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民衆暴力ー一揆・暴動・虐殺の日本近代--その⓶ [明治以後・国内]

_073910.jpg民衆暴力   一揆・暴動・虐殺の日本近代

著者 藤野 裕子 /フジノゆうこ  
出版年 2020.8
シリーズ名 中公新書  2605
ページ数 6,220p
ISBN 978-4-12-102605-7
新潟市立図書館収蔵 生涯センタ館
著者紹介 藤野裕子[フジノゆうこ]
1976年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。東京女子大学現代教養学部准教授。「都市と暴動の民衆史」で藤田賞を受賞。
内容紹介
序章で紹介されている江戸時代の一揆は、最近の研究である「仁政イデオロギー」(領主は領民(百姓)を保護し、百姓は仁政を施す領主に(領主なら)年貢を納める義務がある)を踏まえた解説である。ただ、最近はこれが強調されすぎている気もする。たしかに、白土三平的イメージ(劇画)は正しくないのかもしれないが、でも実際は、一揆の指導者たちは極刑になっているわけだし、一揆は御法度という大前提があったのだと思う。
 第2章で紹介されている秩父事件も、総裁田代栄助の役割(組織内での位置)を高く評価しすぎていると思う。彼は担ぎ上げられた御神輿で(人望があったのだろう、年齢的にも中年だし)、実際の指導部は若い自由党の流れのインテリゲンチャ(革命と意識している人たち、秩父ばかりは信州からも参加)、そして実働部隊の主力は、娯楽としての博打を通じた農民(当時の松方デフレで逼迫した養蚕農家が多い)や職人たち(博打仲間の“親分”が田代栄助)だった。でも、彼らたちも大野苗吉の駆り出し(オルグ)の言葉「お~それながら天長様に敵対するから加勢しろ!」とあるように、武装蜂起の意味はわかっていたと思う。
 この本の特徴は、庶民の暴力が為政者側に向けられるばかりか、同じ庶民、もっとはっきりいえば庶民たちが、自分たちよりも“低い”と思っていた人たちにも向けられたことがある、ということにも力点を置いていることだと思う。それは、第1章の新政府反対一揆のなかの、被差別部落(民)に対するもの、さらには関東大震災時の朝鮮人虐殺事件などで、この本の大半を占める。  明治初期の被差別部落(民)襲撃事件をまとめて紹介した一般書(新書など)は珍しいと思う。そして、この本では関東大震災時の朝鮮人虐殺事件については、2章に渡って概要を述べ、考察している。
 今日、日本においてもかなりの勢力となっている自尊史観は、こうした件については歴史修正主義、臭いものに蓋どころか、なかったことにしよう史観になっている場合が多い。過去にきちんと向き合えなければ、未来を展望することもできないだろう。  この本では新書という限られたページ数の限界もあって、戦時中の隣組などを通じた無言の圧力(暴力、これは現在の“自粛警察にも繋がると思う)、さらには戦後の、とくに60年代~70年代初めの学生運動には触れられていない。  いずれにしても、庶民が同じ庶民に対して暴力を、それも組織的に暴力を振るった、虐殺もした過去は重いし、きちんと考えなくてはならない事柄だと思う。 
新政反対一揆、秩父事件、日比谷焼き打ち事件、関東大震災時の朝鮮人虐殺…。何が人びとを駆り立てたのか。単純には捉えられない民衆暴力を通し、近代化以降の日本の軌跡とともに国家の権力や統治のあり方を照らし出す。
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 第1章・第2章では、明治初年に起きた新政反対一揆と、自由民権運動期に起きた秩父事件
 第3章から第5章は、明治後期から大正期にかけて起きた民衆暴力を扱う。一つは、日露戦争の終結に際して巻き起こった日比谷焼き打ち盗件であり、もう一つは、関東大震災時の朝鮮人虐殺
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