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「帝国」ロシアの地政学---③ [ユーラシア・東西]

「帝国」ロシアの地政学  「勢力圏」で読むユーラシア戦略
著者  小泉 悠   コイズミゆう
出版年 2019.7 出版者 東京堂出版 ISBN 978-4-490-21013-2
新潟市立図書館収蔵 NDC分類(9版) 319.38
著者紹介  1982年千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了(政治学修士)。東京大学先端科学技術研究センター特任助教。専門はロシアの安全保障政策、軍事政策等。
第1章-⒈冷戦後のロシアにおける「地政学」の文脈-・アイデンティティと地政学の癒着
 冷戦後のロシアが抱え込んだ大問題は、この多様な民族・文化・宗教がなぜロシアという一つの国家の下にあるのかを説明する原理がなかなか見出せなかったことにある。
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ソ連の正式名称「ソヴィエト社会主義共和国連邦(Союз Советских Социалистических Республиk))のСоюз(ソユーズ)は通常、「同盟」「連合」「組合」などを意味する言葉であり、普通は「連邦」とは訳さない。本来の字義に従えば、ソ連とは「連邦」ではなく、独立した社会主義共和国が結成した「同盟」である。
 ソ連は、共産主義という理想に向かってルーシ民族を中心に諸民族が団結した同盟なのだという建前をもち、ソ連を構成する15の社会主義共和国は独自の「憲法」や「省庁」を持っていた。形ばかりとはいえ、各共和国の「外務省」さえ存在していたのである。
 それは実際にはモスクワの本省の出先機関だった(第2章で述べる)。平等な関係に基づく同盟というよりはモスクワによる諸民族の支配であるというのが実態に近かったが、たとえお題目に過ぎないとしても、ソ連という国家の存在理由を問われれば、すぐに取って出せるわかりやすい理念が一応はあった。ソ連国歌の歌詞第1番を引いてみよう。
自由な共和国の揺ぎ無い同盟を
偉大なルーシは永遠に結びつけた
人民の意思によって建設された
団結した強力なソヴィエト同盟万歳!
讃えられて在れ、自由な我々の祖国よ
民族友好の頼もしい砦よ!
ソヴィエトの旗よ、人民の旗よ
勝利から勝利へと導きたまえ!
「同盟」である以上は理論上は解消が可能であり、実際にソ連憲法第72条にはソ連からの脱退の権利が明記されていた。これもまたお題目に過ぎなかったが、1980年代にソ連体制が動揺すると、この条項は独立運動の有力な根拠となった。
ソ連崩壊の結果、かつでのロシア社会主義共和国連邦が独立したのがロシア連邦であって、その成立はいわばなし崩し的なものであった。また、1993年に成立した現行のロシア連邦憲法は、ロシアがいかなる国家イデオロギーをも持たす、義務化もしないことをその第13条において謳っている。当時のロシアにとっての最優先課題は共産主義体制との決別であって、国家としてのアイデンティティを打ち出すまでには至っていなかった。

1990年代にはロシア帝国時代の作曲家グリンカによる未完成曲を編曲した「愛国歌」が歌詞なしのまま演奏されていた。建国の理念が曖昧な以上、国歌において歌い上げられるべき内容をロシア国民全体が納得する形で定めることができなかった。この問題はプーチン政権下の2000年、ソ連国歌のメロディーに新しい歌詞をつけるということで一応の解決を見た。以下にその歌詞を引用する。
ロシア、聖なる我らの国よ
ロシア、愛しき我らの国よ
力強き意思、大いなる光栄
汝が持てる物は世々にあり!
讃えられて在れ、自由なる我らが祖国よ
幾世の兄弟なる民族の結束よ
祖先より授かった民族の英知よ!
国よ讃えられて在れ!我等汝を誇らん!
現在のロシア国歌ではロシアを「愛しき我らの国」とするばかりで、国民団結の理念はやはり示されていない。「幾世の兄弟なる民族の結束」がそれに当たると言えなくもないが、近代になってからロシアに併合された北カフカスの人民と、ルーシ民族の興りから歴史を共にしてきたウクライナ人が共にロシアの下に集う原理を説明できているかと言えば、極めて心もとないところであろう。要は、非ロシア系諸民族がロシア国歌にどれだけ耳を傾けても、なぜ自分たちがロシア国民なのかを理解でさなかった。
実際、ソ連が崩壊すると北カフカスのチェチェン人がロシア政府に反旗を翻し、独立闘争に打って出たことは記憶に新しい。
 現在のロシアにとって第二次世界大戦の記憶は貴重なアイデンティティのよすがとなっている。それは単にソ連という国家の勝利だったのではなく、ナチズムという悪に対する勝利だったのであり、ソ連はここで全人類的な貢献を果たしたのだという自負は現在も極めて強い。現在の口シアに暮らす諸民族に対しても、「共にナチスと戦った仲」だという意識は(ナショナル・アイデンティティとまでは言えないにせよ)一定の同胞意識を育む効果を果たしている。ロシアの社会が日本では考えられないほど軍隊好きなのも、単に国民性というだけでは片付けられない部分があろう。
 
