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沈黙の子どもたちー2019 [軍事]

沈黙の子どもたち  軍はなぜ市民を大量殺害したか

著者 山崎 雅弘 /ヤマザキまさひろ  
出版者 晶文社 ページ数 294p
出版年 2019.6
ISBN 4-7949-7092-3

新潟県立図書館収蔵 /209.7/Y48/

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内容紹介
アウシュヴィッツ、南京、ゲルニカ、沖縄、広島・長崎…。軍による市民の大量殺害はなぜ起きたのか。戦争や紛争による市民の犠牲者をなくすことはできるのか。様々な資料と現地取材をもとに、市民の大量殺害を引き起こす軍事組織の「内在的論理」を明らかにし、悲劇の原因と構造を読み解くノンフィクション。未来を戦争に奪われる子どもたちをこれ以上生み出さないために、様々な資料と現地取材をもとに、市民の大量殺害を引き起こす軍事組織の内在的論理を解明し、悲劇の原因と構造を読み解く。

 

著者
山崎雅弘[ヤマザキまさひろ]  1967年大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。軍事面だけでなく、政治や民族、文化、宗教など、様々な角度から過去の戦争や紛争に光を当て、俯瞰的に分析・概説する記事を、1999年より雑誌『歴史群像』(学研)で連載中。また、同様の手法で現代日本の政治問題を分析する原稿を、新聞、雑誌、ネット媒体に寄稿
 (本データが、
この書籍刊行当時に掲載されていた)


内容紹介

軍人以外の被災者が軍人の死者よりも少なかった以前の戦争とは異なり、軍人よりも多くの市民が直接的・間接的に標的となって命を失う現代型の戦争、第二次世界大戦。この巨大な戦争のあと、新たな戦争のたびに市民の大量死が引き起こされることが常態化。


 割合は、軍人が三割(ニー
万人から二六〇〇万人)に対し、市民が七割(四八〇〇万人から五九〇〇万人)であったと見られている。市民の死者の数字には、ナチスードイツによるユダヤ大の大量虐殺、いわゆる「ホロコースト」の犠牲者もふくまれる。

 そして、無慈悲に殺された市民の中には、たくさんの子どもたちが含まれていた。

 

 本当なら、小さな手にお気に入りの人形やおもちゃを握りしめ、家族や周囲の人たちに愛されながら、はしゃぎ、走り回り、見守る大人を和ませる笑顔を輝かせて遊びに勲中しているはずの子どもたちが、灰色の空の下で不安におびえ、恐怖に震え、あまりに短すぎる人生に突然終止符を打たれてしまう。小さい休が地面に倒れ、二度と動かなくなる。

 

 いまこの瞬間にも、シリアなどの紛争地では、大勢の子ともたちが死の危機に直面し、一日が終わるごとに新たな犠牲者の遺体が収容され、新たな家族の涙が流されている。

それぞれの事例にどんな 「理」が存在したのかを、さまざまな方向から光を当てて探求する。
 日本の軍(またはそれに準じる組織)が将来、戦争や紛争の当事国として、第二次世界大戦時に旧日本軍が行ったのと同じ行動を篠り返さないために、日本の市民は当時の事例から何を学ぶ必要があるのか。
 手頃な「悪者」を特定して糾弾するのではなく、特定の問題行動を引き起こした「合理性」や、その根底にある価値判断の優先順位、つまり 「何を価値あるものと見なし、何をそれよりも下に置くのか」という思考の土台部分まで掘り進まなければ、我々が過去から学ぶべき本当の根源には、おそらくたとり看けない。
 一人一人の市民が、この難しい問題を考える材料として、本書の内容を参考にしていただければ幸いである。

目次 に続く




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沈黙の子どもたちー2019--㈡ [軍事]

沈黙の子どもたち  軍はなぜ市民を大量殺害したか 著者 山崎 雅弘
出版者 晶文社 ページ数 294p 出版年 2019.6 ISBN 4-7949-7092-3

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目次
第1章 ゲルニカ(スペイン)―市街地へのじゅうたん爆撃による市民の大量死

    【市民殺害の情景】
     ゲルニカに対する波状の航空攻撃
     スペイン内戦の勃発とドイツ・イタリア・ソ連の軍事介入
     大量の市民の死者を生み出す「無差別爆撃」時代の幕開け
     ルポ ゲルニカ スペイン
 
第2章 上海・南京(中国)―兵站軽視と疑心暗鬼が生み出した市民の大量死
    【市民殺害の情景】
    軍による市民殺害の具体的事実の記述
    中国人市民の大量殺害が発生するに至った経緯
    中国人市民の大量殺害は軍事行動として正当化できるか
    ルポ 上海・南京 中国
 
第3章 アウシュヴィッツ(ポーランド)―人間の尊厳を否定された市民
    【市民殺害の情景】
    アウシュヴィッツ強制収容所で何が行われたのか 
    アウシュヴィッツ強制収容所の創設と拡張
    ユダヤ人迫害からホロコーストへの道のり
    ホロコーストを実行した側の人間たち
    ルポ アウシュヴィッツ ポーランド
 
第4章 シンガポール(シンガポール)―軍司令部の命令による市民殺害
    【市民殺害の情景】
    日本軍による中国系市民の選別と大量殺害
    日本軍はなぜシンガポールで中国系市民を殺したのか
    山下奉文とフィリピンにおける日本軍の市民大量殺害
    ルポ シンガポール シンガポール
 
第5章 リディツェ(チェコ)―ナチ要人暗殺の報復で行われた市民の大量殺害
    【市民殺害の情景】
    「金髪の野獣」とよばれた男の死とその報復
    ハイドリヒ暗殺計画が立案された背景
    ハイドリヒ暗殺は計画立案者に何をもたらしたか
    ルポ リディツェ チェコ
 
第6章 沖縄(日本)―「国を守る」はずの自国の軍人に殺された市民の大量死
    【市民殺害の情景】
    さまざまな形で行われた日本軍人の県民殺害
    太平洋戦争末期の沖縄戦とそこに巻き込まれた市民
    上海、南京、シンガポール、マニラ、そして沖縄
    ルポ 沖縄 日本
 
第7章 広島・長崎(日本)―歴史上ただ二つの核攻撃による市民の大量死
    【市民殺害の情景】
    広島と長崎を焼き破壊した熱戦と衝撃波
    アメリカはなぜ原子爆弾を開発したのか
    原爆投下が「本土上陸の犠牲者百万人を救った」という伝説
    ルポ 広島・長崎 日本
 
最終章 戦後の反省―ドイツと日本は、市民大量殺害とどう向き合ったか
    ドイツ連邦軍における「抗命権」とは
    いかなる命令であっても拒絶を許さない自衛隊
 
