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朝鮮戦争無差別爆撃の出撃基地・日本-2023 その② [軍事]

朝鮮戦争  無差別爆撃の出撃基地・日本  林 博史【著】

高文研(2023/06発売) サイズ 46判/ページ数 288p/高さ 19cm

ISBN 978‐4874988503

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内容情報

内容説明
米軍の加害の出撃基地・兵站基地となった在日米軍基地の出発点は朝鮮戦争だった!米国の公文書を克明に調査し、東京(横田)・沖縄(嘉手納)から飛び立った爆撃機B29による無差別爆撃と日本の「参戦」の実態を明らかにした労作。
目次
はじめに
なぜいま朝鮮戦争か
米国の侵略や軍事介入に全面協力する日本
Ⅰ 朝鮮戦争の経過と日本の関わり
  南北分断と事実上の内戦
  朝鮮戦争の経過
  日本の関わり
Ⅱ 朝鮮戦争の勃発と国連軍の反撃1950年6月─10月
  1 朝鮮戦争に参戦した米空軍
  2 爆撃機司令部とB29
    B29の派兵と爆撃の開始
    爆撃機司令部の発足と爆撃方針
    爆撃機司令部指揮下のB29による爆撃の開始
    爆撃と軍事目標
  3 戦闘爆撃機による攻撃
    避難民への爆撃
    ナパーム弾による攻撃
    パイロットたちの証言
Ⅲ 中国人民義勇軍の参戦と停戦交渉下の爆撃
  1 中国人民義勇軍の参戦と無差別爆撃の本格化1950年10月─1951年4月
    無差別爆撃の本格化
    ナパーム弾と焼夷弾
    平壌への大爆撃
    原爆使用問題
  2 停戦交渉下の絞殺作戦・集中砲火作戦1951年5月─1952年4月
   「絞殺作戦」の開始
    夜間爆撃への転換一九五一年一〇月以降
    ショランによる爆撃
    生物化学兵器問題
    B29墜落事故
Ⅳ 政治的圧力のための爆撃
  1 破壊による航空圧力の強化1952年5月─1953年7月
    阻止作戦の総括と新作戦の立案
    圧力ポンプ作戦
    政治的圧力のための爆撃
  2 水力発電所の爆撃
    北朝鮮の水力発電施設
    水力発電施設への爆撃
    B29による水力発電施設爆撃
  3 あらゆる建造物を破壊する爆撃
    町や村、集落への爆撃
    自己目的化する建物の破壊
  4 灌漑ダム爆撃1953年5月─6月
    農民や稲作も軍事目標
    洪水を意図した灌漑ダム爆撃
  5 最終盤の航空作戦1953年6月─7月
Ⅴ 総括 朝鮮戦争における爆撃
  1 爆撃の総括
    爆撃の全体概要
    何を爆撃したのか
    徹底して破壊された北朝鮮の町村
    朝鮮戦争の犠牲者数
    出撃基地となった日本・沖縄
    米空軍への日本の支援
    無差別爆撃の根幹にある植民地主義と人種主義
  2 その後
    核出撃基地化する日本
    朝鮮戦争が与えた影響
    おわりにかえて
    巨大米軍基地群の日本
    強国の横暴を防ぐために
参考文献

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朝鮮戦争無差別爆撃の出撃基地・日本-2023 [軍事]

朝鮮戦争  無差別爆撃の出撃基地・日本  林 博史[ハヤシひろふみ]【著】
高文研(2023/06発売) サイズ 46判/ページ数 288p/高さ 19cm
ISBN 978‐4874988503
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出版社内容情報
朝鮮戦争は1950年6月25日、北朝鮮軍が北緯38度線を越えて韓国に侵攻して、1953年7月27日に停戦協定が締結されるまで3年1カ月にわたって行われた戦争です。
今年の7月23日は、朝鮮戦争の停戦協定が結ばれて70周年になります。しかし、70年が経った今も平和条約は締結されておらず戦争状態は依然として続いています。
朝鮮戦争について、著者は以下のように評価しています。

