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神風頼み 根拠なき楽観論に支配された歴史--2022ー⓶ [明治以前・国内]

神風頼み 根拠なき楽観論に支配された歴史 著者 秦野裕介 

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目次 へ続く 
第1章 「元寇」と「神風」―元寇が生んだ「神風」意識の誕生と定着
 『八幡愚童訓』に見る“アホでマヌケな鎌倉武士”  p16
  史料からは確認できない「神風」  p18
「神風が吹く」のは日本だけではなかった  p21
 神風はほんとうに吹いたのか?  p23
 神社と武士の手柄争いの産物だった「神風」  p28
 「元寇は朝廷滅亡策?」−江戸時代の“陰謀論”  p31
 湯地丈雄[ゆじたけお]による「元寇の記憶」の復活  p37
 「元寇絵」で行われた“切り取り”   p39
 蒙古襲来史料『伏敵篇』における恣意的解釈  p44
 
第2章 神国ニッポン―日本はよそとは違う特別な国なのだ!
 神々が求めた「神風」への恩賞  p50
 神社向けの徳政令=神領興行法  p54
 強まる「敬神意識」に押し潰された鎌倉幕府  p58
 「神が日本を守った!」−室町時代のフェイクニュース   p61
 局地的紛争が「元寇の再来」に  p64
 対中国外交に見る足利義持の「神国思想」  p67
 少弐満貞[しょうに みつさだ]らはなぜ“盛った”のか?  p72
 義持周辺の中国人たちの国際感覚  p73
 「朝鮮は日本の属国」−室町の国際意識  p77
 「東夷の小帝国」意識  p80
 
第3章 “人のために神がある”―「敬神」へのアンチテーゼとしての「撫民」
 中世日本のヒューマニズムとグローバリズム  p84
 「戦争より平和を」−クビライ書状の真実  p85
  対クビライで割れた朝廷と幕府の対応  p89
 「徳大寺実基政道奏状」における人間中心主義  p95
 「ゴマスリのバカは“日本は王朝が続く特殊な国”と言う」  p102
 花園天皇という人  p103
 天皇による「日本スゴイ」論への批判  p107
 「吉田定房奏状」による“過激な”王朝批判  p111
 『神皇正統記』は「神国思想」のバイブル?  p114
 北畠親房による「ダメな天皇」展覧会  p117
 「神皇正統」という言葉の真の意味  p120

第4章 「国体」の形成―近世に見る「神の国」の復権
 「神使い」吉田兼倶[よしだ かねとも]の登場
 伊勢神宮の御神体を“手に入れた”兼倶
 現在の神道観とは大きく違う吉田神道
 世界征服を目指した豊臣秀吉の「日本」観
 明臣下としての日本国王を受け入れた秀吉
 「神」になった天下人−秀吉と家康
 神の国再び!−「寛政の改革」のもう一つの側面
 「大政委任論」に見る定信の天皇観とその前提
 異国船打払令と「国体」の完成

第5章 神武天皇と足利尊氏―国家の学問介入を象徴する二人
 学問へ容喙する「神風思想」
 時代祭りから排除され続けた足利氏
 なぜ南朝が正統とされたのか?
 「神武復古」明治政府の「神の国」
 南朝のヒーローを“抹殺”して“炎上”した久米邦武[くめ くにたけ]
 「北朝の天皇は偽物だ!」−明治時代の教科書問題
 「世界に一つの神の国」−学問と教育の分離
 「神武天皇はいない」と言うなかれ!−津田左右吉事件[つだ そうきち]
 津田批判の背後に垣間見える陸軍の影
第6章 「神の国」か「立憲主義」か―大日本帝国憲法をめぐる議論
 「立憲的」だった大日本帝国憲法
 大日本帝国憲法制定時の伊藤博文-森有礼論争
 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の真意
「統帥権干犯」と「憲政の常道」
 ロンドン軍縮条約における統帥権干犯事件
 軍部と政党に“利用”された「天皇機関説」
 第二次国体明徴声明−立憲主義の終焉
 陸軍の遺恨と二・二六事件
 「国民精神総動員」−神国日本へ全てを捧げよ!
 
