国際メディア情報戦ー③ [メディア]
著者紹介
1965年東京生まれ。東大文学部卒。NHKにディレクタ-として入局し、現在、福岡放送局勤務。2000年放送の「民族浄化~ユ-ゴ情報戦の内幕」がバンフテレビ祭ロッキ-賞候補作となる。
まえがき
序 章 「イメージ」が現実を凌駕する
ーーーー
北朝鮮も中国もいよいよ参戦
こうして、冷戦後、特に第三世界の国家や対立する勢力が、国際世論を動かそうとこぞって「国際メディア情報戦」に参入した。メカメディアにどうアプローチするのか、その方法を知らない彼らは、欧米のPRのプロを雇い、そのテクニックを用いて大きな成果をあげる例も出てきた。
この、「小国がメガメディアを動かして大国を動かす」という手法は、現在に至るまで続いている。北朝鮮の現在の指導者金正恩第一書記でさえ、それを試みたことがある。二〇二ー年の人工衛星=ミサイル発射の直前、世界のメディアとカメラマンたちを発射場に招いて取材させた一件がまさにそれだ。従来の北朝鮮のやり方を考えれば前代未聞の珍事だ。しかし冷戦後の九〇年代にスイスなど海外で暮らした体験もあると言われる金正恩は、CNNやBBCの威力を身をもって知っているに違いない。そして自らが権力を握ったとき、「国際メディア情報戦」に参戦しようとしたのだ。
そして、二〇二一年にアメリカによって殺害されたオサマ・ビンラディンも、「国際メディア情報戦」をその主戦場にしていた。稀代のプロデューサーと言ってもよいビンラディンが展開するメディア戦略に悩まされたアメリカは、政権をあげてビンラディンとの情報戦に対抗せざるを得なくなった。「テロとの戦い」は実は「メディア情報戦」の戦いでもあった。アメリカはこの戦いに当初劣勢であり、最後にはビンラディンと、その後継者までも殺害して決着をつけようとしたが、現在でもメディア空間上に生きるビンラディンの「亡霊」に悩まされ続けている。
本書では、冷戦終結以降現在までの四半世紀にわたる 「国際メディア情報戦」を、世界各地を舞台に描いていく。第1章では、『戦争広告代理店』での取材を振り返ることで「国際メディア情報戦」の戦略の詳細を解き明かし、第2章からはその後各地で次々に起さている情報戦の新しい「戦場」を分析していく。
続く
国際メディア情報戦ー➁ [メディア]
著者紹介
1965年東京生まれ。東大文学部卒。NHKにディレクタ-として入局し、現在、福岡放送局勤務。2000年放送の「民族浄化~ユ-ゴ情報戦の内幕」がバンフテレビ祭ロッキ-賞候補作となる。
まえがき
序 章 「イメージ」が現実を凌駕する
ーーーーーー その戦いとは何か。「国際メディア情報戦」-それは、グローバルな情報空間で形作られる巨大な情報とイメージのうねりであり、それをどのように誘導するのか、または防ぐのか。国家、企業、PRエキスパート、メディアの担い手たちの間で行われている、銃弾を使わないもうひとつの戦いだ。
この戦いが冷戦後の世界を動かすようになっだのは、ちょうどその頃、世界のテレビメディアの「グローバル化」が急速に進展したことを背景にしている。CNNとBBCをはじめとする、国際的な影響力をいまや寡占する「国際メカメディア」-本書ではそう名づけさせてもらう―の登場だ。
その躍進は、二十年あまり前、べルリンの壁崩壊と、それに続く湾岸戦争から始まった。中でも湾岸戦争で、当時まだ新興TV局たったCNNのピーター・アーネット記者が、プライアウェイ(可搬型テレビ電波打ち上げ器)をバグダッドに持ち込み、米車の空爆を生中継で伝えた放送は、「国際メカメディア」時代の幕開けを衝撃的に演出した。
英国の老舗BBCも国際衛星ニュースチャンネルを整備し、それらの放送は世界中ぽとんどの国で受信可能で、英語という国際覇権語を通じて数十億の人々の家庭に直接入り込んでいる。そして、どんな国の主要ホテルの部屋でもリモコンのスイッチを入れた瞬間から見ることができ、世界を駆けまわるビジネスマンも政治家もどこにいようとそれを見ているのだ。
さらに、国際世論を動かすうえで決定的に重要な役割を果たすアメリカの三大ネットワークが「メカメディア」クラブの仲間としてこれに続く。
誰が敵で誰が味方かわからない
昔は違った。