-----------------------
 朝鮮戦争は日本にきわめて大きな影響を与えた。警察予備隊から保安隊─自衛隊という再軍備がおこなわれ、憲法九条が政治の争点となる。米国は日本を冷戦のために経済的に利用するにとどまらずその軍事的役割を求めるようになる。日本の支配層の平和憲法や戦後民主主義への敵視と米国の冷戦政策が合わさって逆コースが進められ戦後の非軍事化・民主化の改革が突き崩されていった。戦争責任や植民地責任をあいまいにしながら米軍基地を受け入れるサンフランシスコ平和条約と日米安保条約が結ばれ、米軍基地が独立回復後も維持されることになった。日本にいる朝鮮人を敵視し差別する政策が積極的に取られ制度化されたのもこの戦争中だった。
 米国は、朝鮮戦争前は韓国や日本本土に米軍基地を置く構想はなかったので朝鮮戦争がなかったならば、日米安保条約があったかどうかも疑問であるし朝鮮半島の状況はまったく違ったものになっていただろう。ただし沖縄は米軍の軍事支配下に置かれ続けられただろうが、朝鮮戦争があったことによってその軍事負担は強められたと言えるだろう。
-----------------------

本書は、著者の上記のような問題意識のもとで、日本(特に首都東京)と沖縄の基地からB29が北朝鮮に対して無差別爆撃をおこなった実態を米空軍資料から明らかにし、日本が朝鮮戦争に深く関わっていること、特に非人道的な爆撃の出撃基地であったことを日本社会の共通認識とし、朝鮮半島の平和実現のためへの日本の貢献について考える素材を提供することを目的として執筆されました。
著者は「朝鮮戦争を終わらせ平和を実現することは戦後の日本のあり方を大きく変える可能性を秘めている」「戦争を放棄したはずの戦後日本が加害意識の欠落に無自覚であり続けていること、朝鮮戦争をはじめ米国がおこなう非人道的な戦争行為に加担し続けていること、それどころか侵略戦争や植民地支配を正当化しようとする流れが日本の主流になってしまっている現状を深刻に反省し克服しなければならない」と提言しています。


著者等紹介
林博史[ハヤシひろふみ]
1955年神戸市生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。現在、関東学院大学経済学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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アメリカ空軍の歴史と戦略-2008 [軍事]

アメリカ空軍の歴史と戦略 (ストラテジー選書)              

出版社 ‏ : ‎ 芙蓉書房出版
発売日 ‏ : ‎ 2008/8/1
単行本 ‏ : ‎ 204ページ
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4829504284 
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内容(「BOOK」データベースより)
陸軍航空の時代から、現代のITによる空軍改革までを通観し、航空戦略の将来を展望する。今後のアメリカの軍事戦略を考察するうえで重要な役割を果たしているアメリカ空軍を理解するために、アメリカ空軍の歴史と戦略を、現役の自衛官がまとめた。
目次
はじめに
第1章 陸軍航空の誕生と第一次世界大戦
第2章 戦間期における陸軍航空の発展
第3章 第二次世界大戦、ヨーロッパ航空戦
第4章 第二次世界大戦、太平洋航空戦
第5章 アメリカ空軍の独立
第6章 朝鮮戦争航空戦 第7章 アメリカ空軍と冷戦
第8章 ベトナム戦争航空戦の蹉跌と克服
第9章 湾岸戦争航空戦での勝利
第10章 アメリカ空軍のトランスフォーメーション
おわりに、現代の航空戦略
 
