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東南アジア占領と日本人--帝国・日本の解体 [取り寄せ願う]

東南アジア占領と日本人--帝国・日本の解体

著者1 中野聡 [ナカノ サトシ]  

出版年 2012.7

出版者 岩波書店

シリーズ名 戦争の経験を問う  

ページ数 8,352,3p
大きさ 20cm
ISBN 4-00-028375-5
NDC分類(10版) 391.4 /391/N39/
内容紹介 占領にともなう他者との出会いと、そこで露わになった矛盾や限界は、大日本帝国に変化を迫り、その解体を促進することにもなった‐。南方占領に従事した人々の語りや回想を通して、戦後に忘却された占領経験の意味を問う
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目次
序章 歴史経験としての東南アジア占領
第1章 大本営参謀たちの南方問題
(日中戦争の出口としての南方;好機南進論と受け身の南進論;大本営の東南アジア占領構想)
第2章 東南アジア占領・言説と実像
(南方攻略作戦;南方軍政の始動―宥和と圧制)
第3章 大東亜共栄圏・欲望と現実
(軍事的植民地主義の限界;圧制の限界―人見潤介のフィリピン体験)
第4章 「独立」と独立のあいだ
(「独立」付与をめぐる相克;立ち上がる政治的主体)
第5章 帝国・日本の解体と東南アジア
(終焉に向かう戦局とアジアのナショナリズム;学びの場としての東南アジア占領)

著者等紹介
中野聡[ナカノサトシ]
1959年生。一橋大学法学部卒業、同大学大学院社会学研究科後期博士課程修了。社会学博士。現在、一橋大学大学院社会科学研究科教授。国際関係史(米比日関係史)。著書に『フィリピン独立問題史―独立法問題をめぐる米比関係史の研究(1929‐46年)』(龍渓書舎、1997年、アメリカ学会清水博賞)、『歴史経験としてのアメリカ帝国―米比関係史の群像』(岩波書店、2007年、大平正芳記念賞)ほか

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検証 ナチスは「良いこと」もしたのか? [取り寄せ願う]

検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?
失業率を低下させ、福祉政策を行った…ナチスの功績とされがちな事象をとりあげ、事実性や文脈を検証。
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著者 小野寺 拓也 著 , 田野 大輔 著
> 岩波ブックレット 番号 1080
刊行日 2023/07/05
ISBN 9784002710808
本の内容
「ナチスは良いこともした」という言説は、国内外で定期的に議論の的になり続けている。アウトバーンを建設した、失業率を低下させた、福祉政策を行った――功績とされがちな事象をとりあげ、ナチズム研究の蓄積をもとに事実性や文脈を検証。歴史修正主義が影響力を持つなか、多角的な視点で歴史を考察することの大切さを訴える。

田野大輔・甲南大教授 朝日新聞デジタル記事要約
「ナチスは良いこともした」――。そんなSNSでの発言、ネット上にナチスを肯定的に捉える言葉が広がってる。そして「どちらが正しいか」の判断が人気投票に委ねられてしまいかねません。様々な見方すべてに、等しく価値があるわけじゃない。妥当性の高いものと低いものが存在しています。
 ナチスを肯定的に評価する言動の多くは、「アウトバーンの建設で失業を解消した」といった経済政策を中心にしたもので、研究者の世界ではすでに否定されている見方で、出版さた書籍の著者は歴史やナチズムの専門家ではありません。
たとえば、アウトバーン建設で減った失業者は全体のごく一部で、実際には軍需産業の雇用の方が大きかった。女性や若者の失業者はカウントしないという統計上のからくりもありました。
こうした逆張りは、世界中のだれもが認める「ナチス=悪」が絶対じゃないとなれば、日本の戦争責任だって絶対じゃなくなる。それを信じたいという需要があるから、存在しているのです。


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療法としての歴史〈知〉 いまを診る--2020 [取り寄せ願う]