第7章 「神風」の終末―「神の国」が最後に目にしたもの
 「統率の外道」−特攻と神風
 「特攻」と「コンコルドの誤謬」
 「神風」「神州不滅」の呪縛
 一撃講和か即時講和か−続く迷走
 鈴木貫太郎の“自虐史観”
 「一億玉砕」と沖縄戦
 ポツダム宣言受諾を阻む「国体護持」の壁
 米内光政[よない みつまさ」の「敬神」と井上成美[いのうえ しげよし/せいび]の「人の煩い」
 

 

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神風頼み 根拠なき楽観論に支配された歴史--2022ー① [明治以前・国内]

神風頼み 根拠なき楽観論に支配された歴史

著者 秦野裕介 ハタノゆうすけ
出版社 柏書房
サイズ 19cm  頁数 259p
出版年月 2022年8月
ISBNコード978-4-7601-5465-4
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内容紹介
 「日本は神風が吹く、神に守られた特別な国」という「神風思想」が生み出す「ニッポンすごい!」「独り善がりの排他主義」「根拠なき楽観主義」……元寇から特攻まで日本史を貫きつづけてきた「神風思想」は、太平洋戦争における敗戦という結末を迎えることとなったが、その意識自体はいまだ日本人の心に根強く生き続けている。 本書は、「神風思想」がいかに形づくられていったかを、史実に沿って検証、「神風が吹いたのは日本だけではない」「神社による立派な〈武器〉だった神風」「実は友好的だった元寇前のモンゴルの外交姿勢」「天皇制をこき下ろした天皇」「〈神の国〉ではなく〈人間本位〉を考えていた中世の政治家たち」「立憲制を念頭に置いていた大日本帝国憲法」など、日本が決して「神風思想」だけに凝り固まっていたわけではないことを示す事実を挙げながら、「神を敬わなければならない」「神のために人がいる」という「神風思想」とそれに対峙する「人の煩いがない」「人々の生活優先」「人のために神がある」の「撫民思想」《撫民ぶみん  人民をいたわること。》とのせめぎ合い、そして「神風思想」の根幹をなす「根拠なき楽観」が招いた悲劇の過程を辿っていく。そして「神風思想」の根幹をなす「根拠なき楽観」が招いた悲劇の過程を辿っていく。
 歴史的論考としてはもちろん、コロナ禍、ウクライナ戦争など混迷の時代において危機をいかに克服していくべきかの指針ともなる一冊。
 
著者等紹介 秦野裕介[ハタノゆうすけ]
1966年、京都府生まれ。立命館大学文学部卒業。立命館大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。修士(文学)。立命館アジア太平洋大学非常勤講師などを経て、現在、立命館大学授業担当講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
目次 に続く 

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歴史の中の多様な「性」 三橋 順子 /著 2022 [明治以前・国内]

FoE7-19agAAG1qw.jpg歴史の中の多様な「性」
    日本とアジア変幻するセクシュアリティ
著者 三橋 順子 /みはし じゅんこ
出版者 岩波書店
出版年 2022.7
ページ数 13,369p 大きさ 20cm
ISBN 978-4-00-025675-9
新潟市立図書館収蔵 豊栄館 社会 /367/ミ/

内容紹介

かつて日本は「性の多様性」に寛容でした。異性愛規範が強化されたのは西洋化以降であり、それ以前のアジアでは豊かな性別越境文化が築かれていました。ヤマトタケルの時代から現代まで、民俗学や地理学の手法も駆使し縦横無尽に「性」の多様性を検証します。
 西洋化以前、日本とアジアでは豊かな性別越境文化が築かれていた。「伝統的」な「性」とは何か。抑圧の中で文化をつないだ性的マイノリティたちの歩みを文献に基づいて活写し、現代における「性の多様性」議論に一石を投じる。
私・著者はセクシュアリティ、ジェンダーは構築主義の立場をとる。つまり性欲の存在そのものは動物としての人間の本能に由来するが、その性欲が何によって喚起され、何に欲情す るかという性欲の質は、社会的・文化的に構築される要素が大きいと考える。また、個人の性的欲望が存在することと、その存在が人々にある程度、認知され、制度や商業などの形で社会システム 化されることとは別の問題であると考える。 
 この本では、性的多様性は歴史の中にあることを私なりに論証していきたい。まず第Ⅰ部では基本認識的なことを述べる。第1章では日本の前近代と近代以降のジェンダー&セクシュアリティ観 の変遷について論じる。第2章は性別越境文化の原理、第3章は同性間性愛の普遍性とそれに対す る抑圧について解説する。 
 第Ⅱ部は個別の論考で、日本の歴史の中から性的な多様性を提示する。第4章は平安時代末期の ある貴族男性のセクシュアリティ、第5章は薩摩藩の男色文化とその後、第6章は鹿児島出身のあ る力士にかかわる民話、第7・8章は明治「文明開化」期以降の女装・男装、第9章は二〇世紀の 女装文化、第10章は女性同性愛について述べる。 
 第Ⅲ部は視点を海外に広げる。第11章はインドのヒジュラを起点に世界のサード・ジェンダーを めぐる。第12章は中国の、第13章は朝鮮の性別越境文化を探る。 
 そして、まとめとして、第14章は「伝統的」な「性」の在り様について考えることで、歴史と現在をつないでみたい。 
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女装と日本人 講談社現代新書 三橋 順子 /著 2008 [明治以前・国内]

