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やりなおす戦後史ー2015年 その① [明治以後・国内]

やりなおす戦後史  
著者 蔭山克秀 /かげやま・かつひで 
出版年 2015.7
 出版者 ダイヤモンド社  本当はよくわかっていない人の2時間で読む教養入門シリーズ??
ページ数 311p 大きさ 19cm
ISBN 978-4-478-06565-5
新潟市立図書館収蔵  NDC分類(9版) 210.76


著者紹介 蔭山克秀(かげやま・かつひで) 年齢不明 愛媛県出身。代々木ゼミナ-ルで圧倒的な人気を誇る公民科No.1講師。
抜粋して掲載したWeb https://diamond.jp/articles/-/75746  より
マッカーサーは、太平洋戦争時、連合国の南西太平洋地域総司令官としてフィリピンのルソン島の戦いで日本軍に敗れ、7万人以上の兵士を残してオーストラリアに“逃亡”した。バターン半島に取り残された兵士たちは、収容所に移動する際にマラリアや疲労で次々と死に、到着時には五万人余りにまで減っていた(「バターン死の行軍」)。
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このときマッカーサーは「I shall return(俺は絶対戻ってくる)」と言い残していたが、ついに本当に戻ってきた。
1945年8月30日、アメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー元帥が、厚木の海軍飛行場に、愛機「バターン号」で来日した。
《内はニジヤ挿入 《厚木では、45年8月15日の玉音放送後も戦争継続を唱える軍人がいた。厚木を拠点にしていた航空隊の大佐が徹底抗戦を唱え、各地で航空機からビラがまかれた。深沢敏男さんは、分隊長に厚木に残るよう命じられた。なぜ自分が選ばれたのか、理解できなかった。「特戦隊」として、ほかの分隊から集まった見知らぬ兵士たちと神奈川・北鎌倉に集結したという。
 最年少だったらしく、周囲からは「よく決心したなあ」と感心された。同志たちは遺書を書いたり、「マッカーサーをたたく」と銃剣を磨いたりしていた。マッカーサーとは、連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥のことだ。
 上官の命令で東京に住む元軍人の大物右翼に信書を届けた時には「決起するのか、頼んだぞ。信念を通せ。日本のため、天皇陛下のために」と言われた。マッカーサー元帥は同月30日に厚木に降り立ったが、決起命令は最後まで出なかった。決起はなかった。  https://digital.asahi.com/articles/ASM8H5T25M8HOBJB001.html?pn=8&unlock=1#continuehere

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日露戦争―起源と開戦 [明治以後・国内]

4000242679.jpg日露戦争―起源と開戦

著者 和田 春樹 /著  

 ㊤㊦2巻

出版者 岩波書店

出版年 2009.12


巻次

ページ数 28,445,62p

目次

第1章 日露戦争はなぜ起こったか(司馬遼太郎の見方;『小村外交史』と『機密日露戦史』 ほか)

第2章 近代初期の日本とロシア(幕末維新前夜の日本とロシア;明治維新とロシア ほか)

第3章 日清戦争と戦後の日本・朝鮮・ロシア関係(駐在武官ヴォーガクと東学農民叛乱;日本の朝鮮出兵決定 ほか)

第4章 ロシアの旅順占領と租借(一八九六‐九九)(高宗の露館播遷;日本が受けた衝撃 ほか)

第5章 義和団事件と露清戦争(義和団事件;天津の戦闘 ほか)

大きさ 22cm

ISBN 978-4-00-024267-7


4000242687.jpg巻次

出版年 2010.2

ページ数 13,396,84p

目次

第6章 新路線の登場(新しい年のはじめに;第二回海軍大学図上演習 ほか)

第7章 日露交渉(交渉の開始;日本側の第一次提案 ほか)

第8章 前夜(旅順の緊張;皇帝と陸相は逡巡する ほか)

第9章 開戦(一九〇四年二月六日;七日 ほか)

第10章 日露戦争はこうして起こった(日本の狙い;朝鮮とロシア ほか)

