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原爆投下への道、空爆の歴史、日本の敗戦==荒井 信一 (著) [満州・大東亜]

81O7S3e10JL縮.jpg原爆投下への道
荒井信一  アライ シンイチ
東京大学出版会(1985/11発売)
 B6判/ページ数 275,/高さ 19cm
商品コード 978-4130230339

内容情報
核の独占を背景に戦後世界秩序を建設しようとするアメリカの戦略・意思の表現としての原爆投下の決定過程を、国内の政治過程と外交過程から分析。
 「世界の核をめぐる問題はイラク・北朝鮮問題をめぐって花ざかりだが、原点にかえって考えてみる。「戦争」とはどんなことを意味するのかを考える上でも重要。(福元政実・中高教員)」

荒井 信一(あらい しんいち、1926年2月4日[1] - 2017年10月11日[2][3])は、日本の歴史学者。専攻は西洋史、国際関係史。茨城大学名誉教授、駿河台大学名誉教授。

空爆の歴史
副書名  終わらない大量虐殺
  岩波新書 新赤版  番号 1144
荒井 信一 /著 
出版者  岩波書店
出版年 2008.8
ページ数 9,250,8p
大きさ 18cm
ISBN 978-4-00-431144-7
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館  S/391.2/アラ/
内容紹介
「ヨーロッパ諸国による植民地制圧の手段として登場した空爆は、現代にいたるまで、戦争の中心的役割を果たし、その“負の発展」を支えてきた。加害の側の力の圧倒的な優位性を背景に、とめどなく繰り返されてきた破壊と虐殺の実態を追究。「早期に戦争が終結できる」など、脈々と受け継がれてきた正当化論の虚構を浮き彫りにする。」
目次
第1章 二〇世紀の開幕と空爆の登場―幻惑された植民地主義
第2章 「ファシズム時代」と空爆―無差別爆撃を許す「文明世界」
第3章 総力戦の主役は空戦―骨抜きにされた軍事目標主義
第4章 大量焼夷攻撃と原爆投下―「都市と人間を焼きつくせ」
第5章 民族の抵抗と空戦テクノロジー―「脱植民地」時代の空爆
第6章 「対テロ戦争」の影―世界の現実と空爆の規制
51juCttyZeL.jpg日本の敗戦 (岩波ブックレット―シリーズ昭和史) 単行本 – 1988/7/20
荒井 信一 (著)
出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1988/7/20)
発売日 ‏ : ‎ 1988/7/20
言語 ‏ : ‎ 日本語
単行本 ‏ : ‎ 62ページ
ISBN-10 ‏ : ‎ 4000034383
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4000034388
五泉市立図書館収蔵

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ベトナム“200万人”餓死の記録 = 1945年日本占領下でー1993年刊行 [満州・大東亜]

ベトナム“200万人”餓死の記録-51GG2xcFOcL.jpgベトナム“200万人”餓死の記録
= 1945年日本占領下で 
著者 早乙女 勝元∥サオトメ かつもと
出版者  大月書店
出版年 1993.9
ISBN  4-272-33029-2
佐渡市立図書館収蔵
1945年、日本占領下のベトナム中北部で未曽有の大飢饉が発生して、「200万人以上」が餓死したという。ベトナムでは周知のこの飢餓に、日本はどう関係したのか。大惨劇の実像を示す数十葉の写真と共に、歴史の暗部に迫る。
「第1章「外米」で飢えをしのいだ日々」では著者の少年時代の思い出を交えつつ戦時下の内地における食糧難を描き出す。だが、いかに慢性的な食糧不足に苛まれようとも戦時下の日本では飢餓による死者はいなかった。「外米」によってなんとか飢えをしのいだ戦時下日本人。だが、そんな「外米」はどこから運ばれてきていたのだろうか?
著者の丹念な取材は第二章以下において1945年の日本占領下ベトナムにおける大量餓死を克明に描き出す。そこからはフランス・日本による支配やコメの強制買付け、南部仏印から北部へのコメの輸送の停止、食用作物からジュートなどへの転作の強要などといった要因が重なり「200万人餓死」につながっていく構図が浮かび上がってくる。
P171「私たちは、まちがいなく、ベトナム人民の血の出るようなとぼしいコメや、汗の結晶ともいうべきトウモロコシを多量に食べて、なんとか飢えをしのぎ、戦時下の厳しい食糧難時代を生き延びたのだ。このことは、何びとも否定できない事実である。かわりにベトナム北中部で、どのような大惨事が起きたかなどは、夢にも知らされずに・・・」
著者が取材の過程で入手した惨劇の写真の数々には戦慄を禁じ得ない。南京事件、ヒロシマ・ナガサキや東京大空襲など戦争の悲劇は数知れず存在するが本書に描き出されるベトナムにおける200万人餓死はそれらに勝るとも劣らない惨劇であるにも拘らず、今でも一般的に知られているとは言い難い。日本軍が直接殺害したわけではないので「戦争責任」としてはなかなかクローズアップされにくいのかもしれないが、近年注目を集めつつある「植民地責任」論を考える上でも、戦時下日本人の苦難もそれがベトナムにおけるさらなる大惨劇の上に成り立っていたこと、被害と加害の錯綜する帝国の戦争について考える上で本書は古いけど今でもなお色褪せない必読の書である。