 ドイツの降伏を記念して毎年5月9日に行われる戦勝記念パレードは、そのことをまざまざと実感させてくれるイベントだ。赤の広場で行われるパレード本番は一般人お断りだが (各社が中継するのでテレビやインターネットでは閲覧できる)、パレードを終えた部隊が集結地点へ戻っていく沿道には多くの観衆が詰めがける。多くの観衆はオレンジと黒のリボンを結んでいるが、これは従軍経験者を讃える「ゲオルギーのリボン」。元々は勲章を下げるのに使われたものだが、プーチン政権下で勝利のシンボルとして大々的に配布されるようになり、春になると一般人や商店の店員、公共機関の職員など、至るところでこのリボンを付けた人を見かけるようになった。
 クレムリンを出たパレード部隊は、新アルバート通りの国防省庁舎前を通り、当面の集結地点てある郊外のホディンカ練兵場へ戻っていく。パレードの規模は毎年若干異なるが、戦車、自走榴弾砲、各種装甲車、ミサイル類が優に100両は参加するので、全部が通過するのに1時間は掛かる。5月のモスクワの真っ青な空の下を巨大な榴弾砲や移動式ICBMが唸りを上げて通り過ぎ、鳴り渡る教会の鐘がそれらを祝福する光景は、外国人である(しかも敗戦国の側である)筆者にもなぜか愛国心のようなものを抱かせる奇妙な力があった。ロシアのあやふやなアイデンティティは、巨大な破壊力を持ったこれら鋼鉄の群によってどうにか形を与えられていると見ることもできよう。
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続く

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「帝国」ロシアの地政学-「勢力圏」で読むユーラシア戦略--➁ [ユーラシア・東西]

91Rx0OXDdpL-縮.jpg「帝国」ロシアの地政学  「勢力圏」で読むユーラシア戦略

著者  小泉 悠   コイズミゆう

出版年 2019.7

出版者 東京堂出版

ISBN 978-4-490-21013-2

新潟市立図書館収蔵 NDC分類(9版) 319.38

著者紹介  1982年千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了(政治学修士)。東京大学先端科学技術研究センター特任助教。専門はロシアの安全保障政策、軍事政策等。


第1章-⒈冷戦後のロシアにおける「地政学」の文脈-・「地政学」の氾濫
 この数年、日本では一種の地政学ブームが起きており、書店へ行けば地政学と銘打った本が平積みになっているのを目にする。
地政学と言つでもいくつかの流派があり、それぞれの意味するところはかなり食い違う場合も多いのだが、昨今人気を博しているのは主に英米流のそれであるようだ。
英国のマッキレターが提唱し、のちに米国のスパイクマンが完成させた英米流地政学においては、大陸勢力(ランドパワー)がユーラシア大陸の枢要部分(ハートランド)を支配することに強い警戒感を示す。ユーラシア大陸の生産力や交通の要衝であるハートランドを握る勢力はやがてユーラシア大陸を統一し、英国や米国といった海洋勢力(シーパワー)の覇権を脅かしかねないためである。この意味では、ドイツとの二度にわたる世界大戦やソ連との冷戦は、ハートーランドの覇権をめぐる闘争であったと位置付けられることになり、実際、英米流地政学は科学というよりもユーラシアに対する戦略論という性格を色濃く有していた。ランドパワーである中国の拡張に直面する日本で英米流地政学が人気を集めるのは、そう不思議なことではないだろう。
 他方、ドイツのラッツェルやハウスホーファー、あるいはスウェーデンのチェレーンといった思想家によって19世紀から20世紀前半に体系化された大陸系地政学は、国家を一種の生命体に見立てた。そして、生命体たる国家は「成長」の過程で人種・言語・文化などを同じくするエスニック集団を吸収し、さらにこの集団が自活するに足るだけの「生存圏(レーベンスラウム)」を支配下に置く「権利」を有するとされる。
 こうした思想が生まれてきた背景には、ドイツ民族が統一国家を持たず、いくつもの国家に分割されていたという事情が存在する。のちにナチスードイツが東欧諸国を侵略するに際して根拠としたのはこのような「生存圖」の論理であり、それゆえにソ遅では地政学がナチスのイデオロギーとされたのである。