9784062879606.jpg女装と日本人
著者 三橋 順子 /みはし じゅんこ
出版者 講談社
講談社現代新書 1960
出版年 2008.9
ページ数 373p大きさ 18cm
ISBN 978-4-06-287960-6
新潟市立図書館収蔵 新津館 /384/ミ/

内容紹介

ヤマトタケルの神話、僧侶と女装の稚児の恋、歌舞伎の女形、夜の新宿ネオン街…。“女装”を抜きに日本文化は語れない! 女装の実践者・研究者である著者の視点から、過去と現在における女装と日本人との関わりを述べる。

①日本人は、性別越境の芸能に強い嗜好があること。
② 異性装者に対して、少なくとも個人レベルでは、比較的寛容な意識を持っていること。
③ そうした文化や意識は世界の中でかなり特異であること。
④ そしてそのことにほとんどの日本人が気づいていないこと。

本書では、見かけの服飾だけでなく、しぐさや言葉使い、社会における役割までも、身体とは逆の性別のそれを行うような場合は、「性別越境」 (トランスジェンダー   Transgender )という概念を用います。この場合、男性から女性へ ( Male to  Female ) の転換を M t F、女性から男性へ( Female to Male )の転換 をF t Mと称します。
目次
はじめに
 序章日本人は女装好き ?
第 1章古代〜中世社会の女装
    1女装の建国英雄ヤマトタケル——日本神話の女装観
   2双性の巫人ー弥生時代の女装のシャーマン
   3ぢしゃ (持者 )—中世社会の女装巫人
  4女装の稚児ー中世寺院社会における女装の少年
     5 中世の芸能と異性装―稚児と白拍子
第 2章 近世社会と女装
     1 歌舞伎の成立―異性装者へのあこがれ
     2 歌舞伎女形の意識と生活——平生を、女にて暮らす
     3   陰間と陰間茶屋——江戸時代のニューハ— フ 
     4 とりかえ児育と市中の女装者
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第 3章 近代社会と女装
     1 文明開化と異性装の抑圧
     2 女装と犯罪イメージの結合
     3 異性装の「変態性慾」化
     4 抑圧の中を生きぬく
第 4章 戦後社会と女装
      1 女装男娼の世界 
      2 ゲイバー世界の成立 
      3 女装芸者の活躍
      4 性転換女性とブルーボーイ 
      5 ゲイバー世界の分裂
      6  ニューハ—フ誕生
      7 アマチュア女装者の登場
      8 新宿女装コミュニティの形成
      9 商業女装クラブの出現
第 5章   現代日本の女装世界————新宿の女装コミュニティ
      1 順子の生い立ち ー新宿まで
      2  ネオンが似合う「女」になる
      3  新宿女装コミュニティの性別認識
      4 女装コミュニティの人びと女装客と男性客
      5 女装コミュニティのセクシユアリティ
第 6章   日本社会の性別認識
      1 「女をする」ということ
   2 「女扱いされる」ということ
   3 「女」扱いから「女」錯覚へ
   4 「日本人の女ではない」ということ―性別認識と民族認識
   5 性別認識と場
   6 身体を「棚上げ」できない場
   7 「女見立て」のセクシュアリティ
終章 文化としての女装 
       1 女装文化の普遍性
   2 トランスジェンダーと職能
        3 なにがトランスジェンダー文化を抑圧したか——宗教規範の問題
   4 性転換する神と仏
         5 ふたたび「日本人は女装好き」―性別越境の魅力
おわりに トランスジェンダーを生きる
参考文献

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新宿「性なる街」の歴史地理 三橋 順子 /著 2018 [明治以前・国内]