主要参考文献
あとがき

最終章では、ヨーロッパとアジアでの事実上の「第二次大戦の発起国」であったドイツと日本が、戦後の再軍備(日本の場合は自衛隊創設)に際して、これらの反省に基づく法整備を行ったか否かについても光を当てている。
 ドイツの場合、軍大法の中に「非人道的な命令を軍人が拒絶しても罪に問わない」とする「抗命権」を認めているが、自衛隊法には、同種の法的担保がない。第二次世界大戦の悲劇を膜り返さないという覚悟の点て、ドイツと日本では大きな違いが存在する。

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近代日本の戦争と宗教ー2010年 [明治以後・国内]

近代日本の戦争と宗教  
著者 小川原正道 /オガワラまさみち  
出版者 講談社  講談社選書メチエ  474  大きさ 19cm 222頁
出版年 2010.6
ISBN 4-06-258474-6
新潟県立図書館収蔵本 /210.6/O24/
 内容紹介
 
明治国家の歩みには、戦争がともなっていた。そうした戦いのなか、宗教は、神社界、仏教界、キリスト教界は、国家といかに向き合ったのか。従軍布教や軍資金の提供といった積極的な協力姿勢から、反戦論・非戦論をはじめとする消極的姿勢まで、その実態を描く。

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目次
 
ブロローグ ー「前奏曲」として・・・・・002頁
  
第1章 戊辰戦争と宗教―権力交代劇の狭間で
 ㈠ 戦争と本願寺・・・・・014
 ㈡ 神職たちの戦争と天皇の祈り・・・・・022
 ㈢ 徳川家菩提寺のゆくえ・・・・・030
 
第2章 台湾出兵―初めての海外派兵と軍資献納
 ㈠ 初の海外派兵と大教院・・・・・040
 ㈡ 出兵と神宮・出雲大社・・・・・050
 ㈢ その他の神社界の動向と外交交渉の妥協・・・・・058
 ㈣ 凱旋と教導職賀章上呈・・・・・061
 
第3章 西南戦争―日本最期の内戦の中で
 ㈠ 教部省の廃止と戦争の勃発・・・・・070
 ㈡ 戦争下における真宗・・・・・075
 ㈢ 戦争下における神社・・・・・092
 ㈣ 真宗解禁の意義とその後の田中直哉・・・・・098
 
第4章 日清戦争―アジアの大国との決戦と軍事支援
 ㈠ 戦争の勃発と仏教界の協力・・・・・106
 ㈡ キリスト教界の協力と戦争観・・・・・115
 ㈢ 神道界の動き・・・・・125
 ㈣ 「従軍」から「開教」へ・・・・・130
 
第5章 日露戦争―列強との対決と「団結」
 ㈠ ロシア正教迫害問題の発生と正教側の対応・・・・・136
 ㈡ ロシア正教問題に対する政府・宗教界・軍の対応・・・・・146
 ㈢ 日本軍の展開と従軍布教・・・・・162
 ㈣ キリスト教界と非戦の声・・・・・177
 
エピローグ ― 「交響曲」へむかって・・・・184
あとがき・・・・190
註・・・・194~222

 
 
著者紹介
小川原正道[オガワラまさみち] 1976年長野県生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。同大学法学部准教授。専攻は、専攻は、近代日本政治史・政治思想史・宗教行政史。著書に「西南戦争」「評伝岡部長職」「大教院の研究」など。
 
ブロローグ ー「前奏曲」として
近代日本の戦争と戦没者慰霊
 明治三十八(1905)年五月一日。東京九段の靖国神社で日露戦争の戦死者約三万名の招魂式が執り行われた。この日から四日闇、境内では戦勝を祝う臨時大祭が開かれ、「国光発揮」と記されたアーチが入り口にかけられ、中には「忠勇」 「義烈」と書かれた二本の塔ひそびえ立った。会場には戦場で獲得した戦利品が陳列され、相撲が奉納され、花火が打ち上げられ、鉄塔も華やかに電飾された。
 日露戦争の戦没者で靖国神社に合祀されたのは約八万八千名にのぼり、この頃から、祭神は「英霊」と呼ばれるようになる。すでに小学校では、唱歌「招魂祭」が歌われていた。
 
こゝに喬マツる。君が霊ミタマ。蘭はくだけて。香に匂ひ。骨は朽ちて。名をぞ残す。机代物。うけよ君。
此所にまつる。戦死の人。骨を砕くも。君が為。国のまもり。世々の鑑。光りたえせじ。そのひかり。
 
 十年前の日清戦争では約一万四千名、その十七年前の西南戦争では約七千名が、靖国神社に合祀された。西南戦争は内戦てあったため、ぽぼ同数の薩軍将兵が戦死している。戊辰戦争後に設けられていた車京招魂社が靖国神社と改称されたのはこの西南戦争後のことで、『春秋左氏伝』にある 「吾以靖国也」から名前がとられた。国を清く安んずる、といった意味である。
 戦争と宗教との関係を考えるとき、我々の念頭には、まずこうした戦没者の慰霊や追悼といった取り組みが思い浮かぶであろう。そして、戦前の靖国神社が陸海軍によって管理・運営され、僧侶が軍に随行して前線で葬儀を執り行ったように.その慰霊と追悼は.「国家」や「顕彰」と分かちがたく結びついていた。靖国神社に限らす.戦争に際して神社界や仏教界.キリスト教界は.戦争を遂行する「国家」といかに向き合うか.という課題に直面することになる.そこには「国光発揮」「忠勇」「義烈」といった言葉に象徴されるような、参加、協力、支援や賞賛といった積極的姿勢から、反戦論・非戦論をはじめとする批判、あるいは沈黙、逃避といった消極的姿勢まで、さまざまな態度をみてとることができる。
 明治期の日本は、戊辰戦争によって旧幕府勢力が打倒されて新たな政権が誕生し、台湾出兵によってはじめての海外派兵を経験し、西南戦争によって国内の批判分子が一掃され、日清戦争・日露戦争の勝利によって対外的な地位を向上させていく。かくして明治時代はおわり、やがて日本は第一次世界大戦によって戦勝国の一員となり、満州事変によって大陸での版図を拡大し、日中戦争・太平洋戦争で大日本帝国の規模を最大限に拡大したところで、敗戦によって一気にその範囲を隔小させる。
 その「国家」のあゆみに対し、宗教はいかなる反応をみせたのか。本書は、ます明治期に焦点をあて、その実態を描いてみようとするものである。
 
