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ウクライナ戦争の嘘-米露中北の打算・野望・本音 [ユーラシア・東]

ウクライナ戦争の嘘-米露中北の打算・野望・本音 
手嶋 龍一 (テシマ リュイチ), 佐藤 優 (サトウ マサル)
出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社  (中公新書ラクレ 796: ‎ 256ページ) 
発売日 ‏ : ‎ 2023/6/8
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121507969
著者について
手嶋龍一  テシマ リュイチ
外交ジャーナリスト・作家。9・11テロにNHKワシントン支局長として遭遇。ハーバード大学国際問題研究所フェローを経て2005年にNHKより独立し、インテリジェンス小説『ウルトラ・ダラー』を発表しベストセラーに。『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師』のほか、佐藤優氏との共著『インテリジェンスの最強テキスト』など著書多数。
佐藤優  サトウ マサル
1960年東京都生まれ。作家・元外務省主任分析官。英国の陸軍語学学校でロシア語を学び、在ロシア日本大使館に勤務。2005年から作家に。05年発表の『国家の罠』で毎日出版文化賞特別賞、翌06年には『自壊する帝国』で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『修羅場の極意』『ケンカの流儀』『嫉妬と自己愛』など著書多数。池上彰氏との共著に『ニッポン未完の民主主義』、斎藤環氏との共著に『反知性主義とファシズム』がある。
内容
ウクライナに軍事侵攻したロシアは言語道断だが、「民主主義をめぐる正義の戦い」を掲げるウクライナと、米国をはじめとする西側諸国にも看過できない深謀遠慮がある。戦争で利益を得ているのは誰かと詰めれば、米露中北の「嘘」と野望と打算、その本音のすべてが見えてくる。世界は迫りくる核戦争の恐怖を回避できるのか。停戦への道はあるのか。ロシアと米国を知り尽くした両著者がウクライナ戦争をめぐる虚実に迫る。
目次
まえがき  手嶋龍一
第1章 アメリカはウクライナ戦争の ”管理人〃
第2章 ロシアが侵攻に踏み切った真の理由
第3章 ウクライナという国 ゼレンスキーという人物
第4章 プーチン大統領はご乱心なのか
第5章 ロシアが核を使うとき
第6章 ウクライナ戦争と運動する台湾危機
     ウクライナ戦争で”タナポタ”の利を貪る北朝鮮 など
第7章 戦争終結の処方箋 日本のなすべきこと
     「口だけの日本」が穫得した格好のスタンス  など
あとがき 佐藤優
・アメリカはウクライナ戦争の「管理人」
・ゼレンスキーは第三次世界大戦を待望している?
・英国秘密情報部が「情報」と「プロパガンダ」を一緒くたにする怖さ
・戦場で漁夫の利を貪る北朝鮮の不気味
・ロシアがウクライナ最大の軍産複合体を攻撃しないわけ
・米国とゼレンスキーは戦争を止められたはずだ
・戦争のルールが書き換えられてゆく恐怖
・恐るべきバイデンの老人力
・プーチンが核兵器に手をかけるとき
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中露の関係 《歴史から中国を観る41》より [ユーラシア・東]