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
源田/孝 ゲンダたかし
1951年生まれ。航空自衛隊幹部学校教官。1974年防衛大学校航空工学科卒業。元空将補。幹部学校指揮幕僚課程、同幹部高級課程修了。幹部学校戦略教官、北部防空管制群司令、防衛大学校教授、幹部学校戦史主任教官を経て2007年から現職。早稲田大学大学院公共経営研究科公共経営修士(専門職)。軍事史学会理事・事務局長、戦略研究学会研究・編集委員
石津/朋之 シズともゆき
防衛省防衛研究所戦史部主任研究官、戦略研究学会常任理事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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はじめに より 
虹屋まとめ
 本書は、今後のアメリカの軍事戦略を君察するうえで重要な役割を果たしているアメリカ空軍を理解するために、アメリカ空軍の歴史と戦略をまとめたものである。
 アメリカ空軍の基盤を構築したのは、ウィリアム•ミッチェルである。ミッチェルは、第一次 世界大戦に参戦し、連合軍の連合航空隊司令官に就任して勝利に貢献した卓越したリーダーであった。また、第一次世界大戦後の平和思想と軍縮の中で、エア・パワーの重要性を啓蒙し、多くの後輩達に理想とするエア・パワーのビジョンを伝え残した。 
 ミッチェルが提唱した航空戦略は、「敵国家の心臓部に直接エア・パワーを指向して敵国の戦争遂行能力を破壊するとともに、敵国民の意欲を喪失させることによって勝利を獲得する」ことであった。ミッチェルは、将来の戦争にこのような航空戦略を採用すれば、戦争は短期間で終結するため、死傷苦を低減でき、結果として戦争はより人道的になると確信していた。また、ミッチェルは、当時の航空先進国イギリスとイギリス空軍を参考にしてアメリカ空軍の未来像を構想した。このようなミッチェルのビジョンは、その後のアメリカ空軍の指標となり、ミッチェルを信奉する後輩達が実現していった ,
 アメリカ空軍の発展の歴史的経緯についてコリン・グレイは、「ー九〇〇年代初頭から一九二〇年代にかけて実験的かつ陸軍力の補助軍種にすぎなかった空軍は、一九二〇年代から一九四〇年代にかけて有用かつ重要な軍種へと発展を遂げた。 それが一九四〇年代から一九九〇年代にかけて絶対必要不可欠な補助的軍種となり、そして一九九〇年代以降は、あたかも単独で戦争に勝利できる軍種へと発族したかのようである」と概観している。
 アメリカは他国の追随を全く許さないほどの圧倒的なエア・パワーを保有している。 今日のアメリカを見るとき、ランド・パワー国家であった口―マ、シ―・パワー国家であったイギリスとの歴史的比喩から、エア•パワー国家といっても過言ではない。まさしく、アレグザンダ―・セヴァースキーが提唱した「エア・バワ―国家としてのアメリカ」が出現したといえよう。
 戦争にエア・パワーを大規模に投人するとともに、効果的に運用することにより、敵国の政治と軍事の中枢を火規模かつ正確に破壊することができ、その結果、戦争が短W期間で終結する可能性、そして、人的被害が局限できる可能性が高まってきた。こうして、アメリカは、エア・パワーを軍事力の中核に位置付ける「アメリカ流の戦争方法」を確立しようとしている。
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書評
ヨーロッパ諸国に遅れて陸軍の一部門として発足、第二次世界大戦ではミッチェルの思想に基づく「昼間高高度精密爆撃」と「夜間低高度無差別爆撃」という二種類の戦略爆撃が行われる。
戦後、陸軍から独立。ヒロシマ・ナガサキを切っ掛けとする核戦略と、ベルリン封鎖への対抗としての空輸戦略におけるプレゼンス。ソ連の核保有後は相互確証破壊を前提に航空作戦にも様々な制限が生まれたが、第二次世界大戦の成功体験からそれへの適応を怠った米空軍は朝鮮、ベトナムで敗北を重ねる
80年代の治安維持作戦を通しハイテク化とドクトリン改良が進む。

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戦費(戦争経済)のグローバル化--日露戦争(1904〜05年)とウクライナ戦争 [軍事]

戦費調達のグローバル化が、電信技術の発達で国際金融市場が一体化して始った。日本の電報の有線・電線の電信国際化は、1871(明治4)年に、デンマークの大北電信会社(The Great Northern Telegraph Co.)が明治政府の許可を得て、長崎・上海間と長崎・ウラジオストック間にそれぞれ電信線を敷設した。長崎・上海線は香港までの電信と接続しており、香港でイギリス系電信会社の電線を介して、インド経由で欧州などとの通信が可能となっている。
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(無線通信は技術の発達で1916 年に日米間に、その後欧州、南洋および南米との無線電信を設けられた。)