ISBN 978-4-00-024268-4

新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 NDC分類(9版) 210.67

内容紹介
司馬遼太郎の『坂の上の雲』が描いたように、日露戦争はロシアの極東侵略熱によって引き起こされたものなのか。ロシア側には日本軍の力量を正しく見極めた人物が本当にいなかったのか。著者が渉猟した膨大なロシア文書館資料の分析からは、これまでの日露戦争観とは異なる実相が見えてきた。

 明らかになった開戦の真実とは。ロシア文書館資料の分析から、日本とロシアの対立の間に「朝鮮」の存在をおいて、開戦へ向かう動きの全貌を描く。上では、江華島事件のあった1875年から、日英同盟締結の頃までをたどる。下では、緊迫の日露交渉から軍事行動開始に至るまでを詳細にたどる。
 日本とロシアの対立のあいだに、戦争の主な対象、主な舞台となった朝鮮という存在をおいて、開戦へ向かう動きの全貌を描く。上巻では、千島樺太交換条約と江華島事件のあった一八七五年から、朝鮮国王高宗のロシアへの接近、朝鮮をめぐる戦争としての日清戦争、ロシアと清国の秘密同盟条約、ロシアの旅順・大連の租借、露清戦争と韓国中立化案、そして日英同盟締結の頃までを詳細にたどる。
 下巻では、日本参謀本部、日露の外務省、ロシア皇帝と韓国皇帝ら、それぞれの思惑と主張、さらにその人物像をも検討しながら、日露戦争開戦にいたる過程を詳細に解き明かす。「帝国ノ大目的ヲ達スルノ機会」を逸するなー 日本で高まる開戦論。ロシアの戦力を悲観的に見たベゾブラーゾフは露日同盟案を提出し、栗野公使はそこに最後の希望を見出すが・・・・・。そしてついに朝鮮戦争としてはじまった戦争の、開戦後一カ月の動きを日を追って再現した。緊迫の1903年年明けから翌年2月の開戦まで、詳細にたどる。
著者等紹介
和田春樹[ワダ ハルキ]
1938年大阪に生まれる。東京大学文学部卒業。1998年3月まで東京大学社会科学研究所所長。現在、東京大学名誉教授。東北大学東北アジア研究センター・フェロー。専攻=ロシア・ソ連史、現代朝鮮研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ロシア史研究 78巻
日露戦争とロシア第一次革命,<特集>2005年度大会) 発行日: 2006/05/25
1 評価と典拠と資料
2 世紀末から一九〇二年までのロシアと極東
3 新路線の確立
4 日露交渉


新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 NDC分類(9版) 210.67


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民衆暴力ー一揆・暴動・虐殺の日本近代--その⓶ [明治以後・国内]