歴史から中国を観る41 (機 №374・藤原書店・掲載)宮脇淳子著(みやわぎ・じゅんこ/東洋史学者) より


 一六八九年のネルチンスク条約で、ロシアは黒龍江(アムール河)から完全に閉め出されてしまった。しかしそのあとロシアは清の情報を精力的に収集するようになり、一七二七年のキャフタ条約によって北京常駐が認められた正教伝道団には、満洲語と漢語を学ぶ留学生が随行した。
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 清は、雍正ヨウセイ年間(1723-35)まではロシア情報をかなり積極的に収集していたが、一七五五年に「最後の遊牧帝国」ジューンガルを滅ぼし、一七五九年、その支配下にあったタリム盆地のオアシス諸都市を征服したあとは、気がゆるんだのか、口シア諧を学ぶ実務家も出なくなった。
 一八四〇年に始まるアヘン戦争に負けた清は、イギリスに香港を割譲し、一八五七年に始まるアロー戦争[第2次アヘン戦争]では、英仏連合軍に広州を占領された。清が南方で英仏の圧力を受けていた間、もっとも利益を得たのはロシアだった。
 一八五四年、クリミア戦争が始まると、英仏海軍の攻撃を恐れたロシアは、清から許可のないまま、一千人の兵を載せた船団を黒龍江下流まで航行させ、沿岸に植民したが、太平天国の乱[1851年から]に忙殺されていた清は、これを黙認してしまった。
 味を占めたロシアはヽそのまま黒龍江沿岸の植民を進め、一八五七年には、勝手にアムール州と沿海州を設置し、事実上この地域をロシア領にしてしまう。
 一八五八年にアイグンで清とロシアの国境画定会議が開かれたとき、ロシアは黒龍江をイギリスから守るため、黒龍江左岸とウスリー江右岸をロシア領として認めるよう清に要求した。ロシア軍艦からは銃砲か乱射され、調印しなければ武力で黒龍江左岸の満洲人を追い払うと脅迫された満洲大臣は屈服し、ロシアは黒龍江の北六十万㎢を獲得した。
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  一八六〇年に英仏軍が北京の円明園を焼き払ったとき、咸豊かんぽう帝は熱河ネッカに逃げ、恭きょう親王は、英仏と講和が締結されたらロシアの条件を全部呑む、と斡旋を頼む体たらくだった。この北京条約で、沿海州四十万㎢がロシア領になったのである。(宮脇淳子みやわぎ・じゅんこ/東洋史学者)


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北朝鮮のミサイルはなぜ日本に落ちないのか 秋嶋 亮-- 白馬社 -- 2018.6 [ユーラシア・東]

Fl1lDaSaAAA.jpg北朝鮮のミサイルはなぜ日本に落ちないのか
副書名 国民は両建構造(ヤラセ)に騙されている
著者名 秋嶋 亮/アキシマ リョウ  
出版者 白馬社
出版年 2018.6
ページ数 254p 大きさ 19cm
ISBN 978-4-907872-243-3
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 /319.2/アキ/
金正恩が150以上の国々と通商関係を結んでいることを。首都平壌が資源バブル に沸き立っていることを。そのような莫大な投資マネーが 欧米やアジアや中東の各国から流れ込んでいる ことを。日本とアメリカが彼らの核開発を援助したことを。世界は北朝鮮など全く脅威と見なしていないことを。 「狂人的な独裁国家」という北朝鮮像はインフォテインメント(報道番組を偽装したワイドショー)の中にしか存 在しないことを。そしてそれを知らないのは日本人だけである
目次
第1章日本がカネを送り、アメリカが原子炉を提供した
・誰も戦争になると思っていない
・アメリカによる拉致事件は北朝鮮よりも多い
・投資ブームに沸く平壌
・これをマッチポンプという
・北朝鮮の本体は日本であ るという意味
・擬制の対立が歴史を紡ぐ
・敵対する双方に投資して儲ける
・「大きな物語の終焉」を知ること
第2章ミサイルが発射される度に資産が増える仕組み
・北のミサイルは何のために発射されているのか
・政治は軍需産業に乗っ取られた
・大きい矛盾ほど見過ごされる
・目的論から北朝鮮を語れば
・アメリカの植民地を攻撃する国など無い
・脅威論はかくも馬鹿げている
・ミサイルと拷問とローマ法王
・あからさまなショック・ドクトリン
・『1984年』を体現する営み
・劇場国家としての日本
・「官僚内閣制ファシズム」とは何か
・収容所的なもの、ホロコースト的 なもの、全体主義的なもの
第3章外部の敵を作り内政の問題を誤魔化す
・ミサイル問題より重大な内政問題がある
・わざと政治を失敗させる理由
・北朝鮮という道化
・我々は搾取すべき事物であるということ
・ミサイルの狙いは都市でなく福祉なのだ
・「戦前の無責任の体系」の再現
・右翼が国体に唾を吐く
・言語の壊乱から社会の錯乱を考える
・二分割思考に陥ってはならない
・ネトウヨの転向問題
・電脳の工作はこうして始まった
第4章 なぜ国民はこれほど愚かになったのか
・短絡的な文脈の下で世論が作られる恐怖
・文明化に挫折した国
・液状化する現代
・メディアの洗脳手法を解説する
・教会に代わる現代の礼拝物
・滅亡的事態を前に「セックス特集」で盛り上がる
・文化浄化によるアノミー
・ミサイル問題がインテリの腐敗を暴いた
・軍隊のサブシステムとしての学校
・金正恩の未来学会議
・常識や価値や権威の一切から解放された次元で



