SSブログ

『関東大震災と民衆犯罪ーー立件された114件の記録から』 [明治以後・国内]

 関東大震災と民衆犯罪ーー立件された114件の記録から
著 佐藤冬樹(さとう・ふゆき)
 筑摩書房  (筑摩選書 262)
判型:四六判 ページ数:320 
ISBN:978-4-480-01780-2
今までほとんどなかった関東大震災時の民衆犯罪の実態を、そのほとんどが有罪となっている、主題とした本。1923年の事件記録・資料を通して、検察が立件・起訴した600人以上の被告のプロフィールを分析。

F32m4rAbkAAjPv4-縮.jpg


1923年の関東大地震。その直後から自警団による、朝鮮人、中国人らに対する襲撃事件が多発し、日本人を含む多くの犠牲者をだしたが、その実態はいまだ明らかではない。誰が誰をなぜ殺したのか? 検察が立件、起訴した600人以上の被告、約90人の日本人被害者のプロフィールを分析するなどして、民衆犯罪の全貌に迫る。事件から100年、地域に根差した庶民が起こした史上最大最悪の惨事=ヘイトクライムをとらえなおす。

「東北弁だったから/沖縄人だったから殺された」説の検証もあり、方言撲滅・標準語強制教育との関係での考察には刮目


著者 佐藤 冬樹(さとう・ふゆき):一九五九年、大宮下町生まれ。中央大学法学部法律学科卒業後、シンクタンク勤務等を経て、一九九四年、労働調査を担う株式会社社会構想研究所を設立、代表取締役。
主な著作に『生き残る物流』(毎日新聞社)、『労働基準監督官のための時短問題副読本』(埼玉労働局、福井労働局)、『おきつるコミュニティQ&A』(横浜・鶴見沖縄県人会)など。
本書は沖縄県の「伊江島から出稼ぎに来た人びとの労働史から生まれた副産物」とのこと。


はじめに より

 関東大震災の際、自警団が大勢の人びとを殺傷したことは良く知られている。彼らは朝鮮人や中国人を殺し、ときに日本人をも巻き添えにした。検察はこれらの民衆犯罪のうちーー四件を立件した。殺人、騒擾及殺人、殺人及殺人未遂などの罪で約六四〇人が起訴され、そのほとんどが有罪になった。ふつうの住民が四〇〇人以上を殺害した、近代日本史上類例のない刑事事件であった。
 付け加えれば検察は、事件の捜査に熱心ではなかったし、犯人すべてを検挙したわけでもない。民衆を刺激したくなかったからである。埼玉県では一一六人を検挙したところで 「民情にわかに騒然を極め、村治等にも困難」を来したとして、やおら声明を発表した。「ほかにも多数未検挙のものもあるが、これ以上の検挙を見合わせる」と。こうしてわずかひと月で捜査を手じまいとした (第2部 3〔 2〕 )。神奈川県に至っては無警察状態が長く続いたおかげでほとんどの犯人が野放しになった。検挙されずに済んだ者とその被害者は永遠の謎になってしまった。それでも六四〇人が裁かれた。百年前の関東地方で、私たちの曽祖父や高祖父にあたる人びとは何ということをしでかしたのか。
 本書の主題は、これらの民衆犯罪である。・・略・・先行研究は国家の責任を次々に明らかにした。 しかしその反面、民衆犯罪の実態解明が疎かになり、いつまで経っても虐殺事件の史実が「私たちの歴史」になりきらないという課題が残されている。
筆者は、先行研究に対して次のような問題を感じている。・・略・・人びとは「不逞鮮人」襲来に備えよという指示命令に従って武装した。しかし、その後の行動は彼ら自身が選び取った。彼らは「不逞鮮人」(朝鮮独立運動家)と思しき青年男子ばかりか、女性や子供、妊産婦や乳幼児に至るまでを惨殺した。証言によればおよそ六〇人の朝鮮人女性が殺されている。官憲は「不逞鮮人」と「良鮮人」を区別せよと命じたが、自警団は、朝鮮人の抹殺—エスノサイドを選んだのであった。
 また、千葉や埼玉、群馬では、数百数千の群衆が警察署や巡査駐在所を取り巻き、収容された朝鮮人を引き渡せと大騒ぎした。こうした騒動が三〇件近くも発生し、このうちーー件では、群衆が警察署構内に押し入って朝鮮人を虐殺した。民衆犯罪の多くは、権力の思惑を超えていて、先行研究の認識枠組みからも大きくはみ出している。
 次に、関東大震災時の虐殺事件と、それ以前の朝鮮人、中国人労働者に対する襲撃事件や排斥事件などとの関係が明らかではない。これらのヘイト・クライムは、外国人の働く職場とその周辺でほとんど日常化していた。震災時の事件もこれと地続きだったのではないか。連続性の問題は、治安当局による「民衆の警察化」政策においても問われている。震災以前、警察は、地域の中に警察活動への支援者を育て、暴動勃発などに際して自ら鎮圧にあたるような組織を作ろうとした。すなわち自警団 (保安組合、自警義団、安全組合)の結成であった。震災前と震災時の自警団、両者のあいだの連続性も気にかかる。
 そして何よりも自警団に関する基本的な知見が不足している。自警団の結成状況、規模、構成メンバ—、組織編成、活動内容が分からない。このため自警団が避難民の救護と朝鮮人の殲滅、二つの活動を矛盾なくやり遂げた事実、自警団の主力も、虐殺事件の主犯も消防組だった事実が等閑視されてきた。警察が「民衆警察」の中核と位置づけ、「自警自衛」意識を強く教え込んだのも消防組員であった。朝鮮人虐殺事件における消防組の関与を、治安当局は隠蔽し、先行研究もこれに注意を払うことなく今日に至った。
 さらに日本人襲撃事件の実態が手つかずのまま残されている。警視庁『大正大震火災誌』によれば、自警団は、朝鮮人ばかりではなく「同胞なりとも発音不明瞭なるもの」を殺傷したという。東北や沖縄出身者、ろう者が被害をこうむったという証言も数多い。自警団に襲われたのは「朝鮮人ばかりではない、日本人も」という伝承も根付いている。しかし、これらはどこまで史実なのだろうか。日本人が自分の加害責任から目をそらす中で生まれた「受難」伝承ではないのか。
 先行研究なしに本書の一行たりとも綴れなかったのは間違いない。それでも常に頭をかすめたのは、民衆犯罪と自警団の実態がほとんど分かっていないという思いであった。本書が上記の課題をすべて解決したとは毛頭考えていないが、少なくとも今後の叩き台は用意したつもりである。民衆犯罪を直視する。これもまた、取り返しのつかないものを取り返すための試みである。

続く


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

Facebook コメント