 日本が日露戦争(1904〜05年)の戦費をロンドンやニューヨークで国債を発行して調達したのは有名な話です。公債・国庫債券および一時借入金とする金額は15億55872千円、全体の78%(開戦前年の1903明治36年の一般会計歳入は2.6億円)完済は 1986昭和61年だそうです。

 「戦費調達を一国で完結させる」と言う時代は120年前1900年代に終わっているのです。

ウクライナ戦争では、
ドイツやフランスに売った天然ガスのお金でロシアは戦争をしている


ドイツやフランスはロシアに戦費を渡している


経済制裁しても効果がないことは最初からわかっている


しかし建前上侵略には反対


武器や援助を提供


欧州や英米のカネと武器でウクライナ人が戦争

ロシアの戦費も天然ガス代として間接的にヨーロッパ由来
ウクライナも欧英米のカネと武器で戦争継続可能に
つまりロシアとウクライナはどちらも英米欧のカネで殺し合いをしている


欧米日は経済制裁は戦争をやめさせるのには効果がないことを最初から知っているのです。すなわち経済制裁は「効果はないけど、かと言って何もせんわけにいかんから、何もしないよりはマシ」と言う程度の「顔だけ出しとくみたいな、形だけの効果のない抑止なのです。


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大日本帝国の生物兵器-③-㋐秘密戦-「第二次世界大戦秘録 の第2章 炭疽菌爆弾(イギリスの秘密兵器) [軍事]

61J6FnvbqzL.jpg第二次世界大戦秘録 幻の作戦・兵器 1939-45  著者 マイケル・ケリガン
 防衛省防衛研究所戦史研究センター  石津 朋之 (監訳), 餅井 雅大 (翻訳)
出版社 ‏ : ‎ 創元社; 初版 (2012/12/27)  サイズ B5判 : ‎ 192ページ 
ISBN-‎ 978-4422215266
第1 章 1939-1941年  第2 章 1942年  炭疽菌爆弾(イギリスの秘密兵器)など  第3 章 1943年  第4 章 1944年  第5 章 1945年
大日本帝国の生物兵器ーー㋐〈秘密戦〉とは何か 「陸軍登戸研究所と日本軍の秘密戦」山田 朗  より 
秘密戦という軍事用語には、広義と狭義の 2つの使い方がある。広義の秘密戦とは、①化学戦(毒ガス)、②生物戦(細菌等)、③非合法な戦い(スパイ・攪乱・テロ)など、要するに国際条約上、あるいは国際信義上、秘匿を要する戦い全般を指す
狭義の秘密戦とは、③非合法な戦い(スパイ・攪乱・テロ)の部分のみを指している。本稿では、狭義の秘密戦のことを〈秘密戦〉と表記。
大日本帝国陸軍の定義によれば〈秘密戦〉は、防諜・諜報・謀略・宣伝(戦時プロパガンダ)の 4つの要素から成り立っている。〈秘密戦〉とは、戦争には必ず付随するが、歴史に記録されない〈裏側の戦争〉、〈水面下の戦争〉ともいえるものである。〈秘密戦〉による戦果というのは,これは勝った方も負けた方も公表しないのが普通です。 現在でも〈秘密戦〉の類はおこなわれていますので,過去の〈秘密戦〉であったとしても,その詳細を明らかにするということはめったにありません。 
【滅多にない公表された資料を集め書かれた本書「第二次世界大戦秘録」】
日清・日露戦争(1904~05年)からシベリア出兵(1918~22年)の頃から対外的な〈秘密戦〉を目的として参謀本部直属のスパイ・情報収集者が朝鮮半島や大陸に派遣された。石光真清ら日本側諜報員は、商人・僧侶などに変装して情報収集や工作にあたっていた。また、ストックホルムなどを拠点に明石元二郎ら軍事情報の収集、ポーランド独立派等に武器・資金援助を行っていた。
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続く