日清・日露戦争のインパクトと本書のねらい
 
 これまでで近代日本における宗教と戦争との関係を考えるとき、画期として注目されてきたのは、日清・日露戦争であった。
 明治六年に真宗東本願寺派が中国布教に乗り出して以降.明治十年には同派の釜山別院が創設され、真宗西本願寺派は明治十九年にウラジオストックに僧侶を派遣して布教にあたらせ、浄土宗は明治二十七年にハワイに布教徒を送った。仏教各派のこうした初期の開教が、現地在留邦人の要求に応えるという性格が強かったのに対し、日清戦争では従軍・慰問・現地宣撫といった軍事行動に附随する宗教活動が展開され、日露戦争でも開教使が従軍して慰問や教誨にあたり、満州開教の遁が開かれた。西本願寺派の清国・韓国開教の発端は日清戦争にあったし、戦後には台湾開教の道も開かれ、日露戦争では釜山や大邱に臨時出張所や仮布教場を設置して軍隊布教を展開、京城には韓国開教総監部が設置された。以後、満州での日本権益拡大や、韓国併合、第一次大戦による南洋諸島の委任統治、そして日中戦争から太平洋戦争へと進む過程で、各派の教線や従軍僧の活動範囲が拡大していく。
 真宗が戦争に協力し、政治を翼賛していく論理として、「真俗二諦論」が用いられたことは、よく知られている。真宗西本願寺派では、仏教の真理(真諦)と世俗の真理(俗諦)が共に真理として両立するとする真俗二諦論に依拠した「宗制」のもと、戦時下において、当時の門主から僧侶に戦争協力を呼びかける「消息」が発せられた。実際、日露戦争に際しても東西両本願寺の門主は、真俗二諦、王法為本の立場から積極的に戦争に協力するよう門徒に呼びかけている(なお、本願寺派は平成十九年の臨時宗会で「宗制」を変更し、これらの「消息」を含めた歴代宗主(一部の宗主は除く)の撰述を「聖教に準ずる」扱いから外すこと、また真俗二諦的な表現を削除することを決議した。)
 神道界に目を向けると、日清戦争に際して伊勢神宮に勅使が派遣されて宣戦奉告祭が催され、戦後には平和克復奉告祭が開催、外苑に記念砲が献偏された.日露戦争の際も神宮では宣戦奉告祭が催され、戦後には明治天皇が平和克復奉告のために参拝し、外苑には戦利品の大砲が設置されている。第一次大戦時も宣戦奉告祭と平和克復祭が催されており。太平洋戦争でも宣戦奉告祭が開かれた。その終結にあたって催されたのは。戦争終結奉告祭と皇国護持祈願祭である。日露戦後に日本が南満州鉄道の利権を獲得すると、満州の日本人居留地域から中国奥地に至るまで、続々と神社が設立されていく。朝鮮では日清戦争以前から居留民の手で神宮遥拝所が設立されていたが、日露戦争当時から教化的意味合いを含めた神社創建が主張されるようになり、韓国併合後に官幣大社朝鮮神宮(朝鮮総鎮守)が創建された。すでに台湾では。日清戦後に官幣大社台湾神社(台湾総鎮守)が創建されていた。戦前に存在した海外神社の総数は、千六百以上にのぽるといわれている。
 
 昭和四二年に日本基督教団出版部が刊行した『日本基督教団史』は.昭和期に入って全休ぶ『義的傾向が強まる中、「キリスト教も、ついに引き出されて、いやおうなしに、国策の一部の担い手とされはじめた」として、教団の設立や戦時下の教団の動向、戦後の教団の複興の過程について詳述しているが、同時に、すでに大正期までに「キリスト教各派の宣教は、前時代の線に沿うてなされ」、台湾、朝鮮、満州、中国などへの外地伝道を積極的に展開していたことにも、ふれている。「前時代」の画期となったのが、日清・日露戦争であったことはいうまでもない。植村正久、本多庸一、海老名弾正といった名だたるキリスト者たちが、戦争への協力を呼びかけた。
 
 こうした意味で、日清・日露戦争が近代日本における宗教にとって、大きなインパクトをもたらしたことは間違いない。
 
 しかし、すでに戌辰戦争の際には、仏教や神道勢力には積極的に新政府軍に協力する姿勢が見られたし、冒頭で触れた靖国神社の前身である東京招魂社が創建されたのも明治二年で、維新志士や戊辰戦争の戦没者の慰霊と顕彰に収り組むところから、その活動をスタートさせていた。西本願寺派は戊辰戦争に際して新政府軍に協力し、その戦闘にあたっても「勤王」の姿勢を貫くよう消息を発していた。これまで宗教との関係についてほとんど目を向けられてこなかった台湾出兵に際しても、日本軍の出兵によって清国との開戦の危機が発生したことから、伊勢神宮や出雲大社などから多頷の軍資金が寄せられ、天皇による神宮への祭告と詔勅による宣戦布告、そして天皇親征による戦争の遂行が提案された。西南戦争では、政府に対して批判的な鹿児鳥の人々を慰撫すべく浄上真宗が真俗二諦論を掲げて布教に乗り出すものの、僧侶たちは政府の密偵と疑われて逮捕され、逆に鹿児島県内の神社は薩軍側に協力したことで、敗軍としての痛手を負うこととなった。また、日清・日露戦争においては、仏教界、キリスト教界を挙げて、『義戦』としてこれを支援し、僧侶や牧師等が従軍して士気を鼓舞し、経済的な負担をはじめとする銃後の支援も担ったが、とりわけ日露戦争においては、ロシア側が「キリスト教対異教徒」という戦争の構図を持ち出し、日英同盟と列強における外偵募集を支えとして戦っていた日本にイデオロギー的なくさびを打ち込もうとしたため、日本国内の仏教者やキリスト者、神道家たちは政府とともに結束して国内のロシア正教を保護し、「文明対非文明」といった別の構図を提示していくこととなった。宗教界における戦争に対する批判的言説としては日露戦争の際の内村鑑三の非戦論が有名だが、仏教界にも非戦論はみられたし、台湾出兵の際にはすでに僧侶から戦争反対意見が政府に提出されており、時の政府中枢のもとにまで届けられていた。これらの諸事実は今日、一般にほとんど知られていない。
 以上のような点から、本書では戊辰戦争にまで遡って、戦争と宗教とのかかわりについて論じていきたい。もとより、靖国神社研究をはじめとして、戦没者の慰霊や追悼といった側面については、これまで多くの研究が蓄積されてきた。最近のものだけに限っても、
秦郁彦『靖国神社の祭神たち』(新潮逸書、半成二十一.乍)、國學院人學研究間発推進センター編『霊魂・慰霊・.顕彰』(錦下卜、平成ニト二年).同『慰霊と顕彰の間』〔錦f祉、斗成二丿年〕’Sj神社編『故郷の護閥神社と蜻國神社』(展転刳、平成卜九乍)、西村叫『戦後日本と戦争死者慰霊』(心志舎、平成十八年)、赤渾史朗『靖圃神社』(岩波書店、半成I七乍べ人野敬一『慰霊・追悼・顕彰の近代』〔吉川弘文郎、平成卜八乍〕、今珪昭彦『近代日本と戦死者祭祀』(東洋3林、平成卜七乍)など、
 
