椿忠雄 イエスの癒し 認定審査会の公開質問状への回答の添付 [新潟水俣病未認定患者を守る会]
昭和58年3月15日付けの椿 忠雄・新潟県・新潟市公害健康被害認定審査会の公開質問状への回答に「私の医療に対する考えの一端をおくみいただくため、」同封されていた三編のうちの一つ。「婦人の友」82年7号(婦人の友社)に径刺された文章。新潟水俣病未認定患者を守る会、 稲村 渉あてに送られてきた。
□聖書にきく□
さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、あたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。
ヨハネ福音書五章五―九
イエスの癒し
ー意志と信仰のはたらきー
椿 忠雄 *東京都立神経病院院長
ベテスダの池と病む者
このいやしの物語は、ユダヤ人の祭のさなか、イエスがエルサレムに上られた時、羊の門のベテスダと呼ばれる池の畔でおこった話である。
聖書の記述では、「時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かす」(ヨハネ・五章四)とあり、これは現在の科学的解釈からすると、間歇泉であったのであろう。この池のまわりには長い間病いに苦しむ「病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者がからだを横たえていた」(同三節)。なぜかといえば、「水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていてもいやされる」(同四節)と信じられていたからである。
水の動いた時、すなわち間歇泉の湧き上った時の光景を想像するのは苦しいことである。誰でも病いのいやされる機会を待っているのであるから、我さきに池に入ろうと争ったと思われる。このような状態では、最も病いの重いもの、盲人などがまっさきに池に入ることは不可能であろう。家族がいて、抱きかかえて池に入れてもらえるような病人には、まだ救いの望みがある。しかし、この物語に登場するのは、三十八年のあいだ、病気に悩みつつ横だわっていた人である。その不自由な身を助けてくれる身内も、友人もなかったにちがいない。「水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」(同七節)ということばはそれを示している。この池のまわりの病人のなかで最もやつれはて、しかも孤独の中に打捨てられたその病人の前で、イエスは足を止められた。
「なおりたいのか」イエスは声をかけられた。恐らく、かつてそのような経験のなかったこの病人は、驚きと願いに胸をおどらせたであろう。水が動く時に自分を池に入れてくれる人が、ついに現われたかと。しかし、イエスはいわれた。
「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」と。そして、この人はすぐいやされたのである。
イエスと病者
私は医師である。それ故、聖書の中でも病気やそのいやしの部分には、特に深い感銘を覚えるのである。私の専門領域では、なおりにくい病気も多く、これらの病気の患者さんたちにどのように対処すべきか、常に悩んでいるのである。
あなた方、読者の中にも、また近親者などに、このような難病に苦しんでいる方がおられるのではないかと思い、胸が痛むのである。
さて、先程の話にもどり考えてみると、その人は、いつかは自分もまっさきに池虻はいれることを、期待していたのであろう。しかし、このような未来への漠然たる期待は実現しないまま、長い月日が経った。
イエスはこの人に、「なおりたいのか」と問いかけておられる。なおりたいに決まっているので、この問いは意味がないように思われるかもしれないが、イエスがあえてそれを問われたのは、自分の積極的な意志として、なおりたいと思っているのかの問いであったと思われる。この人は、運がよければ池に入れる、病気が治るということを期待していたのであっても、イエスの言葉は、この人が自分の意志の働きで、起き上ることも、床をたたむことも、歩くことも出来るということである。
愛のわざと信仰と
イエスは数多くの病人をいやしておられる。イエスは愛の業(わざ)として多くの苦しんでいる人を救われたことは確かであり、私ども医療従事者も、愛の業として医療を行なわねばならないことは当然である。しかし、聖書のヨハネ福音書第五章にみられるのは単なる愛の業ではなく、それは信仰に結びついたものでなければならないことを教えるのである。先に私は病者自身の積極的な意志とのべたが、イエスに呼びかけられたことで、自分の病い、弱さにとらわれた考えから、意志、また信仰への道をその人は見出したのであろう。そうでなければ、この間の飛躍が説明できない。