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ふしぎな中国 (講談社現代新書) – 2022/10/20 [ユーラシア・東]

713EM7wwL.jpgふしぎな中国 (講談社現代新書) – 2022/10/20
近藤 大介  (著)
中国ウォッチャーとして知られる著者が、新語・流行語で現代中国を読み解く。
まえがき より 要約
 中国は、「ふしぎな国」である。
 以前、現代中国を代表する作家の一人、余華氏と話し込んだ時、「中国という国をどう捉えたらよいか?」と問うてみた。すると、しばし黙考した後、こう答えた。
 「中国はこの世のカオスである。中国について一つだけ確かなことは、誰にも明日の姿を予測できないことだ」
 そんなアジアのワンダーランドに、天は贈物を授けた。それは、「漢字」である。
「はじめにことばがあり、ことばは神であった。
 (中略)ただ漢字だけが、いまもなお不死鳥のように生き残っていて、その巨大にして旺盛な生命力は、容易に枯渇をみせようとしない」--日本の漢字研究の第一人者・白川静博士(1910年~2006年)は、著書『漢字』で、こう喝破している。
 幸いにして、同じ漢字文化圏の日本人には、漢字が理解できる。そこで、中国の34種類の新語・流行語・隠語を駆使して、現代中国の最新形を解明し、等身大の中国人を理解しようと試みたのが本書である。政治・経済・外交用語から、若者言葉、ネット士から消された禁句まで、まさに玉石混淆だ。
第1章 スマホ世代の中国人の素顔
社恐 会社が恐い? いえいえ
仏系 宗教用語ではありません
Yyds 中国の若者たちが使いこなす暗号
45度人生 中庸とは似て非なる生き方
白蓮花 中国人女性の最新進化系
猪拱白菜 白菜が豚にごっつぁんされた?
潤学 中国に見切りをつける若者たち
第2章 毛沢東の再来を目指す習近平
共同富裕 中国IT企業は約2兆円を投資
不忘初心 説くのは、「あの御方」
学査改 中国共産党員たちの新たな「習慣」
戦狼外交 アメリカで言えばランボー
佩洛西竄台 台湾を訪れた女性といえば……
千年大計 深セン、上海に続く国家級プロジェクト
白衛兵 コロナで出現した「新種」
第3章「皇帝」習近平を悩ますもの
動態清零 これが原因で中国経済が急ブレーキ
新能源人「新能源車」(新エネルギー車)と一字違い
埋頭苦幹 ポスト習近平候補の「座右の銘」
一国両制 約束は破られるためにある?
三孩政策 鄧小平が犯した数少ない失敗
掃黄打非 日本では黄色でなくてピンク
西朝鮮 朝鮮半島の西にある「朝鮮」とは?
第4章 24時間戦えますか? 弱肉強食の中国ビジネス
九九六 中国版「月月火水木金金」
打工人 打撃の職人という意味ではない
外売騎手 その数なんと1000万人!
直播帯貨 中国の髙田明」は絶世の美女
爛尾楼 欠陥住宅以前の問題
第5章 気になる隣人「日本人」
凡学 男装の麗人といえば……
迷惑行為 コロナ流行で日本から消えた
錦鯉 遅咲きのコメディアンではない
融梗 よくある話ではあるが……
恐婚族 バイブルは、上野千鶴子の『女ぎらい』

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東アジア国境紛争の歴史と論理 – 2022 [ユーラシア・東]