続く

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「帝国」ロシアの地政学-「勢力圏」で読むユーラシア戦略--① [ユーラシア・東西]

91Rx0OXDdpL-縮.jpg「帝国」ロシアの地政学  「勢力圏」で読むユーラシア戦略
著者  小泉 悠   コイズミゆう
出版年 2019.7
出版者 東京堂出版
ページ数 291p 大きさ 20cm
ISBN 978-4-490-21013-2
新潟市立図書館収蔵 NDC分類(9版) 319.38
著者紹介  1982年千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了(政治学修士)。東京大学先端科学技術研究センター特任助教。専門はロシアの安全保障政策、軍事政策等。
内容紹介 ウクライナへの軍事侵攻とクリミア半島併合、中東への介入、中国への接近、日本との北方領土問題…。近年広がりを見せるロシアの「勢力圏」。その狙いは何か? 「境界」の概念を軸として、ロシアの地政学的戦略を解説する。
はじめに より

[フラスコ]と[浸透膜]
 本書のテーマを一言で述べるならば、ロシアの「境界」をめぐる物語、ということになろう。
 教科書的な理解によれば、国家は国境線という境界で隔てられる領域を有し、その内部において主権を行使するということになっている。これに国民を加えたのが、いわゆる国家の三要件と呼ばれるものだ。
 ここではこんな喩えを用いてみたい。
 古典的な国家観においては、境界とはフラスコのようなものとイメージすることがでさよう。硬いガラスの殼があり、その内部には「主権」という溶液が詰よっているが、これを他の液体につけたとしても、内部と外部が混じり合うことはない。
 しかし、ロシアの国家観においてイメージされる境界とは、浸透膜のようなものだ。内部の液体(主権)は一定の凝集性を持つが、目に見えない微細な穴から外に向かって染み出してもいく。仮に浸透膜内部の「主権」が着色されていれば、染み出していくそれは浸透膜に近いところほど色濃く、遠くなるほどに薄いというグラデーションを描くことになるだろう。一方、浸透膜は外部の液体を内部に通す働きもする。もしも外部の液体の方が浸透圧が高い場合、膜の内部には他国の「主権」がグラデーションを描さながら染み込んでくる。
 このような境界観は明らかに特異なものと言えよう。多くの国境紛争当事国が「閉じた境界線とその内部で適用される主権」という前提を共有した上で境界線をどこに引くかを問題にしているのに対し、ロシアの関与する紛争においては、境界線の性質に関する理解そのものが異なっているためである。
 ここで問題にされているのは、法的な国境線をどこに引くかというよりも、ロシアの主権は国境を越えてどこまで及ぶのか(あるいは及ぶべきではないのか)なのであって、一般的な国境紛争とは位相が大さく異なる。前述したウクライナ危機は、その典型例と言えるだろう(ウクライナ危機については第4章で触れる)。
 国家の構成要件である国民についても、ロシアの理解には特殊性が見られる。ロシアの言説においては、
 「国民」という言葉が法的な意味のそれ(つまりロシア国籍を有する人)ではなく、民族的なロシア人(あるいは 「スラウの兄弟」として近しい関係にあるウクライナ人やベラルーシ人)と読み替えられ、政治的・軍事的介入の根拠とされることが少なくない。
 そして、このような「国民」の読み替えが上記の 「浸透膜のような境界とグラデーション状の主権」という理解と結びつくことで、「ロシア人の住む場所にはロシアの主権が(完全ではないにせよ)及ぶ」という秩序観が成立する。しばしば帝国のそれになぞらえられる、特殊な秩序観である。
 では、こうした秩序観は、どのような思想的背景の下に生まれてきたものであり、ロシアをめぐる国際関係にどのような影響を及ぼしているのだろうか。あるいは、約6万牛ロメートルに及ぶロシアの国境線は、一様に「浸透膜」として振る舞うのだろうか。それとも地域的な差異が認められるのだろうか。そして我が国が抱えるロシアとの北方領土問題は、このような構図の中でいかに理解されるべきなのだろうか。  本書は、「境界」の概念を軸として、こうした問いに答えていこうという試みである。
続く

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ウクライナ危機の実相と日露関係(友愛ブックレットー花伝社) [ユーラシア・東西]

