させ、伝達する権利を否定されていること]
第1章では、朝鮮人虐殺事件に対する権力機構 (政府・軍隊・警察・地方政府・新聞社)の関与と、トップエリートが「事実の真相」をどのように改竄したかを見ていく。
〔1〕自警団の結成と警察の役割
(1) 警察がデマを広めた
(2) 人びとがデマに動かされた
〔2〕治安エリートの「暴動」妄想と戒厳令下の虐殺
(1) エリートパニックと戒厳令
(2) 戒厳軍による大量殺戮
(3) 軍隊が虐殺の「見本」をみせた
〔3〕県庁と県警の失態
〔4〕掌を返した治安当局
(1) パートナーから役人犯へ
(2)「事実の真相」を作りかえる
2 自警団、その組織と活動実践
第2章では、自警団の結成状況、結成範囲、消防組や在郷軍人会との関係、「警備」活動の実際などを、定量的・定性的に明らかにする。 「彼らは、相手が日本人とわかった後もしばしば暴行を加え、『同胞殺し』を避けようとしなかった。すべてを『誤認』襲撃とみなすと民衆犯罪の本質が見えなくなる」(p.158 )
〔1〕自警団の広がりと組織構成
(1) 自警団の結成状況
(2) 自警団の規模と結成範囲
(3) 中核を担った消防組
〔2〕自警団の活動内容
(1) 自警団の武装状況
(2) 「警備」活動の実態
3 エスノサイドの背景 〔1〕全国で結成された「民衆警察」
第3章では、警察による「民衆の警察化」政策と近代日本が初めて直面した外国人労働者「問題」の二つに着目して、エスノサイドの背景を探っていく。朝鮮人、中国人虐殺事件が起こる条件は、すでに震災以前から準備されていた。また、第2章、第3章を通して、消防組が虐殺事件の主犯となった事実とその背景を浮き彫りにする。
(1) 警察活動のキャンペーン
(2) 警察の下部組織を新設する
(3) 警察と消防と自警団
〔2〕外国人労働者「問題」の発生
(1) 震災前までの在留朝鮮人の動向
(2) 震災前後までの移入規制政策
(3) 朝鮮人労働者の排斥、抗争事件の頻発
第2部 刑事事件化した民衆犯罪の動向
第2部は全体の本編に相当する。ここでは検察が起訴した朝鮮人襲撃事件と日本人襲撃事件を、ひとつひとつ見ていった。
(1) 典拠とした資料とその特徴
(2) 刑事事件化した民衆犯罪の傾向と問題点
(3) 刑事事件化した民衆犯罪の発生状況
1 朝鮮人襲撃事件にみる自警団の情動
第1章では、朝鮮人襲撃事件を態様別に分類、整理した上で、その殺伐とした特徴と自警団の情動を浮き彫りにする。
〔1〕朝鮮人襲撃事件の発生状況
〔2〕朝鮮人被害者のプロフィール
〔3〕朝鮮人襲撃事件の態様
(1) 検問中•警戒中に遭遇して襲撃
(2) 逃亡した人を捕縛して惨殺
(3) 住居や勤務先、宿泊先を襲撃
(4) 警察署や軍隊への移送途上を襲撃
(5) 派出所や警察署を襲撃
(6) 負傷した人、捕縛された人を殺害
(7) 政府が捏造したタイプ
〔4〕「報復」行為としてのエスノサイド
(1)自警団の犯罪、四つの特徴
(2)「原始的な復讐心」の発露
2 日本人襲撃事件の実態と被害者像
第2章では、日本人襲撃事件を同じく態様別に分類した上で、日本人の被害は必ずしも「朝鮮人と間違えた」結果ではなかったこと、被害者の多くは「発音不明瞭なる」地方出身者やろう者ではなく、若い勤め人と学生だったことを明示する。
〔1〕日本人襲撃事件の発生状況
〔2〕日本人襲撃事件の経緯と態様
(1)「朝鮮人に似た人」を襲う
(2) 訊問・取調を経て襲う
(3) 日本人殺しの必然性
〔3〕日本人被害者に関する伝承と史実
