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やりなおす戦後史ー2015年 その⑤ I shall return [明治以後・国内]

やりなおす戦後史  著者 蔭山克秀 /かげやま・かつひで 
出版年 2015.7  出版者 ダイヤモンド社  ページ数 311p 大きさ 19cm
ISBN 978-4-478-06565-5
新潟市立図書館収蔵  NDC分類(9版) 210.76

著者紹介 蔭山克秀 年齢不明 愛媛県出身。代々木ゼミナ-ルで圧倒的な人気な民科№.1講師。
抜粋して掲載したWeb https://diamond.jp/articles/-/75746  より
マッカーサーは、太平洋戦争時、連合国の南西太平洋地域総司令官でフィリピンのルソン島の戦いで日本軍に敗れ、7万人以上の兵士を残してオーストラリアに“逃亡”した。バターン半島に取り残された兵士たちは、収容所に移動する際にマラリアや疲労で次々と死に、到着時には五万人余りにまで減っていた(「バターン死の行軍」)。
700-Bataan_Death_March_2017_stamp_of_the_Philippines.jpg
《内はニジヤ挿入 
《3月20日に南オーストラリア州のアデレード駅に到着。、マッカーサーは有名な宣言を出した。
私はアメリカ大統領から、日本の戦線を突破してコレヒドールからオーストラリアに行けと命じられた。その目的は、私の了解するところでは、日本に対するアメリカの攻勢を準備することで、その最大の目的はフィリピンの救援にある。私はやってきたが、必ずや私は戻るだろう。(I shall return .)
「10万余りの将兵を捨てて逃げた卑怯者」との批判には「アメリカ大統領から命じられた」と言い訳をしている。「I shall return.」は当時のアメリカ兵の間では「敵前逃亡」の意味で使われた。それまでも、安全なコレヒドールに籠って前線にも出てこないマッカーサーを揶揄し「Dugout Doug(壕に籠ったまま出てこないダグラス)」というあだ名を付けられ、歌まで作られて兵士の間で流行していた。
^ (リパブリック讃歌の替え歌)ダグアウト・ダグ・マッカーサー 岩の上に寝そべって震えてる。どんな爆撃機にも突然のショックにも安全だって言うのにさ。ダグアウト・ダグ・マッカーサーはバターンで一番うまいもの食っている。兵隊は飢え死にしようってのにさ。
オーストラリアで南西太平洋方面の連合国軍総司令官(Commander IN Chief, SouthWest Pacific Area 略称 CINCSWPA)に就任したマッカーサーは、オーストラリアにはオーストラリア本国すら防衛できるか疑わしい程度の戦力しかないと知り愕然とした。「死んだように顔が青ざめ、膝はガクガクし、唇はピクピク痙攣していた。長い間黙ってから、哀れな声でつぶやいた「神よあわれみたまえ」」と立ち会った人が回想している。
マッカーサーはオーストラリアに脱出しても、全フィリピン防衛の指揮権を残してきたジョナサン・ウェインライト少将に渡すことはせず、6,400kmも離れたオーストラリアから現実離れした命令を送り続けた。、ウェインライトに「いかなる条件でも降伏するな、食糧・物資がなくなったら、敵軍を攻撃して食糧・物資奪取せよ。それで情勢は逆転できる。それができなければ残存部隊は山岳地帯に逃げ込みゲリラ戦を展開せよ。その時は私は作戦指揮のため、よろこんでフィリピンに戻るつもりである」という現実離れした命令を出そうとした。マーシャル陸軍参謀総長に、却下されている。
続く

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