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疫病の古代史 ー2023年刊行ーー③ [国家医学・帝国医療・看護学]

疫病の古代史 天災、人災、そして  著者 本庄 総子  ホンジョウふさこ
 吉川弘文館  出版年月日 2023/07/21

著者 本庄総子さんの本書紹介
 吉川弘文館「本郷」№167の「疫病と救済」より虹屋ツルマキが要約 続き
  ベストの悲惨さを伝えるための定型表現として・・・

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 息子は父を見捨てた。そして夫は妻を、妻は夫を見捨てた。

 ・・・多くの者が見放されてそのまま餓死した。
(石坂尚武<編訳>『イタリアの黒死病関係資料集』<刀水書房トウスイショボウ 二〇一七年>第六章マルキオンネの『フィレンツェ年代記』)。

 

 これは古代日本で疫病が発生した時に現出した光景とまったく重なり合う。このほか独り死を迎えようとする人々が、自分はまだ生きているといって救いを求める衝撃的な言葉も伝えられている。

 この地獄のような状況を前にして、敢えて病人看護を肯定する倫理観は単純な良心だけでは成り立たない。この倫理観は、自らの身の安全が必ずしも保証されていない中で生じるものであるだけに、そこには葛藤も伴う。それでも疫病発生時に、敢然と病床に立ち会おうとする人々は存在した。現代のコロナ禍における医療従事者の方々のご尽力が記憶に新しい。 

 中世ヨーロッパの場合、キリスト教の司祭が、死に立ち会ういう職業上の必要により病人と接触していた。そのため彼ら疫病被害にも遭いやすかったとみられている。医師の職業倫理は発展の途上にあったが、彼らもまたしばしば疫病の犠牲となったという。

 日本古代の場合、医師の職業倫理に相当するものがあった様子を窺うことは難しい。彼らが医師としての教育課程で身に付けるのは医療の理論と技術であった。天平八年 (西暦七三六年。天平の大疫病が一時的収束を迎えていた時期 )の正税帳シヨウゼイチヨウ という財政帳簿では、国医師という医務官が任国である薩摩国を頻繁に巡回しているので、職務上の必要から病人に接触することは多かったのかもしれない。

 では、日本古代において、身の危険を顧みず、他人の看護をした人々はいなかったのだろうか。例えば、政府が褒賞を出して看護を推奨することはあった。拙著のなかでは他にも憶説を述べているが、その当否は読者諸賢にご判断いただきたい。

 


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