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天下と天朝の中国史 [ユーラシア・東]

華(夏)と夷+四海+北狄+西戎+中華+東夷+南蛮.jpg天下と天朝の中国史

著者 檀上 寛 [ダンジョウひろし]
出版者 岩波書店
岩波新書 新赤版 番号 1615
 出版年 2016.8
ページ数 10,283,6p
ISBN 978-4-00-431615-2
新潟市立図書館収蔵 中央 新書 Map S/222.0/ダン/
内容紹介
古来より中国の歴代王朝は有徳の天子の朝廷「天朝」を演じることで、中華と夷狄とを序列・秩序づけ、「天下」を統治してきた。現代にまで息づいている、この中華帝国の行動原理の全貌を、中国史を通覧することで描きだす。
古来より中国の歴代王朝は有徳の天子の朝廷「天朝」を演じることで、中華と夷狄とを序列・秩序づけ、自らの領土たる「天下」を統治してきた。このような中華帝国の行動原理は、時代によってその内実を大きく変化させながらも、歴史を超えて現代にまで息づいている。中国史を通覧することでその全貌を描きだす雄大な試み。
目次
溥天の下、王土に非ざる莫し―春秋・戦国時代
天朝体制の仕組み―秦・漢
北の天下、南の天下―漢・魏晋南北朝1
天下と天下秩序―漢・魏晋南北朝2
中国の大天下と倭国の小天下―南朝・隋・唐
東アジアの天下システム―唐
天朝の行方―五代十国・宋・遼・金
天下一家の完成―元
天下一家から華夷一家へ―明
華夷変態と中外一家―清
中華民族の大家庭―近・現代
著者等紹介
檀上寛[ダンジョウひろし]
1950年生まれ。京都女子大学名誉教授。京都大学大学院博士課程修了。文学博士。専攻、中国近世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
書評
天下と華夷で見る中国史
天の委任を受けて統治をおこなう有徳者が天子であり、それが収める領域が天下である。
文明化された中央である中華が狭い意味での天下、その周辺の夷狄まで含めたのが広い意味での天下である。
本書は、こうした天下や華夷の視点から中国史を一気に眺めようとする野心作である。
上記の天下などの発想は儒教に基づくものだが、世襲かつ絶対的な権威(=天そのもの)としての皇帝とは相異なる概念であった。
儒家の思想家はこの問題に対し、中華内部には皇帝号を、夷狄には天子号を用いるという方策を編み出す。また、世襲制を認めるべく、一切の私が消滅して公が貫徹する「天下一家」を、王朝を成立させて皇帝を頂点として皇帝の家として天下を平定することと言い換えていく(儒家以前にも劉邦に見られる)。
華夷の区分には、地域・民族的なものと文化・礼的なものとがある。もともとは地域民族的なものから来ている漢族中心的なものだが、特に五胡は徳の有無を強調した(ただし文化的に優位とされた漢民族への屈折した感情はなかなかぬぐえなかった)。前秦の苻堅の民族融和策や北魏孝文帝の華化(中国化)政策などは、そうしたコンプレックスの表れでもある。
周辺の夷狄は中華に冊封し、それによって広義の天下は拡大する。600年の倭から隋への文書では自らを天弟と名乗り、小野妹子の有名な「日出処の天子」では自らを天子と名乗っていたために隋からの不興を買った。これは東アジア諸国も自分を中心とした小天下、小中華を主張していて対外交渉における視点を忘れていたという面もあるという。
唐代においては周辺国は基本的に朝貢をし、朝貢国間の序列を互いに争う状況であった。
唐の後はしばらく混沌とし、宋と遼の関係でも、遼は一生懸命中国化を進めようとした。
元、明、清は抽象的国号であるとともに、ともに頭に「大」をつけて「大元」などと名乗るのはその国土の大きさ、民族的多様性を強調している。
元は明確に夷狄が作った国家だが、明は元を引き継いで作られているので、明は元の正当性を擁護するような立ち位置となる。具体的には特に基づく天下観が主として採用される。また華夷一家は言われるが、天下一家は(元を含む)夷狄を蔑む面があるので避けられた。
朱元璋の儒教を貫徹する恐怖政治、海禁を用いた朝貢体制の大拡張(鄭和の航海がピーク)という展開をしていく。元さえも屈服させるのに失敗した日本が朝貢してきたことに、永楽帝は大きく喜んだという。
その後の清朝は、弁髪などの譲れない選を除いては中国化を進めた。乾隆帝はモンゴルではハン、チベットでは仏教の転輪聖王、新疆ではイスラム保護者として振る舞うなどいくつもの顔を持って多元性を体現していたが、同時に中華を拡張して外の範囲の人々を無理やり一家に組み入れてしまうものでもあった。
ちなみに朝鮮では、最も野蛮とされていた女真が支配していることへの屈折した感情から、自らこそが明の正統な後継とする少中華の思想が強まった。清朝へのヨーロッパ進入時は、朝廷は「ヨーロッパ諸国に恩恵を与える」などと一生懸命の強弁をしたがその凋落ぶりは顕著であった。
孫文の中華民国は、当初は五族協和を出してもいたが、孫文自身の考えである漢民族中心的な側面は次第に強まり、モンゴルやチベットは清朝には従っても中華民国に従う義理などないので離脱しようとして(モンゴルは半分独立、チベットは第二次大戦後に弾圧された)。
固有名詞は少なめに押さえて、中国全体の動きを上手く押さえてくれている良書だと思う。

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