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疫病の古代史 ー2023年刊行ーー⓶ [国家医学・帝国医療・看護学]

疫病の古代史 天災、人災、そして  著者 本庄 総子  吉川弘文館  出版年月日 2023/07/21

著者 本庄総子さんの本書紹介
 吉川弘文館「本郷」№167の「疫病と救済」より虹屋ツルマキが要約

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今回、 拙著『疫病の古代史—天災、人災、 そして一』では、日本古代における疫病発生と密接に関わる社会構造上の特徴として、王都への人口の集積、食料生産体制、思想・文化という三項目から説明を加えた。最後の思想・文化の部分は、私が従来はとんど挑戦してこなかった分野であるため、なお迫求すべき点を多く残している不十分なものだが、病人の看援と 遺棄という正反対の現象が、どのような思想的葛藤を伴いながら併存したのかを描写することに努めた。
 病人の看護は、その社会の弱者救済がどのように実現されていたのか、という課題と切っても切り離せない。日本古代史においては、社会の圧倒的多数を占める弱者たちが、どのように相互扶助の単位を形成し、機能させていたのか、という問題をめぐって、さまざまに議論されてきた。論者によって差異はあるものの、古代という、国家による扶助が十分に行き渡らない時代に、近親・近隣間での相互扶助が重要であったという見方は共通認識であろう。そのため、病人看護の主体として近親などが高く評価されるとともに、病人の遺棄は近親なき者、身寄りのない者の悲劇として描かれがちであった。
 確かに、平常時であれば、近親による病人看護は広く行われていたであろう。しかし、こと疫病発生時においては、近親看護という基本的相互扶助が往々にして崩壊した。古代の諸史料は、疫病に倒れた近親を家に残したまま他所へ避難する人々の様子を活写している。残された病人は、水の一滴すら病床に連んでくれる者がないまま餓死することになったという。無論、感染した近親を看護する者もいたであろうが、それは当たり前のことではなかったのである。
  こうした状況において政府が持ち出したのが、儒教的な近親規範と、仏教の応報観念であった。前者は近親者は助け合いなさいというもの、そして後者は、良い行い=看護をすれば良いことが起こるものなのだから、感染を怖れる必要などないというものである。人々が愚かだから感染を怖れて病人を見捨てるような惑いに陥るのだと断じてもいた。
 はじめ、この政府見解を見た時には首を傾げた。近親者の遺棄は苦渋の決断でもあったろう。防疫に限界のあった時代である。疫病から物理的に離れる以上に有効な選択肢があっただろうか。そんなことを考えていると、政府が人々を愚民と断じたのは、ひどく一方的な綺麗事であるように感じられたのである。
 しかし、勤務校を同じくするドイツ史がご専門の渡邊伸先生より、中世ヨ—ロツパで大流行したペストについていくつかのご教示をいただくうちに、少し異なる考え方もするようになった。
 このベストの悲惨さを伝えるための定型表現として、たとえば次のような史料が残されている。
続ける

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