タグ:加害責任
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戦時下女学生の軍事教練 女子通信手と「身体の兵士化」 [満州・大東亜]

越境する近代巻次:15

戦時下女学生の軍事教練 女子通信手と「身体の兵士化」

佐々木 陽子(著)

発行:青弓社 

A5判 縦210mm 横148mm  300ページ 上製

発売予定日  2022年11月25日

ISBN 978-4-7872-2096-7   


読みたいな


紹介

戦前、女子の中等教育を担った高等女学校(高女)は「良妻賢母」の再生産の場とみなされてきた。しかし、満州事変から始まった15年戦争下(1931-45年)では軍人を指導教員に招聘して竹槍訓練・匍匐訓練、さらには銃や木銃を使った射撃訓練を含む教練を実施したり、生徒を地域の軍隊に短期入営させて軍人に教練指導を委託したりという高女(高等女学校)もあり、身体を「兵士化」する訓練が日常化していった

そうした軍事教練の実態を、関東地方を中心に5つの公立高女の卒業生を対象にした聞き取り調査から探り、高女の変容の要因を分析する。


同時に、女性の戦時動員のなかでも空白部分の女性軍属、とりわけ女性通信手に光を当てる。部隊や県庁への防空警報などの連絡係、敵機からの防衛を担う情報係、海上の船舶などからの略号による無線航空情報を翻訳する係、軍隊の機密を知ることができる任務などの軍属としての女性の正規軍への参入の内実を、北海道札幌と愛知県名古屋の軍隊に通信隊員として採用された高女卒業生への聞き取り調査から解明する。


高女での軍事教練と女性の通信隊員の歴史から、戦時下の女性の動員の実態を浮き彫りにする貴重な成果。


【目次】

第1章 戦時下の高女とジェンダー――研究対象と先行研究

第2章 戦時下高女の女子教練にみる「身体の男性化」

第3章 戦時下高女の軍事化の具体的様相――関東・東海地方の聞き取り調査から

第4章 戦時下の高女の学校生活――高女生身体への視線の交錯

第5章 女子通信手としての軍属経験――「労働の男性化」の一側面


著者プロフィール

佐々木 陽子  (ササキ ヨウコ)  (著)

1952年、東京都生まれ。元・鹿児島国際大学福祉社会学部教授。著書に『総力戦と女性兵士』、編著書に『兵役拒否』(ともに青弓社)、『枕崎 女たちの生活史──ジェンダー視点からみる暮らし、習俗、政治』(明石書店)など。

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証言 日中アヘン戦争ー1991 [満州・大東亜]

253754.jpg証言 日中アヘン戦争

著者 江口 圭一 編 ,
及川 勝三 著   及川, 勝三, 1908-,
丹羽 郁也 著丹羽, 郁也, 1921
岩波ブックレット-番号 215
体裁 A5 ・ 並製 ・ カバー ・ 64頁
刊行日 1991/08/02
ISBN 978-4000031554
新潟大学 附属図書館図在庫
この本の内容
「私は“満州”でアヘン専売にたずさわり海南島でアヘンを生産していた」「私はアヘンを運ぶ船に通信員として乗っていた」――岩波新書『日中アヘン戦争』刊行後に名乗り出た方の衝撃の証言.初めて明るみに出た歴史の真実.