枚挙に遑がない。そこで本書では.慰霊・追悼の側面については必要な範囲で言及するにとどめて、あとはこれらの優れた研究にゆずり、主に、戦争を遂行する「国家」に対して宗教各派がいかなる協力や反対といった「反応」を見せたのかという「実態」をみていくことにする。宗教各派は、その壇家や信徒を戦争に動員する物理的な力と、戦争を教義に基づいて正当化する精神的な力とを有している。いうまでもなく物理的動員の放棄や教義妁正当性の否定は、戦争を遂行する国家にとって痛烈な痛手となる。その意味で、『実態』の考察は、戦争という国家的危機に際しての宗教による物理的・精神的国民動員・非動員の『実態』を明らかにすることにもなろう。宗靫をめぐる紛争が絶えない今日、我が国の歴史的系譜をたどっておくことは。決して無駄ではあるまい。
 
 浄上真宗西本願寺派がその「宗制」の変更を平成十九年に実施したように、昭和期の戦争に対する宗教界の動向についてさえ。いまなお、検証、反省、回顧の段階にある。日中戦争期に「戦争は罪悪である」などと発言したため陸軍刑法によって有罪判決を受け、大谷派から法要座次を最下位に落とす処分を受けた大谷派明泉寺の住職竹中彰元シヨウゲン が、大谷派によって公式にその名誉を回復したのも、平成十九年のことである。平成九年にブライアン・ヴィクトリア氏が「Zen at Wap」を出版して禅宗が深く日本の軍事行動にかかわっていたことを叙述し、四年後に邦訳『禅と戦争』(光人社)が刊行されると、同宗妙心寺派は戦争協力の過去について遺憾の意を表明した。妙心寺派の河野太通管長は平成二十二年四月、これまでの同派の懺悔によって、「妙心寺派は人命尊重、人権尊重という釈尊の教えの二つの柱に基づいて過去の誤りを反省した。この点で戦前とはがらりと変わった教団となったこを銘記し、教化活動に当たってほしい」と力説している。
 
キリスト教界でも、日本基督教団が戦争協力について謝罪したのは昭和四二年だが.「反省」のときはなお続いており、平成ニ十年には『ミッションースクールと戦争-立教学院のディレンマ』(東信堂)が上梓され.学院自身の手によって戦時下の学院の動向に詳しい検討が加えられた。明治期の戦争と宗教の関係については、歴史的事実そのものの多くが、資料のなかに理もれたままとなってきた。
 
 昭和期の戦争に対する宗教の協力を不気味な交習曲にたとえるなら、我々はそのフオルテッシシモを大平洋戦争の戦時体制下で耳にし、いまなお、その余韻のなかにいる。その交響曲を導く前奏曲は、明治期から流れはじめていた。その調べはいかに形成され、展開されていったのか。これが、本書を通じて読者諸氏に届いてほしいテーマである。
 我々はまず、時代を戊辰戦争勃発のとき、すなわち慶応四年の一月にまで、遡ろう。

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ガンディーの真実 ――非暴力思想とは何か [ユーラシア・南]

ガンディーの真実 ――非暴力思想とは何か
 間 永次郎(はざま・えいじろう)著
出版社 ‏ : ‎ 筑摩書房  :ちくま新書 1750: ‎ 288ページ
発売日 ‏ : ‎ 2023/9/7  ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480075789

贅沢な食事をしないこと、搾取によってつくられた服を着ないこと、性欲の虜にならないこと、異教徒とともに生きること、そして植民地支配を倒すこと――。ガンディーの「非暴力」の思想はこのすべてを含む。
西洋文明が生み出すあらゆる暴力に抗う思想・実践としての非暴力思想はいかに生まれたのか。真実を直視し、真実と信じるものに極限まで忠実であろうとしたガンディーの生涯そのものから、後の世代に大きな影響を与えた思想の全貌と限界に迫る。
ガンディー研究を一新する新鋭の書!

――暴力とは、他者を自らの欲望を満たす手段にすることのすべて。
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著者  間 永次郎(はざま・えいじろう)
:1984年、イタリア生まれ。滋賀県立大学人間文化学部講師、マックス・プランク研究所宗教・民族多様性研究シニア・リサーチ・フェロー。博士(社会学)。アジア政経学会第12回優秀論文賞(2015年)、社会思想史学会第8回研究奨励賞(2018年)を受賞。『ガーンディーの性とナショナリズム』(2019年、東大出版会)で第8回日本南アジア学会賞を受賞。


興味深い中島岳志さんの書評「ガンディーの『事実』をどう受け止めるか」がPR誌ちくま 2023.10 No.631 にある。

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同盟は家臣ではない--2023 [対USA]

同盟は家臣ではない
著 孫崎享(まごさき・うける)
青灯社 
サイズ 46判/ページ数 239p/高さ 19cm
(2023/08発売)商品コード 9784862281265
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著者について
孫崎 享 (まごさき・うける)1943年、旧満州生まれ。東京大学法学部を中退後、外務省に入省。英国、ソ連、イラク、カナダに駐在。駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大学校教授などを歴任。現在、東アジア共同体研究所所長。
〈主な著書『戦後史の正体』(22万部のベストセラー。創元社)、『日本外交 現場からの証言』(山本七平賞受賞。中公新書)、『日米同盟の正体』(講談社現代新書)、『日米開戦の正体』『朝鮮戦争の正体』(祥伝社)、『アメリカに潰された政治家たち』河出書房新社)、『平和を創る道の探求』(かもがわ出版)ほか。

内容紹介  従来の外交・安全保障政策は、「米国を喜ばすため」のもの。
 No.1外交論者が切れ味よく、日本の針路を示す。
 
◇「米軍が守ってくれる」は幻想。「核の傘などない」ことを思い知るべきである。
◆ 圧倒的反撃能力のある中国・ロシア・北朝鮮に「敵基地攻撃」論は通用しない。
◇ 日本国憲法は「押しつけ」ではなかった。当時の幣原首相の思いとは。
◆ 台湾有事なら、沖縄や本土の基地、市街地が中国によって攻撃される可能性がある。
◇ 外交努力によって中国、ロシア、北朝鮮からの武力攻撃を防げる。
 -台湾、尖閣問題は、過去の合意を守っていけば軍事紛争にはならない。
 -「自分たちが脅かされている」と感じさせなければ、ロシアは日本を攻撃しない。
 -「国家や指導者を排除する軍事行動に参画しない」と言えば、北朝鮮の軍事的
   脅威はなくなる。
◆ 米国依存の統治システム(政・財・官・学界・メディア)を覚醒させるリアルな考察。

・ロシアには、「自分たちが脅かされている」と感じさせなければ、日本を軍事的に攻撃することはない。
・「北朝鮮の国家や指導者を排除する軍事行動に参画しない」と言えば、北朝鮮の軍事的脅威はなくなる。
・中国との台湾、尖閣問題は、過去の合意を守っていけば軍事紛争にはならない。
 