_073910.jpg民衆暴力   一揆・暴動・虐殺の日本近代

著者 藤野 裕子 /フジノゆうこ  
出版年 2020.8
シリーズ名 中公新書  2605
ページ数 6,220p
ISBN 978-4-12-102605-7
新潟市立図書館収蔵 生涯センタ館
著者紹介 藤野裕子[フジノゆうこ]
1976年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。東京女子大学現代教養学部准教授。「都市と暴動の民衆史」で藤田賞を受賞。
内容紹介
序章で紹介されている江戸時代の一揆は、最近の研究である「仁政イデオロギー」(領主は領民(百姓)を保護し、百姓は仁政を施す領主に(領主なら)年貢を納める義務がある)を踏まえた解説である。ただ、最近はこれが強調されすぎている気もする。たしかに、白土三平的イメージ(劇画)は正しくないのかもしれないが、でも実際は、一揆の指導者たちは極刑になっているわけだし、一揆は御法度という大前提があったのだと思う。
 第2章で紹介されている秩父事件も、総裁田代栄助の役割(組織内での位置)を高く評価しすぎていると思う。彼は担ぎ上げられた御神輿で(人望があったのだろう、年齢的にも中年だし)、実際の指導部は若い自由党の流れのインテリゲンチャ(革命と意識している人たち、秩父ばかりは信州からも参加)、そして実働部隊の主力は、娯楽としての博打を通じた農民(当時の松方デフレで逼迫した養蚕農家が多い)や職人たち(博打仲間の“親分”が田代栄助)だった。でも、彼らたちも大野苗吉の駆り出し(オルグ)の言葉「お~それながら天長様に敵対するから加勢しろ!」とあるように、武装蜂起の意味はわかっていたと思う。
 この本の特徴は、庶民の暴力が為政者側に向けられるばかりか、同じ庶民、もっとはっきりいえば庶民たちが、自分たちよりも“低い”と思っていた人たちにも向けられたことがある、ということにも力点を置いていることだと思う。それは、第1章の新政府反対一揆のなかの、被差別部落(民)に対するもの、さらには関東大震災時の朝鮮人虐殺事件などで、この本の大半を占める。  明治初期の被差別部落(民)襲撃事件をまとめて紹介した一般書(新書など)は珍しいと思う。そして、この本では関東大震災時の朝鮮人虐殺事件については、2章に渡って概要を述べ、考察している。
 今日、日本においてもかなりの勢力となっている自尊史観は、こうした件については歴史修正主義、臭いものに蓋どころか、なかったことにしよう史観になっている場合が多い。過去にきちんと向き合えなければ、未来を展望することもできないだろう。  この本では新書という限られたページ数の限界もあって、戦時中の隣組などを通じた無言の圧力(暴力、これは現在の“自粛警察にも繋がると思う)、さらには戦後の、とくに60年代~70年代初めの学生運動には触れられていない。  いずれにしても、庶民が同じ庶民に対して暴力を、それも組織的に暴力を振るった、虐殺もした過去は重いし、きちんと考えなくてはならない事柄だと思う。 
新政反対一揆、秩父事件、日比谷焼き打ち事件、関東大震災時の朝鮮人虐殺…。何が人びとを駆り立てたのか。単純には捉えられない民衆暴力を通し、近代化以降の日本の軌跡とともに国家の権力や統治のあり方を照らし出す。
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 第1章・第2章では、明治初年に起きた新政反対一揆と、自由民権運動期に起きた秩父事件
 第3章から第5章は、明治後期から大正期にかけて起きた民衆暴力を扱う。一つは、日露戦争の終結に際して巻き起こった日比谷焼き打ち盗件であり、もう一つは、関東大震災時の朝鮮人虐殺
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草の根のファシズム ー日本民衆の戦争体験ー 吉見義明 [明治以後・国内]

611144.jpg草の根のファシズム  日本民衆の戦争体験
吉見 義明 (よしみ よしあき、1946年 - )
岩波現代文庫  学術452
内容紹介
日本民衆の全てを巻き込み,三百万以上の日本人を殺し,その何倍ものアジアの民衆に犠牲を強いた「アジア太平洋戦争」--多くの日本人は,熱心にこの戦争を支え,そして幾多の深淵を見た.今,民衆は語り始める.あの戦争は,私たちにとって一体何だったのか
日中戦争、アジア太平洋戦争を引き起こし、日本を崩壊させた天皇制ファシズム。その被害者とされてきた民衆がファシズムを支えていたこと、そして戦争末期の悲惨な体験から戦後デモクラシーが生まれたことを民衆が残した記録から明らかにしてゆく。
戦争はもうこりごりだという意識、戦争にくみこまれることを拒否する強い意識は誰もが共通して持ったが、日本以外のアジアに対する戦争責任意識は希薄だった。アジアをもっと詳細に見ると、中国への責任意識はそれでもある程度ありつつも、東南アジア、朝鮮、台湾となるとさらに責任意識は少なかった。
感想  日本の民衆は、中国、東南アジアと戦争し、負けた認識はあるだろうか?