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東アジア国境紛争の歴史と論理
石井明・朱建栄 編
執筆者=石井明・岡田充・朱建榮・孫占坤・邵漢儀・笘米地真理・原貴美恵・村田忠禧・矢吹晋
藤原書店  発行 2022/9/27
A5上製 21.7 x 15.7 x 3.2 cm 408頁 ? 
ISBN-13 ? : ? 978-4865783605
我々は「国境」問題にいかに向き合うべきか

近代の戦争と植民地の歴史の遺産として、複雑な国境事情が随所に残る日本周辺と東アジア。
 日中関係は尖閣諸島問題をめぐり、緊張が高まり、現在では、尖閣諸島の周辺海域で、海上保安庁の巡視船と中国海警局の公船が日常的ににらみ合う状況が続いている。
本書の執筆者は、こうした状況に危機感をいだき、不測の事態がおき、【中日】衝突に発展するのは避けなければならない、という共通の認識をもって、2015年、アジア島嶼研究会(通称、島研)を結成した。その際、日中に限らず、広く東アジアの抱える国境問題について、議論してきた。さらに、適宜、領土・国境問題に関わった政治家、元外交官、関係団体の責任者、来日した中国・台湾の研究者をお招きし、お話を伺ってきた。
東アジア諸国が関わった国境問題の歴史を振り返るとともに、各国がどのような論理を組み立てて、国境問題に立ち向かってきたかを中心に検討した結果をまとめたのが本書であり、解決できた事例についても、なぜ解決できたのか、その理由を探った論考も含めてある。
(序章より 藤原書店「機」№366 より)
●サンフランシスコ平和条約発効70年、日中国交正常化50年 2022年刊行
【目次】<
目次
はじめに (石井明)
序主権国家体制下、頻発する国境紛争 (石井明)
Ⅰ国境紛争の歴史的考察
1近現代東アジア国際関係史と北方領土問題
――米国の関与と背後の論理 (原貴美恵)
2領土問題の日独比較 (孫占坤)
3中国の「国境政策」の変遷とその特徴
――「海の国境」紛争を解決するための示唆 (朱建栄)
Ⅱ激化する尖閣諸島(釣魚島)の帰属をめぐる紛争
4沈没に向かう東アジア国際秩序と浮上してきた「魚釣島」 (村田忠禧)
5二つの「国際秩序」の衝突
――1874年「台湾出兵」をめぐる日清両国の攻防とその延長にある「釣魚台/尖閣問題」 (邵漢儀)
6日本政府の「尖閣」主権主張の形成とその論理
――国会答弁にみる政府見解の変遷と背景 (笘米地真理)
7 「尖閣棚上げ論」後退の分岐点
――2010年漁船衝突事件と世論の変化 (岡田充)

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「支那」という漢字が生まれた理由--宮脇淳子 2022;10 [ユーラシア・東]