9784022630773.jpg新宿「性なる街」の歴史地理
著者 三橋 順子 /みはし じゅんこ
出版者 朝日新聞出版
朝日選書 1977
出版年 2018.10
ページ数 323,11p 大きさ 19cm
ISBN 978-4-02-263077-3
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 2階 /384.9/ミツ/

内容紹介

さまざまな性のあり方が共存する新宿には、「遊廓」「赤線」「青線」の忘れられた物語が眠っている。わずかに遺されたかつての「性なる場」の痕跡を掘り起こし、「盛り場・新宿」ができあがる過程を読み解く。 
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江戸の宇宙論 (集英社新書) 池内 了 (著) – 2022/3/17 [明治以前・国内]

51+Bbz9L17L.jpg江戸の宇宙論  
池内 了  著 (イケウチ さとる)
出版社 ‏ : ‎ 集英社  (集英社新書) 320ページ
発売日 ‏ : ‎ 2022/3/17
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4087212068
内容情報
19世紀初頭、実は日本の天文学は驚くべき水準に達していた――。
知られざる「天才」たちの活躍を通して、江戸の科学史の側面を描いた画期的一冊!
今日ではノーベル物理学賞を獲得する水準に至った日本の天文学研究。
そのルーツを辿ると、江戸時代後期の「天才たち」の功績にまで遡る。
「重力」「遠心力」「真空」など現在でも残る数多の用語を生み出した翻訳の達人・志筑忠雄 シヅキ ただお。
「無限の広がりを持つ宇宙」の姿を想像し、宇宙人の存在さえ予言した豪商の番頭・山片蟠桃 ヤマガタ ばんとう。
そして超一流の絵師でありながら天文学にも熱中し、人々に地動説などを紹介した司馬江漢  シバこうかん。
彼らはそれぞれ長崎通詞(オランダ語の通訳者)/ 豪商の番頭・金貸し業 / 画家という本業を持ちつつ、好奇心の赴くままに宇宙に思いを馳せたのであった。
本書は現代日本を代表する宇宙物理学者・池内了が、江戸時代後期を生きた知られざる天才たちとその周辺人物らによる破天荒な活躍を負いつつ、日本の天文学のルーツに迫った驚きの科学史である。
【著者略歴】
池内 了(イケウチ サトル)
1944年兵庫県生まれ。京都大学理学部物理学科卒業。同大大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。博士(理学/京都大学)。名古屋大学名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。
『お父さんが話してくれた宇宙の歴史』(岩波書店、全4巻)で産経児童出版文化賞JR賞および日本科学読物賞を、『科学の考え方・学び方』(岩波ジュニア新書)で講談社出版文化賞科学出版賞(現・講談社科学出版賞)を、『科学者は、なぜ軍事研究に手を染めてはいけないか』(みすず書房)で第73回毎日出版文化賞特別賞を受賞。
その他の著書は『物理学と神』(講談社学術文庫)、『宇宙論と神』『司馬江漢』(いずれも集英社新書)、『科学・技術と現代社会 上・下』(みすず書房)、『科学者と戦争』『科学者と軍事研究』(いずれも岩波新書)など多数。
【目次】
はじめに   
第一章 蘭学の時代 
蘭学の系譜
蘭学の四つの主題
暦学から天文学へ
「江戸の宇宙論」の展開
第二章 長崎通詞の宇宙   
 2─1 志筑忠雄という人
志筑忠雄の出自
杉田玄白の偏見
大槻玄沢の権威主義
蘭学の御用学問化
先達の本木良永
志筑忠雄の仕事
2─2 『暦象新書』と無限宇宙論
『暦象新書』の紹介
『暦象新書』の構成
「無限宇宙論」の提示
ニュートン力学の紹介
「混沌分判図説」
第三章 金貸し番頭の宇宙
 3─1 山片蟠桃という人
蟠桃の出自
買米制度と大名貸し
蟠桃による升屋の差配
『草稿抄』
蟠桃という名前
懐徳堂
『夢の代』へ
 3─2 大宇宙論の展開
『夢の代』の構成
「地動儀明暗界並三際図」
地動説について
世界観の変遷
人間が存在する宇宙
終 章  「歴史の妙」  
補 論  日本と世界の認識   
 補論─1 志筑忠雄の『鎖国論』をめぐって
 補論─2 山片蟠桃の世界認識
あとがき
参考文献一覧
時代背景をなす人々とその代表作 
年表
図版制作/MOTHER
   