(1) 日本人の被害を併記するという問題
(2) 地方紙による「誤認」被害報道
〔4〕日本人被害者のプロフィール
3 自警団員裁判の実態と加害者像の再検証
第3章では、自警団員被告の即時放免を主張した「関東自警同盟」の文書をもとに自警団員裁判の実態をふり返った上で、上記の刑事事件被告四五〇〜六二五人 (判明分)のプロフィールを分析する。これは加害者像に関する初めての実証的なアプロ—チとなる。
〔1〕先行研究の加害者像に対する疑問
〔2〕自警団員裁判という「猿芝居」
〔3〕加害者のプロフィール
(1) 消防組員、在郷軍人、青年団員の割合
(2)「ふつうの地元民」の犯罪
(3)「在来産業」従業者主犯説の意義
第3部 沖縄出身者と自警団
第3部では、出版社社員、大学予科生、製紙労働者、紡績労働者といったさまざまな沖縄出身者の震災経験を検証する。
第3部では、出版社社員、大学予科生、製紙労働者、紡績労働者といったさまざまな沖縄出身者の震災経験を検証する。
1 沖縄出身者襲撃伝承とその特徴
2 関東大震災、ふたつの体験記
〔1〕襲撃伝承の原点──比嘉春潮「年月とともに」
〔2〕勤勉な自警団員──宮良當壯「遭震惨記」
〔3〕比嘉の沈黙、宮良の無責任
3 沖縄出身製紙労働者の震災経験
〔1〕雪崩を打って上京する
〔2〕「木下組」朝鮮人組夫の虐殺
〔3〕伊江村出身者と自警団事件
〔4〕襲撃伝承が生まれるまで
4 沖縄における伝承の形成と定着
〔1〕紡績女工の悲劇
〔2〕「方言」撲滅教育と「沖縄語」話者の処刑
巻末資料
結びに代えて
索引
なぜ市民は"座り込む"のか――基地の島・沖縄の実像、戦争の記憶 [明治以後・国内]
なぜ市民は"座り込む"のか――基地の島・沖縄の実像、戦争の記憶
安田 浩一 (著)[ヤスダこういち]
– 2023/7/21
「普天間のまわりは、もともと何もなかった」「きれいな日本語がしゃべれない」「座り込みの意味を理解していない」「0日にした方がよくない?」 沖縄の基地反対運動に向けられる嘲笑と冷笑。“5周遅れ”のデマは、なぜ繰り返されるのか。
基地に反対する市民たちの肉声に加えて、関東大震災での虐殺や沖縄戦での集団自決、沖縄の戦後史などの史実から見えてきた景色とは。
沖縄は、沖縄の歴史は、基地に反対する沖縄の人々の思いは、生身の人間が訴える切実な声は、娯楽として消費されるものじゃない――。
市民たちの“抗議”の実像に迫った“渾身”の作。
座り込みに参加している人々に共通するのは、これ以上沖縄に基地をつくらないでほしいという思いだ。その思いを、基地を押し付けている側の「本土」の人間が、どうして笑うことができるのか。(本文より)
まえがきーーー001
第1章 日本社会を覆う“笑い”の暴力
「論破王」が煽る嘲笑ーーー016
しつこく繰り返されるデマーーー025
「ガマフヤー」が感じた哀れみーーー031
「座り込み」が動かした歴史ーーー037
何が「分断」を強いているのかーーー047
第2章 戦争の記憶が残る場所
あまりに軽薄な「集団自決」発言ーーー058
“つまみ食い”にされる歴史ーーー061
渡嘉敷島で起きた悲劇ーーー070
沖縄戦と慰安婦の足跡ーーー078
慰安婦がたどった戦後ーーー085
第3章 小さな島で起きた“ネット私刑”
誹謗中傷に加担する全国紙の罪ーーー092
否定された産経記事ーーー096
いまネットに残る“デマ記事”ーーー100
「基地」が生んだ「性犯罪」の傷ーーー110
“醜悪な祭り”の後に残るものーーー113