歴史から中国を観る  34  藤原書店 「機」№367
 「支那」という漢字が生まれた理由
宮脇淳子 みやわき•じゅんこ /東洋史
日本は戦前、お隣を「支那」大陸と呼び、今の中国人を「支那人」と呼んだ。戦後、「支那」は蔑称だ、と蔣介石の抗議を受けた日本人は、「支那」も「チャイナ」もすべて「中国」にしてしまった。十九世紀まで一中国」という国家はないから、これは政治的忖度である 。 日本で「支那」ということばが使われるようになったのは、江戸時代である。
 一七〇八年、イタリアのシチリア島生まれの宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティが、日本にキリスト教を布教しようとして、侍の姿をして、今のフィリピンのマニラから屋久島に一人で上陸した。
 もちろん怪しまれてすぐに捕まり、長崎に送られたあと、翌年、江戸に護送され、小石川のキリシタン屋敷に幽閉されたまま、一七一四年に死んだ。
 江戸でシドッティは新井白石の尋問を四回受けた。白石は、彼の学識や人柄に感心して敬意を持って遇し、彼から聞いた話にもとづいて、『采覧異言ランゲンイゲン』と『西洋紀聞』を書いた。
 新井白石は、それまで「漢土カンド」や「唐土トウド」と呼んでいた土地が、ヨーロッパで「チーナ」と呼ばれていることに着目し、漢訳『大蔵経ダイゾウキョウ』にある「支那」と同じことばであることに気づいて、それから「支那」が使われるようになったのである。
 「支那」も「チャイナ ( C h i n a )」も、紀元前二二一年に中原を統一した始皇帝の「秦シン」が語源である。
 私は長い間、なぜ漢訳仏典の翻訳者たちが、自らの歴史的王朝名「秦」の読み音「チーナ」を、「支那」などという、意味のない、つまらない漢字で表したのか、疑問に思っていた。
 船山徹『仏典はどう漢訳されたのか』 (岩波書店 )に拠ると、梵語からの音訳には、漢字それ自体の意味にとらわれないため、意図的に意味のとれない文字のならびを選択するか、意味的には好ましくない字を使用する場合があるということで、「仏陀」も「支那」も、それだと知り、積年の胸のっかえが下りた。 
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■編集部からのメッセージ
 この分野初の概説書で,海外の研究者から注目されることも必至です.キケロ以来の欧州の翻訳理論史に比べて,仏典翻訳は分量的に聖書の翻訳をはるかに凌駕するにもかかわらず,充分な注目を得られていませんでした.
 中国において仏典の翻訳は,後漢時代から北宋までの千年にわたって連綿と続きました.宗教文献に現れた異文化の事象を中国特有の文化的要素も用いながら移し替えていくにあたっては,様々な葛藤と先駆的な試みがありました.たとえば,サンスクリット語の「スートラ」を,繊維の縦糸を意味していたに過ぎない「経」と訳すことから冒険であり,そしてそれは今日まで引き継がれています.
 鳩摩羅什や玄奘の,翻訳可能性/不可能性をめぐっての論は現代にも通用します.また,サンスクリット語で仏典を口述するインド人僧(訳主),訳主の朗読に間違いが無いか点検する係(証文),サンスクリット語を中国文字で音写する係(筆受),中国語の語順に合わせて語句を入れ替えて行く係(綴文),中国語としてより滑らかになるように文章に手を加えていく係(潤文官)…という流れ作業での翻訳の仕方も大変面白いものです.
目次
はじめに――東アジアの中の仏典
第一章 漢訳という世界へのいざない――インド,そして中国へ
第二章 翻訳に従事した人たち――訳経のおおまかな歴史
第三章 訳はこうして作られた――漢訳作成の具体的方法と役割分担
第四章 外国僧の語学力と,鳩摩羅什・玄奘の翻訳論
第五章 偽作経典の出現
第六章 翻訳と偽作のあいだ――経典を“編輯”する
第七章 漢訳が中国語にもたらしたもの
第八章 根源的だからこそ訳せないもの
第九章 仏典漢訳史の意義
参考文献
年表
あとがき
索引
タイトル 仏典はどう漢訳されたのか
副書名 スートラが経典になるとき
著者名1 船山 徹 /著  
出版者 岩波書店
出版年 2013.12
ページ数 16,284,10p
大きさ 20cm
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 /183/フナ
ISBN 978-4-00-024691-0
著者紹介1-1 1961年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程中退。同大学人文科学研究所教授。中国中世仏教史とインド仏教知識論を中心に仏教史を多角的に研究。共著に「高僧伝」など。


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清朝とは何か 別冊環 番号 16 [ユーラシア・東]

清朝とは何か515Y7n3j1AL.jpg清朝とは何か
 別冊環 番号 16
著者名1 岡田 英弘 /編  
著者名2 宮脇 淳子 /[ほか著]  
出版者 藤原書店
出版年 2009.5
ページ数 335p
大きさ 23cm
ISBN 978-4-89434-682-6
新潟市立図書館収蔵 新津館 /222/シ/
内容紹介
支配層であった満洲人の満洲語、そしてモンゴル語、漢語の3言語を公用語とした「大清」独自の「八旗」制度などの統治システムで広大な国土を領した大清帝国の全体像を、ユーラシア全土との関わりの中で明らかにする。


