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ブラッドランド :Bloodlandsーヒトラ-とスタ-リン大虐殺--2015年刊 [農から見つめる]

71fpvzqKv8L.jpgブラッドランド  :Bloodlands

副タイトル1 ヒトラ-とスタ-リン大虐殺の真実
著者 ティモシ- スナイダ- /Timothy Snyder,
訳者 布施由紀子 
 上巻  下巻
出版年 2015.10
出版者 筑摩書房


上巻
ISBN 978-4-480-86129-0
目次
序論 ヒトラーとスターリン
第1章 ソ連の飢饉
第2章 階級テロル
第3章 民族テロル
第4章 モロトフ=リッベントロップのヨーロッパ
第5章 アポカリプスの経済学
第6章 最終解決
下巻
ISBN 978-4-480-86130-6
目次
第7章 ホロコーストと報復と
第8章 ナチスの死の工場
第9章 抵抗の果てに
第10章 民族浄化
第11章 スターリニストの反ユダヤ主義
結論 人間性
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館2階 NDC分類(9版) 209.74

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第一次世界大戦から第二次次世界大戦の戦間期にあたる1920年・30年代に、ウクライナは2回の大飢饉に襲われている。
1920〜1921年 ウクライナ南部で飢饉発生。
内戦による疲弊と、共産党による農業の集団化で生産が下落。しかし共産党はお構いなしに強制的に食糧を徴発。ロシアへ送った。約100万人が死亡。
レーニンは社会主義政策を一時中断して自由主義経済を復活(新経済政策=NEP)。農業生産が回復する。
1924年 レーニン死去。
1927年 スターリンが権力を掌握。

工業化と農業集団化を急ぐ


1928〜1932年 ソ連「第一次五カ年計画」
ウクライナは工業化の重点地域に。全国の投資の20%が注入される。1400の新工場のうち400がウクライナに。東南部を中心に、ヨーロッパ最大規模の製鉄所、トラクター工場やコンビナートが建設される。ドニエプル川にダムや水力発電所が開発された。

食料の徴発は続く

1930年:生産量;2100万トン (うち徴発量760万トン)
1931年:1400万トン (うち徴発量760万トン)
つまり生産した穀物の半分以上をモスクワのソ連政府に持っていかれる
飢饉はウクライナだけでなく、北カフカース、ヴォルガ川流域、カザフスタンでも起きた。
飢饉はソ連内各地で発生したということになる。ウクライナ民族を狙い撃ちして虐殺したというよりは、無理な食料調達を強行したために、ソ連内の農業地帯がことごとく犠牲になった。
全ソ連での死者数は
農民の死亡者:1100万人
強制収容所での死亡者:350万人
計 1450万人
ソ連国内の農民が餓死してまでスターリンが取り上げた「ソ連が輸出する穀物」。スターリンはそれを取引材料に、自国の国際的な承認を取り付けようとした。


列強諸国は大恐慌に安価に国民に与えられるソ連の穀物と、自国製品を売るためのソ連市場がほしかった。
ウクライナを含むソ連国民 1450万人は、そんな国際社会の犠牲にされた。



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