目次
満州国でアヘン専売にたずさわる
蒙疆でアヘン政策を立案する
イランから上海へアヘンを運ぶ
海南島でアヘンを生産する

書評
当時においてもアヘンは国際法違反のため日本のアヘン政策は文書が残されておらず極東裁判も伝聞が多かった。著者は内モンゴル地区の内部文書を入手して著作を発表する阿片政策研究者のトップランナーであった。著作発表後にアヘン栽培や輸送に携わった方々から連絡が来た。その対談集がこの本であり、証言だけでなく熱河省や海南島のアヘン畑の写真は貴重だ。職員が記念に撮影したもの。及川勝三の証言で海南島でアヘン生産していたことが明らかになった。及川は里見甫に依頼されて栽培。海南島の栽培は首相の給与の倍。1991年出版。


イランからアヘンを輸入した時の生々しい証言。また、蒙疆から海南島へ転身しケシの栽培を行ったという証言。80年近く前の当時の社会の空気感がわかる。

タグ:阿片
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日中アヘン戦争--1988年刊 [満州・大東亜]

日中アヘン戦争 
江口圭一 えぐち けいいち/著 
 出版年 1988.7
出版者 岩波書店  岩波新書  新赤版 29 
ページ数 209p大きさ 18cm
ISBN 4-00-430029-0
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館自動書庫 NDC分類(9版) 210.74


日中戦争はもう一つのアヘン戦争であった.昭和一二年以後,日本は内蒙古にかいらい政権を樹立,ここを中心に莫大な量のアヘンを生産し,中国全土にアヘン・麻薬を流しつづけた.その害毒はじつに戦慄すべきものであった.著者が発掘した決定的な資料をふまえて,日本が日中戦争においておこなった最大の国家犯罪の全貌に迫る.


もくじ
幻のアヘン資料—プロローグ
1 アヘン・麻薬と中国・日本
2 蒙彊・華北占領地のアヘン政策
3 華中・華南占領地のアヘン政策
4 アヘン政策の推進
5 大アヘン政策の展開
6 毒化政策をめぐる攻防国家の犯罪
—エピローグ


著者 江口 圭一, 1932-2003


書評

盧溝橋事件から華北華中へ侵攻するのだが単なる征服欲などではなく蒙疆、つまりケシの一大生産地を抑えたかったという事なのではないのか。そして興亜院/政権主導のもとアヘンは専売化され軍や警察民間が競ってカネ儲けに邁進した姿が見えてきた。ケシの凶作年にはイランから三井三菱などの財閥が率先し密輸を行い特務機関が輸送をし軍が警備するという有様。まさに盗賊国家であった。


タグ:阿片
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後藤新平をめぐる権力構造の研究ー2007 [満州・大東亜]

海軍の日中戦争--4816503544.jpg
後藤新平をめぐる権力構造の研究
著者  駄場 裕司 /ダバ ひろし  
出版者 南窓社
出版年 2007.6
大きさ 22cm  ページ数 404p
ISBN 978-4-8165-0354-2
新潟市立図書館収蔵  中央ホンポート館2階  NDC分類 289.1
内容紹介 「反米親ソ」の政治家・後藤新平。「後藤閥」の形成過程を彼の政治経歴に従って検討。「右」は玄洋社から「左」は共産党まで、冷戦イデオロギーの闇に覆われていた後藤を取り巻く人物群像から彼らが遺したものを考察する。
目次
序論
第1部 「後藤閥」の成立前後
(水沢時代から名古屋時代
内務省衛生局時代
台湾総督府時代-初期「後藤閥」の形成
満鉄時代
第二次桂内閣時代
第三次桂内閣時代
寺内内閣時代)
第2部 「後藤閥」と利権
(星製薬問題
後藤・ヨッフェ交渉前後の玄洋社・黒龍会
鈴木商店救済問題)
第3部 「後藤閥」の実態
(第二次山本内閣時代
田中内閣と「後藤閥」の対立
後藤新平の左翼人脈)
第4部 後藤没後の「後藤閥」の消長
(「国策通信社」設立過程と「後藤閥」
昭和研究会への結集)
結論

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天皇と右翼・左翼ー2020 [満州・大東亜]

