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神風頼み 根拠なき楽観論に支配された歴史--2022ー⓶ [明治以前・国内]

神風頼み 根拠なき楽観論に支配された歴史 著者 秦野裕介 

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目次 へ続く 
第1章 「元寇」と「神風」―元寇が生んだ「神風」意識の誕生と定着
 『八幡愚童訓』に見る“アホでマヌケな鎌倉武士”  p16
  史料からは確認できない「神風」  p18
「神風が吹く」のは日本だけではなかった  p21
 神風はほんとうに吹いたのか?  p23
 神社と武士の手柄争いの産物だった「神風」  p28
 「元寇は朝廷滅亡策?」−江戸時代の“陰謀論”  p31
 湯地丈雄[ゆじたけお]による「元寇の記憶」の復活  p37
 「元寇絵」で行われた“切り取り”   p39
 蒙古襲来史料『伏敵篇』における恣意的解釈  p44
 
第2章 神国ニッポン―日本はよそとは違う特別な国なのだ!
 神々が求めた「神風」への恩賞  p50
 神社向けの徳政令=神領興行法  p54
 強まる「敬神意識」に押し潰された鎌倉幕府  p58
 「神が日本を守った!」−室町時代のフェイクニュース   p61
 局地的紛争が「元寇の再来」に  p64
 対中国外交に見る足利義持の「神国思想」  p67
 少弐満貞[しょうに みつさだ]らはなぜ“盛った”のか?  p72
 義持周辺の中国人たちの国際感覚  p73
 「朝鮮は日本の属国」−室町の国際意識  p77
 「東夷の小帝国」意識  p80
 
第3章 “人のために神がある”―「敬神」へのアンチテーゼとしての「撫民」
 中世日本のヒューマニズムとグローバリズム  p84
 「戦争より平和を」−クビライ書状の真実  p85
  対クビライで割れた朝廷と幕府の対応  p89
 「徳大寺実基政道奏状」における人間中心主義  p95
 「ゴマスリのバカは“日本は王朝が続く特殊な国”と言う」  p102
 花園天皇という人  p103
 天皇による「日本スゴイ」論への批判  p107
 「吉田定房奏状」による“過激な”王朝批判  p111
 『神皇正統記』は「神国思想」のバイブル?  p114
 北畠親房による「ダメな天皇」展覧会  p117
 「神皇正統」という言葉の真の意味  p120

第4章 「国体」の形成―近世に見る「神の国」の復権
 「神使い」吉田兼倶[よしだ かねとも]の登場
 伊勢神宮の御神体を“手に入れた”兼倶
 現在の神道観とは大きく違う吉田神道
 世界征服を目指した豊臣秀吉の「日本」観
 明臣下としての日本国王を受け入れた秀吉
 「神」になった天下人−秀吉と家康
 神の国再び!−「寛政の改革」のもう一つの側面
 「大政委任論」に見る定信の天皇観とその前提
 異国船打払令と「国体」の完成

第5章 神武天皇と足利尊氏―国家の学問介入を象徴する二人
 学問へ容喙する「神風思想」
 時代祭りから排除され続けた足利氏
 なぜ南朝が正統とされたのか?
 「神武復古」明治政府の「神の国」
 南朝のヒーローを“抹殺”して“炎上”した久米邦武[くめ くにたけ]
 「北朝の天皇は偽物だ!」−明治時代の教科書問題
 「世界に一つの神の国」−学問と教育の分離
 「神武天皇はいない」と言うなかれ!−津田左右吉事件[つだ そうきち]
 津田批判の背後に垣間見える陸軍の影
第6章 「神の国」か「立憲主義」か―大日本帝国憲法をめぐる議論
 「立憲的」だった大日本帝国憲法
 大日本帝国憲法制定時の伊藤博文-森有礼論争
 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の真意
「統帥権干犯」と「憲政の常道」
 ロンドン軍縮条約における統帥権干犯事件
 軍部と政党に“利用”された「天皇機関説」
 第二次国体明徴声明−立憲主義の終焉
 陸軍の遺恨と二・二六事件
 「国民精神総動員」−神国日本へ全てを捧げよ!
 
第7章 「神風」の終末―「神の国」が最後に目にしたもの
 「統率の外道」−特攻と神風
 「特攻」と「コンコルドの誤謬」
 「神風」「神州不滅」の呪縛
 一撃講和か即時講和か−続く迷走
 鈴木貫太郎の“自虐史観”
 「一億玉砕」と沖縄戦
 ポツダム宣言受諾を阻む「国体護持」の壁
 米内光政[よない みつまさ」の「敬神」と井上成美[いのうえ しげよし/せいび]の「人の煩い」
 

 

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