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司馬江漢-「江戸のダ・ヴィンチ」の型破り人生-2018年刊 [明治以前・国内]

9784087210514.jpg司馬 江漢

「江戸のダ・ヴィンチ」の型破り人生

著者  池内 了 /イケウチさとる

出版者 集英社 集英社新書 №0951

出版年 2018.10

ページ数 317p 大きさ 18cm

ISBN 978-4-08-721051-4
新潟市立図書館収蔵 亀田館 NDC分類(9版) 721.83


内容紹介
1700年代の時点で西洋画をマスターし、遠近法をいち早く取り入れるとともに油絵・銅版画の技法を日本で最初に確立した天才画家。
さらに、地動説を我が国で初めて紹介した科学者でもあり、ドナルド・キーン氏も絶賛する『旅日記』を著した文筆家。
そんな大天才・司馬江漢は、奇行を繰り返しては周囲の人々を混乱に陥れる、稀代の「変人」でもあった。
まさしく「江戸のダ・ヴィンチ」とでも呼ぶべき司馬江漢だが、生前の活躍と知名度に反して、今日ではほとんど知られることのない人物になってしまっている。
本書は、そんな江漢に関する種々の記録を日本の天文学者、宇宙物理学者の池内 了が、丹念に読み解き、その破天荒な生涯の全体像を描き出そうと試みた一冊である。彼が遺した絵画のみならず、スケッチや科学的メモなども選り抜いて掲載した、画家としての司馬江漢よりも窮理者としての司馬江漢に着目した評伝の傑作。遠近法を先駆的に取り入れた天才画家にして、地動説を人々に紹介した科学者でもあり、かつ文筆家。「江戸のダ・ヴィンチ」とでも呼ぶべき才人・司馬江漢に関する記録を丹念に読み解き、その破天荒な人生の全体像を描き出す。

『一八世紀半ばから蘭学が輸入されるようになった江戸時代において、地動説や宇宙論がどのように日本に受容されていったかを調べるうちに、絵師として名高い司馬江漢(一七四七〜一八一八)に巡り合う。彼は絵師としての人生において「名利(名望と実利)」を執拗に追い求めた人間なのだが、それとは真逆の、名利にまったく無関係な地動説・宇宙論に好奇心から打ち込んで宣伝に努めたとを知った。その矛盾した生き方の面白さに惹(ひ) かれて、まとめたのであった。』


【本書の目次・内容】
はじめに
第一章 絵の道に入るまで
幼少年期の江漢
江漢が回顧する源内
源内の事績と江漢
小田野直武と江漢
第二章 町絵師江漢の誕生と成長
江漢の名の由来
母の死
絵画修行.
仙台藩邸での席画
日本創製銅版画
江漢の絵画論
第三章 旅絵師江漢
旅立ちから四ヵ月
日野の中井家との出会い
蒹葭堂ケンカドウとの交流
中国路
長崎見聞
平戸島・生月島
帰途岡山から京都まで
中山道
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第四章 窮理師江漢
『輿地略説』(一七九二年)
『地球全図略説』(一七九三年)
『和蘭天説』(一七九六年)
『おらんだ俗話』(一七九八年)
『和蘭通舶』(一八〇五年)
『種痘伝法』(一八一三年)
『天地理譚』(一八一六年)
各種引札
第五章 地動説から宇宙論へ
 『輿地略説』(一七九二年)
『地球全図略説』(一七九三年)
「天球図」「天球全図」(一七九六年)
『和蘭天説』(一七九六年)
『和蘭通舶』(一八〇五年)
『刻白爾天文図解』(上・下、一八〇九年)
『地転儀示蒙』(一八〇九年)
『春波楼筆記』(一八一一年)
『天地理譚』 (一八一六年)
江漢の地動説への反響
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第六章 こうまんうそ八
江漢の蘭学入門まで
玄沢との危うい関係
江漢と玄沢の仲違い
『盲蛇』
「蘭学者芝居見立番付」
タバコ批判
定信への反論
銅版画からの引退
第七章 退隠・偽年・偽死
退隠書画会引札(一八〇七年)
偽年 (一八〇八年)
偽死(一八一三年)
円通との須弥山問答
前哨戦(一八一〇~一八一一年)
本格論戦(一八一二年)
第八章 不言・無言・桃言
掛軸「桃栗に地球儀図」(一八〇九年、斯波嶮道人名)
掛軸「伊曽保物語図」(一八一一年、無言道人名)
掛軸「狐狸わな図」(一八一一年、不言道人名)
掛軸「和田義卿像」(一八一二年)
戯作「不言禅師法語まり歌」(一八一三年)
掛軸「劉子新論図」(一八一四年、桃言名)
『訓蒙画解集』(一八一四年)
おわりに
【著者略歴】
池内 了(イケウチ サトル) 日本の天文学者、宇宙物理学者
1944年兵庫県生まれ。京都大学理学部物理学科卒業。同大大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。博士(理学/京都大学)。名古屋大学名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。