冷戦の時代、世界は単純だった。西側にいれば東側が敵であり悪である。東側にいればその反対で、いずれにしても、世界は初めから悪い側と良い側が決まっており、それをメディア情報戦でどうこうするという発想は必要性が薄かった。
ところが、冷戦が終わると、とたんに世界は複雑なものになった。アフリカ、中東、あるいはユーゴスラビアの誰も知らない名前の民族や地域をめぐって紛争が相次ぎ、そのどちらがどうなのか、敵は誰で味方は誰なのか、見当もっかないという世界の姿になった。
そのとき、「国際メガメディア」を動かし、その情報空間で自らの正当性を効果的にアピールでされば、それがそのまま国際政冶の現実となる。そのことにいち早く気づいたものが、新しい時代の「国際メディア情報戦」を勝ち抜き、その果実を得るようになった。
実際にその流れを決める「国際社会」の実体は、端的に言えば欧米先進国だ。国連安保理常任理事国の五力国中四力国がその勢力に属している。中でもアメリカが新政権を承認するかどうかでクーデターの命運が決まる。ところが、そのアメリカにとって、この小国の新しい勢力がどのような連中なのか、関心もなければ知識もない。冷戦時代であれば、バックにソ連がついていればそれは敵だとわかっだのだが、今はその判別法もない。
そういうときにこの新政権の価値判断をするのが国際メカメディアだ。現地にはプライアウェイを持った記者が入っていく。APやロイターの命知らすのカメラマンも現地入りしてTV局に映像を提供する。一方、ニューヨークやロンドンのヘッドクォーターではその地域の事情に詳しい識者やジャーナリストがスタジオから解説を加える。
その結果形成される新政権のイメージが「善」か 「悪」か、具体的には、民主主義を信奉しているのはどちらの勢力か、報道や表現の自由を守るのはどちらか、虐殺があったとすればそれはどちらがしたのか、といった基準によってそれが決まる。
そしていったん「善悪」のレッテルが国際情報空間で定まれば、アメリカをはじめ先進主要国の政府も、それに従うのである。貢源や特段の地政学的な稀少性がない限り、第三世界の小国のことで国際的な非難を浴びるリスクをとる必要はないからだ。
続く
国際メディア情報戦-講談社現代新書 2247ー① [メディア]
著者紹介
1965年東京生まれ。東大文学部卒。NHKにディレクタ-として入局し、現在、福岡放送局勤務。2000年放送の「民族浄化~ユ-ゴ情報戦の内幕」がバンフテレビ祭ロッキ-賞候補作となる。
まえがき
一九四五年八月十五日の終戦前後、都心の官庁街のさまざまな場所から幾筋もの煙が立ち上り、空は黒煙で覆われた、という話を知っているだろうか?米軍の爆撃によるものというわけではない。
それは、大量の文書を焼く煙だった。おそらくはまもなく始まるであろう連合国側の戦犯裁判を恐れて、戦中、戦前の重要文言を焼いてしまったのだ。それはきわめて広範囲に行われた。組織的に焼却を命じた証拠や証言が、旧軍関係や宮内庁、外務省そのほかの政府機関や地方自治体からも相次いで発見されている。
重要文書を都合が悪くなると焼いてしまう。それは欧米諸国と比較すると顕著な日本の特徴だ。ナチスドイツを裁いたニュルンベルク裁判では、敗戦後も残された大量の文書やナチス自身が撮影した写真・映像が証拠として使われた。ひるかえって日本の戦犯を裁いた東京裁判やそのほかのBC級裁判では、証拠書類を焼いてしまったため、皮肉なことに被告に有利な論証をできずに罪が重くなったり、有罪になったケースも多かったと言われている。
この傾向は現在も本質的には変わっていない。それは取材などで日本の公文書館と、アメリカの公文書館の両方で資料公開の請求をすると実感する。その落差はあまりにも大きい。アメリカでは、過去の公文書は納税者である国民のものであり、基本的には公開されるべきで、それが民主主義の根本原則だという考えが浸透している。公文書館のスタッフも、自らの仕事を、民主主義を支え国民に資するものとして誇りを持っている。
ところが、日本の場合は、「公開してやる」と言わんばかりの上から目線を感じさせ、さまざまに難癖をつけて制限するし、多くの点て使い勝手も悪い。彼らが管理する公文書は政府のものではなく、国民のものだという強い意識も感じられない。いずれ条件が整えば、躊躇なく再び「秘密」の文書は焼かれてしまうことだろう。