71sUE-2JC0L.jpg療法としての歴史〈知〉 いまを診る (叢書・〈知〉の森)
方法論懇話会(編)
価格 ¥2,750(本体¥2,500)
森話社(2020/12発売)
サイズ 46判/ページ数 336p/高さ 19cm
商品コード 978-4864051545
内容説明
経済の低迷とたび重なる自然災害、さらにパンデミックにもみまわれた日本では、保守化・中央集権化がいっそう進み、それに歩調を合わせるような内向きの日本礼讃と排外志向の文化・メディア状況が目立っている。蔓延する現代日本のさまざまな“症例”に対して、歴史的な知見をふまえて人文諸学が解決策を提示するアクチュアルな試み。
目次
はじめに 生存のツールとしての歴史〈知〉へ 本書のねらい (北條勝貴)
I 政治の病
症例01  国民国家は〈進歩の到達点〉か 国家の前提化を放棄する想像力(北條勝貴)
症例02  〈日本民族〉は存在するのか 近代日本における民族の創出と認識の混乱(岡本雅享)
症例03  アイヌは〈自然と共生する〉民族か 現代のアイヌ民族表象の背景と歴史実践(是澤櫻子)
症例04  日本人は〈アジア諸国から不当に攻撃〉されているのか 〈反日〉という妄想(加藤圭木)
症例05  〈戦後は終わった〉と考えてよいのか 死者と生者をつなぐ事業 沖縄の戦死者遺骨が喚起する社会デザイン(佐藤壮広)
II 社会・経済の病
症例06 現代日本は〈裕福〉なのか〈貧困〉なのか 「ミドル」から「マイルド」へ(川端浩平)
症例07 日本は〈定住社会〉か 「移動」から見る「日本」社会 人は生きるために移動する(工藤健一)
症例08 〈前近代は性的に寛容〉は本当なのか クィアな死者に会いに行く 前近代のジェンダー/セクシュアリティを問うための作法(杉浦 鈴)
症例09 〈日本人は勤勉〉なのか 創られ変移した「勤勉」(須田 努)
症例10 〈戦死者を国家が祀る〉のは当たり前なのか 国家が専有する慰霊(西村 明)
III 文化の病
症例11 日本人に〈日本史〉は必要か 誰一人取り残さない歴史を求めて(内田 力)
症例12 神道は〈日本固有の伝統宗教〉か 神道をめぐる〈幻想〉の正体(門屋 温)
症例13 神話は〈日本精神の淵源〉か 生成し続ける神話(アンダソヴァ・マラル)
症例14 列島文化は自然と〈共生的〉か ディストピアの時代の愉楽 (黒田 智)
症例15 アニメーションは〈日本のお家芸〉か  創られた自意識 アニメーションと日本文化(師 茂樹)
おわりに  本書読解のひとつの道しるべ (水口幹記)
コラム1 家という名の暴力 女性差別否定論に抗する(杉浦 鈴)
コラム2 列島社会は〈無宗教〉か(土居 浩)
コラム3 災害列島で文化財を残すということ 東日本大震災と埋蔵文化財事業(池田敏宏)
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民主主義の非西洋起源について-デヴィッド・グレーバー/著 -- 以文社 -- 2020.4、取り寄せ願う、202002 [取り寄せ願う]

民主主義の非西洋起源についてL.jpg民主主義の非西洋起源について
-デヴィッド・グレーバー/著 -- 以文社 -- 2020.4
 
副書名 「あいだ」の空間の民主主義
著者 デヴィッド・グレーバー David Graeber 
訳者 片岡 大右 (かたおか だいすけ)  
出版者 以文社
出版年 2020.4
ページ数 187p
大きさ 20cm
ISBN 978-4-7531-0357-7
長岡市立図書館収蔵  /311.7/グ/
内容紹介
「民主主義はアテネで発明されたのではない」
豊穣なる人類学的・歴史的知見から民主主義の通念を粉砕し、私たちの民主主義の創造をふたたび解き放つ。民主主義の展開をアナキズムの観点から捉え直す。
『ブルシットジョブ』(岩波書店より近刊)そして『負債論』(以文社刊)で話題沸騰中の人類学者D・グレーバーによる、通念を根底から覆す政治哲学。すなわち、「民主主義はアテネで発明されたのではない」——。
この価値転覆的な認識をもとに、私たちはいかに「民主主義」と出会い直しその創造をふたたび手にするのか。
アラン・カイエによる「フランス語版のためのまえがき」および「付録」として恰好のグレーバー入門となる著者本人によるエッセイ(「惜しみなく与えよ」)を収録した、フランス語版をベースに編まれた日本独自編集版。
 