 目次
 
第一章:安全保障を考える時の視点
(1)福田赳夫の視点(人命は地球より重い)、
(2)与謝野晶子の視点(旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても、何事ぞ)
(3)日露戦争の際のトルストイ、
(4)日露戦争の際の夏目漱石の視点、
(5)宮沢賢治の視点、(北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい」
(6)喧嘩両成敗の知恵、
(7)孫子。
(8)マクナマラの知恵
(9)シェリングの知恵
(10)枝村大使の知恵
(11)歴史に学ぶ
(12)「トゥキディデスの罠」の視点
(13)「地球が火星人の侵攻を受けたら、ソ連とアメリカはどう対応するか」
(14)アメリカとは何か
(15)アイゼンハワー大統領の国民への離任演説
総括
 
第二章 最近の動向
(1)反撃能力、敵基地攻撃をどう考えるか
(2)中国と北朝鮮に敵基地攻撃を行ったらどうなるか
(3)今一度孫子に学ぶ
(4)三手先を読む知恵
(5)柳谷健介氏の助言「二の矢三の矢」
(6)二手目の読みで失敗した例①真珠湾攻撃
(7)二手目の読みで失敗した例➁ウクライナ戦争を起こしたロシア
(8-1)平和国家・憲法の基礎「戦争をしない」は幣原喜重郎首相のイニシアティブ
(8-2)自衛隊の契機は、朝鮮戦争時に日本に武力集団を作らせ派遣する構想
(9)今西錦司の知恵「棲み分け」
(10)吉見俊哉の「敗者論」―日本にもし希望があるとすれば、「敗者」を生き抜く創造性―。
 
第三章 ウクライナ問題への対応がリベラル勢力崩壊の原因
(1)ウクライナ戦争への対応が軍事力強化に弾み
(2)ウクライナ問題が日本の安全保障政策を変えた
(3)安倍元首相はどの様な発言をしていたか
 安倍「侵略前、彼らがウクライナを包囲していたとき、戦争を回避することは可能だったかもしれません。ゼレンスキーが、彼の国が NATO に加盟しないことを約束し、東部の 2州に高度な自治権を与えることができた。安倍氏への評価「主要7カ国(G7)を中心とする西側民主主義陣営が結束してロシアに経済制裁を科し、ウクライナへの軍事支援を強化する中で、それに同調する日本の岸田文雄首相に背後から弓を引くに等しい」知米派の政府関係者は憤り。
 
(4)安倍元首相の発言は何故日本でかき消されたか
(5)和平のインセンティブ
(6)私の考える提言
(7)私の提言への批判
(8)ウクライナ問題の理解のために・その①NATO拡大の問題
(9)ウクライナ問題の理解のために・その②東部2州の問題
(10)ウクライナ問題の理解のために・その③
(11)ロシア人は何故プーチンを捨てなかったのか
(12)主義を守ることと命を守ることの選択
(13)国際的な和平の必要性を説く動き①、ミリー統合参謀本部議長
「ウクライナ全土からすべてのロシア人を物理的に追い出すことができるかという実際的な問題は。軍事的にこれを行うのは非常に困難であり、莫大な血と財宝が必要。」
(14)国際的な和平の必要性を説く動き➁イーロン・マスク提案
(15)国際的な和平の必要性を説く動き➂トルコ等
(16)国際的な和平の必要性を説く動き④森元首相の発言
(17)核戦争の危険
(18)日本の言論空間の完全崩壊
(19)バイデン政権の実行力:バイデン政権には「目的が認められるなら、それを実行する手段は如何なるものであれ容認される」という考えが極めて強いことであるーノルドストリームー
 
第四章 世界の新潮流:米国・欧州支配の時代は終わる
(1)CIAが示す世界のGDP比較:量で中国が米国を凌罵する
(2)アジア新興国の経済成長はG7諸国などを上回る
(3)中国経済は質でも米国を追い起すことが予測される その1
(4)中国経済は質でも米国を追い起すことが予測される その2
(5)中国経済は質でも米国を追い起すことが予測される その3:特許数
(6)中国経済は質でも米国を追い起すことが予測される その4:米国内の警戒感
(7)アメリカは中国に抜かれないという主張
(8)中国の発展に合わせ発展するASEAN諸国
(9)中国との学術協力を縮小する愚
(10)中国に輸出制限する愚 その①
(11)中国に輸出制限する愚 その②自動車関係
(12)「ローマは一日にしてならず」→「ローマは二週問でできる?」
(13)中国は物づくり、金融は米国が一般的観念。だが実は中国は金融でも強くなった
(14)「通貨の武器化」で劣勢の中国は現時点で米中対立の激化は出来ない
(15)「ドル覇権の崩壊」と米国覇権の崩壊① IMFの見方
(16)「ドル覇権の崩壊」と米国覇権の崩壊② イエレン財務艮官の懸念
(17)覇権争い№1が№2に抜かれると感じた時、戦争が起こる
(18)米国民にとってどの国が敵か
(19)米中対立激化の中で、中国は米国に何を訴えているか
 
第五章 台湾海峡で米中が戦えば米国が負ける
(1)ランド研究所の見解
(2)アリソン、クリストフの指摘[18のウォーゲームの全てでアメリカは敗れている]
(3)「中国の侵攻は撃退可能、米軍の損害も甚大」--台湾有事シミュレーション
(4)米国の狙いは台湾と日本が中国と軍事紛令を行うこと、ウクライナのパターン
(5)米国が中国にどのような約束をしてきたか
(6)日本は中国との間にどのような約東をしたか
(7)いかなる時に台湾を巡り軍事紛争が起こるか
(8)台湾世論動向
(9)尖閣諸島の法的位置づけ① 国際的にみれば尖閣は[日本固有の領土]ではない 
(10)尖閣諸島の法的位置づけ② 連合国の対応
(11)尖閣諸島の法的位置づけ③ 米国の対応(主権は係争中)
(12)尖閣諸島は「主権は係争中だが管轄は日本」という解決① 米国の対応
(13)尖閣諸島は「主権は係争中だが管轄は日本」という解決② 栗山元外務次官の説明
(14)尖閣諸島は「主権は係争中だが管轄は日本」という解決③ 橋本恕の説明 ハシモト ヒロシ
(15)尖閣諸島は「主権は係争中だが管轄は日本」という解決④ 読売新聞社説
(16)日中間に紛争を作りたい人々
(17)日中漁業協定の存在
 
第六章 日本はなぜ国益追及でなく、対米隷属の道を歩む国になったか
(1)今や、国益的思考を喪失した国
(2)終戦直後より日本社会に脈々と続く、命、地位と引き換えの対米協力
(3)朝鮮戦争時の対米協力:「戦争をしない」「民主主義」「自由主義」が崩壊
(4)ソ連崩壊後の米国の「敵国」と日本参戦の方針
(5)細川政権が漬される
(6)次の標的は福田康夫首租
(7)民主党政権誕生の直前に小沢一郎氏が、民主党政権発足後は鳩山氏が標的に
(8)米国は再度「ロシア」「中国」を主敵とする「新冷戦」に
(9)「新冷戦」の中、米国は岸田政権を重用
 