これらは何を意味するのだろうか。文言を葬り去るうとする為政者たちが悪いのだろうか。いやそうとだけは言えまい。それをどこかで許している私たち自身にも原因はあるのではないだろうか。日本人は、どこかで、重要な価値を持つ情報は、本来秘密のものであり、一般の国民の手の届かないところにあって、スパイや軍人や外交関係者や、そういう特殊な人だもの手にあるものだと思ってはいないだろうか。そして情報戦というと、CIAやらMI5やらの情報機関が水面下で暗躍する、「ごく一部の大しか知らない情報」をいかにケットするかの戦いのことで、自分には直接関係ないと思ってはいないだろうか。
しかし、世界は違う。 アメリカの公文書館が体現するように、民主主義を大切にする世界では「情報」は外に出すもの、秘密であってもいずれは出てくるものというのが基本だ。国民も政府も、それらの情報とどう向きあうかが問われている。そして、新聞からテレビ、インターネットとメディアが加速的に発達する現代、重要な情報こそ外部に発信し、それを「武器」とすることが、国際社会で生き残るうえで不可欠になっている。
「情報戦」とは、情報を少しでも多くの人の目と耳に届け、その心を揺り動かすこと。いわば「出す」情報戦なのだ。情報は、自分だけが知っていても意味はない。現代では、それをいかに他の人に伝えるかが勝負になっている。
現代の「情報戦」の意義をそのようにとらえ、一つのケーススタディとして取材したのが、二〇〇二年に出版した『ドキュメント戦争広告代理店--情報操作とボスニア紛争』(講談社文庫)と、その基になったNHKスペシャルのドキュメンタリー番組だった。それ以来、さまざまな番組取材を行う間もつねにこの「情報戦」というテーマは心のどこかで意識してきた。
本書では、それを「国際メディア情報戦」と名付けた。その戦いは、二十一世紀に入りさらに激しさを増し、国際社会のあらゆる面に広かっている。そのプレイヤーも、アメリカ大統領からPRエキスパート、国際テロリストまであらゆる層に広かっている。
その現場を、『戦争広告代理店』の舞台であるボスニア紛争に始まり、最新の事件や紛争、国際的なイベントにいたるまで、十年あまりの分析と取材の成果としてまとめた。これを読めば、あなたも明日の新開、テレビ、そしてインターネットやSNSの見方が変わってくるはずだ。
目の前にある情報が、なぜいま、このような形であなたのもとに届いたのか、情報源からあなたまでの間にどのような意志と力が働いたのか、それを推察し見抜くことで、世界がまったく違う姿となってたち現れてくる。そして、「国際メディア情報戦」の視点から世界を見ることは、私たちが暮らす民主主義社会とは何なのか、その意味を深く問い直すことになるはずだ。
続く
読書の歴史を問う―書物と読者の近代 (改訂増補版)【著】和田 敦彦-2020年8月刊 [メディア]
和田 敦彦【著】
価格 ¥2,090(本体¥1,900)
文学通信(2020/08発売)
サイズ A5判/ページ数 328p/高さ 21cm
商品コード 978-4909658340
県立図書館収蔵 NDC分類 019.02
内容説明
文学×教育学×歴史学、出版×流通×販売。どうやって調べ、学んでいけばいいか。多様な問いを調べ、考えるための、実践マニュアル。
私たちは、読書を自分一人で行う孤独で内面的な営みだと思いがちだが、読書は一人では決して成り立たない。では読書とはどのようなものなのだろうか。そこにはどんな問いが隠れているのか。
文学×教育学×歴史学、出版×流通×販売、など諸学が交差する「読書の歴史」という地点で、何をどう調べ、学べばいいのか。本書はそんな多様な問いを調べ、考えていくための実践的なマニュアルである。
【読書は、それぞれの時代、場所で同じような行為、経験としてあったわけではない。また、書物と読者の間だけでなりたつ孤立した行為でもない。この当たり前のことが、読書を学び、調べることの豊かな可能性や広がりを作り出す。ある時期や地域の読者を問うたり、あるいは書物を作り、運び、紹介したり、保存したりする行為を研究したり、学んだりすることに結びついていく。本書は、こうした読書の歴史に関わる多様な問いを調べ、考えるための実践的なマニュアルのようなものだ。】……「おわりに」より
学び、調べることの豊かな可能性や広がりを存分に伝える名著の改訂増補版、遂に刊行!