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外来植物が変えた江戸時代--その④ [明治以前・国内]

外来植物が変えた江戸時代  里湖・里海の資源と都市消費
著者 佐野 静代 /著  
ISBN978-4-642-05929-9
新潟市立図書館収蔵  新津館    NDC分類(9版)662.1
佐野 静代氏の論文 2018年3月
 近世における「水田漁猟」の展開と河川流域の環境変化
抄録: 
本稿では環境史の視点から、近世畿内の水田で行われた魚漁と水鳥猟、すなわち「水田漁猟」の実態を解2018明することを試みた。丘陵上の溜池での魚漁は、天保期には入札制と養魚が行われる段階にあったが、これは淀川・大和川上流の山地荒廃に伴い、丘陵谷口に位置する溜池で土砂流入が問題となり、その修築費用をまかなうために取られた方策であった。
一方、淀川沿岸の低湿田での「魚鳥漁猟」については、堀上田との関わりが重視された。淀川の築堤と上流山地からの土砂流出は、淀川自体の河床上昇をもたらし、付近の水田に悪水滞留・湛水田化を引き起こした。その対応として、既存田の堀上田への転換が十九世紀前半の摂津・山城でみられたが、これは米の収穫率の向上以外に、堀潰れでの魚鳥漁猟を目的としていた可能性が高い。
その背景には、京・大坂での「生洲」を中心とする魚鳥の商品需要があり、近世後期の「水田漁猟」が都市消費と直結していたことは重視される。
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外来植物が変えた江戸時代--その③ [明治以前・国内]

外来植物が変えた江戸時代  里湖・里海の資源と都市消費
著者 佐野 静代 /著  
ISBN978-4-642-05929-9
新潟市立図書館収蔵  新津館    NDC分類(9版)662.1
 
 里湖・里海と呼ばれる地域が、木綿やサトウキビ、サツマイモなど外来の商品作物栽培との関係でどのように利用され、変容したのかを丹念に検証。干鰯をはじめ水辺から獲得される底泥・水草・海草・海藻・貝類の肥料としての利用ぶり。それが陸上から河川を通じて流入した栄養塩をふたたび陸上へもどす役割をもっていたところ。こんなに海中・湖中の産物が肥料として利用されていた。
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瀬戸内海の島々の「段々畑」成立の事情。「瀬戸の花嫁」で「段々畑と~さよならするのよ~」と歌われる美しい段々畑は、18世紀にサツマイモがこの地域に持ち込まれ、新たに斜面を切り開いた段々畑で栽培されるようになった。その畑にアマモなど海草が大量にすきこまれた。
農作物が商品になると大量に安定的に作らなくてはならないので施肥が不可欠。里山里湖里海の“在来な”草木や海藻海草を肥料にした。その商品とは木綿やサトウキビなど“外来植物”。52頁、里山研究では人為的な施肥は「適度な撹乱」と肯定される。さらに商品作物のためなら外来植物の移入も認めている。101頁、 海の塩分をふくむ藻は田には不向き、主に畑にまいた。178 頁、ソテツは窒素固定ができる救荒食。191頁、 『東汀随筆続編』ウニ等の海肥やしは甘薯に最適。
続ける

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外来植物が変えた江戸時代--その⓶ [明治以前・国内]