第4章 壊れていくメディア
「ニュース女子」の沖縄ロケーーー124
「シルバー部隊」「テロリスト」「日当」ーーー130
いったい何を「取材」したのかーーー139
仕立て上げられた「黒幕」ーーー147
ヘイトだらけの記者会見ーーー153
痛みを抱えての裁判ーーー161
終わらない差別ーーー165
第5章 「プロ市民」とは誰のことか
保育園に向けられた罵声ーーー174
「反基地」批判へのマジックワードーーー183
土人発言「出張ご苦労様」ーーー192
「本土」で感じる違和感の正体ーーー201
第6章 作られる「中国脅威論」
「沖縄は中国に侵略されつつある」ーーー210
中国から「工作資金」?ーーー217
ウワサ話が暴走するときーーー222
沖縄在住中国出身者の思いーーー232
第7章 書き換えられていく事実
元自民幹事長が通い続ける理由ーーー240
「いまの沖縄は韓国と同じだな」ーーー246
史実を否定する行政の動きーーー251
関東大震災で犠牲になった沖縄出身者ーーー258
終章 問われているものの正体
「地政学」という名の屁理屈ーーー270
議論した先に見た真実ーーー275
あとがきーーー282
著者等紹介
安田浩一[ヤスダコウイチ]
1964年静岡県生まれ。「週刊宝石」「サンデー毎日」記者を経て2001年からフリーに。事件、労働問題などを中心に取材・執筆活動を続ける。12年、『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』で第34回講談社ノンフィクション賞受賞。15年「ルポ 外国人『隷属』労働者」(「G2 Vol.17」「講談社」掲載)で第46回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
「戦前」の正体 -- 愛国と神話の日本近現代史--2023;05 [明治以後・国内]
「戦前」の正体 -- 愛国と神話の日本近現代史
著者名1 辻田 真佐憲 /[ツジタ マサノリ]
出版者 講談社 講談社現代新書 2705 ページ数 298p
出版年 2023.5
NDC分類(9版) 210.6 /210.6/ツ/
ISBN 978-4-06-532129-4
新潟市立図書館収蔵 亀田館
内容紹介
右派も左派も誤解している、神話に支えられた「大日本帝国」の本当の姿とは。「原点回帰」「特別な国」「世界最古」といった5つの「罠」の観点で、戦前の「国威発揚」の物語を批判的に整理。
右派も左派も誤解している、神話に支えられた「大日本帝国」の本当の姿とは。「原点回帰」「特別な国」「世界最古」といった5つの「罠」の観点で、戦前の「国威発揚」の物語を批判的に整理。
【本書の構成】
第1章 古代日本を取り戻す 明治維新と神武天皇リバイバル
第2章 特別な国であるべし 憲法と道徳は天照大神より
第3章 三韓征伐を再現せよ 神裔たちの日清・日露戦争
第4章 天皇は万国の大君である 天地開闢から世界征服へ
第5章 米英を撃ちてし止まむ 八紘一宇と大東亜戦争
第6章 教養としての戦前 新しい国民的物語のために
【本書の主な内容】
・「新しい戦前」と「美しい国」の共通点 ・「神武創業」に新政府がこだわった意図
・「建国記念の日」が生まれた背景 ・君が代はなぜ普及したのか?
・明治維新は「中世キャンセル史観」 ・神武天皇に似ている「あの人物」
・フェティシズムとしての教育勅語 ・女子天皇・女系天皇を排した井上毅
・忘れられる神功皇后と理想の女性像 ・神社参拝は軍国主義的なのか?