第七章 平和を構築する
(1)酉側諸国がロシア・中国を敵とする『新冷戦』は長続きするのか
(2)米中衝突論:「トウキディデスの罠」のグレアム・アリソンの解決策
(3)「核兵器の使用」が米口、米中の全面対決を防ぐほぽ唯一の手段
(4)アメリカの狙いは何か
(5)尖閣諸島での衝突時、日米安保条約があっても米国は戦う義務は負っでいない
(6)「核の傘」はない
(7-1)約束を守ること、それは平和の第一歩である(ウクライナ問題)
(7-2)約束を守ること、それは平和の第一歩である(台湾問題)
(8-1)新しい枠組みの模索:その① 南極条約の知恵の拝借
(8-2)新しい枠組みの模索:その② 尖閣諸島。その周辺廊域を国際自然保護区に
(9)経済での相互依存関係の強化は戦争を避ける道、それをさせないバイデン政権
(10)世界は軍産複合体を超えられるか
終章  日本のこれからの安全保障について
原則1:「同盟は、家臣ではない」。先ず国益から論ずるという姿勢をとろう。
原則2:「米国を恐れるな」
原則3:「日本はロシア、中国、北朝鮮の軍事大国に囲まれている。いくら努力してもこれに対抗できる軍事国家にはなれない」
原則4:「小敵の堅ケン は人敵の擒トリコ なり」
原則5: 米国が軍事的に日本を防衛するのは、自国の利益と一体の時に行うのであり、条約があるからではない」
原則6:「台湾海峡を巡り米中衝突の際は、米軍は中国軍に負ける」
原則7:「戦いに入れば.武器の高度化によって、戦いで得るものと、戦いで失うものと比較で.勝敗と関係なく、後者が圧倒的に大きい」
原則8:「外交は『自己の主張においての100点中、50点取るのか理想」という妥協の精神を持てば妥協の道は常にある」
原則9:「過去の合意の順守をする気持ちで臨めば、大方の問題はすでに武力勧争に行かないような枠組みが設定されている」
原則10:「『好戦的』で『不確定』な北朝鮮に対してすら、攻撃させない道かある」
原則11:「ロシア、中国、北朝鮮とは外交努力をすれば武力攻撃を受けることはない」
原則12:「『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と恐れられた時代に回帰しよう」

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検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?--2023 ⑷ [軍事]

検証 ナチスは「良いこと」もしたのか? 【著者】小野寺 拓也  田野 大輔 
岩波書店 岩波ブックレット № 1080 ISBN 978-4002710808
新潟市立図書館収蔵本 亀田館 234/オ
烏賀陽(うがや)弘道氏のツイッター[X]より 虹屋ツルマキが要約(文責は虹屋)
 1933年、ナチスが政権に選挙で就いた理由のひとつは、共産主義への恐怖です。当時はソ連でスターリンの暴政が繰り広げられ粛清、飢饉で数百万人が死んだ。ドイツにも伝わっていた。ナチスと政権の座を争っていたのは共産党であり、人々は「共産主義者よりナチスの方がマシ」という選択に傾いた。
 
そもそも「ドイツ国民は熱狂的にナチスを選んだ」というのは、そういうナチス支持者を写したプロパガンダ映像から来たフレーミング効果にすぎません。当時のドイツ国民は疲弊し切っていた。そしてドイツがスターリン支配下のソ連のように共産主義支配になったらどうしようと怯えていた。
 
もう一つ忘れてはならない歴史のファクターは、当時の世界を大恐慌が覆っていたことです。その劇薬的な処方箋を提示したのは、ソ連の共産主義とナチズム、そしてアメリカのニューディール政策だった。どれも経済の自由放任主義をやめて、経済を国家の統制下に置く点では同じです。
 
スターリンとヒトラー、ルーズベルトが実は経済においては同じことをやったというとびっくりするかもしれません。しかし政府が事業を作って雇用を生み出し、失業者を減らしたという点ではそんなに大差はない。政治サイドの手法が激しく異なるだけです。
現実に、ルーズベルト大統領は今でもアメリカの右翼からはアカ(共産主義者)呼ばわりされています。


A・takosabur(南茂樹@いじめ問題を許さない)@Akashitakosabur
 
だから、ヒトラーがドイツ経済を立て直したら、英国などでは「民主主義よりああいうのがエエのでは」との議論が出て来たし、ヒトラーびいきの新聞人も生まれた。ノースクリフ卿なんかがそうですよね。

本書 「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか」 より
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第四章 経済回復はナチスのおかげ?・・・041頁 小野寺と田町の共同
 アウトバーン建設と雇用創出計画
  ①アウトバーン建設の歴史的背景
  ②アウトバーン建設がめざしていたもの
  ③どの程度景気回復に効果的だったのか?
 軍需・戦時経済
  ⑴巨額の負債でまかなわれた軍需経済
  ⑵収奪の経済
   (a)占領地からの収奪
   (b)ユダヤ人からの収奪
   (c)外国人労働者の強制労働
  ⑶「軍備の奇跡」という神話
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検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?--2023 ⑶ [軍事]

検証 ナチスは「良いこと」もしたのか? 【著者】小野寺 拓也  田野 大輔 
岩波書店 岩波ブックレット № 1080 ISBN 978-4002710808
新潟市立図書館収蔵本 亀田館 234/オ
目次 へ
 
はじめに・・・002頁 小野寺 拓也 執筆
 ナチスがした「良いこと」?
 「歴史に善悪を持ち込むな」は正しいか?
 〈事実〉〈解釈〉〈意見〉という三つの層
 本書について
 
第一章 ナチズムとは?・・・011頁 小野寺と田町 大輔の共同執筆
 ナチズムを「国民社会主義」と訳すべき理由
 「民族共同体」とは何か?
 ナチズムは「社会主義」か? 
 