外来植物が変えた江戸時代  里湖・里海の資源と都市消費
著者 佐野 静代 /著  
ISBN978-4-642-05929-9
新潟市立図書館収蔵   新津館   662.1
「人の手の加わった自然」と里湖・里海―プロローグ
 コンクリート堤防によって水妓と陸域がはっきりと分断された現代とは異なり、かつて水陸の境には線ではなく、一定の広がりを持ったゾーンかあった。そのゾーンこそが「水辺」という空間だったことになる。
 「水辺」の具体的なイメージとしては、潮の干満によって陸域にも水域にも姿を変える干潟や、あるいは梅雨時の高水位期には水没するヨシなどの抽水植物帯があげられる。これらの「水辺」は今日の感覚では「生産性の低い湿地」であり、いわば無用の空間として埋め立てや干拓のターゲットとなっている。しかしこれらの「水辺」は、本当に生産性の低い空間だったのだろうか。               
 「湿地=生産性が低い」という価価観は、じつは近代以降のものであり、近世までは「水辺」はむしろ資源を内包する価値ある空間だった。「水辺」は陸域と水域の生物群集が接する場であり、生物多様性がきわめて高い空間である。これを人間の立場から見れば、そこは魚類や水鳥などの生物資源が得られる重要な漁場・猟場だったことになる。さらに、干潟に繁茂する海草や湖岸に茂る
ヨシは、魚類や鳥類に繁殖・採餌の場所を提供するだけでなく、それ自体が肥料や燃料になる重要な資源でもあった。これら有川な「水辺」の動植物資源に対して、人間は何千年にもわたって漁猟や採取という働きかけを続けてきたのである。
 このように過去に「水辺」に向けられてきた人間の生業活助は、「水辺」の生態系に負担でしかなかったのだろうか。あるいは逆に近世までの人間活動は小規模で「水辺」に負担を及ぼすことはなかったのだろうか。
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水辺と「人の手の加わった自然」
ある村では住民から、「ヤナギ林は昔も切っていたし、ある程度は伐採すべだ」との意見が出てきた。その地では放置すればヤナギ林が優勢となって拡大し、やがて日陰を作ってヨシが育たなくなるという。つまり人間が手を入れずに放置すれば、そこヨシ群落ではなくなってしまうのである。
植物学では「遷移」と呼ぶ。この村では昭和30年代まで屋根葺用のヨシに加えて背後のヤナギ林も時々伐採しており、堅くて水に強い柳の伐採材をまな板や下駄の歯などに使っていたという。このような住民による生活利用が「水辺」の植生遷移を一時的に停止させ、この地をヨシ群落として維持していたことになる。
 このような「水辺」と住民との関わりは、雑木林を薪炭として適度に伐探することによって極相林への遷移に停止をかけていた「里山」に通ずるものではないだろうか。つまり「山辺」の里山だけでなく、「水辺」にも「人の手の加わった自然」が存在していた可能性が見えてくる。この人間活動を含めた「水辺」の生態系の実態を検証し、その成立過程を解明することが本書の目的である。
「里海」と「里湖」概念の登場
「里海」と「里湖」の語が使われるようになっている。これらは里山をもとに造り出された造語で、いずれも「さとうみ」と読む。「里海」は1990年代から「人手が加わることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」と定義されている。
この里海について、今日研究の進む里山と同様に「人の手の加わった自然」としての実態解明は進んでいるのであろうか。答えはNOであろう。過去の実態についての検証は十分とはいえない感がある。
 里山の場合、燃料・肥料採取などの人為的活動が適度な撹乱となって、二次林から極相林への遷移に一時的な停止がかけられ、この遷移の途中相やギャップのモザイク構造が多様な生物の生息地となっていたことか解明されている。
 しかし里海の場合には「過去の人為的撹乱」の歴史的検証が十分でないために、それが真に『自然共生型』であったのかも含めて、実態そのものが自明ではないのである。したがって里海の研究においては、まずは過去の「人の手の加わり方」の具体像を解明する必要があろう。
「里湖」も、2000年代より普及しつつある概念。浅い湖沼の沿岸域に成り立っていた「人の手の加わった自然」を指す。提唱者である平塚純一によって、鳥取・島根県の中海での肥料用の海草採取に伴う水質浄化システムが具体的に解明されている。
 筆者もまた琵琶湖および秋田県の八郎潟の沿岸において成り立っていた資源利用システムの歴史的検証を行い、そこに里湖と呼ぶにふさわしい「人の手の加わった自然」か成り立っていたことを示してきた。里湖では、たとえば「水辺」の植物をみてもその用途は肥料・燃料・飼料・繊維原料、屋根葺材など多岐にわたっている.さらに、一見零細的にみえるその採取活動が相互に結びつくことで、「水辺」の生態系に大きな影響を与えていたことが重要となる。
続ける

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