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民衆暴力ー一揆・暴動・虐殺の日本近代--2020年刊 [明治以後・国内]

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民衆暴力 
一揆・暴動・虐殺の日本近代
著者 藤野 裕子 /フジノゆうこ  
出版年 2020.8
出版者 中央公論新社
シリーズ名 中公新書  2605
一般件名 日本-歴史-近代 , 暴動
ページ数 6,220p
ISBN 978-4-12-102605-7
新潟市立図書館収蔵 生涯センタ館
内容紹介 新政反対一揆、秩父事件、日比谷焼き打ち事件、関東大震災時の朝鮮人虐殺…。何が人びとを駆り立てたのか。単純には捉えられない民衆暴力を通し、近代化以降の日本の軌跡とともに国家の権力や統治のあり方を照らし出す。
著者紹介 藤野裕子[フジノゆうこ] 1976年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。東京女子大学現代教養学部准教授。「都市と暴動の民衆史」で藤田賞を受賞。
 本書を通読すると、権力に対する民衆の暴力と、被差別者に向けた民衆の暴力とが、それほど簡単に切り分けられないことがわかるだろう。誰が/誰に向けてふるったかによって、暴力の意味合いが異なってくるのはもちろんだが、両者を「民衆暴力」として同時に扱うことで、従来とは異なる領域に思考をめぐらせることができるはずだ。
 第1章・第2章では、明治初年に起きた新政反対一揆と、自由民権運動期に起きた秩父事件
 第3章から第5章は、明治後期から大正期にかけて起きた民衆暴力を扱う。一つは、日露戦争の終結に際して巻き起こった日比谷焼き打ち盗件であり、もう一つは、関東大震災時の朝鮮人虐殺である。
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目次
はしがき
序 章 近世日本の民衆暴力
1百姓一揆の作法と仁政イデオロギー
江戸時代の民衆暴力
刀狩り・「喧嘩停止令」
百姓一揆の種類
百姓一揆の作法
仁政イデオロギ-
近世初期の一揆
2 世直し一揆
再暴力化する一揆
画期としての甲州騒動
世直し一揆
打ちこわしで発揮されたもの
3 通俗道徳と解放願望   一所懸命に働いて倹約して貯蓄をし、それで生活を良くしていこうという道徳的な規範が民衆の中から湧き上がってきたという「通俗道徳」
村の遊び日
通俗道徳の浸透
増加する遊び日
ええじやないかと世直し
解放願望のゆくえ
第1章 新政反対一揆-近代化政策への反発
1 人びとを襲う「異人」への恐怖
世界遺産が語らぬ歴史
新政反対一揆の全体像
民衆は「野蛮」だったのか
改変される生活世界
広まりゆく奇怪な噂
民衆は「進歩的」だったのか
2 被差別部落を襲うー賎民廃止令への反発
新政反対一揆のなかの被差別部落襲撃
江戸時代の賤民身分
賤民廃止令とそれへの反発
美作一揆
被差別部落の襲撃
首謀者らの供述
なぜ被差別部落襲撃が行わわたのか
地域史料からのアプローチ
抵抗を続けた地域
一揆に参加しなかった村
3 鎮圧と処罰
国家の暴力装置
士族兵に頼る
即決処分
世直し一揆から新政反対一揆へ
第2章 秩父事件
1 秩父事件とその背景
秩父事件とは何か
松方デフレ
養蚕地域への打撃
自由民権運動の展開
弾圧を受けて
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第3章 都市暴動、デモクラシー、ナショナリズム
第4章 関東大震災時の朝鮮人虐殺
第5章 民衆にとっての朝鮮人虐殺の論理

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都市と暴動の民衆史ー東京・1905‐1923年--2015年刊 [明治以後・国内]

91L0oHuhfyL.jpg都市と暴動の民衆史 
東京・1905‐1923年
著者 藤野裕子[フジノゆうこ]
 出版年 2015.10
出版者 有志舎
ページ数 11,313,4p
ISBN 978-4-903426-98-3
県立図書館収蔵 /213.6/F64/

著者紹介
藤野裕子[フジノゆうこ] 1976年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。東京女子大学現代教養学部准教授。

内容紹介 日比谷焼打事件から米騒動に至るまでの間、大都市では民衆暴動が次々と発生した。20世紀初頭の日本社会の転換を民衆史の視点から読み解き、民衆による暴力行使の文化とそれを巡って変容する社会秩序との相互関係を解明する。

