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リバタリアンとは何かー藤原書店「機」1月号№358記事 [ユーラシア・米両大陸・アフリカ]

711gDZ3sinL-縮.jpg藤原書店「機」1月号№358 記事「リバタリアンとは何か」より

課税への反発
江崎道朗(えざき・みちお)
リバタリアン自体、弟二次世界大戦前時期のFDR(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)のニュディール政策に対する反発から生まれているものです。だから、社会制度あるいは連邦政府の肥大化に対する危機感という問題があるんですね。
 現実の話としては、ルーズヴェルトの時代なんて、周辺地域には警官もいないし、役所もないし、政治家もいない。田舎には、すべて自給自足でやっている人たちがいっぱいいる。そういう人たちに政府がどうのこうの言ったところで、そもそも政府との接点がまったくないわけです。
 政府との接点がなくて、自分の身は白分で守るしかないし、自分で水を汲むしかないし、食い物も自分で調達するしかないし、道路を敷くにしたって直すにしたって自分でやるしかない。何も政府の恩恵などこうむっていない人たちが山ほどいて、だから、政府なんか別になくていいんじやないの、という話です。
 それなのに、ニューディールという形でルーズヴェルト政権が都市労働者向けの社会保障などをどんどん進め、そのツケを増税という形で農民たちに回す。俺たちは何の恩恵も受けていないのに、どうして都市労働者のために金を出さなきゃいけないのか、ということになる。
 政府が税金という形で取っていく。そこには、俺は何の恩恵も受けていないし、みたいな話が、違和感として、やはりものすごく大きくある。
 アメリカにはそういう空気がある。これに対して日本の場合は、江戸時代からある程度お上が全体をやってくれている。でしょう。税金はしっかり取るけれども治安維持やインフラ整備などにっいてもお上がある程度はしてくれる。
 そういうことがアメリカにはなかったニューディール政策のころは本肖になかった。連邦政府自体がほとんど機能していなかったんです。それなのにFDRが、連邦政府主導でインフラ投資、失業者支援などを大々的に実施し、その費用を税金として取り立てた。「こんなもの、一体誰が負担するんですか」という話です。何で俺たちが負担しなきやいけないのか、と
日本人は本質的にリバタリアン  渡瀬裕哉(わたせ・ゆうや)
僕は、日本人は本質的にはリバタリアンだと思っているんですね。論点がいくっかあります。
 たとえば、少し前に、「老後はお金がいくら必要ですか?」「2000万円です」という話がありましたね。これは、本当に日本人が、お上意識が強くてリバタリアン意識がゼロだったら、本人の貯金は要らないはずなんですよ。すべて政府に依存しているはずなので。
 政府はやはり信用できないから自分で貯蓄している。増税に対しても反発は強い。そういう意味では、日本人はリバタリアンなんだろうなと思っています。
  ただ、アメリカのリバタリアンのように、積極的に、政府は要らない、解体しろ、とは言わない。けれども、政府が介入してきた時だけ抵抗する、という意味で考えれば、日本人にはリバタリアン的な部分かあると言えるでしょう。
 あと、これはよく言われる話なのですが、政府が指導しなければ日本人は公共財を提供しない人だちなのか、ということがあります。これも日本人には当てはまりません。たとえば、大阪では淀屋橋や心斎橋などの名称が残っていることからもわかるように、地域の豪商が社会インフラの整備に取り組みました。つまり民間の人々の努力でインフラが提供されたということです。
 日本人は、政府が何もしなければ本当に必要な公共事業などは自分たちでやる傾向があるのです。おそらく、アメリカ人よりも日本人のほうが目の前の現実に合わせて柔軟なのですね。     
 面白いのは司法制度への介入の是非です。日本には今、民法と刑法がありますが、リバクジアンには、刑法をあまりいいものだとは思わない考え力もあります。刑法というのは別にそれか執行されたところで被害者への補償がなされるわけてはないからです。民刑分離の否定ですね。財産権上、関係がないということです。
 誰かが殴られたとします。殴った人を刑務所に入れたところで、殴られた人は何も回復しないのではないか、ということです。むしろ、刑務所に入っている犯罪者の生活を税金で面倒をみることになる、二重の被害が生じているじゃないかというのかリバタリアンの考え方です。全郎補値に一元化するべきだということです。
宮脇淳子(みやわき・じゅんこ)
補償の方がいいといいということすね。脱線しますが、モンゴルに代表される遊牧民の法律なんて、今のことは詳しくないけど、少なくとも昔は全部そうです。こういう刑罰は馬何頭に相当するとかね。殺人ですら、思い切り財産の話に入るのよ。刑務所がないんだもの、収監するのは無理なんです。モンゴルにあるのだから、リバタリアンだけの考えはない、ということでしょう。

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