51OKtE0EoSL._SX345__.jpgウクライナ危機の実相と日露関係

著者 東アジア共同体研究所 /編, 鳩山友紀夫 /著, 下斗米伸夫 /著, コンスタンチン サルキソフ /著, 木村三浩 /著, アナトリ- コ-シキン /著, 高野孟 /著  
出版年 2015.3
出版者 花伝社 友愛ブックレット  
ページ数 114p  大きさ 21cm
ISBN 978-4-7634-0732-0
県立図書館収蔵 NDC分類(9版) 312.386
内容紹介 ウクライナ情勢、北方領土問題はどうなるのか。ロシア側からは問題はどう見えているか。日本の立場を問いかける。ニコニコ動画のト-ク番組「UIチャンネル」での再録を中心に構成。
内容一覧
タイトル 著者名 ページ
第1章 緊迫するウクライナ情勢と日本 下斗米伸夫/述 p13‐32
第2章 ウクライナ危機から東アジアは何を学ぶか コンスタンチン サルキソフ/述 p33‐56
第3章 クリミアの現地で見たウクライナ内戦 木村三浩/述 p57‐74
第4章 プ-チン=悪者論で済ませていいのか? 高野孟/著 p75‐95
日露関係の未来を占う アナトリ- コ-シキン/述 97‐114
緒方 修 (99年より沖縄大学教授、2022年3月記)
この本はロシアのクリミヤ併合後の状況を踏まえながら行われた対談・鼎談が主である鳩山友紀夫、下斗米伸夫、コンスタン・サルキソフ、木村三浩、アナトリ―・コーシキン、高野孟の6人が登場する。下斗米伸夫はウクライナは二つに分れているという説をとっている。
下斗米―ヨーロッパとウクライナとロシアとの関係は、中国と朝鮮半島と日本の関係を比べてみると分かりやすい。
鳩山ー中国と日本の間に朝鮮半島があるように?
下斗米―クッションのような存在です。中国と同じようにヨーロッパも巨大な文明があるし、ロシアと日本の立ち位置は近い。ウクライナと朝鮮半島は、歴史的にも文化を伝えてきた役割を持つ。キリスト教を最初に受け入れたのが1026年前、西暦988年、現在のウクライナの首都キエフです。それがキエフ・ルーシとなったのがキリスト教国家の出発点であり、ロシア国家の出発点であると信じているロシア人は多いわけですね。ところがいろんな意味で、その後不幸な歴史があって、今のウクライナの半分はハプスブルク・オーストリア帝国に支配された。
下斗米によれば、ウクライナというのは「端っこ」、「国境」という意味だそうだ。それはモスクワから見た「辺境」ではなくカトリックのポーランドから見た「端っこ」だ。現在、約100万人の難民が西へ西へポーランドの国境を目指している。そしてポーランドも難民の受け入れを検討している。ポーランドの人口は3795万人。そこが100万人もの難民を受け入れようと覚悟を決めているのだ。日本も義勇軍を志すよりもせめて難民の1%でも受け入れたらどうだろう。例えば気候が似ていそうな北海道は?多文化共生と口で唱えるだけではなく、実際に難民を受け入れれば世界中の尊敬を集めることは間違いなし。ちなみにウクライナは4709万人。
下斗米ー一番影響が大きいのはエネルギー資源なんです。ご存じの通り、ちょうどブレジネフ時代からロシアのエネルギーが西に行くときはウクライナを通っていくので、ソ連が崩壊した後、結局ガスパイプラインの構造だけが残って、ウクライナが代金を払えないのでロシアはガスを止める。そうするとヨーロッパの3分の1くらいのガスがパイプラインを通っているから、ヨーロッパは慌ててしまう。ドイツはそれを避けるためにノルド・ストリームという北側のパイプラインを作っています。
ウクライナ問題が起きて、西側にエネルギー資源を売れなくなったことが、アジア太平洋にガスを売ろうという、プーチン大統領にとっての非常に大きな動機になっている。それが日本との関係改善にプーチン・ロシアが動いている理由でもあろうと思います。
下斗米氏によればウクライナは脱露入欧、ロシアは脱欧入亜、に向かう。
この対談はまだ入門編で以下、ロシアの研究者を交え話は深まってゆく。7年前に出た本だが現状を予測している。高野孟氏によれば「全体として、この問題の報道が欧米よりの視点でしか報道・論評されていないこの国のマスコミ状況に対して、敢えてロシア側からはどう見えているかという視点をぶつける」複眼的な視点で編集されている。

