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「帝国」ロシアの地政学-「勢力圏」で読むユーラシア戦略--① [ユーラシア・東西]

91Rx0OXDdpL-縮.jpg「帝国」ロシアの地政学  「勢力圏」で読むユーラシア戦略
著者  小泉 悠   コイズミゆう
出版年 2019.7
出版者 東京堂出版
ページ数 291p 大きさ 20cm
ISBN 978-4-490-21013-2
新潟市立図書館収蔵 NDC分類(9版) 319.38
著者紹介  1982年千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了(政治学修士)。東京大学先端科学技術研究センター特任助教。専門はロシアの安全保障政策、軍事政策等。
内容紹介 ウクライナへの軍事侵攻とクリミア半島併合、中東への介入、中国への接近、日本との北方領土問題…。近年広がりを見せるロシアの「勢力圏」。その狙いは何か? 「境界」の概念を軸として、ロシアの地政学的戦略を解説する。
はじめに より

[フラスコ]と[浸透膜]
 本書のテーマを一言で述べるならば、ロシアの「境界」をめぐる物語、ということになろう。
 教科書的な理解によれば、国家は国境線という境界で隔てられる領域を有し、その内部において主権を行使するということになっている。これに国民を加えたのが、いわゆる国家の三要件と呼ばれるものだ。
 ここではこんな喩えを用いてみたい。
 古典的な国家観においては、境界とはフラスコのようなものとイメージすることがでさよう。硬いガラスの殼があり、その内部には「主権」という溶液が詰よっているが、これを他の液体につけたとしても、内部と外部が混じり合うことはない。
 しかし、ロシアの国家観においてイメージされる境界とは、浸透膜のようなものだ。内部の液体(主権)は一定の凝集性を持つが、目に見えない微細な穴から外に向かって染み出してもいく。仮に浸透膜内部の「主権」が着色されていれば、染み出していくそれは浸透膜に近いところほど色濃く、遠くなるほどに薄いというグラデーションを描くことになるだろう。一方、浸透膜は外部の液体を内部に通す働きもする。もしも外部の液体の方が浸透圧が高い場合、膜の内部には他国の「主権」がグラデーションを描さながら染み込んでくる。
 このような境界観は明らかに特異なものと言えよう。多くの国境紛争当事国が「閉じた境界線とその内部で適用される主権」という前提を共有した上で境界線をどこに引くかを問題にしているのに対し、ロシアの関与する紛争においては、境界線の性質に関する理解そのものが異なっているためである。
 ここで問題にされているのは、法的な国境線をどこに引くかというよりも、ロシアの主権は国境を越えてどこまで及ぶのか(あるいは及ぶべきではないのか)なのであって、一般的な国境紛争とは位相が大さく異なる。前述したウクライナ危機は、その典型例と言えるだろう(ウクライナ危機については第4章で触れる)。
 国家の構成要件である国民についても、ロシアの理解には特殊性が見られる。ロシアの言説においては、
 「国民」という言葉が法的な意味のそれ(つまりロシア国籍を有する人)ではなく、民族的なロシア人(あるいは 「スラウの兄弟」として近しい関係にあるウクライナ人やベラルーシ人)と読み替えられ、政治的・軍事的介入の根拠とされることが少なくない。
 そして、このような「国民」の読み替えが上記の 「浸透膜のような境界とグラデーション状の主権」という理解と結びつくことで、「ロシア人の住む場所にはロシアの主権が(完全ではないにせよ)及ぶ」という秩序観が成立する。しばしば帝国のそれになぞらえられる、特殊な秩序観である。
 では、こうした秩序観は、どのような思想的背景の下に生まれてきたものであり、ロシアをめぐる国際関係にどのような影響を及ぼしているのだろうか。あるいは、約6万牛ロメートルに及ぶロシアの国境線は、一様に「浸透膜」として振る舞うのだろうか。それとも地域的な差異が認められるのだろうか。そして我が国が抱えるロシアとの北方領土問題は、このような構図の中でいかに理解されるべきなのだろうか。  本書は、「境界」の概念を軸として、こうした問いに答えていこうという試みである。
続く

タグ:ロシア
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