デモから暴動へ! 若者が街頭を占拠した。1905年9月5日、日比谷公園に発した暴力の波は東京の街頭を激しく駆けめぐった。この日比谷焼打事件から米騒動にいたるまでの間、大都市では民衆暴動が次々と発生し、やがて関東大震災での朝鮮人虐殺という悲劇を迎える。日本社会が民主化・大衆化の方向に大きく転換するなかで、なぜ数々の暴力が湧きあがったのか。「男らしさ」というジェンダー規範にも注目しながら、20世紀初頭の日本社会の大転換を民衆史の視点から読み解き、民衆による暴力行使の文化とそれをめぐって変容する日本社会秩序との相互関係を明らかにする。

1905年、日露戦争の講和条約に反対する集会をきっかけとして、日比谷焼打(やきうち)事件が起こった。集会は屋外、開園間もない日比谷公園で行われ、参加者は、ほぼ全員が若年労働者を中心とする男性だった。1921年に訪欧の旅から帰国した皇太子(後の昭和天皇)が帰国直後に日比谷公園で市民奉祝会が開かれた。そこには女性も動員され「男らしさ」が排除され、3万人あまりが集まった。この奉祝会は、幅広い国民が整然と皇太子を迎える先駆けとなった。これ以降、皇太子が屋外の政治空間にしばしば現れる。秩序化が進むが、1923年9月の関東大震災直後に朝鮮人虐殺が起きている。

目次
序章 都市暴動から何が見えるか
第1章 日比谷焼打事件の発生と展開
第2章 近代都市暴動の全体像
第3章 屋外集会の変転―日比谷焼打事件後から一九二〇年代普選運動まで
第4章 労働における親分子分関係と都市暴動
第5章 男性労働者の対抗文化―遊蕩的生活実践をめぐって
第6章 都市暴動と学歴社会―苦学生・高学歴者・不良学生グループ
第7章 米騒動とその後の社会
第8章 朝鮮人虐殺の論理

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日本の軍隊 --兵士たちの近代史 – 2002年刊ー書評・レビュー [明治以後・国内]

-81%B.jpg日本の軍隊--兵士たちの近代史
著者 吉田 裕 /よしだ ゆたか
出版者岩波書店   岩波新書 新赤版 番号816
 出版年2002.12
書評・レビュー
第一次大戦後まで徴兵検査受検者の識字能力驚いた。陸軍省と文部省調べで30%が読み書き出来ない。尋常小未就学も10%近くいるんだ。1910年代でこれは驚いた。陸軍が農村下層を「救済」する「人生道場」と言われた所以。上等兵進級は34%程度しかいない。大格差社会が浮彫り。
陸軍は大卒や専門卒を、政府批判するインテリとして忌避し、徴兵のボリューム階層を高等小学校卒に求める。大正期この層は農村で自作農下位、小作上位で高等小卒階層は最貧困小作層と違い、徴兵入隊後通信教育で中学教育受け下士官や見習士官へ行った。大正期は通信教育ブ―ムなんだな。

昭和初期までの農村での階層移動における陸軍の役割は、上等兵か曹長満期→故郷に錦→常会・青年団・在郷軍人会→地方議員や自治体官吏という地方農村中心的人材の輩出徴兵→下士官→陸士→少尉見習士官までいくと予備役→議員確定。村の顔役になる。陸軍徴兵の階層移動が天皇制ファシズムを支えた。


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日本の軍隊 --兵士たちの近代史 (岩波新書 新赤版) – 2002/12刊 [明治以後・国内]