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魏晋南北朝史のいま -アジア遊学 213- の脱線②【農牧境界線の南下】 [ユーラシア・東西]

魏晋南北朝史のいまL.jpg魏晋南北朝史のいま

窪添 慶文【編】
勉誠出版
アジア遊学 213。
サイズ A5判/ページ数 299p/高さ 21cm
商品コード 9784585226796
NDC分類 222.04
(2017/08発売)

脱線② 市来弘志氏の博論「五胡十六国時代遊牧民研究」より
151頁【農牧境界線の南下】を纏める

中国は前漢期までは比較的温暖だったか、紀元一世紀、後漢に入る頃から徐々に気温は低下し始め、三世紀後半になると寒冷化か急激に進行し、この傾向は大局的には六世紀後半まで続いた。この1世紀から6世紀後半までの寒冷期を通じ年平均気温は現在より少なくとも1~2℃低かったと考えられる。
寒冷化が頂点点に達した四世紀前半には、年平均気温は現在より二~四度も低かった。一九九七年の地球温暖化防止京都会議では、現在のまま二酸化炭素が増加すれば100年後には気温が二度上昇し、その結果全森林面積の三分の一で現在生育している植物の生育が困難になる、として対策が協議された。平均二度の気温変化は気候に甚大な影響を与えるのに十分である。この時代の気候変動も、人々の生活と産業構造に非常に大きな変化を引き起こした。
・・・・・・・・
 比較的温暖で技術か発達している現代でさえ、華北北部は農業と牧畜の境界線上に位置している。やはり温暖だった漢代の農牧境界線は現在よりやや南寄りで、今の北京市北方から河北北辺・山西中部を通り黄河に至る。三世紀後半から進んだ寒冷化がこの線を一気に南下させたのは至極当然であった。華北のかなりの部分が農牧境界線以北に入り、ここに続々と胡人が移住してきたのである。この寒冷化は世界的なもので、所謂「ゲルマン民族族の大移動」など北方に居住していた人々が南下する現象が、この時期世界各地で見られる。中国もこの世界的現象の例外でははなかったのである。

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魏晋南北朝史のいま 窪添 慶文【編】 -- 勉誠出版 -アジア遊学 213- 2017 その弐と脱線①と「徙民しみん」 [ユーラシア・東西]

魏晋南北朝史のいまL.jpg魏晋南北朝史のいま

窪添 慶文【編】
勉誠出版
アジア遊学 213。
サイズ A5判/ページ数 299p/高さ 21cm
商品コード 9784585226796
NDC分類 222.04
(2017/08発売)


【[Ⅰ 政治・人物]曹丕―三分された日輪の時代  田中靖彦】の続き
魏/ぎ王朝の初代皇帝・曹丕そうひ(187~226年)。漢魏革命を達成し、九品官人法を制定するなど、彼が果たした歴史的役割は小さくない。短いながら激動の人生を駆け抜けた曹丕の生涯を、歴史的な言説と現代の研究の両面から追い、多方面にわたる彼の事績について、政治史的側面を中心に振り返る。
現在でも、三国時代の開始は西暦220年とされることが多いが、これは曹丕による魏王朝の創始を指標としてのこと。これに従えば、それ以前に死んだ関羽も曹操/そうそうも三国時代の人物ではないのであり、曹丕こそが三国時代の開始を象徴する人物ということになる。本稿では、この曹丕の生涯・事績と、それをめぐる研究について触れてみたい。

漢魏革命

217建安二十二年、曹丕は魏国の王太子となり、正式に後継の座を得た。220建安二十五年、曹操は洛陽で死に、曹丕は丞相・魏王となる。220年は延康元年と改められるが、同年十月、曹丕は許において後漢の献帝から禅譲を受け皇帝に即位、黄初と改元する。魏王朝の創始である。

田中靖彦
たなか・やすひこ―恵泉女学園大学特任准教授。専門は中国史学史、中国地域文化研究。主な著書・論文に『中国知識人の三国志像』(研文出版、二〇一五年)、「三国論の過渡期と蘇軾」(『津田塾大学紀要』四七、二〇一五年)、「『後漢書』荀彧伝について│『三国志』との比較を中心に」(『恵泉女学園大学紀要』二四、二〇一二年)、「.淵の盟と曹操祭祀│真宗朝における「正統」の萌芽」(『東方学』一一九、二〇一〇年)などがある。二〇一〇年、第二九回東方学会賞。