「アナキズム的な歴史のヴィジョン、歴史の政治哲学に捧げられた、ピエール・クラストルの著作以来最も重要な成果であり、グレーバー最良の仕事」(アラン・カイエ「フランス語版のためのまえがき」より)
「「出羽守」の嘆きと「日本スゴイ」の大合唱が不毛な対立を繰り広げているように見える私たちの列島の現在においても、決して他人事ではない着想に満ちている」(「訳者あとがき」 より)
著者
デヴィッド・グレーバー(David Graeber)
1961 年、ニューヨーク生まれ。文化人類学者・アクティヴィスト。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学人類学教授。
訳書に、『アナーキスト人類学のための断章』(2006 年)『負債論――貨幣と暴力の5000 年』(2016 年,共に以文社)ほか。
日本語のみで出版されたインタビュー集として『資本主義後の世界のために――新しいアナーキズムの視座』(以文社,2009 年)がある。
著書に、Bullshit Jobs: The Rise of Pointless Work, and What We Can Do About It(Penguin, 2019)。 Toward an Anthropological Theory of Value: The False Coin of Our Own Dreams(Palgrave, 2001,以文社より近刊)。
Lost People: Magic and the Legacy of Slavery in Madagascar (Indiana University Press, 2007).
Direct Action: An Ethnography (AK Press, 2007). ほか多数。
マーシャル・サーリンズとの共著に,On Kings (HAU, 2017) がある(以文社より刊行予定)。
訳者紹介
片岡大右(かたおか だいすけ)
1974 年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。批評家、社会思想史・フランス文学。
著書に、『隠遁者、野生人、蛮人――反文明的形象の系譜と近代』(知泉書館、2012 年)。
『共和国か宗教か,それとも』(共著、白水社、2015 年)。
訳書に、F・ドゥノール,A・シュワルツ『欧州統合と新自由主義――社会的ヨーロッパの行方』(共訳、論創社、2012 年)。
P・ベニシュー『作家の聖別――フランス・ロマン主義1』(共訳,水声社、2015 年)など。
著者紹介1 1961年ニューヨーク生まれ。文化人類学者、アクティヴィスト。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学人類学教授。著書に「アナーキスト人類学のための断章」など。


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取り寄せ願った本たち、202002 [取り寄せ願う]

現代思想からの動物論  戦争・主権・生政治
著 者: ディネシュ・J・ワディウェル
翻訳者: 井上 太一<>いのうえたいち
>出版社:人文書院 
>ISBN:978-4409031056


権力支配の基盤に、人間による動物支配をみる力作

動物にたいする人間の暴力(生殖管理、食肉化、行動制限、殺戮)でえらえた成果が、人間の統治に応用されており、人間の生政治的統治と動物のそれとは現代ではほとんど識別不可能なほどである。


約5000種の哺乳類のうち、生殖管理、食肉化、行動制限の対象は約20種ほどしかない。その点を踏まえて、論議は組み立てられているか?読んでみたいので、新潟県立図書館から取り寄せ願う。