・「東京」の名付け親・佐藤信淵 ・天地開闢とイザナミ・イザナギ神話
・「弱小国家コンプレックス」が生んだ妄想 ・戦意高揚に貢献した北原白秋と山田耕筰
・実証なき物語は妄想、物語なき実証は空虚 ……ほか
著者について
辻田 真佐憲 [ツジタ マサノリ]
1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『防衛省の研究』(朝日新書)、『超空気支配社会』『古関裕而の昭和史』(以上、文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、共著に『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社)、『新プロパガンダ論』(ゲンロン叢書)、監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)、『文藝春秋が見た戦争と日本人』(文春ムック)などがある。
戦後日本の人身売買--2012 [明治以後・国内]
戦後日本の人身売買
著者 藤野 豊 [フジノゆたか]
著者 藤野 豊 [フジノゆたか]
出版者 大月書店 出版年 2012.8 大きさ 20cm 378,15頁
ISBN 978-4-272-35036-0 NDC分類(9版) 368.4
新潟市立図書館収蔵 アルサ館
内容紹介
全国各地の史資料を渉猟、1940年代後半から1950年代を中心に、女性・子どもの人身売買の実態を明らかにした貴重な研究書。
「戦後民主主義」の下、人身売買はどのような論理で維持されてきたのか。敗戦まもない1940年代後半から高度経済成長に向かう1950年代を中心に、全国各地の史資料を渉猟し、現代につながる問題の実態を明らかにする。
超インフレ、ドッジ不況、農地改革、北海道・東北冷害、炭鉱合理化……目まぐるしく変動する戦後の日本で、女性・子どもの人身売買は「暗黙の了解」としてまかり通っていた。これらは「戦後民主主義」の下、どのような論理で維持・正当化されてきたのか。1940年代後半から1950年代を中心に、現代につながる問題の実態を明らかにする。
「売ったほうも買ったほうも悪いことしたという意識が低い」戦前の人身売買から現在に至るまでの日本の現実。最後に著者は こう締めくくる。「国際的にも、批判された人身売買に寛容な日本国家の現実がある。人身売買は道徳の問題ではない。政治の問題をである。人身売買は過去の問題ではない。現代日本の問題である。」
日本は未だ、人身売買に関する規制を持ってはいない。2003年ILO・国際労働機関・駐日事務所の報告では、日本の人身売買被害が問題とされてる
、
目次
本書を読んでくださる皆様へ
序章 近代日本の人身売買
はじめに
第一節 人身売買と刑法
第二節 人身売買と国際関係
おわりに
第一部 戦後初期の農漁村における女性・年少者の人身売買
第一章 漁村における子どもの売買の問題化
はじめに
第一節 情島の「梶子」
第二節 沖縄の「糸満売り」
おわりに
第二章 農村における子どもの売買の激化
はじめに
第一節 栃木県農村における人身売買の問題化
第二節 福島県への事件の波及
第三節 山形県への事件の波及
第四節 東北全土への事件の波及
(一) 宮城県への波及
(二) 秋田県への波及
(三) 岩手県への波及
(四) 青森県への波及
(五) 全国への波及
第五節 人身売買対策の模索
おわりに
第三章 政治問題化する人身売買
はじめに
第一節 人身売買取り締まり強化を求める声
第二節 高座事件の衝撃
第三節 新潟事件の衝撃
第四節 第三次吉田茂内閣と第一三回国会における議論
おわりに
第二部 北海道・東北冷害、および炭鉱不況下の女性の人身売買
第四章 北海道・東北冷害と人身売買
はじめに
第一節 〝救農国会〟の議論
第二節 冷害の被害と人身売買の激化
(一) 青森県の被害と対策
(二) 秋田県の被害と対策
(三) 山形県の被害と対策
(四) 岩手県の被害と対策
(五) 宮城県の被害と対策
(六) 福島県の被害と対策
(七) 北海道の被害と対策
第三節 打ち続く冷害
おわりに
第五章 炭鉱不況と人身売買
はじめに
第一節 北九州の炭田における人身売買