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炭疽菌爆弾(イギリスの秘密兵器)-➁-「第二次世界大戦秘録 の第2章 [軍事]

第二次世界大戦秘録 幻の作戦・兵器 1939-45  著者 マイケル・ケリガン
 防衛省防衛研究所戦史研究センター  石津 朋之 (監訳), 餅井 雅大 (翻訳)
出版社 ‏ : ‎ 創元社; 初版 (2012/12/27)  サイズ B5判 : ‎ 192ページ 
ISBN-‎ 978-4422215266
第1 章 1939-1941年  第2 章 1942年  炭疽菌爆弾(イギリスの秘密兵器)など  第3 章 1943年  第4 章 1944年  第5 章 1945年

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ラジオ・カナダ(Radio Canada)は2010年6月1日、第2次世界大戦中にカナダが創設した最高機密の軍事研究所が、連合国軍のために炭疽菌爆弾を開発していたというドキュメンタリー番組を放送した。

1943年、カナダのモントリオールとオンタリオ湖間の可航水路のセントローレンス水路(Saint Lawrence Seaway)の小島グロス島に作られた軍事研究施設でカナダの研究者チームは、炭疽菌を培養した。番組によると、イギリスのウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)首相が50万発の炭疽菌爆弾の開発を目指していた。

【ナチス・ドイツの軍事工場を爆撃しても、翌日には復旧工事が始まった。その復旧作業を遅らせるために、空爆h1024-1b-皮膚タンソ.gif時に炭疽菌を撒けば、作業員の顔、頚部、腕、手のヒフの掠り傷から感染し、皮膚炭疽症が発病するだろう。
 1-3日の潜伏期後、痒みが起こり、次いで痛みのない丘疹・イボができ、その後水疱状になり、2日以内ぐらいに潰瘍形成が起こり、次いで黒色で炭のような痂皮(かさぶた)をつくる。致死率は5∼20%。 それで、爆撃からの回復工事がストップするだろう。それをチャーチルは狙った!?】

その炭疽菌爆弾製造に使うため大量の、当時の約二十数億の全人類を30回以上殺りくできる700億人分の致死量に相当する炭疽菌を培養した。
「プロジェクトN(Project N)」と呼ばれたこの炭疽菌爆弾の研究開発は、原爆開発やドイツの暗号解読とともに、連合国軍の3大機密であったと番組は主張している。 大戦終結までにイギリスに送られた炭疽菌爆弾は、わずか5000個であったという。プロジェクトに参加した科学者トーマス・ストーベルは番組の中で、研究施設は1944年8月に閉鎖されたが、残った炭疽菌は溶剤と混ぜてしばらく放置された後、セントローレンス水路に廃棄されたと証言した。


元来,炭疽菌は,牛や羊が持っているもので人類が家畜を飼うようになった1万年以上前から存在していたと考えられている.実際に炭疽菌を分離したのは1876年,ロベルト・コッホである.炭疽菌は世界で初めて分離された細菌であった.すなわち,炭疽菌は微生物学の出発点になった細菌であり,それを契機として,20世紀には微生物学の研究が著しく進展し,その成果として多くの感染症が制圧されてきた.ところが,その影の部分として,生物兵器の開発が1930年代には,すでに始まっていた. 
 その最初は日本であった.1930年代前半に731部隊は生物兵器の開発を始め,炭疽菌や流行性出血熱ウイルスについて人体実験を含む研究を行った.