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神の書 イスラーム神秘主義と自分探しの旅
著 者: アッタール  
翻訳者: 佐々木 あや乃ささきあやの 
出版社:平凡社 
ISBN:978-4582808964
詩と伝説の国イランより。12世紀のペルシア神秘主義文学を代表するアッタールの詩集が完訳された。人間が欲情、幻想、自尊心や立身出世、生への執着、支配欲や金銭欲といった「煩悩」からの解放のためにいかに生きるべきか、膨大な逸話を積み重ねて説いた作品である。エピソードには王侯貴族から社会の底辺まで、様々な人や物までが登場し、読み物としても面白い。
アッタールはペルシア神秘主義詩人で、薬種商として医業にも携わっていた。本書は私たちに問題を投げかける。「この世に存在するものの価値は何か」「人間の深遠なる願いは何か」「最後に死を迎え消滅するこの世において、この世に存在するものへの執着から解放されるために何をすべきか」「この世に生を享けた人間は、日々何を思い、何を愛おしみ、何を探求しつつ人生を歩めばよいのか」。生命力溢れる草木や花で王妃が見立てられる。「糸杉のようにのびやかな立ち姿、スミレのような黒髪、アーモンドのような瞳、ザクロのような胸…」。
イラン文化とイスラーム文化の融合体としてのペルシア文学、伝統に基づいた宮廷文学が発展した。また徐々に厭世的傾向のある神秘主義思想を説く文学がペルシア文学の核をなし、華となっていく。
神の書 イスラーム神秘主義と自分探しの旅87.jpg
7世紀半ば、西アジアではイスラーム勢力が版図を広げ、ササン朝ペルシア帝国を崩壊させた。正統カリフ勢力がジハード(聖戦)を仕掛け、征服した。エジプト、シリアも征服された。だが、イラン人はゾロアスター教・拝火教からイスラーム・ムスリム化したものの、ジズヤ・人頭税ハラージュ・地租を納めアラブ化しなかった。そして、シーア派を生みだした。どんな神秘主義思想が説かれているのか。?
燕図書館から取り寄せを市図書館に依頼。
神の書 イスラーム神秘主義と自分探しの旅__The_Star.png
読みたいねの本
人を知る法、待つことを知る正義 東アフリカ農村からの法人類学
著 者: 石田 慎一郎いしだしんいちろう  
出版社:勁草書房 
ISBN:978-4326654239
3,200円(税別)
人間の裁きに宿る根源的困難に、アフリカの人びとはそれぞれの方法で対処している。ある農村では、即効性のない呪物を使い、時間をかけて解決を図る。やがて訪れる自身と周囲の環境・現実理解の変化、そして待つことを知る者の姿がそこにあった。人間による正義の希求、人間的法の探究をめぐる民族誌的発見から真の〈法人類学〉へ。 
書評者:吉井 千周
私たちの日常生活では、絶えず小さないさかいが発生している。たいていの場合、そうしたいさかいは当事者間で解決されるのが常であるが、当事者間で解決がなされず、第三者の介入を必要とする紛争(conflict)に発展する過程で、しばしば法を用いた解決策がとられることになる。だが、そもそも紛争に解決を促す「法」とは、どのような性質をもち、人間はなぜ、法に従おうとするのだろうか。なにより、私生活で生じる紛争の全てが表面化され、みなが法に従う―いうなればそこに存在しない第三者を含む価値観が言語化された法によって、即時的な解決が導かれる―社会とは、はたして健全なのだろうか。
本書に記されるケニアの呪術を用いる紛争処理は、これらの法に関する根本的な問いに向かい合う際に多くの示唆を与えてくれる。本書に登場するイゲンベ地方の事例では「ムーマ」、「イシアロ」という呪術的概念を用いて紛争解決が図られる。ムーマでは、非があると判断された当事者に、潔白であれば無害であるが、そうでない場合に厄災をもたらす呪物を飲ませる。また親族関係の社会関係イシアロを利用した紛争処理では、虚偽の証言や主張を行ったとおぼしき当事者に災いがふりかかる呪詛がかけられる。いずれの場合でも、厄災が生じるまでの期間は、数日のときもあれば数年、あるいは数十年にものぼる。紛争当事者に何らかの厄災が降りかかった場合、当事者が自らの非を認めれば、それらの厄災は解消される。こうした呪詛を用いた紛争処理には、性急な解決を避けることで、時間の経過によりその当事者をとりまく環境が変化し、自分の行為を紛争発生当時とは異なる視点で再解釈できるようになる利点がある。こうしたイゲンベの紛争処理は、人が人を裁くことのうちにある困難を時間の経過「待つ」ことによって、乗り越えようとする試みであるともいえよう。
本書では、イゲンベの呪術を用いた紛争処理について言及するだけではなく、慣習法を裁判所で用いる試みにも言及されている。イゲンベで行われる数々の訴訟では、『成文アフリカ法』を用いると同時に、部族のルールである慣習法が使用される。植民地化によって民族・部族が分断されたアフリカにおいて、慣習法をベースに成文法としてアフリカ法を制定し、裁判において慣習法を用いることは、共通の価値をもつ共同体を再構成する試みである。すなわち、イゲンベにおける紛争処理は、人間を法の支配下にある存在として単に位置づけるのではなく、法を制定し、慣習法を利用するプロセスを通して、主体的に法を使い直そうとする「人間」の存在を問う試みであることにも読者諸氏は気づくであろう。
後略
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