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詭弁ハンター 4回目、「記憶にありません」を封じる追及法とは [思考の型]

https://wezz-y.com/archives/87753 より覚え書
●山崎雅弘の「詭弁ハンター」(第4回)
総務省幹部らの不正疑惑、逃げ台詞の「記憶にありません」を封じる追及法とは 

「記憶にありません」の詭弁としての構造を読み解きます。
「記憶にありません」という言葉は、本当のこと(事実関係)を示す証拠が出てきた瞬間に一発で崩れ落ちる、砂上の楼閣のような詭弁です。
こうした証拠が出なければ、「記憶にありません」が詭弁であることを立証できないのでしょうか?

総務省の幹部官僚が、許認可対象の放送事業者から小料理屋で接待を受ける。これ自体が、まず不正な癒着を疑われる「地雷原」です。接待する側があらかじめ準備し、事前に予約することで初めて成立する「特定の目的を持ってなされる会食」です。
 もし貴方が総務省の幹部官僚で、一切の不正に手を染めないという倫理観を持っているなら、会食の席で何に注意するか? 当然ですが「放送事業などの許認可に関わる話は一切しないこと」を最初から最後まで意識し、言葉を選ぶはずです。そんな話題を振られても、答えずに話題を変える。最後までそれをやり遂げれば「自分はこの会食の席で、放送事業などの許認可に関わる話は一切しなかった」という安心感で店から出られます。

重要なのは、問題のポイントは「その話をしないことに最大限の注意を払い続けたか否か」だということです。
ポイントは「記憶」ではなく「注意を払う努力」の有無にあり

 自分以外の誰かの話であれば、会食の場で「彼が特定の話題に言及したかどうか記憶にない」こともあり得ます。それは「彼の話を脇で聞く」という傍観者の立場で記憶されるものだからです。

 自分の行動に関する話なら、心に「その話題の話は絶対しないという決心」が存在したか否かがポイントになります。それがあれば、確認を求められても「いいえ、放送事業などの許認可に関わる話は一切しませんでした。なぜなら、公務員として、そのような話はしてはならないと承知しているからです」と明言できるからです。

 つまり、自分が発する一つ一つの言葉に注意を払いながら会話しているなら、許認可に関わる話をしたかどうか記憶にない、という状況は起こり得ません。
 そして、省庁の幹部になるような人間は、同期との競争を勝ち抜く上で不可欠な、ずば抜けた記憶力を備えている上、省内での自分の立場を常に意識しており、失脚や左遷に繋がるようなリスキーな行動はとりません。許認可対象の放送事業者からの接待という、リスクの高い場に出向くのは、省内で力を持つ上司がそれを了承している場合に限られるでしょう。
 従って、野党議員や報道メディアの記者が問うべきは「そのような話をしてはいけないと注意を払う努力をしたか否か」です。この形の質問なら「記憶にありません」という返答は通用しません。そう答えたら、その時点で国家公務員失格となるからです。もし「その努力はした」と答えたら、「努力したのなら『その話はしていない』と明言できるはずですよね?」と追及できます。

 政治家や官僚が言う「記憶にありません」という台詞は、その時に「公言できないヤバいことを自分がしたという記憶」がしっかりあるからこそ使う詭弁です。もうそろそろ、こんな陳腐で芸のない詭弁を社会で通用させるのは、やめにしませんか?

タグ:詭弁
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