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検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?--2023 ⑵ [軍事]

検証 ナチスは「良いこと」もしたのか? 【著者】小野寺 拓也  田野 大輔 
岩波書店 岩波ブックレット № 1080 ISBN 978-4002710808
新潟市立図書館収蔵本 亀田館 234/オ
《事実》《解釈》《意見》の三層 「はじめに」の一部

 歴史学は何らかの形で事実性に立脚しなければいけない。それに反するものは主張の根拠とすることはできない、この点にはほとんどの人か同意するだろう、ここで「事実」ではなく「事実性」という言葉を使ったのは、たとえば一九三三年一月三十日にヒトラーが首相に任命されたという揺るぎない「事実」だけでなく、先ほど述べたような当時の人びとがどう思っていたかという「心性」のような問題も歴史学は扱うからだ。その場合、日記でも手紙でも、裁判記録でも聞き取り調介でも、とにかく検証可能な何らかの形の根拠にもとづいていなければならない。もちろん過去のすべてが記録に残っているわけではないから、推測を迫られることもあるが、そうであっても、すでに明らかになっている事実性に矛盾するような推測は許されない。
 そういう意味で、本書でも後で説明するように、「ヒトラーはアウトバーン建設によって経済を回複させた」という主張は、端的に言って事実に即していないし、「ナチスの制服が格好いいのはヒューゴ・ボスがデザインしたからだ」というしばしば見られる主張も、根拠のあるものと見なすことはできない。ボスが制服を卸していたのは事実だか、デザインしていたという事実は確記されていないからだ(ボスがファッションーブランドになったのは戦後のことで、ナチ時代は制服を卸す縫製工場の一つにすぎなかった)。
 もっとも、こうした《事実》のレベルで片付けられる即題は、実はそれほど多くない歴史学においておそらくもっとも重要な、しかし社会においてしばしば非常に軽視されがちな点が、二番目の《解釈》の層、歴史研究が積み重ねてきた膨大な知見である。
 たとえばナチスの家族政策を例に考えてみよう。ナチ体制下では将来の兵士や労働力を産み育てることか強くもとめられ、出産に対して様々な報奨制度が存在した。結婚に際しては貸付金か与えられ、子どもを一人産むごとに返済額が四分の一ずつ免除された(つまり四人産めば全額免除となった)。全国母親奉什団が母親学校を開催し、主婦・母親としての訓練を施した。全国二万五〇〇〇ヵ所の母親相談所では、母親への助言や情報に加え、乳児の下着や子ども用ベッド、食料品などの現物支給も行われ、一〇〇〇万人以上の母親がそうした支援を受けた。会社内には幼稚園が設けられ、ケースワーカーが生活問題全般の相談に乗った。親衛隊の「生命の泉」では未婚の母への支援も行われた。
 これだけ《事実》を列挙すると、「やっぱりナチスは良いこともしたではないか」と感じる人が多く出てきても不思議ではない。現在の政府によるお粗末な子育て支援よりもはるかに充実しているではないかと、羨ましく思う人もいるかもしれない。事実、「女性に様々な配慮をしていたナチス・ドイツは、子育て大国だったのだ」と主張する本も出版されている。だが歴史研究か取り組んできたのは、こうした家族政策がどのような文脈で、どんな政策とセットで行われたのかという問題だ
 ナチスの家族政策に関して忘れてならないのは、こうした支援策の対象となったのが、①ナチ党にとって政治的に信用でき、②「人種的」に問題がなく、③「遺伝的に健康」で、④「反社会的」でもない人びとだけだったという点である。社会主義者や共産主義者などの政治的敵対者やユダヤ人、障害者や「反社会的分子」とされた人びとは、そこから排除されていた。しかもナチ体制下では、地方保健機関の発行する「婚姻健康証明書」で遺伝的健康が証明できなければ結婚できなかったし、子どもを産まない「繁殖拒否者」には罰金か科されていた。
 さらに障害者に対しては、まずは強制断種(四〇万人)、さらには「安楽死」(三〇万人)という名の殺害か行われた。同性愛者も迫害を受け、五万人に有罪判決が下されている。そのうち強制収容所に送られたのか五〇〇〇~一万五〇〇〇人、死者は三〇〇〇人程度とされる。ナチスの家族政策は、こうした人種主義的な「民族共同体」を構築するための手段の一つだったのだ。さらに言えば、結婚資金貸付制度も当初は女性が仕事を辞めることを給付の前提としていた。ナチスは少なくとも政権初期段階では「反女性解放」を掲げる体制でもあった。
 「目的や文脈などはどうでもいい、良いものは良いのだ」と感じる人も、ひょつとしたらいるかもしれない。たしかに三つ目の層である《意見》は最終的には個人的なものであるから、そのような考えをもつこと自体を止めることはできない。ただしそこでぜひとも知っておいてもらいたいのが、
 ドイツ語の「Tunnelblck」という言葉である、そのまま日本語に訳すと、「トンネル視線」とでもなるだろうか。自分にとって都合の良いところ(この楊合は「ナチスの良いところ」)だけを照らし出し、それ以外が見えなくなっている状態を指す。
 《解釈》という層が非常に重要である理由か、まさにこの点にある。歴史研究の蓄積を無視して、《事実》のレベルから《意見》の層へと飛躍してしまうと、「全体像」や文脈が見えないまま、個別の事象について誤った判断を下す結果となることか多いのである。そうした目的や文脈を含めてもなお「良いこと」と強弁することは可能かもしれないか、現代社会においてそれが共通了解となることはおそらくないだろう。これは一般読者でも研究者でも状況は同じである。一次史料ばかり収集しても関連する研究文献をきちんと読み込んでいなければ、研究者ですら思い違いを免れない。歴史学で卒業論文を執筆する学生が[研究史が何よりも大事だ]と耳にタコができるほど聞かされるのも、基本的には同じ理由による。
 もちろん、歴史研究者も万能ではない。思い違いをすることもあるし、他者の批判を受けてようやく認識の不足に気付くということもある。しかしだからといって、《解釈》の層を飛び越してよいということにはならない。《事実》から《意見》へと飛躍することの危うさは、何度でも指摘しておく必要があるだろう。《意見》をもつことはもちろん自由ではあるが、それはつねに《事実》を踏まえたに上で、《解釈》もある程度はおさえたものでなくてはならない。
 
《事実》《解釈》《意見》の三層構造は、「歴史的思考力」の前提としていよいよ重要になってくるはずである。
目次 へ続く

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