著者等紹介
和田敦彦[ワダあつひこ]
1965年、高知県生まれ。1996年、信州大学人文学部助教授、2007年、早稲田大学教育・総合科学学術院准教授、2008年、同教授。コロンビア大学(2005‐2006)客員研究員、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(2013)、ヴェニス国際大学(2016)、ローマ大学サピエンツァ(2017)、サンパウロ大学(2019)招聘教授。専門は日本近代文学研究、及び出版・読書史研究。2007年からリテラシー史研究会を主催、同年より機関誌『リテラシー史研究』(年刊)を刊行している
参照関連「大東亜」の読書編成―思想戦と日本語書物の流通 著 和田 敦彦/ワダあつひこ
目次
はじめに
なぜ読書を問うのか
第1章 読書を調べる
1読書の問い方
2読書の自由とその制約‘
3書物の流れをとらえる
4読者を知る手がかり
第2章 表現の中の読者
1雑誌研究のすすめ
2新聞から読者をとらえる
3女性雑誌の表現と読者
4児童という読者
5識字とメディア
第3章 読書の場所の歴史学
1なぜ読書の場所が重要なのか
2鉄道と読書
3閉ざされた読書空間
4図書館という場
5海外の日杢語読者
第4章 書物と読者をつなぐもの
1書物と読者の「あいだ」
2「あいだ」の調べ方
3図書館の創造
4書物の仲介業
5仲介者の役割
第5章 書物が読者に届くまで
1書物の販売・流通史
2取次・販売ルートの変化
3教科書が読者にいたるには
4地域での書籍の流れ
5占領下の沖縄で
6サンパウロの読書空間
第6章 書物の流れをさえぎる
1検閲と読書の関係
2戦前・戦中の新聞検閲
3戦前・戦中の書籍検閲
4占領期の検閲
5検閲資料の探し方
6規制する仲介者
第7章 書物の来歴
1書物の来歴をとらえる
2書物の受難
3書物の大移動
4文化外交と書物
5失われる書物
第8章 電子メディアと読者
1電子化された書物
2データベースのリテラシー
3電子図書館の成り立ち
4読者との「あいだ」に
5「函」の役割
第9章 読書と教育
1国語科と読書
2読書イメージの変遷
3教科書・教材史と読書
4アーカイブス教育と読書
5読書の歴史とメディア・リテラシー
第10章 文学研究と読書
1文学研究と読書
2享受史、受容史
3表現の分析と読者
4文学史という読み方
5学知の広がりをとらえる
6拓かれた地平へ
@おわりに
あとがきにかえて
索引
「大東亜」の読書編成―思想戦と日本語書物の流通 【著】和田 敦彦-2022年2月刊 [メディア]
著 和田 敦彦/ワダあつひこ
ひつじ書房 https://www.hituzi.co.jp/
(2022/02発売)
(2022/02発売)
サイズ 46判/ページ数 351p/高さ 20cm
商品コード 9784823411298
内容説明
戦時期の国内外で、日本の言語や文化を広げようとする営みが示すものとは。戦時下の国内での国民に対しての読書傾向調査や読書運動、占領した東南アジア各地の書籍流通・蔵書は、当時の文化統制/文化工作の姿を映し出す。『書物の日米関係』『越境する書物』の著者が、さらに東南アジアの日本語蔵書から思想戦の政策と実践を明らかにし、「大東亜」を捉え返す。
書物の流れを追いかけて本書は、戦時期に日本の言語や文化の価値を教え、紹介し、広げていった人々の活動やその仕組みに焦点をあてる。知や情報を広げ、読者に働きかけていく仕組みを、国内の文化統制と、外地や占領地に向けた文化工作とに通底する技術として明らかにする。そのために、書物の読者への広がりをとらえる新たな研究方法を用いた。思想戦の政策から実践への展開が、占領地や移民地に遺る日本語蔵書の詳細なデータから初めて明らかにされる。
【目次】
序章 〈日本〉を発信する――002
はじめに――002
1 文化外交論の〈日本〉志向 国際文化局のゆくえ――007
2 内への統制、外への宣伝――014
3 日本文化会館蔵書と文化工作――018
4 技術としての学知――023
第一部 国内の文化統制から対外文化工作へ――029
第一章 再編される学知とその広がり―戦時下の国文学研究から――030
はじめに――030
1 教学刷新下の国文学研究――034
2 早稲田大学における国文学研究――039
3 戦時教育の中の国文学――041
4 抗いの多層性――046
おわりに――051
第二章 読書の統制と指導―読書傾向調査の時代――054
はじめに――054
1 読書傾向調査というトレンド――057
2 「自由読書」はなぜ批判されるのか――060
3 読書傾向調査の系譜――067
