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決定版 日中戦争--「なんとなく」始まり「ずるずると」続けた日中戦争ー2018 [満州・大東亜]

81rXF9Jcr2L.jpg決定版 日中戦争 
著者 波多野 澄雄 ハタノ, スミオ/元筑波大学教授
著 戸部 良一 トベ, リョウイチ/帝京大学教授
著, 松元 崇 マツモト, タカシ
/元内閣府事務次官、現国家公務員共済組合連合会理事長 
著, 庄司 潤一郎 ショウジ, ジュンイチロウ/防衛省防衛研究所の研究幹事
著, 川島 真 カワシマ, シン/東京大学教授  
出版年 2018.11
出版者 新潮社  新潮新書  788
ページ数 287p  大きさ 18cm
ISBN 4-10-610788-7
新潟県立図書館 /210.7/H42/ 
内容紹介
 日中戦争は近代日本の対外戦争の中で最も長く、全体の犠牲者の数は日米戦争を凌駕する。なぜ、開戦当初は誰も長期化するとは予想せず、「なんとなく」始まった戦争が、結果的に「ずるずると」日本を泥沼に引き込んでしまったのか。輪郭のはっきりしない「あの戦争」の全体像に、政治、外交、軍事、財政などさまざまな面から多角的に迫る。現代最高の歴史家たちが最新の知見に基づいて記す、日中戦争研究の決定版。最新の知見で描き出す「失敗の本質」。
はじめに 波多野 澄雄  よりノート
二〇〇六年秋の胡錦濤・中国国家主席と安倍晋三・日本首相との合意に基づき、同二〇〇六年一二月から開始された「日中歴史共同研究」は、〇九年末に最終会合を終え、翌一〇年に報告書を一部公表して幕を閉じた。戦後史の部分は公開されなかった。
 二千年を超える交流の歴史を冷静に見つめなおすことによって、東アジアにおける両国の分ち難い関係を確認することが重要な目標とされた。 
「不幸な歴史」の時代、具体的には満洲事変から終戦までの描き方に内外の注目が集まり、実際の共同研究においても最も活発に議論され、時間を費やすことになつた。報告書の「不幸な歴史」の時代の日本側執筆者であった三人 、波多野澄雄(元筑波大学教授、防衛庁防衛研究所元研究員)、戸部良一(帝京大学教授、防衛省防衛大学校元教授)、庄司潤一郎(防衛省防衛研究所主任研究官) は、ときどき意見交換をする機会があった。
 印象では、ここ三〇年ほどの間に中国における日中戦争研究は、大きく変化している。テーマ設定の広がりと多様化 それは政策選択の可能性への言及、国家建設や抗日戦争における国民党の役割に対する積極的な評価、人物評価の多様性 、第三国における研究への配慮などである。
 
 しかしながら、総じて日本による侵略的意図の一貫性・計画性、責任問題に帰着する中国側の叙述方法は、・・略・・日本による「侵略」と中国人民の「抵抗」という基本的な枠組みは変わっていない、ということである。
 第二次世界大戦における日中戦争 (抗日戦争)の位置づけについても、太平洋戦争の勃発によって中国は、世界大の「反ファシズム統一戦線」の重要局面である中国戦線を一手に担い、日本軍を消耗させたがゆえに、連合国の「世界反ファシズム戦争」の勝利も実現した、という第二次大戦像は動かし舞いことを確認することにもなった。中国以外の連合国が抗日戦争の勝利に貢献したという側面が入る余地は少ないのである。
 学術的な立場を離れて国の成り立ちといった観点からみれば、中国人民が日本の「侵略」に抗して「抵抗」を貫いたからこそ、現在の国家の基盤が築かれ、国民統合が進んだという歴史観は動かし難いのである。現在の国の成り立ちと歴史観•歴史研究は切り離すことができないともいえる。日本の研究者は「結果」よりもプロセスを重んずる傾向があるが、中国の研究者は「結果」から出発し、その過程を軽視する傾向がある、と指摘されるのはそのためである。
 日中戦争期については、中国側の要望もあり、実質的に日中の「ニ国間外交•軍事関係史」に限定して議論が進められた。当初は、国際関係や経済の動向、国内政治との連関といった広い視点の重要性も指摘されたが、これらは今回の共同研究には生かされなかった。
《先の防衛省・庁の研究者の3人》波多野澄雄、戸部良一、庄司潤一郎に、中国史の川島真氏 (共同研究の日本側委員であった東京大学教授)と財政史の松元崇氏 (元内閣府事務次官、現国家公務員共済組合連合会理事長 )にも加わってもらった。
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