4147DMR4JEL.jpg日本の軍隊
--兵士たちの近代史
著者 吉田 裕 /よしだ ゆたか
出版者岩波書店
  岩波新書 新赤版 番号816
 出版年2002.12
ページ数228p
ISBN4-00-430816-X
新潟市立図書館収蔵中央ホンポート館NDC分類(9版)392.1
1873年の徴兵令の制定以来,文明開化の推進力となり,全国に近代秩序を浸透させた日本の軍隊.それが反近代的な皇軍へと変貌を遂げたのは,なぜか.日本の民衆にとって,軍隊経験とは,どのような意味があったのか.豊富な史料をもとに,「天皇の軍隊」の内実を解明することで,日本の近代を描き出す.
 『私は〔中略〕、戦争にいって―軍隊にとられてー不幸になったという人は、本当は、しあわせな人だったのだと思えてくる。門や塀のある家に住んで、親の金で学校へいけて、女中が送りむかえをしたり、食物や衣服に不自由することがなかったり、人からは常に尊敬の態度で話しかけられていた人だと思う。私たちの仲間が、ときとして、軍隊生活や戦争の時代をなつかしむのは、ひとつには若い頃の美化された思い出にひたるからだが、その根底には、軍隊生活より、もっとひどい浮世の苦労や、人前に出られる服装すらない貧乏や、人間を地位や学歴で価値づけて実力では評価しない周囲があるからだと思う。軍隊にもそれはあるが、生活上の苦労とは結びついていない。私たちの仲間には、軍隊へいって、はじめて、三度の食事の心配と、寝るところの心配をしないですむようになった者がいるのだ。(加太こうじ「軍歌と日本人」一徳間書店、一九六五年)』
目次
序 章 分析の視角
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第一章 近代社会の形成と軍隊
 1 時間・身体・言語
 2 軍隊と「文明開化」
 3 社会の規律化・組織化
第二章 軍隊の民衆的基盤
 1 「人生儀礼」としての兵役
 2 軍隊の持つ平等性
 3 社会的な上昇の通路としての軍隊
 4 農村の貧しさ
 5 「忠良」な兵士の供給源
第三章 総力戦の時代へ
 1 軍部の成立
 2 軍改革への着手
 3 軍改革の限界
第四章 十五年戦争と兵士
 1 国軍から皇軍へ
 2 大量動員とその矛盾
あとがき
吉田 裕(よしだ ゆたか)
1954年埼玉県に生まれる
1977年東京教育大学文学部卒業
専攻―日本近現代史
現在―一橋大学名誉教授
著書―『天皇の軍隊と南京事件』(青木書店)
   『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)
   『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)
   『日本人の戦争観』(岩波現代文庫)
   『兵士たちの戦後史』(岩波現代文庫)
   『現代歴史学と戦争責任』(青木書店)
   『日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書) ほか

書評・レビュー に続く

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皇軍兵士の日常生活 (講談社現代新書) – 2009/2/19刊 [明治以後・国内]

51Mc7h9VVpL.jpg皇軍兵士の日常生活
一ノ瀬 俊也イチノセ としや  (著)
講談社
講談社現代新書
ページ数 278p/高さ 18cm
2009/2/19 刊行
ISBN 978-4062879828
著者紹介
一ノ瀬/俊也 イチノセ としや
1971年福岡県生まれ。九州大学文学部史学科卒業、同大学大学院比較社会文化研究科博士課程中退。博士(比較社会文化)。現在、埼玉大学教養学部准教授。専攻は日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
内容紹介
戦争は本当に日本社会を公平化したのか? 戦時下、不公平を強いられた「皇軍」兵士と家族の群像を描く。戦争は本当に日本社会を公平化したのか? 昇進につきまとう学歴という壁。食糧をめぐる将校と兵の違い。兵士への応召手当をめぐる格差――。戦時下、不公平を強いられた「皇軍」兵士と家族の群像を描く。
 本書の第一の課題は、昭和の人びとが徴兵され、兵士になっていく過程を、自ら志願して兵となった少年たち――その意味で彼らはもっとも純粋な「兵士」だったはずである――もふくめ、制度と心情の両面から、戦後書かれた「従軍体験記」やさまざまな史料にもとづき明らかにすることである。
長い戦争で皆がいったん貧しくなったことにより既存の社会構造が壊れ、戦後の高度成長を経て一億総中流といわれるような「平等」社会が実現したという議論である。
マクロ経済の視点からみたとき、おそらくまちかってはいない。
 ただ、あまりにひねりが効き過ぎ(た説で)戦争や徴兵というものが、「魔法の杖」、「平等化」させる魔法の杖ように思われ、主に保守系の文化人や政治家から、若者にモラルをたたきこみ、いわゆるニード問題を解決すると称して徴兵(徴農!)制の導入を望む発言、徴兵を理想視する思考
の一類型といえる。
 本書が第二の課題としたいのは、戦時下の日本社会には徴兵制がもたらした人びとの生と死をめぐる「不平等」、「不公平」が蔓延しており、誰もそれを助けようとしなかったことを再確認することである。
 ひとまずは、一九四五年までこの日本に存在した軍隊、そして徴兵というくびきのなかで人びとがいかに生きたのかを、彼らの残した回想や日記、手紙などにもとづいて、すなわちその視点に立つていくばくなりとも追体験することをめざしたい。
第一章【「皇軍」兵士はこうして作られる】では兵士を作りだすための制度、
第二章【軍隊での生き方】では彼らの軍隊生活の実態、
第三章【兵士と家族――戦争の「不公平」】では彼らとその家族の生活において生じた不公平の問題、
第四章【「戦死の伝えられ方」をめぐって】では、兵士だもの死に様がいかにして家族のもとに伝えられていったのかを問う。
感想・レビュー
三菱商事など一流企業の社員は出征後も給与が出てた(軍と会社からの二重取り)とか、そのため応召前の駈込み入社が増えたとか、意外と戦争が長引いちやったもんだからコスト増に悩む経営側が軍と協議とか、当時も今と変わらぬ人間臭い(美しくない)日本人像が垣間見れて楽しい。あと軍(国)が建前ばっかなのも今と変わらんなー。
戦陣訓で天皇の呼称を用いても太平洋戦争が始まる以前に軍紀はガタガタ、1943年に軍隊内務令と改正されたのだが、この目的は「上官への反抗や戦地での犯罪防止」にあった。古年兵の自慢話は常に民衆の財産・生命を奪う話ばかり。朝の点呼に出ない下士官・古年兵はザラにいた。やっぱり戦闘は弱い。結構正直に書かれた本だと思います。