内容一覧
タイトル 著者名 ページ
清朝とは何か 岡田 英弘/述 7-37
清朝とは何か91dDoXoumVL.jpgⅠ 清朝とは何か
大清帝国にいたる中国史概説 宮脇 淳子/著 42-58
世界史のなかの大清帝国 岡田 英弘/著 59-73
マンジュ国から大清帝国へ【その勃興と展開】 杉山 清彦/著 74-91
漢人と中国にとっての清朝、マンジュ 岩井 茂樹/著 94-107
清代満洲人のアイデンティティと中国統治 マーク・エリオット/著 108-123
         (楠木賢道=編訳)
「満洲」の語源 【文殊師利ではない】 岡田 英弘/著 126-127
愛新覚羅=アイシン=ギョロ氏とは 杉山 清彦/著 128-130
Ⅱ 清朝の支配体制
大清帝国の支配構造 【マンジュ (満洲) 王朝としての】 杉山 清彦/著 132-149
「民族」の視点からみた大清帝国 【清朝の帝国統治と蒙古・漢軍の旗人】 村上 信明/著 150-163
大清帝国とジューンガル帝国 宮脇 淳子/著 164-175
清朝とチベット【第5世ダライ・ラマと摂政サンギェーギャツォを中心に】 山口 瑞鳳/著 176-190
清朝とロシア 【その関係の構造と変遷】 柳澤 明/著 191-200
雍正帝の政治【「即位」 問題と諸改革】 鈴木 真/著 201-211
貨幣史から描く清朝国家像 【清朝の複合性をめぐる試論】 上田 裕之/著 212-221
北京で流行した満漢兼の子弟書 岡田 英弘/著 222-223
江戸時代知識人が理解したネルチンスク条約 楠木 賢道/著 224-225
満洲文字はモンゴルから、チャイナドレスは満洲服だった 宮脇 淳子/著 226-227
科挙官僚・祁韻士が作った『王公表伝』 宮脇 淳子/著 228-229
Ⅲ 支配体制の外側から見た清朝
「近世化」論と清朝 岸本 美緒/著 232-239
江戸時代知識人が理解した清朝 楠木 賢道/著 240-253
琉球から見た清朝 【明清交替、 三藩の乱、 そして太平天国の乱】 渡辺 美季/著 254-261
蝦夷錦、北方での清朝と日本の交流 中村 和之/著 262-270
清代の西洋科学受容 渡辺 純成/著 272-289
近世ユーラシアのなかの大清帝国 杉山 清彦/著 290-301
【オスマン、 サファヴィー、 ムガル、 そして “アイシン=ギョロ朝”】
磁器と透視遠近法と雍正改革のはざまで 【旗人官僚年希堯の生涯】 渡辺 純成/著 302-303
太平天国の乱 岩井 茂樹/著 304-305
大清帝国と満洲帝国 宮脇 淳子/著 308-319
『満文老档』と内藤湖南 宮脇 淳子/著 320-321
清朝史関連年表  (前221~2008年)
図表一覧
編集後記


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皇帝の四分の三は漢人ではないー宮脇淳子--機2022年1月号 [ユーラシア・東]

宮脇 25b.jpg藤原書店「機」1月号№358の歴史から中国を観る25
「皇帝の四分の三は漢人ではない」 宮脇淳子ミヤワキ ジュンコより

紀元前221年、秦シンの始皇帝シコウテイがみずから「皇帝」と名乗った
「皇帝たちの中国史」は、三つの時代に分けることができる。
 第一の「漢族の時代」は、秦の始皇帝から、漢・三国・晋シン・南北朝を経て589年に隋ズイの文帝が天下を統一するまでである。
第二の「北族」の時代は、隋・唐トウ・五代・宋ソウを経て、1276年、元ゲンのフビライ・ハーンが南宋を滅ぼして天下を統一するまでである。
第三の「新北族の時代」は、元・明ミン・清シンの時代である。
 清が1895年に日本に負けたことにより、中国文明の時代が終わって日本化か始まる。そして、1912年に清の宣統セントウ帝が退位して、皇帝の歴史は終わる。
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中華思想は、「北族」の時代の末期に、新たに興りつつあった新北族の契丹キッタンに対して、自分たちもかっての北族出身であった北宋の人々が、自分たちこそ正統の「中華」だと言い出して、北方の遊牧帝国を成り上がりの「夷狄」とさげすんだことにはじまる。そこから、「夷狄」は文化をもたない人間以下の存在で、自分たち「中華」だけがほんとうの人間だという負け惜しみの「中華思想」が出てきたのである

