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昭和天皇の終戦史 [明治以後・国内]

5fc.jpg昭和天皇の終戦史
 著者 吉田 裕 ヨシダ・ユタカ 
出版者 岩波書店 岩波新書 新赤版 257 
出版年 1992.12
ページ数 246,6p ISBN 4-00-430257-9
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 S/210.7/ヨシ/
1990平成2年11月7日、元宮内省御用掛の寺崎英成テラサキ ヒデナリ の遺族のもとに、昭和天皇の「独白録」ともいうべき記録がのこされていたと報じれた報道では、この記録「独白録」は昭和天皇が敗戦直後の一九四六昭和21年三月から四月にかけての時期に、寺崎をはじめとした五人の側近たちの前で、戦争の時代を回顧して語った内容をそのまま記録した史料。「独白録」の内容自体によつて、初めて明るみに出された歴史的事実はほとんどないといってもよい。
 多くの報道が、「平和のために苦悩する天皇」という文脈だけから「独白録」を読みこもうとしていた。しかし、「独白録」が作成された四六年の初頭は、天皇制の存続や天皇の在位そのものが危ぶまれるという危機的な政治状況のなかにあった。そうした情勢のなかでの独自の政治的文脈をまったく無視して、「独白録」の内容を論じてみてもあまり意味はない。なぜなら当時の昭和天皇はいまだ四〇代半ばの壮年期にあり、若くそして精力的な君主として、まさに、そうした政治史の渦中にあった人物だったからである。
 著者 吉田 裕は、八九年にアメリカに留学して東京裁判関係の在米資料を調査した時の経験から、従来の東京裁判論とはことなる新しい見方が必要であると強く感じるようになっていた。多くの日本人容疑者が尋問に対してきわめて協力的だっただけでなく、日本が戦ったあの戦争をいささかも弁護することなしに、逆に日本を破滅に導いた戦争責任者として、特定の人物を名指しにさえしていたからである。そこには、明らかに集団としての隠された意図のようなものが感じられた。東京裁判を「文明の裁き」とか「勝者の裁判」とか一方的に断定するまえに、そこに日本側の「政治の論理」がいかに介在しているのかを具体的に明らかにすること、それが占領期研究の大きな課題ではないかという思いが強くなっていった。
 「独白録」を検証し、関連資料を読みすすめるなかで、この「独白録」は、昭和天皇の個人的な回顧談などではない。このとき天皇はまぎれもなく  、ー個の政治的主体として行動しており、さらに天皇をとりまく側近たちの水面下におけるさまざまな政治工作とあわせ考えることによって、初めてこの文書の本質がみえてくる、わたしはそう感じた。
 本書では、戦前・戦後の天皇をめぐる政治史を視野に入れながら、敗戦直後の政治情勢のなかで「独白録」がどのような位置を占めているのかを具体的に検討する。
年表03.jpg目次
序 「天皇独白録」とは何か
1 太平洋戦争時の宮中グループ
2 近衛の戦後構想
3 宮中の対GHQ工作
4 「天皇独白録」の成立事情
5 天皇は何を語ったか
6 東京裁判尋問調書を読む
7 行動原理としての「国体護持」
結 再び戦争責任を考える
著者等紹介
吉田裕[ヨシダユタカ]
1954年埼玉県に生まれる。1977年東京教育大学文学部卒業。専攻は日本近現代史。現在、一橋大学社会学部助教授
※書籍に掲載されている著者情報

 著書―『天皇の軍隊と南京事件』(青木書店)
    『徹底検証・昭和天皇 「独白録」』(共著,大月書店)
    『日本の軍隊』(岩波新書)
    『日本人の戦争観』(岩波現代文庫)
 編著―日本近代思想大系 『軍隊 兵士』(共編,岩波書店)
書評 より
 終戦時における天皇・軍部・宮中等それぞれの思惑とその結果が、解禁された資料に基づき、客観的かつ多面的に分析されている。
日本側として終戦時に最優先されたのが「国体護持」。
アメリカ世論は、天皇制に対して厳しい見た方をしていたものの、アメリカ政府は以下の理由により天皇制の継続を指示した。
・日本の降伏がアメリカ側の予想より数ヶ月早まったために、十分な軍政要因が確保できなかったこと
・天皇の命令によって日本軍の武装解除が迅速に行われたのをみたアメリカ側が天皇の権威を再認識しこと
・アメリカ国内の世論に配慮して、占領コストの節約を意図したこと
アメリカ政府は「天皇制を支持しないが、利用する」政策を採用した。
ただ、これにより天皇の戦争責任を不問にするという結論には達してはいなかった。
日本側は、戦争責任を被る人間を最小限に留めるために、一部の人間にそれを丸抱えさせようとした。
その矛先が、東条英機をはじめとした陸軍幹部である。
これは、先のアメリカ側の思惑と一致する部分であり、この方向性が戦後処理のコンセンサスになった。
もちろん、天皇の了解なしに陸軍が全てを掌握していたことは考えにくい。
当然天皇個人に責任を追求する動きもあったが、「天皇はあくまで政府の決定を承認する立場で、力をもった軍部へ異を唱えればクーデターが起こりうりさらに深刻な危機を招く危険性があった」といったような理屈がそれを制した。
また、日本は本土決戦前に降伏をしたことで、軍政要員が送り込まれるまでの間に機密文書を処分することができた。
それにより、決定的な証拠を隠滅することができた。

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