大日本帝国の生物兵器に続く

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炭疽菌爆弾(イギリスの秘密兵器)--「第二次世界大戦秘録 の第2章 [軍事]

61J6FnvbqzL.jpg第二次世界大戦秘録 幻の作戦・兵器 1939-45 
著者 マイケル・ケリガン ,Michael Kerrigan
 防衛省防衛研究所戦史研究センター  石津 朋之 (監訳), 餅井 雅大 (翻訳)
出版社 ‏ : ‎ 創元社; 初版 (2012/12/27)

サイズ B5判 : ‎ 192ページ
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4422215266

第1 章 1939-1941年
第2 章 1942年  炭疽菌爆弾(イギリスの秘密兵器)など
第3 章 1943年
第4 章 1944年
第5 章 1945年

https://mnsatlas.com/?p=75939
38-Ross_tion_map.jpg1942年、第二次世界大戦の最中、ナチス・ドイツが生物兵器を開発していることを恐れたチャーチル首相は、科学者チームに炭疽菌(致死性の細菌感染症)を兵器として使う方法を探るよう命じた。その実験に使われたのがスコットランドの北西に浮かぶ小さな島、グルイナード島Gruinard Island である。
面積: 1.96 km² 標高: An Eilid, 106 m (348 フィート)
この島で行われてきた実験は隠蔽されてきたが、ついに国防省の機密解除文書によってその実態が明らかにされた。
実験は炭疽菌の胞子による直近の地域の長期にわたる汚染を引き起こすことが認識されていたため、人里離れた無人島が必要でした。Gruinard は調査され、適切であると見なされ、英国政府によって所有者から徴用された。
グルイナード島は人里離れた場所にあり、感染症を封じ込めるだけでなく、研究内容が漏れる危険性も低いと思われたため、白羽の矢が立ったのだ。
 
 80頭の羊が島に運ばれ、炭疽菌の胞子で満たされた爆弾が、選択されたグループがつながれた場所の近くで爆​​発した. ヒツジは炭疽菌に感染し、暴露から数日以内に死亡し始めました
カラー映画フィルムに記録され、炭疽菌爆弾が爆発した後、茶色がかったエアロゾルの雲が標的の動物に向かって漂流します。その後、炭疽菌に感染した羊の死体が実験の最後に焼却炉で焼かれていることを示しています。
当初は除染作業によって汚染を容易に解消できると考えられていたが、除染することができなかった。炭疽菌は、小さなボールのように丸まり表面に堅くて丈夫なタンパク質の皮膜を作り芽胞とよばれる状態になり残存し続けた。結果、島内に生息していた動物は死に絶えた。(その後数十年間、グリュナード島の炭疽菌汚染は消えなかった。)
実験が完了し、科学者たちは、炭疽菌の胞子が大量に放出されると、ドイツの都市を完全に汚染し、その後数十年間居住できなくなると結論付けました。
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島の浄化には、1986、1987年に海水で希釈した280 トンのホルムアルデヒド溶液が、島の196ha ( 485 エーカー) のすべてに噴霧され、散布場所周辺の最も汚染された表土が除去されました。その後、羊の群れが島に置かれた。群れは、健康を維持しました。
 4 年が経過した後、1990 年 4 月 24 日、国防次官マイケル ノイバートが島を訪れ、警告標識を取り除き島の安全を宣言し、立ち入り禁止は解除された。
2022 年 3 月 26 日、島は山火事によって「端から端まで」焼けた。
続く

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関東軍ー在満陸軍の独走--2005年刊 ⓶ [軍事]

ノモンハン.jpg関東軍  在満陸軍の独走
著者 島田 俊彦 /[シマダ トシヒコ] 
出版者 講談社 講談社学術文庫 1714
 
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館
 B/210.7/シマ
関東軍成立から満州事変,ノモンハン事件,「関特演」と1945/8/9ソ連軍侵攻による壊走までの通史.防衛庁戦史室と外務省外交文書室に残された資料を利用し、1965年刊の労作
まえがき  より
関東軍の実態については意外に知られていない。それが今回私が防衛庁戦史室その他の多数の資料にもとづいて、関東軍の歴史的指標と認められる大事件を中心に、この軍隊の歴史と独走の実態を実証的に画き出そうとした最大の動機
関東軍の「関東」というのは、中国の山海関サンカイカン以東一帯―つまり奉天ホウテン•吉林キツリン・黒竜江コクリュウコウ三省に対する名称である。いい換えればこれは満州の別称。この名称を、そのほんの一部分にしか当らない遼東リヨウトウ半島の先端に用いて、これを「関東州」と名づけたのは、一八九八年以来ここを中国から租借していたロシア
日本はー九〇五年、日露戦争の結果として、この租借権をロシアから譲られると同時に、中国側の抗議を退けて、このいささか誇張的な呼び名をそのまま踏襲した。そしてやがてはこの租借地に根拠をおく、駐箚チユウサツ一個師団、独立守備隊六個大隊、計約ー万の兵力をもつ日本軍にも「関東軍」という名を与えたのである。
 
