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葬式仏教の誕生ー中世の仏教革命--2011;08 [隣の異教]

163548.jpg葬式仏教の誕生ーー中世の仏教革命
著者 松尾 剛次 [マツオ ケンジ]  
出版者 平凡社
平凡社新書 番号 600
出版年 2011.8
ページ数 172p
大きさ 18cm
ISBN 978-4-582-85600-2
新潟市立図書館収蔵 白根館ほか  NDC分類 182.1
内容紹介
不要の声も多い葬式だが、そもそもは穢れを恐れるあまり、風葬・遺棄葬が当たり前だった中世に、人々が強く求め、仏教がそれに応えたものだった──日本人は“弔い”をいかに獲得したか。
葬式については、昔から不要の声が多くあがっていた。2010年に刊行された『葬式は、要らない』(島田裕巳)は、そうした声を拾うようによく売れ、「葬式仏教」をめぐって、不満や怒りの声が表立って聞こえるようになった。確かに、戒名一行で「数十万円也」の現代の仏教のあり方には、改善しなければならない余地が多くある。だが、そもそも「仏教が葬儀を行う」「墓石を建てる」ようになったのは、なぜなのだろうか。
古代から、日本においては「穢れ」が忌み嫌われていた。遺体に近づいても穢れてしまうため、中世まで、風葬・遺棄葬が当たり前だった。こうした状況のなか、人々は強く葬儀を求めたのである。そして、それに応えたのが仏教だった。
鎌倉仏教のリーダーたちは、いかにして「穢れ」を超える論理を編みだしたのか。そして、墓所になぜ硬い墓石を建てるようになったのか。仏教史を繙くことにより、日本人がいかにして“弔い”を獲得したかをたどる。
目次
はじめに
第一章 現代の葬式事情
国際化と葬儀/四葬法と四元素説/エンバーミング/東アジアの葬儀事情/韓国の二つの葬儀──儒教式とシャーマニズム式/「異常」死者の弔い/中国における葬儀
第二章 風葬・遺棄葬の日本古代
穢れを恐れた古代仏教/五体不具の穢れ/延喜式の定める穢れ/河原などに遺棄される死体/捨てられる病人/『餓鬼草子』に見る葬法/「五体不具穢」史料の減少/葬式従事を忌避した官僧/神事に携わった官僧/二十五三昧会/求められた葬送
第三章 仏教式の葬送を望む人々
鎌倉仏教と改革/遁世僧の誕生/二元的世界観の成立/極楽浄土と阿弥陀信仰/兜率天と弥勒信仰/法然が警戒した弥勒信仰/道長の浄土信仰/二つの信仰の混淆/自業自得から回向追善/死体観、穢れ観の変容/光明真言会と救済/死穢を乗り越える論理/神事からは遠ざけられた/往生人に穢れなし──念仏僧の死穢観/禅僧と葬送/親鸞の葬送観
第四章 石造の墓はいつから建てられたか
依り代を納めるところ/東北・関東に多い板碑/死者への供養塔/供養塔から墓所へ/五輪塔と火葬骨/巨大五輪塔と律宗教団/律僧が分骨する理由/なぜ硬い石を使い、巨大な塔を立てたのか/弥勒下生に備える/五六億七千万年を待つために
一結講衆の時代/六道講と斎戒衆/開かれた墳墓堂から、閉ざされた家の墓へ
第五章 葬式仏教の確立
葬式仏教は革命/強制された檀家制度/新寺建立ラッシュと本末制度/寺請制度と宗門改制度/寺請・檀家制度の弊害/位牌の一般化/真宗寺院の展開
終 章 葬式仏教から生活仏教へ
天皇の葬儀も担った遁世僧/葬式は人間の根源的な願い/暮らしに根ざした仏教へ
あとがき
参考文献
著者
松尾剛次[マツオ ケンジ]
1954年長崎県生まれ。東京大学大学院博士課程を経て、現在、山形大学人文学部教授。東京大学特任教授(2004年度)。日本中世史、宗教社会学専攻。1994年に東京大学文学部博士号を取得。日本仏教綜合研究学会前会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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