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古代史講義ー新潟市立図書館収蔵の本3冊① [明治以前・国内]

古代史講義 邪馬台国から平安時代まで

佐藤 信/編

-- 筑摩書房

-ちくま新書 シリーズ1300

刊行日- 2018.1

ISBN 978-4-480-07117-0


新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 S/210.3/コダ/


内容紹介 大化の改新は645年のクーデタではない、「聖徳太子」は厩戸王でありその役割は限定的であった、東北の城栅は行政官庁だった…。15人の専門家の知を結集。古代史の最新の研究成果と研究動向をわかりやすく解説し、かつての教科書で書かれていたために広まっている誤解などを正す。


【目次】

1.邪馬台国から古墳の時代へ 吉松大志 13-29頁

2.倭の大王と地方豪族 、須原祥二 31-52頁

3.蘇我氏とヤマト王権 、鈴木正信 53-71頁

4.飛鳥・藤原の時代と東アジア 、中村順昭

5.平城京の実像 、馬場基

6.奈良時代の争乱 、佐々田悠

7.地方官衙と地方豪族 、佐藤信

8.遣唐使と天平文化 、飯田剛彦

9.平安遷都と対蝦夷戦争 、吉野武

10.平安京の成熟と都市王権の展開 、仁藤智子

11.摂関政治の実像 、榎本淳一

12.国風文化と唐物の世界 、河内春人

13.受領と地方社会 、三谷芳幸

14.平将門・藤原純友の乱の再検討 、宮瀧交二

15.平泉と奥州藤原氏 、大平聡


吉松大志 1.邪馬台国から古墳の時代へ

 邪馬台国の位置は三万五千里四方という中国王朝の世界観の東端に位置づけられたもので、距離は遠方からの朝貢を強調するもの(p.19)。

 列島と朝鮮半島との交易は壱岐対馬と北九州が中心だったが、山陰地方にも列島側の拠点が拡大するなど《多極的ネットワークが形成された》(p.27)。


須原祥二 2.倭の大王と地方豪族 31-52頁

巨大な盟主墓を含む古墳はオオヤマト、佐紀、馬見(大和)、古市(河内)、百舌鳥(和泉)、三島(摂津)に別れているが、有力首長たちは通婚を重ねて血縁的に近しかったと推測される(p.39)。


 楽浪・帯方郡の滅亡によって九州中心の交易ネットワークは終焉、畿内のヤマト王権が伽耶地域と交易を行うようになる(宗像・沖ノ島の祭祀が開始される)。


 卑弥呼の墓と有力視されている箸墓古墳を含むオオヤマト古墳群でも、二系統に分ける見解がある。初期の高句麗王は五つの部族から交互に出ていたり、新羅でも二人の王が役割を分担して併存していた。草創期や初期段階の王位のあり方は《もはや「一系統の王朝」の存否だけを議論する状況ではない(p.33)。


 421年 倭の五王(讃、珍、済、興、武)が宋に遣使、478年までに7回の朝貢は奈良時代の遣唐使を上回る頻度(p.41)。


 古墳の規模規制は制度に基づく統治の先駆け(p.44)。


鈴木正信 3.蘇我氏とヤマト王権 、53-71頁


 蘇我氏を滅亡させた645年の乙巳の変の前年、高句麗でも似たようなクーデターが勃発、百済と新羅でも混乱が生じており、朝鮮半島情勢が緊迫していた(p.68-)。


 初期段階の王位のあり方(部族からの交互選出、王位の役割分担など、)を含めて半島と列島の政治はクロスしてる。


古代史講義 戦乱篇 に続く


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