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皇帝の四分の三は漢人ではないー宮脇淳子--機2022年1月号 [ユーラシア・東]

宮脇 25b.jpg藤原書店「機」1月号№358の歴史から中国を観る25
「皇帝の四分の三は漢人ではない」 宮脇淳子ミヤワキ ジュンコより

紀元前221年、秦シンの始皇帝シコウテイがみずから「皇帝」と名乗った
「皇帝たちの中国史」は、三つの時代に分けることができる。
 第一の「漢族の時代」は、秦の始皇帝から、漢・三国・晋シン・南北朝を経て589年に隋ズイの文帝が天下を統一するまでである。
第二の「北族」の時代は、隋・唐トウ・五代・宋ソウを経て、1276年、元ゲンのフビライ・ハーンが南宋を滅ぼして天下を統一するまでである。
第三の「新北族の時代」は、元・明ミン・清シンの時代である。
 清が1895年に日本に負けたことにより、中国文明の時代が終わって日本化か始まる。そして、1912年に清の宣統セントウ帝が退位して、皇帝の歴史は終わる。
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中華思想は、「北族」の時代の末期に、新たに興りつつあった新北族の契丹キッタンに対して、自分たちもかっての北族出身であった北宋の人々が、自分たちこそ正統の「中華」だと言い出して、北方の遊牧帝国を成り上がりの「夷狄」とさげすんだことにはじまる。そこから、「夷狄」は文化をもたない人間以下の存在で、自分たち「中華」だけがほんとうの人間だという負け惜しみの「中華思想」が出てきたのである

 しかし、じつは「中国皇帝」の大多数が「夷狄」出身であった。五代十国時代の後周コウシュウの郭カク氏や、北宋ホクソウ・南宋ナンソウの趙チョウ氏など、漢人かどうか疑問のある皇帝も漢人として数えても、紀元前221年から1912年まで、漢人が皇帝だった期間の長さと、皇帝が非漢人だとはっきりわかる期間の長さをくらべてみると、2132年間のおよそ四分の三が、漢人でない皇帝の時代なのである。

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