第二節 常磐炭田における人身売買
おわりに
第六章 売春防止法の成立と人身売買
はじめに
第一節 売春等処罰法案をめぐる人身売買の論議
第二節 売春防止法と人身売買
おわりに
終章 人身売買の現在
はじめに
第一節 遅すぎた刑法改正
第二節 渡鹿野島の買売春の歴史と現状
第三節 人身売買・強制売春を隠蔽する行政当局
おわりに
あとがき
人名索引
事項索引
著者等紹介
藤野豊[フジノゆたか]
1952年生まれ。2011年度 – 2014年度: 敬和学園大学, 人文学部, 教授。日本近現代史研究。著書に、『強制された健康』(吉川弘文館)、『「いのち」の近代史』(かもがわ出版)、『性の国家管理』(不二出版、2001年)、『忘れられた地域史を歩く』(大月書店)、『ハンセン病と戦後民主主義』(岩波書店)など。
「戦争孤児」を生きる ライフストーリー/沈黙/語りの歴史社会学--2021 [明治以後・国内]
「戦争孤児」を生きる ライフストーリー/沈黙/語りの歴史社会学
著者 土屋 敦(ツチヤ アツシ) 出版者 青弓社 出版年 2021.11 大きさ 19cm、245頁
ISBN 978-4-7872-3500-8 NDC分類(9版) 368.28
著者 土屋 敦(ツチヤ アツシ) 出版者 青弓社 出版年 2021.11 大きさ 19cm、245頁
ISBN 978-4-7872-3500-8 NDC分類(9版) 368.28
新潟市立図書館収蔵 中央・ホンポート館
内容紹介 「戦争で親を失った子どもたち」が抱え続けてきたスティグマとは。戦争孤児たちへインタビューをおこない、浮浪生活の実態や親戚宅での冷酷な処遇、教育・就職の困難など、これまでの歩みを浮き彫りにする。
第2次世界大戦で親を失った戦災孤児・戦争孤児は、戦後70年にあたる2015年まで多くを語らず、「沈黙の半世紀」「沈黙の70年」を生きてきた。彼・彼女たちはなぜ沈黙してきたのか。これまでの人生で何を経験してきたのか。なぜいま、自らの足跡を語れるようになったのか。
これまで沈黙してきた戦争孤児の当事者たちにロングインタビューをおこない、浮浪生活、自殺を考えるほどの親戚宅での冷酷な処遇、教育にアクセスできない困難、就職の難しさ、家族をつくることの願いと拒否感など、これまで歩んだ生活実態を明らかにする。
戦争孤児が自らを語り、社会的な承認を求める契機になった東京大空襲集団訴訟などについての思いも聞き書きして、「戦争で親を失った子どもたち」が、抱え続けてきたスティグマとどう向き合い、自らの来歴をどのように語るのかを検証する。
目次
はじめに
第1章 問題の所在
1 本書の視座
2 「戦争孤児」たちがたどった道程
3 研究視座――ライフストーリー研究と「語りの産出/不在」を分析すること
4 理論枠組み
5 調査対象
6 本書の構成
第2章 「戦災孤児」のメディア表象――敗戦後日本の自画像としての
1 「戦災孤児」、浮浪児の飢餓と貧困
2 「親がない子ども」をめぐる新聞記事件数の推移
3 「慈しむべき哀れな孤児像」
4 「不良化し犯罪化する危険な浮浪児像」
5 「平和への祈願としての原爆孤児像」の形成
6 「戦災孤児」たちの「親探し運動」と「親子再会の物語」
第3章 語りの制約――沈黙の背後にあるもの
1 調査対象者の生活史と出身階層
2 なぜ自分の「戦災孤児」経験を語れない/語れなかったのか
3 「戦災孤児」だったことの沈黙
4 語り始める契機
第4章 社会的信用の失墜と孤児たちの経験――浮浪生活、施設生活、親戚宅での生活をどのように語るのか
1 「戦災孤児」というカテゴリーを付与されること
2 疎開経験、空襲経験、親の死を知る
3 浮浪生活(に至った経緯)/施設経験をどのように語るのか
4 里親宅/親戚宅での生活をどのように語るか――いちばんつらい時期として
5 自殺を考える
6 他家での家族関係で先鋭化するスティグマ
第5章 「戦災孤児」を生きること――学校生活、就職、そしてその後の人生
1 就学/進学
2 就職
3 体の不調
4 「家族」をつくること、「子ども」をもうけることへの願いと拒否感
5 その後の人生
第6章 「戦災孤児」から「戦争孤児」へ――カミングアウトと裁判
1 アイデンティティの承認をめぐる闘争
2 語りだすきっかけ