日露戦争後、日本はむしろ北方の脅威から次第に解放されていき、一方関東軍の鼻先では、辛亥シンガイ革命 (一九一一年、清最後の皇帝溥儀が退位し、清国は滅亡。共和制の中華民国が誕生。)が発生し、それから蔣介石シヨウカイセキの北伐ホクバツ完成 (一九二八年、蔣介石が中国国民党の国民革命軍を指揮し北洋軍閥打倒。蔣介石の国民政府が中華民国唯一の政府になった。 )までは、内戦に次ぐ内戦の混乱があった。それをみて関東軍はここぞとばかり中国の内戦に干渉し、それを通じてかねてからの満蒙マンモウ進出の夢を実現しようと計った。その窮極キユウキヨクの目的は、満州を手に入れて、ソ連に対する備えを固めることだった。満州事変の結果として彼らが作った満州国 (ー九三二年建国 )は、そうした意味での唯一で最大の成果であった。

ー九三六年、関東軍は、ようやく極東の軍備を固めつつあったソ連軍と直接国境線で向い合うことになった。以後「ノモンハン」事件が代表する国境紛争事件、打倒ソ連軍を目ざして行なわれた「関特演カントクエン」という名の大兵集中など、一連の対ソ事件をひき起しつつ、第二次大戦末期になって、ソ連軍の進攻の前に手もなく完敗し、関東軍はその四十年の歴史の幕を閉じた。
続く


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関東軍ー在満陸軍の独走--2005年刊 ① [軍事]

515-8+Kq+9L.jpg関東軍  在満陸軍の独走
著者 島田 俊彦 /[シマダ トシヒコ] 
出版者 講談社
講談社学術文庫 1714
 248頁
出版年 2005.6 
ISBN 4-06-159714-0
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 B/210.7/シマ
関東軍成立から満州事変,ノモンハン事件,「関特演」と1945/8/9ソ連軍侵攻による壊走までの通史.防衛庁戦史室と外務省外交文書室に残された資料を利用し、1965年刊の労作
日露戦争直後から太平洋戦争終結までの40年間、満州に駐屯し、日本の対中国政策の尖兵的役割を演じた関東軍。陸軍中央の統制に背いて独走し、軍事的衝突を策した彼らの行動は、日本の運命に重大な影響を及ぼした。張作霖爆殺事件や満州事変、ノモンハン事件等の歴史的大事件を中心に、膨大な史料に基づいて、関東軍の歴史と独走の実態を描き出す。  講談社学術文庫
目次 簡略
第1章 生いたちと性格(「関東軍」誕生の陣痛;満州軍の「独立」 ほか)
第2章 張作霖爆死事件(昭和三年六月三日夜;張作霖を脅かす北伐 ほか)
第3章 満州の演出者たち(実行板垣、智謀石原;石原の世界最終戦論 ほか)
第4章 ノモンハンの敗北(新段階むかえた関東軍;緊張高まるソ満国境 ほか)
第5章 七十万軍隊の終焉(渋柿主義か熟柿主義か;独ソ開戦と対ソ戦準備 ほか)
著者 島田俊彦 シマダ トシヒコ
1908~1975。東京生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。元武蔵大学教授。専攻は現代日中関係史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
続く


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独ソ戦--絶滅戦争の惨禍-2019 [軍事]

%13ーc.jpg独ソ戦
副書名 絶滅戦争の惨禍
岩波新書 新赤版 番号 1785
著者名1 大木 毅 /著  
出版者 岩波書店
出版年 2019.7
ページ数 20,248p
NDC分類(9版) 391.2074
ISBN 978-4-00-431785-2