 しかし、じつは「中国皇帝」の大多数が「夷狄」出身であった。五代十国時代の後周コウシュウの郭カク氏や、北宋ホクソウ・南宋ナンソウの趙チョウ氏など、漢人かどうか疑問のある皇帝も漢人として数えても、紀元前221年から1912年まで、漢人が皇帝だった期間の長さと、皇帝が非漢人だとはっきりわかる期間の長さをくらべてみると、2132年間のおよそ四分の三が、漢人でない皇帝の時代なのである。

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古代中国の24時間―秦漢時代の衣食住から性愛まで [ユーラシア・東]

37%.jpg古代中国の24時間―秦漢時代の衣食住から性愛まで
柿沼 陽平【著】カキヌマようへい
中公新書 2669
著者について
柿沼陽平  1980年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。University of Birminghamに留学。早稲田大学大学院文学研究科に進学し、2009年に博士(文学)学位取得。早稲田大学助教、帝京大学専任講師、同准教授などを経て、早稲田大学文学学術院教授・長江流域文化研究所所長。専門は中国古代史・経済史・貨幣史。2006年に小野梓記念学術賞、16年に櫻井徳太郎賞大賞、17年に冲永荘一学術文化奨励賞を受賞。

著書に『中国古代貨幣経済史研究』(汲古書院、2011年)、『中国古代貨幣経済の持続と転換』(汲古書院、2018年)は専門書、『中国古代の貨幣―お金をめぐる人びとと暮らし』(吉川弘文館、2015年)、『劉備と諸葛亮―カネ勘定の『三国志』』(文春新書、2018年)は一般書、など。
『劉備と諸葛亮―カネ勘定の『三国志』』新潟市立図書館収蔵 
『中国古代の貨幣―お金をめぐる人びとと暮らし』 県立図書館収蔵
目次
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タグ:中国
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韓国半島北部、北朝鮮じゃがいも栽培 -植民地時代-三浦洋子氏の論文より [ユーラシア・東]