3 「戦災孤児」から「戦争孤児」へ
4 信念
5 ライフストーリー産出をめぐる政治と闘争
終 章 沈黙と語りの歴史社会学
1 社会的カテゴリーとしての「戦災孤児」「戦争孤児」
2 承認をめぐる闘争とループ効果
3 戦争社会学との接点
4 「語りの不在」自体を問題にする視座
5 戦争の記録、記憶、語りの継承
6 東日本大震災の経験、子どもたちの脱スティグマ化のために
参考文献
あとがき
著者プロフィル
土屋 敦(ツチヤ アツシ)
著者紹介1-1 1977年神奈川県生まれ。関西大学社会学部教授。専攻は歴史社会学、福祉社会学、子ども社会学。著書に「はじき出された子どもたち」など。
関西大学社会学部教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士後期課程修了。歴史社会学、福祉社会学、子ども社会学、家族社会学。著書に『はじき出された子どもたち〜社会的養護児童と「家庭」概念の歴史社会学』、共編著に『孤児と救済のエポック〜十六~二〇世紀にみる子ども・家族規範の多層性』(ともに勁草書房)、共著に『多様な子どもの近代〜稼ぐ・貰われる・消費する年少者たち』(青弓社)、論文に「『保護されるべき子ども』と親権制限問題の一系譜〜児童養護運動としての『子どもの人権を守るために集会』(1968-77年)」(『子ども社会研究』第23号)など
排外主義克服のための朝鮮史-梶村 秀樹 [明治以後・国内]
排外主義克服のための朝鮮史-梶村 秀樹 平凡社ライブラリ- 823
ISBN 4-582-76823-7
内容紹介
いまも日韓では、排他的ナショナリズムがぶつかり合い、歴史認識の断裂が埋められないのはなぜか‐。民衆の歴史的主体性を信じ、日本と朝鮮半島が共有しうる歴史を求めつづけた歴史家が、人びとに語り遺した朝鮮史像. 青年アジア研究会での連続講演を纏めた。
目次
13‐95 排外主義克服のための朝鮮史 (1971年)
なぜ朝鮮史を学ぶのか;朝鮮侵略の理論と思想;戦後民主主義のもとでの朝鮮観
;朝鮮史の内在的発展;若干の補足と論争の深化のために
97‐191 朝鮮民族解放闘争史と国際共産主義運動 (1971年)
朝鮮史の主人公としての朝鮮人民;朝鮮革命運動の前史;朝鮮民族解放運動の国際的試練
;在日朝鮮人運動と日本人民の堕落;金日成の抗日パルチザン闘争と八・一五への若干の諸問題
193‐305 八・一五以後の朝鮮人民(1976年)
朝鮮現代史研究の実践的視点;戦後世界分割と朝鮮人民の苦闘
NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問うー2010 [明治以後・国内]
副書名 日清戦争の虚構と真実
著者名1 中塚 明 /著
著者名2 安川 寿之輔 /著
著者名3 醍醐 聰 /著
出版者 高文研
出版年 2010.6
ページ数 183p
大きさ 19cm
一般件名 日清戦争(1894~1895)
個人件名 司馬 遼太郎
内容紹介 日清戦争は「少年の国」日本の「祖国防衛戦争」だったのか? NHKドラマ「坂の上の雲」のウソ・誤りの指摘を通して、日清戦争とはどんな戦争であり、その本質は何だったかを考える。
NDC分類(9版) 210.65
ISBN 978-4-87498-443-7
目次
1 明治の日本ははたして「少年の国」だったのか
2 日清戦争ははたして「祖国防衛戦争」だったのか
3 伊藤博文は「臆病なほどの平和主義者」だったのか
4 東郷平八郎はなぜ「高陞号」を撃沈したのか
5 NHKドラマ「坂の上の雲」が描かなかったものは何か
6 日本は下関講和会議で何を得たのか
7 秋山好古の尊敬する福沢諭吉は、はたして「一身独立」を説いたのか
8 いま「坂の上の雲」を制作・放送するNHKの社会的責任
著者等紹介
中塚明[ナカツカ アキラ]
1929年、大阪府生まれ。奈良女子大学名誉教授
安川寿之輔[ヤスカワ ジュノスケ]
1935年、兵庫県生まれ。名古屋大学名誉教授
醍醐聰[ダイゴ サトシ]
1946年兵庫県生まれ。元東京大学大学院経済学研究科教授(2010年3月退職)、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)