イエスのいやしの中には、イエスの愛の業とともに、患者側の信仰という二面が存在しており、この物語は、この後者(信仰)の部分が大きい。愛の業としてのいやしであるならば、この一人の病人だけでなく、池のまわりの沢山の病人のいやしがあってよいと思うのである。
医療に従事するものは、愛をもって病者に接しなければならないことは当然であるが、それだけでは病いはいやされないことがあることを知らなければならない。
医学は自然科学の一部門と考えられており、これは誤りではないが、一方医療は単なる科学ではない。例えば、同じ病気で全く同じと思われる状態の二人の患者に、全く同じ薬を与えても、一人はいやされ、一人はいやされないということがある。これは科学的に説明される場合もあるが、必ずしも説明されるとは限らない。
三つのエピソード
今から四十年も昔の私の学生の頃、岡治道先生という結核の病理学者でありながら、臨床の大家であられた先生がおられ、その講義をきいたことがある。当時は、現在のような有効な化学療法はなかった。先生が、「悟った坊さんは結核では死にません」といわれたことは、今でも忘れられない。その後、長い医師の経験で、この言葉の、味がよく理解された。
何年か前、イラクでメチル水銀の大きな集団中毒が発生したことがある。これはメチル水銀に汚染された小麦粉でつくったパンを食べたためであるが、都会地よりも農村地帯の患者の方が、予後がよいことがわかった。研究会では何故そうなったかの討論が行なわれたが、イラクの学者は「農村の人人は信仰があつく、神から与えられたものを食べて発病したので、誰をもうらまないが、都会の人々は信仰がうすいからである」と主張した。この説の学問的根拠には問題が残るとしても、イラクの学者がそう信じていることは、疑いないように思われた。
次の話は私個人の患者のことである。ある日、一人の患者から突然舞いこんだ手紙である。「ぼくは九年前、先生にごしんさついただいた、Hというものです。あのころは一言もしゃべれなく、一歩あるくのも不自由なからだでした。しかし、先生のあの『必ずなおります』という言葉を信じて、九年間、必死の努力をして参りました。今では言葉もまともにしゃべれ、歩くことも、走ることも、自転車に乗ることもできます。また目も、だんだん見えてきました。(以下略)」
この患者は、重症脳炎を経過した患者であった。この患者を支えてきたものは、「必ずなおる」という信念であり、信仰とは別次元ではあるが、医療が単なる自然科学では律せられないことを示すものであろう。
イエスはしばしば、「あなたの信仰があなたを救った」(マタイ・九章二十二ほか)といわれているが、私ども医療という業務における信仰の意義が、いかに大きいか知らされるのである。
病いのいやしと罪の赦し
ここではじめの話に戻ろう。病いをいやされた人は、再びイエスに会うが、イエスは彼にいわれる。「ごらん、あなたはよくなった。もう罪を犯してはいけない。何かもっと悪いことが、あなたの身に起るかも知れないから」(ヨハネ・五章十四)。
イエスがこの世に米られたのは、罪の赦しであり、病いをいやすことではなかった。この人が、病いのいやしに満足し、罪の赦しによる永遠の生命を求めなければ、もっと悪いことが起るかも知れないといういましめを、イエスがしておられるのである。表面的な病いのいやしに満足していることは、許されないのである。イエスのいやしは、単なる肉体のいやしではない。
最後に蛇足であるが、一言つけ加えたい。病いをいやす目的で周辺に人々が群れていたベテスダの池は、今日の社会の一面を象徴していないだろうか。現代の社会には、よりよい地位、より多くの富を得るための池があり、争ってその池に入ることを望むという傾向はないだろうか。
池に人ることよりも、もっと大切なこと、あの三十八年の長わずらいの人の体験を、もう一度、噛みしめたいと思うのである。
*東京都立神経病院院長
(「婦人の友」82年7号婦人の友社)
水俣認定審査会への公開質問状と回答 疫学 昭和57年 [新潟水俣病未認定患者を守る会]
ア 認める
イ 認めない
ウ わからない
イ 使う必要はない(理由 )
ア 現在のやり方で十分である。
イ そのような調査は必要だと思う。
ウ その他( )
(9)家族集積性の事実を最初に指摘した私どもにこの質問をされるのは非常に残念です。
したがって、家族の検診結果を、本人の審査の際に使ったとしても、それは参考程度です。
(11)
ア