内容紹介
これは絶滅戦争なのだ。ヒトラーが断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった。想像を絶する独ソ戦の惨禍。歴史修正主義の歪曲を正し、現代の野蛮とも呼ぶべき戦争の本質をえぐり出す。

著者等紹介
大木毅[オオキ タケシ]
1961年生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学(専門はドイツ現代史、国際政治史)。千葉大学ほかの非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師などを経て、現在、著述業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
目次
はじめに
 現代の野蛮未會有の惨禍
 世界観戦争と大祖国戦争
 ゆがんだ理解
 スタートラインに立っために
第1章 偽りの握手から激突へ
第一節 スターリンの逃避
 無視される情報
 根強い対英不信
 弱体化していたソ連軍
第二節 対ソ戦決定
 征服の「プログラム」
 想定外の戦局
 三つの日付
 陸軍総司令部の危惧
 第一八軍開進訓令
第三節 作戦計画
 マルクス・プラン
 ロスベルク・プラン
 「バルバロッサ」作戦
第2章 敗北に向かう勝利
第一節 大敗したソ連軍
 驚異的な進掌
 実情に合わなかったドクトリン
 センノの戦い
 自壊する攻撃
第二節 スモレンスクの転回点
 「電撃戦」の幻
 ロシアはフランスにあらず
 消耗するドイツ軍
 「戦争に勝つ能力を失う」
 隠されたターニング?ポイント
第三節 最初の敗走
 戦略なきドイツ軍
 時間は浪費されたのか?
 「台風」作戦
 二度目の世界大戦へ
第3章 絶滅戦争
第一節 対ソ戦のイデオロギー
 四つの手がかり
 ヒトラーの「プログラム」
 ナチ・イデオロギーの機能
 大砲もバターも
 危機克服のための戦争
第二節   帝国主義的収奪
 三つの戦争
 東部総合計画
 収奪を目的とした占領
 多元支配による急進化
 「総統小包」
第三節 絶滅政策の実行
 「出動部隊」編成  
 「コミッサール指令」
 ホロコーストとの関連 
 餓えるレニングラード
第四節 「大祖国戦争」の内実
 スターリニズムのテロ支配
 ナショナリズムの利用
 パルチザン
 ソ連軍による捕虜虐待
img_b2d3.jpg第4章 潮流の逆転
第一節   スターリングラードへの道
 ソ連軍冬季攻勢の挫折
 死守命令と統帥危機
 モスクワか石油か
 「青号」作戦
 妄信された勝利
 危険な両面攻勢
 スターリングラード突入
 ネズミの戦争  
  ソ連兵・・猫、ドイツ兵・・鼠
第二節 機能しはじめた「作戦術」
 「作戦術」とは何か
 「赤いナポレオン」の用兵思想
 ドイツ東部軍の潰滅を狙う攻勢
 解囲ならず
 第六軍降伏
 戦略的攻勢能力をなくしたドイツ軍
第三節 「城塞」の挫折とソ連軍連続攻勢の開始
 「疾走」と「星」
 「後手からの一撃」
 暴かれた実像
 築かれていく「城塞」
 必勝の戦略態勢
 失敗を運命づけられた攻勢
 「城塞」潰ゆ
第5章 理性なき絶対戦争
第一節 軍事的合理性の消失
 「死守、死守、死守によって」
 焦土作戦
 世界観戦争の肥大化
 軍事的合理性なき戦争指導
第二節 「バグラチオン」作戦
 戦後をにらむスターリン
 「報復は正義」
 攻勢正面はどこか
 作戦術の完成形
第三節 ベルリンへの道
 赤い波と砂の城
 「共犯者」国家
 ドイツ本土進攻
 ベルリン陥落
 ポツダムの終止符
終章 「絶滅戦争」の長い影
 複合戦争としての対ソ戦
 実証研究を阻んできたもの
 利用されてきた独ソ戦史
文献解題
略称、および軍事用語について
独ソ戦関連年表
おわりに

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