第二章 ヒトラーはいかにして権力を握ったのか?・・・021頁 田町
 ヒトラーは民主的に選ばれたのか?
 ナチスの宣伝は効果的だったのか?
 ヒトラーにも優しい心があったのか?
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第三章 ドイツ人は熱狂的にナチ体制を支持していたのか?・・・033頁 小野寺
 ドイツにおける反ユダヤ主義
 「民族共同体」への包摂によって得られる利益
 様々な圧力
 
第四章 経済回復はナチスのおかげ?・・・041頁 小野寺と田町の共同
 アウトバーン建設と雇用創出計画
  ①アウトバーン建設の歴史的背景
  ②アウトバーン建設がめざしていたもの
  ③どの程度景気回復に効果的だったのか?
 軍需・戦時経済
  ⑴巨額の負債でまかなわれた軍需経済
  ⑵収奪の経済
   (a)占領地からの収奪
   (b)ユダヤ人からの収奪
   (c)外国人労働者の強制労働
  ⑶「軍備の奇跡」という神話
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第五章 ナチスは労働者の味方だったのか?・・・060頁 田町
  歓喜力行団(Kraft durch Freude, KdF)
  ①ナチスの発明だったのか?
  ②政策の目的は何だったのか?
  ③社会政策の実態
 
第六章 手厚い家族支援?・・・071頁 小野寺
  ①ナチ家族政策の歴史的背景
  ②ナチ家族政策のめざしたもの
  ③そして子どもは増えたのか?
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第七章 先進的な環境保護政策?・・・082頁 小野寺
  ①ナチ環境保護政策の歴史的背景
  ②ナチ環境保護政策のめざしたもの
  ③ナチ環境保護政策は「成果」を上げたのか?
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第八章 健康帝国ナチス?・・・098頁 小野寺
  ①ナチ健康政策の歴史的背景
  ②ナチ健康政策のめざしたもの
  ③結局のところドイツ人は健康になったのか?
 
おわりに・・・109頁 田町
 ナチスは良いこともした?
 ポリコレへの反発
 専門家の責任
 「ならず者国家」としてのナチ体制
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ブックガイド・・・117.118.119頁



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検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?--2023 ⑵ [軍事]

検証 ナチスは「良いこと」もしたのか? 【著者】小野寺 拓也  田野 大輔 
岩波書店 岩波ブックレット № 1080 ISBN 978-4002710808
新潟市立図書館収蔵本 亀田館 234/オ
《事実》《解釈》《意見》の三層 「はじめに」の一部

 歴史学は何らかの形で事実性に立脚しなければいけない。それに反するものは主張の根拠とすることはできない、この点にはほとんどの人か同意するだろう、ここで「事実」ではなく「事実性」という言葉を使ったのは、たとえば一九三三年一月三十日にヒトラーが首相に任命されたという揺るぎない「事実」だけでなく、先ほど述べたような当時の人びとがどう思っていたかという「心性」のような問題も歴史学は扱うからだ。その場合、日記でも手紙でも、裁判記録でも聞き取り調介でも、とにかく検証可能な何らかの形の根拠にもとづいていなければならない。もちろん過去のすべてが記録に残っているわけではないから、推測を迫られることもあるが、そうであっても、すでに明らかになっている事実性に矛盾するような推測は許されない。
 そういう意味で、本書でも後で説明するように、「ヒトラーはアウトバーン建設によって経済を回複させた」という主張は、端的に言って事実に即していないし、「ナチスの制服が格好いいのはヒューゴ・ボスがデザインしたからだ」というしばしば見られる主張も、根拠のあるものと見なすことはできない。ボスが制服を卸していたのは事実だか、デザインしていたという事実は確記されていないからだ(ボスがファッションーブランドになったのは戦後のことで、ナチ時代は制服を卸す縫製工場の一つにすぎなかった)。
 もっとも、こうした《事実》のレベルで片付けられる即題は、実はそれほど多くない歴史学においておそらくもっとも重要な、しかし社会においてしばしば非常に軽視されがちな点が、二番目の《解釈》の層、歴史研究が積み重ねてきた膨大な知見である。
 たとえばナチスの家族政策を例に考えてみよう。ナチ体制下では将来の兵士や労働力を産み育てることか強くもとめられ、出産に対して様々な報奨制度が存在した。結婚に際しては貸付金か与えられ、子どもを一人産むごとに返済額が四分の一ずつ免除された(つまり四人産めば全額免除となった)。全国母親奉什団が母親学校を開催し、主婦・母親としての訓練を施した。全国二万五〇〇〇ヵ所の母親相談所では、母親への助言や情報に加え、乳児の下着や子ども用ベッド、食料品などの現物支給も行われ、一〇〇〇万人以上の母親がそうした支援を受けた。会社内には幼稚園が設けられ、ケースワーカーが生活問題全般の相談に乗った。親衛隊の「生命の泉」では未婚の母への支援も行われた。
 これだけ《事実》を列挙すると、「やっぱりナチスは良いこともしたではないか」と感じる人が多く出てきても不思議ではない。現在の政府によるお粗末な子育て支援よりもはるかに充実しているではないかと、羨ましく思う人もいるかもしれない。事実、「女性に様々な配慮をしていたナチス・ドイツは、子育て大国だったのだ」と主張する本も出版されている。だが歴史研究か取り組んできたのは、こうした家族政策がどのような文脈で、どんな政策とセットで行われたのかという問題だ
 ナチスの家族政策に関して忘れてならないのは、こうした支援策の対象となったのが、①ナチ党にとって政治的に信用でき、②「人種的」に問題がなく、③「遺伝的に健康」で、④「反社会的」でもない人びとだけだったという点である。社会主義者や共産主義者などの政治的敵対者やユダヤ人、障害者や「反社会的分子」とされた人びとは、そこから排除されていた。しかもナチ体制下では、地方保健機関の発行する「婚姻健康証明書」で遺伝的健康が証明できなければ結婚できなかったし、子どもを産まない「繁殖拒否者」には罰金か科されていた。
 さらに障害者に対しては、まずは強制断種(四〇万人)、さらには「安楽死」(三〇万人)という名の殺害か行われた。同性愛者も迫害を受け、五万人に有罪判決が下されている。そのうち強制収容所に送られたのか五〇〇〇~一万五〇〇〇人、死者は三〇〇〇人程度とされる。ナチスの家族政策は、こうした人種主義的な「民族共同体」を構築するための手段の一つだったのだ。さらに言えば、結婚資金貸付制度も当初は女性が仕事を辞めることを給付の前提としていた。ナチスは少なくとも政権初期段階では「反女性解放」を掲げる体制でもあった。
 「目的や文脈などはどうでもいい、良いものは良いのだ」と感じる人も、ひょつとしたらいるかもしれない。たしかに三つ目の層である《意見》は最終的には個人的なものであるから、そのような考えをもつこと自体を止めることはできない。ただしそこでぜひとも知っておいてもらいたいのが、
 ドイツ語の「Tunnelblck」という言葉である、そのまま日本語に訳すと、「トンネル視線」とでもなるだろうか。自分にとって都合の良いところ(この楊合は「ナチスの良いところ」)だけを照らし出し、それ以外が見えなくなっている状態を指す。
 《解釈》という層が非常に重要である理由か、まさにこの点にある。歴史研究の蓄積を無視して、《事実》のレベルから《意見》の層へと飛躍してしまうと、「全体像」や文脈が見えないまま、個別の事象について誤った判断を下す結果となることか多いのである。そうした目的や文脈を含めてもなお「良いこと」と強弁することは可能かもしれないか、現代社会においてそれが共通了解となることはおそらくないだろう。これは一般読者でも研究者でも状況は同じである。一次史料ばかり収集しても関連する研究文献をきちんと読み込んでいなければ、研究者ですら思い違いを免れない。歴史学で卒業論文を執筆する学生が[研究史が何よりも大事だ]と耳にタコができるほど聞かされるのも、基本的には同じ理由による。
 もちろん、歴史研究者も万能ではない。思い違いをすることもあるし、他者の批判を受けてようやく認識の不足に気付くということもある。しかしだからといって、《解釈》の層を飛び越してよいということにはならない。《事実》から《意見》へと飛躍することの危うさは、何度でも指摘しておく必要があるだろう。《意見》をもつことはもちろん自由ではあるが、それはつねに《事実》を踏まえたに上で、《解釈》もある程度はおさえたものでなくてはならない。
 