しかし、だれも食事毎に何をどれ位食べた勿記録にとっている人はいません。まして十年以上も前の事で記憶もあいまいです。
ア 思 う
イ 思わない(改善意見 )
ウ わからない
イ 払っていない
(12)イ (改善するよい方法はない。)
(13)申請者がそれを申し出れば考慮しています。しかし、申請者の記憶も不確かになっている現時点で、川魚をどの程度ニワトリに与え、どの位トリ肉や卵を食べたかの答を求めることは不可能に近くなってきています。新潟の場合、トリ肉や卵の水銀量についてはデータがなく、その摂取量は川魚と比較もできない位複雑です。
質問の言葉は、「魚を食べずにトリ肉や卵を食べて発病した人がある」という意味に解釈されますが、今後の調査の参考にしたいので、その人の名前と住所をお教えください。
ア 重要である
イ 重要でない
ア 担当している
イ 担当していない→では疫学担当委員はだれですか。
( )
(14)患者の疫学的背景は、審査をする上で考慮しています。しかし、我々は、メチル水銀中毒め症状があれば、疫学的背景が薄いということでメチル水銀中毒を否定するという考えはもっていません。
水俣認定審査会への公開質問状と回答 病像全般 昭和57年 [新潟水俣病未認定患者を守る会]
(2)あなたはこれまでに水俣病患者を何人位診療してきましたか。
(3)認定申請に必要な診断書を出されたことは何件位ありますか。
認定審査会は、新潟大学医学部・同脳研究所の教授等により構成されています。
各委員に課せられた使命は、医学の専門家として水俣病であるか否かをできるだけ正しく判断することにあります。
したがって、各委員の研究業績、診療件数、診断書発行件数などについて述べることは適当でないと考えます
ア 思 う
イ 思わない→未解明な問題にはどのようなものがあるとお考えですか。
ア 医学的根拠に乏しい
イ 正しい見方である
ウ その他( )
イ な い
ウ わからない
ア
ア 通常の診療では、初診で異常なしと言われた患者が、更に具合が悪くなったら再度医師に受診することは当然です。
(7) WHOの「健康」の定義は、理想的条件を提示しているもので、臨床上の病気であるか健康であるかの立場での判断には有効ではありません。
したがって、WHOの定義を臨床医学にそのままの形で採用することは混乱を招くおそれがあります。
地域的に発生し、原因が不明であったり、症状が特徴であったりした場合、地域の特徴により地名で呼ばれることがあります。
水俣病は、原因不明の時点で水俣奇病と呼ばれ、「奇」を嫌って、水俣病になったものであり、これが水俣病の病名の歴史的事実です。「工場排液が原因となり………」という便宜的な定義もありますが、新潟で水俣病と同様な有機水銀中毒が発生したと我我が発表したころから第二の水俣病、新潟水俣病と呼ばれていました。しかし、この時点では工場排液については全く不明でありました。
水俣認定審査会への公開質問状、回答 前文 昭和57年 [新潟水俣病未認定患者を守る会]
新潟水俣病 第2集 1983年5月 [新潟水俣病未認定患者を守る会]
発刊によせて
1年半ぶりに「新潟水俣病」第2集―認定審査会の実態を曝露する―を発刊します。
「守る会」は発足以来の原則である、会費を全額患者さんのもとへ届けるということと、事務局を中心として”水俣病は終っていない!”を叫びつづけてまいりました。「守る公ニース」を出しつづけたり、月一回の阿賀の会(学習会)を行う中で、全ての患者さんたちの全面救済を!をスローガンにかかげ、地道な歩みをつづけ、その中で本来は患者さんたちがなさることの一つなのてしょうが、第2次訴訟という人闘争に患者さんたちが底ち上られたことで、「守る会」としてはそのお手伝いという意味をこめて、認定審査会に公開査問状をぶっつけ、患者さんをはじめ、1,081名14団体の「回答」を求める署名の力で3月はじめ「回答」を引き出しました。
認定審査会(椿会長)が患者救済ではなくて、患者切りすての主役の一端を担っていることを今回の「回答」は明白にしました。本来、医師は人を救うもののはずです。彼らは医学の名のもとに、国・県・昭電に奉仕し、患者さん切りすてを行いつづけています。
この第2集は、「回答」と付属文書(椿会長のもの)に対する批判を中心としております。せひ読み込んでいただきたいと思います。
「回答」批判と付属文書批判は、ともに「守る会」発足以前から、新海水俣病にかかわりつづけた高見氏、弦巻氏の健筆になるものです。
この小冊子が多くの人に読まれ、学習の手びきとして、みなさまの学習会のパンフレットになることを望んでやみません。
なお、この間「守る会」を応援して下さった患者さんたちに感謝いたします。`
稲村 渉