脱線① 市来弘志氏の博論「五胡十六国時代遊牧民研究」より http://hdl.handle.net/10959/3048
第四部「華北における牧畜民と牧畜業」では、当時の気候変化の影響を強く受けて華北に移住した遊牧民達が、持ち込んだ牧畜業の影響および民族観、民族関係、政治、考古遺跡、牧畜業などの産業、自然環境など様々な問題について論じた。
全体として言えるのは、この時代を通じて華北の各地各階層各方面に牧畜民の確固たる社会が成立し、従来の漢人社会と厳しい緊張関係を孕みながらも共存し、時に激しく対立しながらも相互に影響し合っていた。「胡化」「牧畜化」現象が華北の政治・軍事・経済・社会・生活・自然環境・景観などあらゆる方面で進行し、それ以前とは全く異なる時代を生みだしていったことである。
五胡と呼ばれる牧畜民は少数の「ゲスト」などではなく、彼らは当時の情勢や環境に巧みに適応し、先住民である漢人の文化を吸収しながら、時代に即した政治制度や新しい産業形態、生活文化を発展させた。そしてやがて様々な文化が混じり合う中から、それ以前とは全く違う社会を作り出していく。五胡十六国時代を通じて華北社会は根本から変容を遂げたのである。
第四部華北における牧畜民と牧畜業
一 三~四泄紀の人口移動 ・・・147頁
 中国文明が太古以来黄河流域でのみ育まれてきたという考え方は、近年の考古発掘の成果により長江流域にも別個の高度に文明が発建していたことが明らかになってきたので、今や否定されつつある。しかし華北とりわけ黄河下流の華北平原と黄河上流の関中盆地が、政治経済文化のあらゆる面で他の地域に優位に立っていたのは間違いない。
後漢184光和七年に勃発した黄巾の乱を契機に、度重なる人口移動がおきそれによって、このような状況は次第に変化し始める。人口密集地の華北で長期に渡り戦乱が続いたため、戦禍と飢饉に追われて大量の難民が生じ、
彼らの多くは当時比較的情勢が安定していた長江流域に避難した。こうして北から南への大規模な人口移動の波が、三国時代に起こった。
脱線② 【農牧境界線の南下】に続く
■ この人口移動の対応策、一定の政治目的のために人民を強制的に他地に移住させる策「徙民・しみん」を、三崎義章氏「五胡十六国」から要約する。追記欄に記す。
曹操のシミンh.jpg

徙民・しみん


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魏晋南北朝史のいま 窪添 慶文【編】 -- 勉誠出版 -アジア遊学 213- 2017 その弐 [ユーラシア・東西]

魏晋南北朝史のいまL.jpg魏晋南北朝史のいま

窪添 慶文【編】

勉誠出版

アジア遊学 213。

サイズ A5判/ページ数 299p/高さ 21cm

商品コード 9784585226796

NDC分類 222.04

(2017/08発売)


内容説明

【[Ⅰ 政治・人物]曹丕―三分された日輪の時代  田中靖彦】の続き



魏/ぎ王朝の初代皇帝・曹丕そうひ(187~226年)。漢魏革命を達成し、九品官人法を制定するなど、彼が果たした歴史的役割は小さくない。短いながら激動の人生を駆け抜けた曹丕の生涯を、歴史的な言説と現代の研究の両面から追い、多方面にわたる彼の事績について、政治史的側面を中心に振り返る。


現在でも、三国時代の開始は西暦220年とされることが多いが、これは曹丕による魏王朝の創始を指標としてのこと。これに従えば、それ以前に死んだ関羽も曹操/そうそうも三国時代の人物ではないのであり、曹丕こそが三国時代の開始を象徴する人物ということになる。本稿では、この曹丕の生涯・事績と、それをめぐる研究について触れてみたい。


漢魏革命

217建安二十二年、曹丕は魏国の王太子となり、正式に後継の座を得た。220建安二十五年、曹操は洛陽で死に、曹丕は丞相・魏王となる。220年は延康元年と改められるが、同年十月、曹丕は許において後漢の献帝から禅譲を受け皇帝に即位、黄初と改元する。魏王朝の創始である。


田中靖彦

たなか・やすひこ―恵泉女学園大学特任准教授。専門は中国史学史、中国地域文化研究。主な著書・論文に『中国知識人の三国志像』(研文出版、二〇一五年)、「三国論の過渡期と蘇軾」(『津田塾大学紀要』四七、二〇一五年)、「『後漢書』荀彧伝について│『三国志』との比較を中心に」(『恵泉女学園大学紀要』二四、二〇一二年)、「.淵の盟と曹操祭祀│真宗朝における「正統」の萌芽」(『東方学』一一九、二〇一〇年)などがある。二〇一〇年、第二九回東方学会賞。