4 読書傾向調査から読書指導へ――069
5 読書会と『読書日録』――074
おわりに――081
第三章 「東亜文化圏」という思想―文化工作の現場から――084
はじめに――084
1 日本語教育と文化圏の創造――086
2 地政学の受容とその実践――092
3 内地と現地実践との溝――100
4 現地実践の行方――017
おわりに 代償として「青年」――110
第二部 外地日本語蔵書から文化工作をとらえる――113
第四章 アジアをめぐる日仏の文化工作―ベトナムに遺された日本語資料――114
はじめに――114
1 東南アジアの日本語蔵書――116
2 フランス極東学院の日本研究――120
3 日仏文化交流と文化工作――125
4 ハノイ日本文化会館の行方――131
おわりに――136
第五章 日本を中心とした東南アジア研究へ―ハノイ日本文化会館蔵書から――138
はじめに――138
1 「大東亜学」の構想――141
2 日本語蔵書の構成――145
3 誰がアジアを記述するのか――150
おわりに――156
第六章 戦時下インドネシアにおける日本語文庫構築――160
はじめに――160
1 戦前インドネシアの日本語読者――162
2 占領下の日本の文化工作――167
3 日本語文庫の構築――171
4 岡倉天心という理想――177
5 日本語蔵書の構成――183
おわりに――187
第七章 文化工作と物語――188
はじめに――188
1 講談ジャンルの活用――192
2 講談と偉人伝の間――196
3 講談の方法と教育――202
4 戦時下の山田長政表象 ――209
5 山田長政 伝記小説の構造 ――214
おわりに――219
第三部 流通への遠い道のり――223
第八章 戦時期の日系人移民地の読書空間―日本語出版情報誌から――224
はじめに――224
1 一九三〇年代ブラジルの日本語読者――227
2 出版情報誌『文化』の創刊――233
3 日本の書物の広がりと享受――238
4 田村俊子「侮蔑」と遠隔地読者の邂逅――243
おわりに 『文化』の境界性と可能性――247
第九章 戦争表象を引き継ぐ―『城壁』の描く南京大虐殺事件――252
はじめに――252
1 『城壁』執筆まで――254
2 記憶の継承と改変――259
3 引揚げ体験という靱帯――264
4 流通しない「南京事件」物語――269
おわりに――274
《城壁 ISBN 978-4909658302》
終章 書物の流れを追いかけて――278
1 書物の広がりから問えること――278
2 東南アジア各国の戦前日本語資料――283
3 書物の広がりのその先に――289
注――294
あとがき――334
参考文献一覧
人名索引――345
事項索引――351
東京オリンピック1964の遺産 -成功神話と記憶のはざま-2021.12 [メディア]
東京オリンピック1964の遺産
副タイトル 成功神話と記憶のはざま
著者 坂上 康博 /編著, 來田 享子 /編著
出版年 2021.12
出版者 青弓社
ページ数 358p大きさ 19cm
ISBN 978-4-7872-2092-9
県立図書館収蔵 /780/Sa38/ NDC分類(9版) 780.69
副タイトル 成功神話と記憶のはざま
著者 坂上 康博 /編著, 來田 享子 /編著
出版年 2021.12
出版者 青弓社
ページ数 358p大きさ 19cm
ISBN 978-4-7872-2092-9
県立図書館収蔵 /780/Sa38/ NDC分類(9版) 780.69
内容紹介
開催に反対する世論、政治家の思惑、パイロット選手の記憶、音楽や踊りなど身体を通したオリンピックの経験…。1964年の東京オリンピックの遺産の正負両面を具体的な事実にもとづいて掘り下げ、脱神話化を試みる。
1964年の東京オリンピックは、戦後日本の復興を象徴し、高度経済成長と一体となった「世紀の祭典」として語られてきた。その語りは、日中戦争によって返上された1940年「幻の東京大会」の悲劇性との対比で、国民に感動と誇りと活力を与えた成功譚として記憶されてきた。
1964年の東京オリンピックは、戦後日本の復興を象徴し、高度経済成長と一体となった「世紀の祭典」として語られてきた。その語りは、日中戦争によって返上された1940年「幻の東京大会」の悲劇性との対比で、国民に感動と誇りと活力を与えた成功譚として記憶されてきた。
東京が三度招致した東京2020オリンピックは、新型コロナウイルスによって延期になり、国民的な批判を浴びながら、史上初、無観客で開催された。悲劇性を抱えた2つの東京大会のはざまで、1964年の東京オリンピックは、唯一、正常に開催されたオリンピックになった。
