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大飢饉、室町社会を襲う! (歴史文化ライブラリー) – 200861 [中世・国内]

81LMOizU.jpg大飢饉、室町社会を襲う! 
著者 清水克明 しみず・かつあき
出版社 ‏ : ‎ 吉川弘文館 (2008/6/1)
 歴史文化ライブラリー 258 : ‎ 215ページ
発売日 ‏ : ‎ 2008/6/1
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4642056588
新潟市立図書館収蔵
 中央ホンポート館 /210.4/シミ/
内容
慢性的な飢餓に直面し、生と死の狭間で生きていた室町人。満腹感を得るため新米より古米を尊重し、出産では母親の生命も脅かされ、ようやく生まれた赤子も「間引き」や人身売買に…。
そこに巨大飢饉が襲いかかったとき、人びとはどうしたのか。現代にも通じる飢餓と飽食の残酷な構造をえぐりだし、室町時代の実相を描く。中世社会の雑学も満載。
4代将軍足利義持の1420・応永27年の応永の大飢饉。長禄・寛正の飢饉(ちょうろく・かんしょうのききん)は、8代将軍足利 義政の長禄3年(1459年)から寛正2年(1461年)にかけて日本全国を襲った大飢饉のこと。「世上三分の二餓死」と記録されてる。
著者
清水克行
1971年、東京都に生まれる。1994年、立教大学文学部卒業。2002年、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。現在、明治大学商学部専任講師・博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
目次
いま、飢饉を考える―プロローグ
第1章 謎の異国船襲来(蒙古が攻めてくる!
/蒙古の怨霊が復讐する)
第2章  室町人の〝死〟と〝生〟(古米か?新米か?
/「生」か?死か?
/男が多いか?女が多いか?)
第3章  なぜ巨大飢饉は起きたのか?(降雨日数から見た巨大飢饉の実態
/「応永の平和」が生んだ大飢饉
/首都と田舎の物価格差)
第4章  足利義持の「徳政」(朝鮮官人の目撃した飢餓列島
/室町殿の禁酒令
/大飢饉と「徳政」
/以下細目略)
第5章  荘園と町の飢饉習俗
第6章  難民は首都をめざす
/大飢饉のあとに―エピローグ

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 中世、室町時代前期は格差社会であると著者はいう。そこを大飢饉が襲った。
 四代将軍、足利義持の時代。年号は応永。社会は、公武のせめぎあう狭間に「室町期荘園制」という安定期を迎える。地方の富は荘園領主たる公家・寺社勢力、あるいは守護をはじめとする武家によって確実に収奪され、首都・京都に集積されていた。
 政権内では、高価な付け届けが応酬され、要人は宴席と仏事に明け暮れている。飽食と享楽の世界。
 一方、地方は慢性的な貧困と低生産にあえいでいた。
 著者は室町人の深刻な日常を映しだすエピソードを紹介する。そのうちの一つ。
 中世、古米は新米に比して高値であったという。なぜか。それは「古米の方が膨れて量が多くなり、おなかがいっぱいになる」からではないかという。「炊くと増える」から古米の方が高い。これは現代に生きる我々にとっては想像すら出来ない話。
 富の蓄積の乏しい地方を、天候不順による大飢饉が襲う。
 飢えた人々は流民となって京都に流れ込み、過密状態になった首都では疫病が流行。餓死者と疫病による死者で都の路地は死体で埋まる。
 人々は富が集積されている京都を目指した。持たざるものは、「有徳人」、すなわち持てるものに「徳」、つまり施しを求めた。が、膝を屈して恵みを請うたわけではない。それは時に暴力的になるほどエネルギッシュに、「徳」を求めたと著者はいう。
 やがて、それは形を変え、「徳政一揆」となり中世社会を揺るがすことになる。
 また、大飢饉のなか、人々は地域社会としての結束を深め、日本社会の基盤を形作ることにもなった。

タグ:室町時代
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