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日本軍兵士 [明治以後・国内]

81yJxDfj3ML-.jpg日本軍兵士
アジア・太平洋戦争の現実
著者 吉田 裕 /ヨシダ ゆたか
出版者 中央公論新社
 中公新書 番号 2465
ページ数 6,228p 大きさ 18cm
 出版年 2017.12 
ISBN 978-4-12-102465-7
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館1階新書 S/391.2/ヨシ/
内容紹介 高率の餓死、戦場での自殺と「処置」、特攻、物資欠乏…。勇猛と語られる日本兵が、凄惨な体験を強いられた戦争の現実とは。兵士の目線・立ち位置から、特に敗色濃厚になった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。
はじめ より  戦没者数は。日本だけで軍人・軍属が二三〇万人(日中戦争期を含む)、民間人が八〇万人、合計三一〇万人に達する。日露戦争の戦死者数九万人と比べてみるといかに大規模な戦争だったかが、よく理解できる。
 この戦争に関しては、すでに多くのことが論じられてきた。本書では従来の議論を踏まえた上で、切り口を大きく変えて次の三つの問題意識を重視しながら、凄惨な戦場の現実を歴史学の手法で描き出してみた。 それは、戦後歴史学を問い直すこと「兵士の目線」で「兵士の立ち位置」から戦場をとらえ直してみること、そして、「帝国陸海軍」の軍事的特性との関連を明らかにすることである。
 1990年代に侵略戦争の実態の解明が、戦争犯罪研究を中心にして急速に進んだ。ただ 「日本では、開戦に至る経緯と終戦およびその後の占領政策に関する研究が盛んで、・・・開戦と終戦の間、戦争そのものを取り上げる研究者は少ない。(元防衛大学教授の田中宏巳氏)」本書では、歴史学の立場から「戦史」を主題化してみたい。
 二つ目は、「兵士の目線」を重視し、「兵士の立ち位置」から、凄惨な戦場の現実、俳人であり、元兵士たった金子兜太カネコトウタのいう「死の現場」を再構成してみることである。 一つは、連合軍側の記録と旧軍関係史料を突き合わせる。 もう一つは「兵士の目線」を重視し、「死の現場」に焦点をあわせて戦場の現実を明らかにする。その際、兵士の身体をめぐる諸問題、すなわち、被服、糧食、体格の問題、メンタルな面も含めた健康や疾病の問題にも目を配りたい。 p.49元海軍軍医大尉の回想】敵潜水艦に撃沈された輸送船の乗員が海上浮流中、味方駆潜艇の対潜爆雷攻撃による水中衝撃で腸管破裂を生じ、既に腹膜炎を起しかけた患者を一度に十名あまり収容したことがある。〈中略〉開腹すると驚くべし、全員腸管が数ヶ所で破れている。その場所に特徴があり、〈中略〉この特徴から腹壁を介しての衝撃による損傷ではなく、肛門からの水圧が腸内に波及し、内部から腸壁を破ったのだと判る。
 三つ目の問題意識は、「帝国陸海軍」の軍事的特性が「現場」で戦う兵士たちにどのような負荷をかけたのかを具体的に明らかにすることである。「帝国陸海軍」の軍事思想の特質や天皇も含めた戦争指導のあり方、軍隊としての組織的特性などの問題もあわせて重視したい。
 この問題にこだわるのは、「死の現場」の問題をもう少し大きな歴史的文脈のなかに位置付けてみたいと思うからである。
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目次
序章 アジア・太平洋戦争の長期化
行き詰まる日中戦争
長期戦への対応の不備―歯科治療の場合
開戦
第一・二期――戦略的攻勢と対峙の時期  
第三期――戦略的守勢期 
第四期――絶望的抗戦期  
二〇〇〇万人を超えた犠牲者たち  
一九四四年以降の犠牲者が九割か

