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ワクチン開発と戦争犯罪 インドネシア破傷風事件の真相--01 [コロナウイルス]

ワクチン開発と戦争犯罪  インドネシア破傷風事件の真相


1944年8月、ジャカルタのロームシャ収容所で謎の破傷風事件が発生。事件の背景にあった日本軍の謀略とは。

著者 倉沢 愛子 著 , 松村 高夫 著
岩波書店
刊行日 2023/03/14
ISBN  9784000615853

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はじめに 
新たな感染症と日本軍の亡霊
 
 二〇一九年末に突然姿を現した COVID-19 と呼ばれる感染症は、モンスターのように全世界を蹂躙し人類を恐怖に陥れ、それから約三年経った二〇二三年二月に至るまで、未だ完全な終息の気配は 見らない。この危機を救うには、特効薬もさることながら、感染を予防するためのワクチンの一刻も早い製造が重要だということで、全世界で高額な費用と人材を投じて開発が急がれてきた。通常であれば数年かけて慎重に積み重ねられる治験も特急で進められ、主要国政府は素早く認可を出して接種を開始している。 
 二〇二〇年に入り、日本でも新型コロナウイルスの感染が拡大しはじめてから、書店にはパンデミック関連の本や雑誌が洪水のように溢れ並べられてきた。カミュの『ペスト』(一九四七年)はその中の 一冊である。 
 これは「一九四Ⅹ年」にアルジェリアのオラン市で生じたペスト感染という不条理に直面した医師リユーや友人たちが、どのように感じ、考え、行動したかを描いたフィクションであり、多くの紹介や論評がなされてきた。だが「一九四Ⅹ年」と同じ頃、つまり一九四〇年から四二年にかけて、中国では十数地域に対し七三一部隊が「ペスト感染ノミ」(第5章で詳述)を地上や空中から散布した結果、多数の人びとがペストに感染し、「黒死病」の犠牲者になった。戦時中、日本は細菌戦を本格的に行った唯一の国になった。日本のアウシュヴィッツと言われる七三一部隊のペスト細菌戦実施という歴史が重要であるにもかかわらず、カミュの『ペスト』について論じるなかで、この部隊のペスト細菌戦に触れた者はほとんどいない。例外は、加藤哲郎『パンデミックの政治学――「日本モデル」の失敗』(花伝社、二〇二〇年 新潟市立図書館収蔵本 中央図書館ホンポート)と山岡淳一郎『ドキュメント 感染症利権――医療を蝕む闇の構造』(ちくま新書、二〇二〇年 新潟市立図書館収蔵本 中央図書館ホンポート)ぐらいだろうか。
 もっとも上昌宏かみまさひろ医師は、日本でコロナ感染が確認された二〇二〇年一月一五日から二カ月も経たない時点において、『Foresight』の論文「帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(上・下)」(同年三月五日掲載)で、つぎのように指摘していた ――帝国陸海軍の「亡霊」は、①国立感染症研究所(旧国立予防衛生研究所)、②東京大学医科学研究所(旧東京帝国大学付属伝染病研究所)、③国立国際医療センター(旧国立東京第一病院)、④東京慈恵会医科大学(旧海軍系病院)の四施設に現在も生きている。この帝国陸海軍の伝統が、今回のコロナ感染症対策、とくにPCR検査の抑制とデータの独占、国際的視野に立たない国産ワクチンの開発などに継承されているとした。 
 本書の筆者(倉沢・松村)は、第二次世界大戦中、日本軍占領下に置かれていたインドネシアで起こった破傷風の集団発生という悲劇も、戦後日本の一連の感染症発生とその結果と対策についても、七三一部隊の国際的ネットワーク(第5章で詳述)における細菌兵器とワクチンの開発を分析することなしには十分明らかにはできないと考えている。
続く

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