日本海軍ー天皇と右翼・左翼4480073043.jpg天皇と右翼・左翼
日本近現代史の隠された対立構造
著者 駄場 裕司 /ダバ ひろし
出版者 筑摩書房
ちくま新書 番号11482
出版 2020.3
ページ数347p
ISBN 978-4-480-07304-4
新潟市立図書館収蔵 新津館 NDC分類(9版)361.65

内容紹介
近現代日本を動かしてきたのは、幕末以来の天皇家と伏見宮系皇族(旧宮家)の対立と裏社会の暗闘である。伏見宮が昭和帝の意を無視して、開戦に走った原因を、公武合体まで遡り、天皇家の内紛と捉えるとともに、天皇を巡る右翼と左翼の倒置関係を論じてる。この対立構造に右翼が反昭和帝となり、昭和帝がカウンターとして左翼を引き付けた。
 対米戦争へ主導したのは反英米的な軍・伏見宮系皇族・一部の長州閥有力者で、彼ら右派は昭和二十年八月十五日の宮城事件、三島事件など数多く事件を起こし、潜在的に反(昭和)天皇だった。
 昭和天皇・貞明皇后は左派勢力と個人的につながり、親天皇=保守=右翼ではなかったのだ。従来の右翼・左翼観を打ち破り、近現代日本の支配層における対立構造を天皇を軸に描き直す。
「通俗的だが実態と違うイメージで理解されがちな日本の「右翼」・「左翼」の付置を、根本的に書き換えることが、本書の目的である。(はじめに)」「日本の左右対立は冷戦最前線における『見せかけ』だった可能性(第八章)」
著者紹介 駄場 裕司 /ダバ ひろし
1964年東京生まれ。広島大学大学院社会科学研究科博士課程後期修了。博士(学術)。朝日新聞記者等を経て、著述家。著書に「大新聞社」など。

目次

はじめに―昭和天皇は「右」と近かったのか?
1 揺れ動く「右翼」と「左翼」
第一章 本来の右翼・左翼概念が適用できない戦前日本
第二章 後藤新平人脈と天皇家
第三章 朝日新聞社と保守本流

2 天皇家vs.伏見宮系皇族・「右翼」
第四章 貞明皇后vs.久迩宮家―倒幕派と公武合体派の確執1
第五章 昭和天皇vs.伏見宮系皇族軍人―倒幕派と公武合体派の確執2
/伏見宮元帥と昭和天皇の対立/伏見宮が導いた対米開戦/対米戦回避を諦めていなかった昭和天皇/昭和天皇と高松宮の確 執/必戦論者たった高松宮
/伏見宮系皇族を免責する「左翼」の昭和天皇戦争責任追及/伏見宮系旧皇族側に立って天皇家を攻撃した共産党

第六章 天皇制はなぜ残ったのか―「右翼」「左翼」双方の誤解
第七章 六〇年安保―天皇・田中清玄・ブントvs.岸信介・共産党・社会党
第八章 「左右」連合の諸相

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海外引揚の研究ー忘却された「大日本帝国」--2020年刊 [満州・大東亜]