第1章 死にゆく兵士たち―絶望的抗戦期の実態1
1.膨大な戦病死と餓死
戦病死者の増大  
餓死者――類を見ない異常な高率
マラリアと栄養失調 
戦争栄養失調症――「生ける屍」の如く
精神神経症との強い関連

2.戦局悪化のなかの海没死と特攻
三五万人を超える海没死者
「八ノット船団」――拍車をかけた貨物船の劣化
圧抵傷と水中爆傷
「とつぜん発狂者が続出」
特攻死――過大な期待と現実 
特攻の破壊力

3.自殺と戦場での「処置」
自殺――世界で一番の高率  
インパール作戦と硫黄島防衛戦  
「処置」という名の殺害 
ガダルカナル島の戦い  
抵抗する兵土たち  
軍医の複雑な思い――自傷者の摘発
強奪、襲撃……

第2章 身体から見た戦争―絶望的抗戦期の実態2
1.兵士の体格・体力の低下 
徴兵のシステム  
現役徴集率の増大  
「昔日の皇軍の面影はさらにない」
知的障害者の苦悩 
結核の拡大――1個師団の兵力に相当
虫歯の蔓延、”荒療治”の対応

2.遅れる軍の対応―栄養不良と排除
給養の悪化と略奪の「手引き」
結核の温床――私的制裁と古参兵  
レントゲン検査の「両刃の剣」
一九四四年に始まった「集団智能検査」  
水準、機器、人数とも劣った歯科医療

3.病む兵士の心――恐怖・疲労・罪悪感
入隊前の環境
教育としての「刺突」
「戦争神経症」
精神医学者による調査
覚醒剤ヒロポンの多用 
「いつまで生きとるつもりか」
陸軍が使った「戦力増強剤」
休暇なき日本軍

4.被服・装備の劣悪化
「これが皇軍かと思わせるような恰好」  
鮫皮の軍靴の履き心地 
無鉄軍靴の登場  
孟宗竹による代用飯盒・代用水筒 
背嚢から背負袋へ

第3章 無残な死、その歴史的背景
1.異質な軍事思想
短期決戦、作戦至上主義
極端な精神主義 
米英軍の過小評価  
一九四三年中頃からの対米戦重視
戦車の脅威 
体当たり戦法の採用  
見直される検閲方針
2.;日本軍の根本的欠陥 
統帥権の独立と両総長の権限 
多元的・分権的な政治システム  
国務と統帥の統合の試み  
軍内改革の挫折  
罪とされない私的制裁  
軍紀の弛緩と退廃  
「皇軍たるの実を失いたるもの」

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