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自発的隷従の日米関係史: 日米安保と戦後 単行本 – 2022/8/11 [対USA]

71q5Zslg+OL.jpg自発的隷従の日米関係史
: 日米安保と戦後
?(著)松田武[マツダタケシ]
?? 岩波書店 
発刊日?? : ? 2022/8/11??
: ? 222ページ
ISBN-13 ? : ? 978-4000615518

内容紹介

本書では、日米関係を「イコール・パートナーシップ」とは程遠いものにさせている二国間関係の [レジスタードトレードマーク]桔の原因を明らかにするために、過去にも触れながら両国の政治?文化?思想?価値観などを中心に考察したい。そして、戦後から今日に至る日本政府の対米追随、もしくは対米従属や対米 ^従と言われる対米姿勢は、政府あるいは国民が、それとも双方が、主体的に選んだ選択肢なのか、それとも米国の圧力の下で選ばざるを得なかった選択肢なのかの問いについても考えてみたい。
米国は、一八五三年の黒船の来航以来、わが国《日本》にとって太平洋を挟んだ重要な隣国であり、それゆえに研究者はもちろんのこと、国民にとっても大きな関心の的であり続けている。
《米国にとっては重要な隣国と認識されてきたか》
筆者は、軍事 (安全保障 )、経済、文化の三要素が、「糾える縄のように」縫り合わさり、三位一体となって日米関係をつくり上げている、と捉えている。
米国の対日政策は、「善意からではなく、明確に自覚した自らの国益に基づいた」ものであり続ける、と。なぜならば、米国はこれまでと同じようにこれからもあくまで国益優先の立場から日本を眺め続けていく。
米国では、日本研究者や一部のインテリ以外は、政府関係者およびマスコミ関係者を含め国民の大半が、日本人が米国を知っているほどには「日本について知らない」とい、っことである。このインフォメーション・ギヤツプが、これまで日米両国の関係に少なからず影響を及ぼしてきた。
戦後日米関係について筆者は、日米関係の第一の行為主体が米国で、第二の行為主体が日本の保守勢力、そして第三の行為主体が日本の国民と考えている。
第一の行為主体としての米国―――その横顔
米国は、独立を達成してからーー〇世紀前半まで、大西洋と太平洋とい、音然の障壁により国の安全が守られたため、孤立主義の伝統を保ってきた。その方針は、初代米大統領ワシントンの「告別演説」 (一七九六年 )にはっきりと見て取れる。しかし、ーー〇世紀に入ると、米国は第一次と第二次の世界大戦に参戦することになった。その経験から、米国は孤立主義の高い代価を払う一方、他方で貴重な教訓も学んだ。
《 孤立主義を辞めた米国内の要因は何か。》
 その教訓の一つが、独裁者に毅然とした態度をとることの重要性と、「力による平和の維持」に関する教訓である。すなわち、独裁者には妥協することなく断固反対し、そして、事態が戦争に発展するならば軍事力をフルに動員して、独裁者の野心を完膚なきまで打ち砕くことであった。その教訓の背景には、ー九三八年の英国の宥和政策が、第二次世界大戦勃発の大きな引き金となったという反省があった。
《 南中米諸国の独裁者は・・・・》
もう一つの教訓は、国の安全を確かなものにするには、臨戦態勢の周到な準備 ( Prepdness )と、将兵がひと時も気を緩めることなく緊張感を持ち続けることの重要性であった。これまでこの教訓は、米国人がー九四一年の「真珠湾奇襲攻?」の反省から学んだものと説明されてきた。それに異議を唱えるわけではないが、筆者は、同時に、「真珠湾奇襲攻?」事件によって、米国人に共有されたピューリタン的世界観の正しさが再確認され、米国人の心底にさらに強固に根付くことになつたと考えている。ところで、ピューリタン的世界観とは、「片時も警戒心を緩めてはいけない。だ

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