本書は、1964年の東京オリンピックの遺産の正負両面を具体的な事実にもとづいて掘り下げ、脱神話化を試みる。開催に反対する世論、オリンピックをめぐる政治家の思惑、文学者たちによる批判、地方都市での受け止め方、学校での関連教材の配布や観戦動員、パイロット選手の記憶、音楽や踊りなど身体を通したオリンピックの経験に光を当てる。
そして、1964年の東京オリンピックの遺産を通して、東京2020オリンピックの意義をあらためて検証する。
中京大学スポーツミュージアムとも連携して、当時の資料が閲覧可能に。スマートフォンやパソコンを通して、1964年を追体験できるスポーツ・デジタルアーカイブの新たな試み。
目次
まえがき (坂上康博/來田享子)――011
第1章 池田勇人首相と東京オリンピック(中房敏朗)――021
第2章 天皇・原子力・オリンピック(中房敏朗)――050
第3章 忘れられた遺産―文学者たちの東京オリンピック批判(坂上康博)――080
第4章 五輪競技を開催した八王子市―記録映画にみる都市の経験(高尾将幸)――124
第5章 学校に届いた東京オリンピック(木村華織)――156
第6章 東京オリンピックと踊る人々(伊東佳那子)――187
第7章 「オリンピック・マーチ」が鳴り響いた空―「オリンピックと音楽」
に刻まれる「記憶」(尾崎正峰)――208
第8章 パイロット選手の記憶(來田享子)――251
終章 対談:一九六四年大会と二〇二〇年大会を双方向で捉え直す(坂上康博/來田享子)――280
あとがき (坂上康博)――353
著者等紹介
坂上康博[サカウエやすひろ]
1959年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科教授。専攻はスポーツ史、スポーツ社会学、社会史
來田享子[ライタきょうこ]
1963年生まれ。中京大学スポーツ科学部教授。専攻はオリンピック・ムーブメント史、スポーツとジェンダー。東京2020オリンピック・パラリンピック大会組織委員会理事を務めた。また、2021年に国際オリンピック史家協会のヴィケラス賞を受賞
中房敏朗[ナカフサとしろう]
1962年生まれ。大阪体育大学体育学部教授。専攻はスポーツ史
高尾将幸[タカオまさゆき]
1980年生まれ。東海大学体育学部講師。専攻はスポーツ社会学
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
感情天皇論--大塚 英志 著 [メディア]
出版年 2019.4
ページ数 334p
ISBN 978-4-480-07219-1
新潟市立図書館収蔵 NDC分類(9版) 313.61
内容紹介 明仁天皇夫妻に私たちはいかに「個人」を見出し、あるいはいかにそれを消そうとしたのか。文学や映画を通じて天皇をめぐる時代精神を抽出。三島由紀夫から「シン・ゴジラ」、「お気持ち」発言まで読みとく評論集。
一九五九年、皇太子明仁のご成婚パレードの日、一人の少年が皇太子とその妻に石を投げた。三島由紀夫はその行為に「天皇と国民が個人として対話をする」というテロルを見て戦慄し、石原慎太郎はそれを隠蔽しようとした。そして即位した明仁天皇が行ってきたのは、かつて庵野秀明が描いた人類補完計画が成ったかの如き、統合の実践としての感情労働だった。『少女たちの「かわいい」天皇』から一時代を経て書かれた、「終わり」の平成天皇論
目次
序章 私たちは明仁天皇の「ことば」をいかにして見失ったか
第1章 他者としての天皇―投石少年論
第2章 セカイ系としての「純粋天皇」―大江健三郎を平成の終わりに読む
第3章 押入れの中の「美智子さんの写真」と「女子」教養小説という問題
第4章 シン・ゴジラの帰還と素晴らしき天皇なき世界
第5章 平成三〇年小説論―「工学化した世界」の片隅で
短い終章 天皇のいない国をつくる
大政翼賛会のメディアミックス--大塚 英志 著 [メディア]
戦時下、大政翼賛会主導で生み出された「翼賛一家」という漫画が、いかに動員ツールとして機能したか、メディアミックスの事例とともに紹介する。「自由な表現」が可能になった現代への視座にも富んだ、刺激的な論考。
敗戦を前に内省するみの助、敗戦後五人の子供のうち二人の幼子と妻とともに自死したみの助は著者にとって重い存在である。みの助が長男の加東康一に宛てた遺書にいう「敗戦を境に変わり果ててしまった日本、そして日本人に絶望した」
みんな動員された──。
長谷川町子が描き、古川ロッパが歌い、手塚治虫が二次創作し、みんなが投稿した「ニコニコ」メディアミックスの正体とは?