[Ⅰ 政治・人物]

赫連勃勃―「五胡十六国」史への省察を起点として

徐 冲(板橋暁子・訳)じょ・ちゅう

鉄弗部/てつふつぶ/が五世紀初頭に樹立した政権「大夏たいか」=赫連夏/かくれんか/は、朔方/さくほう/に勃興し、関中にも領土を拡張した。北魏による華北統一ののち、赫連夏/かくれんか/は「五胡十六国」の一とされるようになったが、実際の鉄弗部/てつふつぶ/は拓跋部/たくばつ/ぶと同様に、西晋時代、塞外・さいがいの農牧混合地帯において形成されたものである。彼らの築いた国家は、塞内・さいない部族が築いたその他の五胡国家と形態を異にしていた。五胡から北朝に至る歴史の過程は、北魏と赫連夏によって完成されたのである。


一般に「五胡十六国」と呼ばれるこの時代の諸政権は、西晋の亡命人士により長江流域に樹立された東晋政権とともに、西晋時代と南北朝時代を結ぶ歴史上の一段階を構成することになった。「五胡十六国」時代の諸政権は、二種類に大別することができる。ひとつは、華北において漢晋以来中国王朝の心臓部とされてきた地域(関中平原と河北平原に代表される)を領有する政権であり、これと呼応するように、それらの統治者は「皇帝」「天子」という称号を用いた。すなわち、王統上は西晋王朝の継承者を自任したのである。これらの政権はいわば「天下政権」であり、(匈奴/きょうど/の)漢/前趙/ぜんちょう/・後趙・前秦/ぜんしん・前燕・後秦・後燕などが該当する。


これに対し、もうひとつの類型は、漢晋以来の心臓部以外の周縁地域に割拠した諸政権である。それらの統治者は称帝の野心を持たず、華北の「天下政権」あるいは江南の東晋による冊封を受け入れた。一部には称帝した例もあるが、しかし中原の心臓部を領有したことはなかった。これらの政権はいわば「周縁政権」であり、「諸涼/しょりょう」・西秦・南燕・北燕などが該当する。


 参に続く

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興亡の世界史 05  安禄山-「安史の乱」を起こしたソグド人 -- 2013 [ユーラシア・東西]

安禄山―「安史の乱」を起こしたソグド人EL.jpg安禄山-「安史の乱」を起こしたソグド人
著者 森部 豊 [モリベゆたか]
出版者 山川出版社
 世界史リブレット人 番号 18
出版年 2013.6 
A5判/ページ数 95p/高さ 21cm
ISBN 978-4-634-35018-2
新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館2階 /289.2/アン/

内容紹介

東ユーラシアに広がるソグドネットワークを利用した情報収集力と蓄財力。突厥の有力氏族の血を引くことを背景に、聖俗両面の権威をもって遊牧諸族を統率する力。唐朝を大いに乱し、その後の唐の衰退のきっかけをつくったとイメージされる安禄山。しかし中国史の枠から離れてみると、ダイナミックな彼の人生が浮かび上がってくる。8世紀の東ユーラシアの歴史の動きのなかで、安禄山(?~757年)をとらえなおす。

※ 安 禄山(あん ろくざん)は、唐代の軍人、大燕国皇帝。本姓は康で、康国★出身のソグド人と突厥系の混血。「禄山」はソグド語の「ロクシャン(roxš(a)n、明るい・光の意味)」の音訳。唐の玄宗に対し安禄山の乱(安史の乱)を起こし、大燕皇帝に即位したが、最後は次男の安慶緒に殺害された。
★康国は、現在の中央アジア、ウズベキスタン国のアムダリヤ川の支流であるザラフシャン川河岸にあったオアシス都市。サマルカンドは英語: Samarkand, ペルシア語: سمرقند‎ (Samarqand), ウズベク語: Самарқанд (Samarqand)。

目次
安禄山とその時代
1 安禄山の誕生とその時代背景
2 唐における安禄山
3 「安史の乱」前夜
4 安禄山のめざした世界とその後
著者等紹介
森部豊[モリベゆたか]
1967年生まれ。愛知大学文学部卒業。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学。専攻、唐・五代史、東ユーラシア史。現在、関西大学文学部教授。博士(文学・筑波大学)
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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興亡の世界史 05 シルクロ-ドと唐帝国 青柳正規/他 -- 講談社 -- 2007 [ユーラシア・東西]

