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イスラム入門 分断を乗り越えるための ②「聖」と「俗」 [隣の異教]

分断を乗り越えるためのイスラム入門 著者:内藤正典【ナイトウまさのり】
幻冬舎新書 698
第4章 イスラムは「遅れている」のか?・085頁 イスラムには「聖」と「俗」を分ける発想がない・・  より
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 イスラムにはカトリックのような教会租織がないということです。教会を構成する位階のある聖職者もいません。国家から「教会」を切り離しなさいというのが世俗主義の基ですから、「教会」をもっていないムスリムは、国家から何を切り離せと言われているかがわからないのです。
 ピラミッド型の教会組織がないので、その頂点に立つ教皇もいません。カトリックで教皇は神の代理人になりますが、イスラムにはそのような人はいません。
 ムスリムに聞いてみればすぐにわかることですが、イスラムに教皇はいません。代わりに、全ムスリムを統率するカリフという地位はあります。ところが、このカリフという地位は1924年まではオスマン帝国に残っていたのですが、オスマン帝国の減亡とともに消えてしまいました。
  カリフとは神の使徒の代理人、つまりムハンマドの代理人ですから、存在してくれれば、すべてのムスリムを統率する地位となります。現在は空位なのですが、タリバン政権のアフガニスタンのように、ピュアなイスラムの国家としてやっていくと宣言している国では、リーダーがアミール・アル・ムーミニーン(イスラム信徒の長)を名乗ります。本来はカリフと同じ意味をもつ称号です。
 マスコミでは、「イスラム聖職者」と呼ばれる人が登場することがありますが、あれも間違いです。キリスト教のカトリックでは聖職者がいますが、彼らは現世の欲望を断って(本当に断っているかどうかは知らませんが)神に仕え、神に代わって、たとえば告解で「赦し」を与えるから「聖職者」と呼ばれます。
 しかし、イスラムにそういう人はいません。いるのは、『イスラムの先生』です。イスラムについて豊富な学識をもつ人という意味ですから、イスラム学者です。アラビア語ではウラマ-と言います。先生なので、別に欲望を断つ必要はありません。神に成り代わって人に赦しを与えることもできません。あくまで、先生ですから、ただの人間です。イスラムで禁じられた行為をした人に、イスラムの法解釈に従って、裁定(判決)を下すことはできます。そういう人を「イスラム法学者」と言うこともあります。
 ムスリムが世俗主義を理解できないのは、教会組織をもたないからだけではありません。より根本的な理由として、そもそもイスラムには「聖」と「俗」を分ける発想そのものがないからです。これを「聖俗不可分」と言います。
 超越的絶対者であるアッラーは、森羅万象を照らしているわけですから、人間社会の一部に「俗」な領域、つまり宗教から離れた領域を設定することができないということです。ムスリムにとっては、アッラーの意思が及ばない領域などを考えらえないでしょう。
 世俗主義(政教分離もその一部です)とは、人間がつくる社会や国家のなかの「公」の領域には「アッラーは手を突っ込むな」そのようなイデオロギーとイスラムは両立しません。

実際は、イスラム圏の国家のほとんどは世俗主義・・・105
 しかし、それはイスラムという宗教の本義の話であって、現実に今生きているムスリムが、世俗主義を拒否しているかと言えば、そうではありません。
 近代西欧のつくりあげた国家システムというものは、世界を支配しています。19世紀以来、圧倒的な力で世界を席巻しました。中東でも他のイスラム圏でも、現状の国家のほとんどは、世俗主義を受け入れています。
もし、受け入れないで、イスラム通りに国をつくるとすると、2021年8月以来のタリバン政権のアフガニスタンかそうですが、すべての法体系をイスラムに従わせなければなりません。
 アフガニスタンは、過去20年、アメリカの事実上の占領下で国家に世俗主義を導入してきましたから、法の体系をイスラムに戻すのは容易なことではありません。世俗的なルールに慣れでしまうと、その方か暮らしやすいと盛じる人は、ムスリムのあいだにも多いからです。
 ムスリムは西欧世界が「国家」と「教会」を分離したことは知っています。もはやキリスト教の規範が社会を縛れない、つまり「世俗分離」の世界だということも知っています。しかし、西欧がイスラム世界に対して、おまえたちも両者を分離しないと漣歩できないぞと主張してもそこは受け入れられません。
 それは先程も述べたように、第一に、教会のないイスラムには、国家から何を分離しろと言っているのか、理解できないからです。そして第二に、イスラムは信徒一人ひとりの行動の規範になっていて、公の場であろうと、私的な場であろうと、すべてをカバーします。たとえ、国が政教分離を受け入れても、個人としでのムスリムは、信仰はプライベートな空間だけにしようという発想をもちにくいのです。
 他方、ムスリムがアフガニスタンのタリパン政権やイランのイスラム体制を支持するかと言えば、それもなかなか難しいことです。


タグ:イスラーム
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