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資本主義だけ残った--;;世界の芸術家の役割 [経済]

20210820_181956_.jpg資本主義だけ残った
副書名 世界を制するシステムの未来
著者名 ブランコ・ミラノヴィッチ Branko Milanovic
訳者名 西川 美樹 /  

世界の芸術家の役割

最終章で論じている問題の内の1つが、高度に商業化された社会では家族の有用性が低下し、社会が豊かになっていくにつれて、家族の人数が明らかに減少していく、孤独な生活への選好が見られる現象である。
一つは、芸術における真正性 [本物であること。唯一無二であること。] の問題だ。芸術は、個性や独自性、真正性を必要とし、それによって発展する。大衆の靴の好みを推測し、そうした靴を作ることは良いことであり、有用なことだ。しかし、文学や映画、絵画などで大衆の好みを推測しようとすると、正しく推測できればお金持ちになれるかもしれないが、芸術的創造の観点からすれば、大衆の好みを推測したところで非常に簡単に模倣され、儚いものとなってしまう。
カフカの『日記』を読むと、それが彼自身の、真実でありのままの世界観を表現していると確信する。実際カフカは、日記を自分のために書いたのであって、世に出版されるなどとは思わず、燃やしてくれとはっきりと言っていたのである。
マルクスの1848年の原稿は、ほとんど偶然に保存され、書かれてから1世紀以上経ってから出版されており、同じことが言える。作品が好きか嫌いかは、好みや興味の問題である。しかし、この二人の作品が真正(本物)の作品 [2] であることは間違いない。[似たような作品が競って作られる中で、本物の作品として君臨しているものを「真正の(authentic)」作品として表現する。]
〔過去だと〕芸術家は常に「権力者(i potenti)」のために製作してきたとも言える。作品は〔権力者によって〕依頼されたものであり、技術に関わる部分を除いて、芸術家自身の個性はほとんど表現されなかった(最も明白になっていたのが絵画や彫刻であり、芸術家はテーマを〔権力者から〕与えられ、それを表現する技術によってのみ評価されていた)。当時の芸術の創造者達は、現在のように芸術の商業化を完全に自家薬籠中の物としていなかったこともあり、これが利点となっていた。今日の大量生産と比べれば、当時は「職人技による」商業化だったのだ。
このように、人間の営みの中には、過度な商業化が最良の結果を生まない領域もある。この問題は、買い手を喜ばせることで利益が得られるシステムと、多くの人による共有が不可能となっている本質的な個人主義を重視するシステムとの間の根本的な矛盾に由来しているため、解決策はない。

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