戦時下、「翼賛一家」というキャラクターが生みだされた。多くの新聞、雑誌にまんがが連載され、単行本もいくつか出版されるが、「翼賛一家」の展開はそれだけではない。それは、レコード化、ラジオドラマ化、小説化もされる国策メディアミックスであり、読者からの参加を募ることによって、大衆の内面を動員するツールだったのだ。
「町内」という世界観や銃後の心得を人々に教え込み、やがては植民地政策の一環として台湾へも進出する「翼賛一家」とは一体何だったのか──。 「自由な表現」が可能になった現在、私たちは無自覚に「表現させられて」はいないのか。現代への視座にも富んだ刺激的論考!
戦時下、「翼賛一家」というキャラクターが生みだされた。多くの新聞、雑誌にまんがが連載され、単行本もいくつか出版されるが、「翼賛一家」の展開はそれだけではない。それは、レコード化、ラジオドラマ化、小説化もされる国策メディアミックスであり、読者からの参加を募ることによって、大衆の内面を動員するツールだったのだ。
「町内」という世界観や銃後の心得を人々に教え込み、やがては植民地政策の一環として台湾へも進出する「翼賛一家」とは一体何だったのか──。 「自由な表現」が可能になった現在、私たちは無自覚に「表現させられて」はいないのか。現代への視座にも富んだ刺激的論考!
目次
序章 「翼賛一家」というまんががあった
第1章 メディアミックスする大政翼賛会
第2章 「町内」という世界
第3章 創作する「素人」たち
第4章 隣組からニコニコ共栄圏へ(資料提供・蔡錦佳)
第5章 手塚治虫は「翼賛一家」を描いたのか
付論 文化工作とメディアミックス
1 「漫画を描く読者」の成立……鈴木麻記
2 一九三〇年代中国漫画のメディアミックス……徐園
3 可東みの助の運命……大塚英志
敗戦を前に内省するみの助、敗戦後五人の子供のうち二人の幼子と妻とともに自死したみの助は著者にとって重い存在である。みの助が長男の加東康一に宛てた遺書にいう「敗戦を境に変わり果ててしまった日本、そして日本人に絶望した」
メディアの読者が「創作する大衆」として参画していったこと。そして、それが、大政翼賛会のそもそもの戦略であったという指摘。さらに、手塚治虫も、長谷川町子も、その投稿者だったという事実。
空襲による死を描き、戦後の作品にも通じるリアリズムを追求した手塚治虫
なぜ彼女は革命家になったのか--Flora Tristan--2020刊 [メディア]
副書名 叛逆者フロラ・トリスタンの生涯
原タイトル:Flora Tristan
ゲルハルト・レオ /[著]
小杉 隆芳 /訳
出版者 法政大学出版局
出版年 2020.8
ページ数 23,304p
大きさ 20cm
ISBN 978-4-588-36420-4
県立図書館収蔵
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館2階 /289.3/トリ/
内容紹介
離婚が認められなかった19世紀のヨーロッパで、夫や社会と闘った作家フロラ・トリスタン。彼女は、奴隷や娼婦、労働者など底辺の人々に寄り添って声を上げ…。41年の波乱の人生を送った、画家ゴーガンの祖母の物語。
離婚が認められなかった19世紀のヨーロッパで、夫や社会と闘った作家フロラ・トリスタン。彼女は、奴隷や娼婦、労働者など底辺の人々に寄り添って声を上げ…。41年の波乱の人生を送った、画家ゴーガンの祖母の物語。
女は男に従うべきとされていた19世紀のヨーロッパで、女性と労働者の地位向上のために連帯を訴え、社会と闘った作家フロラ・トリスタン。夫に執拗につけ回され、当局に目をつけられても、貧民街や監獄、工場や病院を取材し、本を執筆し、正義を主張しつづけた。時代にあらがい、自由を求めたそのたくましい精神は、孫の画家ゴーガンにも受け継がれる。
屋根裏部屋の王女
暗黒の年月
ドン・ゴエネシュの邸宅で
プライアの奴隷たち
ドン・ピオとの対立
アレキパの内戦
リマの女たち
パリで最初の成功
バック通りの襲撃
テームズ河岸での発見
新たな河岸に向かって
『小冊子』への賛否を問う黒玉と白玉
フランス巡り
ゴーガンの驚嘆すべき祖母
原注
訳者あとがき
著者紹介