《事実》《解釈》《意見》の三層構造は、「歴史的思考力」の前提としていよいよ重要になってくるはずである。
目次 へ続く

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検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?--2023 ⑴ [軍事]

検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?
【著者】小野寺 拓也 オノデラたくや 田野 大輔 タノだいすけ
岩波書店 岩波ブックレット № 1080
(2023/07/05発売)
ISBN 978-4002710808
新潟市立図書館収蔵本 亀田館 234/オ
著者等紹介
小野寺拓也[オノデラたくや]  1975年生まれ。東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了し博士(文学)、専門はドイツ現代史
田野大輔[タノだいすけ]  1970年生まれ。甲南大学文学部教授。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。専門は歴史社会学、ドイツ現代史
(本データはこの書籍に掲載されていたものより)
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本の大筋は、アウトバーン建設や歓喜力行団と言ったナチスが行った「良いこと」とされる政策に関して、新規性、目的の正当性、実効性の3つの観点からの検証です。そして、いずれの政策も戦争前提で政策実施され、上述の観点で低評価を受け、歴史的に低価値である。
 それらの
新規性は、そもそも前政権からの継続か他のヨーロッパ諸国の政策のパクリで、内容的にも到底肯定的に考えられる政策ではないと今の研究では評価されている。
 特に重要なのはこれ。ナチスの全ての政策が、アーリア民族という「民族共同体」構築のために作られたというのが、今のナチス論の主流。この考えは、①ナチ党にとって政治的に信用でき、②「人種的」に問題がなく、③「遺伝的に健康」で、④「反社会的」でもない人びとだけを包摂対象とし、社会主義者や共産主義者などの政治的敵対者やユダヤ人、障害者や同性愛者、子どもを産まない「繁殖拒否者」といった「反社会的分子」とされた人びとは、劣等とみなし徹底的に排除した。
 派生したドイツ民族を一つの身体して捉える「民族体」という考えで、例えば、一人ひとりの健康は個人の問題ではなく、民族全体の問題ということで、遺伝的に悪いものは徹底的に根絶やしにすると政策が執られた。当時のドイツの学者はアルコールは突然変異をもたらす物質と考えて、アルコール中毒患者に対する「断種」。その他の理由を含め法律に基づいて40万人を断種したという。

《事実》《解釈》《意見》の三層 に続く

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分断を乗り越えるためのイスラム入門--2023--④ [隣の異教]

分断を乗り越えるためのイスラム入門  著者:内藤正典【ナイトウまさのり】
幻冬舎  新書 698 刊行 2023/7/26 ISBN‏ : ‎ 978-4344987005  


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   もくじ 下

第5章 イスラム世界とウクライナ戦争・・・・・117頁
 アフガニスタンにおけるアメリカ・NATOの敗北・・・118
 ウクライナ戦争は西欧の争いにすぎない・・・120
 アメリカへの依存を強めてきたアラブ産油国・・・122 
 アラブ産油国がアメリカの対ロシア制裁に冷淡だった理由・・・124
 サウジほか各国がカタールとの関係を正常化・・・126
 イスラエルとも関係を改善させたアラブ産油国・・・128
 ウクライナからの穀物輸出再開で存在感を高めたトルコ・・・131
 サウジとイランの外交関係再開が意味するもの・・・133
 イランZ世代による大規模な反政府運動・・・135
 イスラムは商人の宗教、戦争は商売の邪魔・・・137
 民主主義より経済の発展と強いリーダーを望む・・・138
 「アラブの春」唯一の成功例チュニジアでも民主化が後退・・・140
 市民が賢く声をあげ、大統領を追放したアルジェリア・・・142
 EU諸国に天然ガスを売り、ロシアとも緊密・・・ 144
 
第6章 イスラムと暴力・・・・・149頁
 「イスラム過激派」「テロ組織」とは ?・・・150
 犠牲者にとっては「国家による戦争」も「過激派テロ」も同じ・・・152
 イスラムの道徳を無視した為政者は民衆の手で倒される・・・153
 民主化かイスラム体制か―「アラブの春」の先の二つの道・・・154
 民族主義とイスラムは相容れない・・・156
 テロは「イスラム原理主義」のせいで起きるのではない・・・158
 「時代が後になるほど社会が進歩する」という発想がない・・・161
 イスラム国誕生は、アメリカの身勝手な中東介入の帰結・・・162
 対立が複雑に入り組んだシリア内戦・・・163
 上からからイスラムで抑えつけても失敗する・・・167
 シーア派の国イランが抱える特殊事情・・・170
 
第7章 ムスリムは西欧をどう見ているのか・・・・・173頁
 ムスリムには西欧文明へのあこがれもコンプレックスもない・・・174
 ムスリムをやめるのは人間をやめるのと同じ・・・175
 なぜ多くのムスリムが欧米に移住したのか・・・176
 なぜ欧米に移住してもイスラムを捨てないのか・・・178
 移住先で連帯することはなかった第一世代・・・180
 受け入れ国による差別がムスリム移民の連帯を生む・・・182
 経済的に成功しても価値観や生き方は変えない・・・185
 
第8章 西欧はなぜイスラムを嫌うのか・・・・・189頁
 イスラムが生まれたときから統く「イスラモフォビア」・・・190
 過激派テ口が多発したのは、シリア内戦を放置したから・・・194
 世俗国家をうたいながらEU加盟が認められないトルコ・・・197
 「アヤソフィア」モスク転用への批判に理はあるのか・・・200
 典型的イスラム批判に対するムスリムの言い分・・・203
 コーランに記されていることは後世の人間には変えられない・・・209
 コーランは同性愛をどう扱っているのか・・・211
 「ボリ・コレ」が通じないのは「遅れている」からではない・・・214
 
第9章 分断を超えてムスリムと付きあう・・・・・217頁
 パラダイムが根底から違うことを理解する・・・218
 他人の内面を詮索しないのがイスラム的に正しい態度・・・219
 ムスリムが不倫をしたら必ず死刑が科されるのか・・・221
 非ムスリムの飲酒は禁止できるか・・・223
 ハラールについて知っておくべきこと・・・225
 ムスリムと付き合うのは難しくない・・・228
 「神が認知症にお連れになったのです」・・・230
 
おわりに―分断の時代にイスラムに学ぶ・・・233頁

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