539101.jpg海外引揚の研究 
忘却された「大日本帝国」
著者 加藤 聖文 /カトウきよふみ  
出版年 2020.11
出版者 岩波書店
大きさ 22cm ページ数 9,296,28p
ISBN 978-4-00-061434-4
県立図書館収蔵 NDC分類(9版) 369.37
内容紹介
長らく忘却・封印されてきた300万人を超える植民地・占領地からの引揚。国内外の一次資料を用いた国内政治過程、国際政治要因からの実態解明と、引揚者への調査などから、その全容と日本の脱植民地化の特質を明らかにする。
  南洋諸島と東南アジアから疎開名目で事実上引揚が始まっていた敗戦1945年前は外して、1946-50年(前期集団引揚)だけを論議をする。本書によって引揚研究に新たな境地を切り拓き、多くの研究課題を鮮明化する。
著者紹介
加藤 聖文(かとう きよふみ) 1966年愛知県生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。大和証券に勤めた後、早稲田大学大学院文学研究科史学(日本史)専攻博士後期課程単位取得退学。現在、人間文化研究機構国文学研究資料館准教授。
専門は、日本近現代史・東アジア国際関係史・アーカイブズ(歴史記録)学。著書に「満蒙開拓団」など。
目次
序 章 海外引揚研究の意義
 第1節 問題の所在
 第2節 海外引揚研究の現状
 第3節 本書の構成と狙い
第1章 「大日本帝国」の崩壊と海外引揚問題の発生
 問題提起
 第1節 ポツダム宣言受諾と現地定着方針
 第2節 東久邇宮内閣と残留日本人引揚問題の迷走
 第3節 米国の対中政策転換と残留日本人引揚の実現
 小括
第2章 満洲国崩壊と在満日本人引揚問題――満洲
 問題提起
 第1節 ソ連参戦をめぐる関東軍・日本政府の迷走
 第2節 ソ連軍占領下の在満日本人社会の混乱
 第3節 定着と引揚のあいだ
 第4節 国民政府軍の進駐と在満日本人送還の開始
 小括
第3章 引揚体験にみる脱植民地化の特異性――台湾・中国本土
 問題提起
 第1節 平穏な「敗戦」下の台湾
 第2節 台湾社会の混乱と引揚の開始
 第3節 支那派遣軍の降伏と戦争責任
 第4節 台湾引揚者団体の結成と戦後日台関係
 小括
第4章 ソ連の北東アジア政策と日本人引揚問題――大連・北朝鮮・南樺太
 問題提起
 第1節 ソ連軍政下の日本人労働組合と大連引揚
 第2節 朝鮮半島の分断と北朝鮮引揚問題
 第3節 ソ連の南樺太領有と樺太引揚
 小括
第5章 救護から援護へ――京城日本人世話会と引揚者団体
 問題提起
 第1節 京城日本人世話会と南朝鮮引揚
 第2節 在外同胞援護会救療部にみる引揚者応急援護活動の展開
 第3節 引揚定着援護事業への転換と引揚者団体の変容
 小括
第6章 引揚体験の記憶化と歴史認識――満洲引揚者の戦後史
 問題提起
 第1節 個人のなかの満洲体験――高碕達之助と平島敏夫
 第2節 「満洲」と「満洲国」をめぐる歴史認識――『満州開発四十年史』
 第3節 「敗者」と「勝者」の歴史認識――『満洲国史』
 第4節 悲劇と怨嗟の歴史認識――『満洲開拓史』
 小括
第7章 慰霊と帝国――表象された引揚体験
 問題提起
 第1節 引揚港をめぐる記憶と表象
 第2節 引揚犠牲者をめぐる「殉難」と「慰霊」
 第3節 樺太引揚にみる「故郷」と「異郷」
 小括
終 章 「大日本帝国」の清算と東アジアの脱植民地化
 総括と展望
 第1節 未完となった「大日本帝国」の清算
 第2節 第二次世界大戦によるユーラシア大陸の民族変動
 第3節 戦後世界の脱植民地化と国民国家再編
 海外引揚研究の可能性―― 一国史を超えて
あとがき
資料文献一覧
索引


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海軍の日中戦争ーアジア太平洋戦争への自滅のシナリオー2015 [満州・大東亜]

kaigunn.jpg海軍の日中戦争
アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ
著 笠原 十九司/カサハラとくし
平凡社
2015.6
-ISBN/978-4-582-45448-2
新潟市立図書館収蔵 巻図書館 210.74
内容紹介
海軍=善玉の通説を覆す、真珠湾攻撃の知られざる事実。日中戦争を対米英戦の実戦演習ととらえ、南進と大規模な空爆を決行、さらなる泥沼化を進めたのは海軍だった。国の命運より組織的利益を優先させ、ついにはアジア太平洋戦争へ。東京裁判でつくり上げられた「海軍免責論」「海軍神話」に真っ向から挑む力作。
本邦で理系大集団がその昔形成されてな、憲政史上空前の予算を使い、かつ欲しがり陸軍バカにして笑って、ひたすら自己利益獲得に邁進した結果、300万人自国民殺し、自らの組織を80年余で消滅させた。
著者紹介
笠原 十九司(かさはら とくし、1944年 - ) 都留文科大学名誉教授

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後期日中戦争=日中戦争期におけるアメリカの対日経済制裁と対華援助 [満州・大東亜]