ゲルハルト・レオ(レオ ゲルハルト)
(Gerhard Leo)
1923-2009年。ベルリンで生まれたユダヤ系ドイツ人ジャーナリスト。戦前レオ一家はナチの迫害を逃れパリに亡命し、青年レオはレジスタント運動に加わり、ヒトラー政権打倒に身をささげた。その功績により、シラク政権下でレジョン・ドヌール勲章を受けた。
小杉 隆芳(コスギ タカヨシ)
1943年生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得満期退学。豊橋技術科学大学名誉教授。
おもな訳書にS. シャルレティ『サン=シモン主義の歴史』(共訳)、フロラ・トリスタン『ロンドン散策』(共訳)、フロラ・トリスタン『ペルー旅行記』、パラン・デュシャトレ『一九世紀パリの売春』(以上いずれも法政大学出版局)などがある。
楽園への道--マリオ・バルガス=リョサ /著 [メディア]
著者 マリオ・バルガス=リョサ /著, 田村 さと子 /訳
出版年 2017.5
出版者 河出書房新社
シリーズ名 河出文庫 ハ9-1
ページ数 632p
大きさ 15cm
ISBN 978-4-309-46441-1
NDC分類(9版) 963
県立図書館収蔵
内容紹介
「スカートをはいた煽動者」フローラ・トリスタン、「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャン。--祖母と孫がたどった自由への道--貧困、孤独、病などの逆境の中、それぞれのユートピアの実現を信じて飽くことなくを求めつづけた二人の激動の生涯を、異なる時空をみごとにつなぎながら壮大な物語として展開。
フローラ・トリスタン、「花と悲しみ」という美しい名をもつ一人の女性。彼女は、女性の独立が夢のまた夢だった19世紀半ばのヨーロッパで、結婚制度に疑問をもち、夫の手から逃れて自由を追い求めた。そしてやがて、虐げられた女性と労働者の連帯を求める闘いに、その短い生涯を捧げることとなる。ポール・ゴーギャン。彼もまた、自身の画のためにブルジョワの生活を捨て、ヨーロッパ的なるものを捨てて、芸術の再生を夢見つつ波瀾の生涯をたどる。貧困、孤独、病など、不運な風が吹き荒ぶ逆境の中、それぞれのユートピアの実現を信じて生き抜いた二人の偉大な先駆者を、リョサは力強い筆致で描ききる。
絵を描くためにフランスを捨てて南の島に行ったゴーギャン、男性社会の偽善を糾弾したフローラ。彼らの反逆は今に通じている。この二人が孫と祖母の仲なのだから、文学作家にとってこれほど魅力的な設定はない。
著者ら
マリオ・バルガス=リョサ /著, Mario Vargas Llosa
1936年、ペルー生まれ。58年、サン・マルコス大学文学部卒業後、スペインに留学。同年、短編集『ボスたち』を発表する。62年、『都会と犬ども』により二つの文学賞(ブレベ図書賞およびスペイン批評家賞)を受けて脚光を浴びる。その後67年『緑の家』、69年『ラ・カテドラルでの対話』、73年『パンタレオン大尉と女たち』など長編を次つぎに発表、ラテンアメリカを代表する作家として確固たる地位を築く。74年、ペルーに帰国してからは作家活動の傍ら政治活動も精力的に行う。76年、国際ペンクラブ会長に就任。85年『世界終末戦争』発表。90年にはペルー大統領選に出馬するが、アルベルト・フジモリに敗れる。2000年『ヤギの祝宴』、2003年『楽園への道』発表。小説のほか『ガルシア=マルケス―ある神殺しの歴史』など評論や戯曲も数多い。2010年ノーベル文学賞を受賞.
田村 さと子 /訳
1947年、和歌山県新宮市に生まれる。現在、帝京大学教授。お茶の水女子大学卒業後、メキシコ国立自治大学、スペイン国立マドリード大学に留学。帰国後、お茶の水女子大学大学院博士課程修了。1991年、同大学にて学術博士号(Ph.D.)取得。ミストラル研究によりスペイン王立アカデミーチリ支部・チリ言語アカデミー外国人会員に東洋人として初めて選出される。著書に、『イベリアの秋』(第3回現代詩女流賞)、訳書に『ネルーダ詩集』(チリ大統領賞)などがある
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