千葉経済論叢 第40号 2009年刊行
北朝鮮じゃがいも栽培への日本人の関与― 植民地時代と2000年代 ―
三浦 洋子 (みうら ようこ 千葉経済大学准教授)
 より覚え書き
 83頁(2)植民地時代のじゃがいも栽培、「蘭谷機械農場」(注8)  
 植民地時代、現在の北朝鮮江原道淮陽郡 蘭谷に1000ヘクタールの「蘭谷機械農場」(1920年~1945年)は開設された。当農場は、愛知県の地主達が興した愛知産業株式会社が資金を提供し、第一次世界大戦で捕虜になって名古屋収容所にいたドイツ人たち(注9)と日本人とで経営され、「ドイツ式有畜畑作農場」として当時、画期的であった。
(注9)名古屋俘虜収容所のドイツ人たちは、当初北海道へ移住して、ドイツ式有畜畑作農業を行うことを希望したが、土地の問題で蘭谷へ渡ることになった。5人のドイツ人たちはいずれも教育レベルが高く、農業や商業、手工業を専門としている集団であった。
 蘭谷は、北朝鮮江原道の海抜650mの高原地帯の分水嶺で、風が強く、冬は長く、12月から2月には零下20度以下にもなり、降雪もかなりあった。さらに7,8月には約20日雨季があったが、年間降雨量の7割程度の、一度に大量の雨がふった。土質は悪くはないが、火田民による焼畑農業で放棄された土地であったため、地力に乏しく、大きな岩がごろごろしていて、農場建設に先駆けて除石作業を行わなければならなかったが、それには莫大な費用を要した。採取した岩石は道路や施設の建設に利用し、また風が強いため周囲には防風林も植えた。
】江原道(カンウォンどう、朝鮮語チョソングル表記:강원도〔カンウォンド〕)は李氏朝鮮の行政区画、朝鮮八道の一つ。現在の大韓民国(南)と朝鮮民主主義人民共和国(北)にまたがる江原道(北と南)を合わせた地域
日本海に面し、景勝地である金剛山がある。【
韓国・北朝鮮江原道金剛山pWi、.jpg
 「機械農場」という名前の通り、ドイツから農業用機械を多数導入したが、この費用が後々まで経営を圧迫した。しかし荒地の開墾から、播種、収穫までを、厳しい気候条件の中、その適期に迅速に行うには、高価ではあるが非常に効率的であった。中でもドイツ製の揚水や製粉用に使用した「大型風車」は後に当農場の名物となったほどである。こうして作付け面積は1921年の63町歩から10年後には196町歩と3倍強にまで拡大した。さらに農産物や家畜は、ヨーロッパや日本から新品種を導入したり、在来種との掛け合わせなども行うなど品種改良や純粋種(種苗)の育成や販売も目指した。
 農場の経営方針は次の4つであった。
 ① 畜産を主として飼料の自給自足を計ること
 ② 堆肥を増産し、地力を向上させること
 ③ 農場は孤立せず、近隣の農村との交渉を進めること
 ④ 地域の特産物の加工を工夫し、将来農場の資源とすること
 畑は連作障害をなくすため、4分割の輪作体系とし、ここで食料および飼料を栽培し、牛・豚・羊などの家畜を飼育してその糞尿を堆肥として畑に還元させ、そこから生産されたじゃがいもやライ麦、生乳、豚肉、羊毛などをパンやハム・ソーセージ、牛乳やホームスパンに加工して販売するといった、「循環型農業」を目指した。
 当初、農場はドイツ人が参加した経営であったため、彼らの主食であるじゃがいもを確保する、ということもあり栽培に着手したのだが、「ドイツ人のじゃがいもに対する執着は日本人の米に対するそれと同じ」というわけで、その品質や栽培法については大変熱心であった。
蘭谷の在来種はあるにはあったが貧弱で、ヤンチー(赤)、ヒヤンチー(白)の2種だけであった。
ただ、当地はじゃがいもの結実がよく、交配種をつくるのには最適な土地であったから、ドイツ人たちは品種改良に力を注ぎ、品質形状ともに優れて多収穫な食用と飼料用じゃがいもつくりを目指し、数十種類の品種を作った。
 品種の淘汰選別は次のように行われた。まず、種イモは60~80gの鶏卵大のものを選び、いったん原種圃で育成し、そこで固定したものだけを翌年試験圃に移し、ここで発育良好なものを一般圃場へ移して年々更新していった。
 その成果は試験地ではヘクタール当たり30トン、一般圃場でも10トン以上の単収をあげている。こうした中から優良で多収穫なものを5種類選択し、「蘭谷1号」~「蘭谷5号」と命名し、ドイツ産のミラビリス種も加えて本格的な栽培を開始した。
 各品種の特性は表6に示す。以後、この蘭谷いもは当農場の食料と飼料(豚用)であるばかりか、有力な換金作物となり、毎年20町歩~30町歩で150トンから200トン栽培されて、朝鮮内はもとより、日本や大連、天津、青島などからも注文が来るほどであった。
韓国・じゃがいも品種p09、.jpg
  
 さらにこれらのじゃがいもを朝鮮各地で栽培してその収量を確かめるため、朝鮮総督府農林局に依頼して、各道の種苗場で 1931年と1932年に蘭谷いもの試作を行っている。結論としては、在来種に比べて、蘭谷イモは優良であり、種イモは蘭谷イモに更新したほうがよいことが明らかとなった。 
 植民地時代、朝鮮では当初、図1に示すように、じゃがいもの作付け面積は2万ヘクタールであったが、その後1920年代には7万ヘクタールを超え、30年代には9万ヘクタールから12万ヘクタールと大きく増加した。ただし単収はそれほど大きく伸びず、ヘクタール当たり5~6トンで推移し、7トンを記録したのは1932年のたった1年だけであった。
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