興亡の世界史 05 シルクロ-ドと唐帝国BL.jpg興亡の世界史  05
巻の書名 シルクロ-ドと唐帝国
著者1 青柳正規 /〔ほか〕編集委員  
出版年 2007.2
出版者 講談社
ページ数 396p
大きさ 20cm
ISBN 978-4-06-280705-0
新潟市立図書館収蔵 中央・ホンポート館 二階 /209/コウ/5
新潟県立図書館収蔵 /209/A58/5
内容紹介
前近代における「シルクロード」とは、単なる「ロマン溢れる東西交易路」などではなく、まさに政治・経済・宗教・文化交流・戦争の現場、すなわち激動の世界史の舞台だった。突厥、ウイグル、チベットなど諸民族が入り乱れたこの地域で、大きな足跡を残して姿を消した「ソグド人」とは何者か。
唐は本当に漢民族の王朝なのか。著者オリジナルの最新研究成果をもとに騎馬遊牧民の動向を追い、中央ユ-ラシアの躍動を描く。中央ユーラシアの草原から中華主義とヨーロッパ中心史観の打倒を訴える。
[原本:講談社創業100周年記念刊行全集「興亡の世界史」の学術文庫版第一期のうちの第2冊目。『興亡の世界史 第05巻 シルクロードと唐帝国』講談社 2007年2月刊]
目次
序章 本当の「自虐史観」とは何か
第1章 シルクロードと世界史
第2章 ソグド人の登場
第3章 唐の建国と突厥の興亡
第4章 唐代文化の西域趣味
第5章 奴隷売買文書を読む
第6章 突厥※の復興
第7章 ウイグルの登場と安史の乱
第8章 ソグド=ネットワークの変質
終章 唐帝国のたそがれ
あとがき
学術文庫版あとがき
参考文献
年表
索引・地図一覧
※ 突厥(とっけつ、とっくつ、【Türük】、トルコ語:Göktürk【ギョクテュルク】)
著者等紹介
森安孝夫[モリヤスたかお]
1948年福井県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院在学中に、フランス政府給費留学生としてパリ留学。金沢大学助教授、大阪大学教授、近畿大学教授などを経て、(財)東洋文庫研究員、大阪大学名誉教授。博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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「帝国」ロシアの地政学‐‐「勢力圏」で読むユーラシア戦略ー2019年6月刊 [ユーラシア・東西]

「帝国」ロシアの地政学 132.jpg「帝国」ロシアの地政学 
副タイトル1 「勢力圏」で読むユーラシア戦略
著者1 小泉 悠 /著  
出版年 2019.7
出版者 東京堂出版
一般件名 ロシア-対外関係
ページ数 291p
大きさ 20cm
ISBN 978-4-490-21013-2
県立図書館収蔵
新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館2階 /319.3/コイ/
NDC分類(9版) 319.38
内容紹介
ウクライナへの軍事侵攻とクリミア半島併合、中東への介入、中国への接近、日本との北方領土問題…。近年広がりを見せるロシアの「勢力圏」。その狙いは何か? 「境界」の概念を軸として、ロシアの地政学的戦略を解説する。
ロシアの対外政策を、その特殊な主権観を分析しながら読み解く。
今やロシアの勢力圏は旧ソ連諸国、中東、東アジア、そして北極圏へと張り巡らされているが、その狙いはどこにあるのか。北方領土問題のゆくえは。蜜月を迎える中露関係をどう読むか。ウクライナ、ジョージア、バルト三国など、旧ソ連諸国との戦略的関係は。中東政策にみるロシアの野望とは。 ロシアの秩序観を知り、国際社会の新たな構図を理解するのに最適の書。北方領土の軍事的価値にも言及。
目次
はじめに―交錯するロシアの東西
第1章 「ロシア」とはどこまでか―ソ連崩壊後のロシアをめぐる地政学
第2章 「主権」と「勢力圏」―ロシアの秩序観
第3章 「占領」の風景―グルジアとバルト三国
第4章 ロシアの「勢力圏」とウクライナ危機
第5章 砂漠の赤い星―中東におけるロシアの復活
第6章 北方領土をめぐる日米中露の四角形
第7章 新たな地政的正面 北極
おわりに―巨人の見る夢
著者紹介
小泉悠[コイズミゆう]
1982年千葉県生まれ。早稲田大学社会科学部、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了(政治学修士)。民間企業、外務省専門分析員、未来工学研究所研究員、国立国会図書館非常勤調査員などを経て2019年から東京大学先端科学技術研究センター特任助教。専門はロシアの安全保障政策、軍事政策等


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