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アジアの海を渡る人々--p008-中華文明の海 [ユーラシア・東]

アジアの海を渡る人々--一六・一七世紀の渡海者 

上田信 (編集), 中島楽章 (編集)
出版社 ‏ : ‎ 春風社 (2021/3/31)
発売日 ‏ : ‎ 2021/3/31
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4861107290
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館  220/アジ

内容紹介 p008
中国古代の世界観では、文明といえばすなわち中華文明しかない。中単の文明は国都を中心に、黄河流域の「中原」からその周囲へと同心円状に広がり、しだいに希薄化する。中華の地の外側には文明が十分に及ばないい蛮夷の地か広がり、さらにその東西南北を大海が囲んでいる。この四方の海に囲まれれた「四海の内」がすなわち「天下」である。 参照 天下と天朝の中国史-檀上 寛 /著--岩波新書 新赤版
華(夏)と夷+四海+北狄+西戎+中華+東夷+南蛮.jpg
海とは天下の外縁に茫漠と広がるマージナル(縁)な世界だったのだ。またこうした観念から、東方海上の仙境としての蓬莱島のような想像が派生することもあった。のちに東南沿海部の開発がしだいに進んでも、中華文明の外緑としての海洋のイメージは、なお根強かったようだ。例外は仏教的世外観に基づく、仏法の明地インドへの「求法」であり、7世紀に海路インドに仕復した義浄の『南海寄帰内法伝/なんかいききないほうでん』(営林昭彦他訳、法蔵館、2004年)は、この時代には数少ない渡海者自身による貴重な記録となっている。
このように古代中国(中原)では、海は天下の外縁に広がる、文明尽きる荒漠たる世界として認識していた。

これに対し、古代地中海世界では、海とは文明世界の中心部に位置し、様々な文明を結びつる交流の舞台だった。古代中国の人々にとって海域はアウェイだったが、地中海世界の人々にとってはホームだったのだ。ヨーロッパ文学の原点とされるホメーロス『オデュッセイア』はトロイア戦争の英雄オデュッセスの航海と冒険の物語であり、ラテン文学の最高峰とされるウェルギリウス『アエネーイス』も、トロイア側の英雄アエネーアースが苦難の航海の末、新天地イタリアに到達する物語であった。
さらに西アジアの人々にとっては、地中海とともにインド洋もホームとなる。アラビア文学といえば誰もがまず思いうかべるのは、インド洋の冒険航海者シンドバッドの物語だろう。
中国文学の原点である『詩経』には、江漢以下の四編は王公の権威か「四海の内」に及ぶことへの頌歌だ。ここでは現実の海や航海の情景が歌われることはない。天下の辺縁という観念としての海である。
黄河流域の落葉広葉樹林の植生や、長江流域の照葉樹林の開拓などを、各地の生態系に即して描写した多くの歌謡が収められている。『詩経』はあくまで黄河流域の「中原」その周辺の内陸部に生きる人々が生みだした歌謡である。
日本文学の原点といえる『万葉集』の題詞と歌本文で「海」を検索、計二二四件かヒット。海」の語はなくとも、海原や航海について詠んだ歌も多い。13世紀の『新古今和歌集』と詞書/ことばがき/と本文で「海」を検索、計39件と大きく減少する。多くは歌枕的な名所や、定型的な詩的表象としての海である。13世紀の『新古今和歌集』では。海は現実の渡海者から遊離して、貴族的風雅の世界の書き割りのようになってしまった。
16~17世紀初頭に成立した琉球王国の『おもろさうし』では、海に生きる人々の歌謡を集成した。特に第十「ありきゑとのおもろ」と第十三『船ゑとのおもろ』に含まれる計二八一首は、「おもろ」総数の四分の一を占めており、大部分が船や航海に関わるものだ。それらの多くは航海の無事と成功を祈る儀礼の場で唱われた頌歌であり、琉球王国による活発な海外貿易の実態を反映した歌詞も多い。
「真南風鈴嗚り/まはえすづな/ぎや 真南風 さらめけぱ 唐/とう/・南蛮 貢積で/かまへつ/ みおやせ」(真南風鈴嗚り[船名]よ、南風が吹けば、唐や南蛮の品々を積んで、王に奉れ)《船ゑとのおもろ、第780番》
夏のモンスーンを帆に受け、中国や東南アジアの物産を満載して那覇に帰航する琉球船のイメージが鮮やかだ。

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