日中戦争期におけるアメリカの対日経済制裁と対華援助


p49
 日中戦争を遂行する上で、おそらく最緊要の課題は軍需物資を購入するための外貨資金をいかにして調達するかであった。そして、一九三八年が象徴するように日士の政軍指導層は終始一貫して、軍需物資 鉄鉱石、屑鉄、石油製品、石炭、の輸入の増大→輸出製品用原料・綿花の輸入低減→輸出の停滞→輸入力の減退→軍需物資輸入の縮小、という悪循環に悩まされ続けたのである。
tumblr_ly9rw3bbg21qjzsg6.jpg
p51
米國会内外の孤立主義的傾向を一層強固なものにし、のみならずぶ委員長ジェルド・P・ナイ(共和党)は、同じく孤立主義者ベネッ卜・C・クラーク(民主党)とともに、中立法の制定に向けて活発な行動を展開したのである。
一連の中立法は条約などの国際法すら妨げていない私人による武器弾薬類・その他重要物資の輸出を違法とし、そして何よりも全交戦国―侵略国と被侵略国とを問わず―に対し無差別的に禁輸措置を講ずべきとしている点、政府にとって厳格で柔軟性を欠く立法であった。たとえば蘆溝橋事件のほぽ2カ月前、五月一日に成立した三七年中立法は、前二者(三五、三六年中立法)を踏襲しつつ、⑴全交戦国に対する兵器弾薬類の禁輸、⑵交戦国との金融上の取引禁止、⑶交戦国向け兵器弾薬類の米国船による搬送禁止、⑷交戦国との交易に従事する米国船の武装禁止を規定し、さらに懸案となっていた石油、屑鉄等重要物資の輸出につて、⑸現金自搬制Cash-and-carry つまり、米国領を離れる前に当該物資の権利が完全に購入者に移転し(=現金払いで取引が完全に終了し-cash)米国籍以外の船で搬送する(carry)場合以外は、これを禁じている。
口ーズヴエル卜政権は侵略国を制裁するにつけあるしは被侵略国を援助するにつけ、陰に陽に制約う被る
p52
 《いかなる代価を支払っても平和を》という米国民感情を前にしながらも、中国における日本の行動を抑制するための国際協力実現に向けて、当初ローズヴェルトは極めて積極的な姿勢を見せている。ブラッセル九ヶ国条約会議とは別個の、アメリカ自身の招請になる国際会議とか、既述の米英海軍力にょる日本封鎖の構想かそれである。
両構想は、ハル国務長官の反対もあって一旦棚上げにされたが、三七年12月12日のパネー号事件を機に復活、ローズヴェル卜自らイニシアティヴをとってイギリスへのアプローチを試みている(もっとも.国際会議案は英首相ネヴィルーチェンバレンの反対にあいあえなく頓挫し、また封鎖案も将来の約束事に留まった)。
蘆溝橋事件の勃発に際してローズヴェルト政権が執った措置の中で以上にも増して注目を要するのは。同政権が遂に中立法を発動しなかったことであろう。その主たる理由は、現金自搬制が「太平洋ではまったく悪しく機能する」からである。中立法が発動された場合、アメリカの軍需物資を購入するについては、資金(cash)と商船(carry)とそれをエスコートする海軍力を併せ持つ日本が極めて有利であり、中国はその悉くを欠いていた。
 米政府か中立法を発動しなかったお陰で、日本は原則として外貨事情の許す限り自由にアメリカの石油、屑鉄、機械類を購入することができた。既に見た通りである。しかし、こうした物資の日本への大量流入が、孤立派と国際派(制裁派)とを問わず大方のアメリカ人にとって、極めて遺憾な事柄であったことは論を侯だない。孤立派ないし平和主義者は、経済制裁や他国との協同行動が結局は日本との戦争を惹起するとしてこれを却ける一方、繰り返し中立法の発動を政府に迫り、これによって日本への軍需物資流入を観制しようとした。
他方、国際派は中立法不発動の政府方針を支持し.さらに進んで、戦争に至らない経済手段の行使を以て日本の行動を抑制すべきであるとした。民間では「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」American Calmmittee for Non Participation in Japanese Aggression が、中国で生まれ、北京の大学で教職の経験を持つハリー・B・プライス等親中反日派を中心に、前国務長官ヘンリー・L・スチムソンを名誉議長に据え、国務省内の対日強硬派スタンレー・K・ホーソベック(政治問題顧問)や同じく強硬派の上院外交委員長キイ・ピッ卜マン(民主党)と接触しつつ、軍需物賢の対日禁輸実現に向けて活発な運動を展開している。
続く

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