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犠牲者意識ナショナリズムー2022.7・・・タタールの軛も⁈ [視座をホモサピエンス]

犠牲者意識ナショナリズム
副書名 国境を超える「記憶」の戦争  VICTIMHOOD NATIONALISM
著者 林 志弦 /いむ・じひょん   訳者 澤田 克己 /  サワダかつみ
出版者 東洋経済新報社  出版年 2022.7
ページ数 19,529p  大きさ 20cm

ISBN 978-4-492-21252-3
新潟市立図書館収蔵 亀田館 /311/イ/
著者プロフィール
林 志弦  いむ・じひょん
 韓国・西江大学教授、同大学トランスナショナル人文学研究所長。1959年ソウル生まれ。1989年西江大学博士(西洋史学)。韓国・漢陽大学教授、同大学比較歴史文化研究所長などを経て2015年から現職。専門は、ポーランド近現代史。現在は、記憶の研究に重点を移し、東アジアの歴史和解を模索している。
訳者
澤田 克己 サワダかつみ
毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、韓国・延世大学で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。ソウル特派員、ジュネーブ特派員、外信部長などを経て2020年から現職。
目次
第1章 系 譜  第2章 昇 華  第3章 グローバル化  第4章 国民化
第5章 脱歴史化  第6章 過剰歴史化

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内容紹介
植民地主義や世界大戦、ジェノサイドで犠牲となった歴史的記憶を後の世代が継承し、自分たちを犠牲者とみなして正当化を図るナショナリズム。世界各地で激しさを増している、記憶が引き起こす歴史認識紛争に警鐘を鳴らす書。
 ポーランド研究者だった著者の林志弦教授は、自分たちは犠牲者なのだという記憶を世襲した攻撃的な民族主義・意識をポーランドやイスラエルに見出し、韓国も同じだと考えました。そうした問題意識から15年前に研究を始めたそうです
 
【犠牲者意識ナショナリズム】
植民地主義や二度の世界大戦、ジェノサイドで犠牲となった歴史的記憶を後の世代が継承して自分たちを悲劇の犠牲者だとみなし、道徳的・政治的な自己正当化を図るナショナリズム。グローバル化した世界で出会った各民族の記憶は、互いを参照しながら、犠牲の大きさを競い、絡み合う。記憶が引き起こす歴史認識紛争がいま、世界各地で激しさを増している。
 
【はじめにより】
2007年1月18日朝、新聞を広げた私は首をひねった。購読する進歩系と保守系の新聞どちらも、『ヨーコの物語』(邦訳:『竹林はるか遠く:日本人少女ヨーコの戦争体験記』を批判する記事が文化面トップを飾っていたのだ。どうということのない本のように思えたが、驚くほど大きな記事だった。
 
 韓国メディアの激しい批判は、「韓国民族イコール被害者」「日本民族イコール加害者」という二分法が揺さぶられたことへの当惑を表すものだったのだろう。避難する日本人女性を脅し、強姦する加害者という韓国人のイメージが日本の植民地支配に免罪符を与え、歴史を歪曲するという憂慮が行間から読み取れた。
 
 その心情は理解できるものの、その二分法が常に正しいわけではない。韓国が日本の植民地主義の被害者だったというのは民族という構図でなら正しいが、個人のレベルでは朝鮮人が加害者に、日本人が被害者になる場合もある。個々人の具体的な行為ではなく、集団的所属によって加害者と被害者を分ける韓国メディアの報道は、「集合的有罪」と「集合的無罪」に対するハンナ・アーレントの批判を想起させた。】


 戦後日本の民族主義と朝鮮半島の民族主義には「敵対的な共犯関係」があると指摘。二つの民族主義は政治現象としては激しく対立しているものの、実際には共犯関係を享受しているという見立てだった。  現象的には、東アジアの国際政治は民族主義のゼロサムゲームという法則  


被害の歴史記憶が集団を団結させ、擬似ナショナリズムになり得ることを指摘している。


ロシア・ウクライナの関係も、13世紀のモンゴルの侵攻とそれにつづくモンゴル人(モンゴル=タタール)による現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシ地域の支配を「タタールの軛」とする被害妄想・歴史記憶が集団を団結させ、擬似ナショナリズムに成ってないかな。

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