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詭弁ハンター 2回目、「首相機関説」で読み解く [思考の型]

日本学術会議問題を「首相機関説」で読み解く 菅首相の“詭弁”に二度と騙されないために  文=山崎雅弘
菅首相は、日本学術会議の推薦者6人を任命しなかった、自身の任命拒否について聞かれるたびに、繰り返し「任命権者」と「人事」という言葉を持ち出して、その判断を正当化しています。そして、この一見もっともらしい菅首相の説明を聞いて、なんとなく「そういうものかな」と思ってしまう人も少なくないように見えます。
結論を先に述べると、この2つの言葉を持ち出す菅首相の説明は、明らかな詭弁です。
 内閣総理大臣は、日本学術会議の会員任命という作業において、自由選択を前提とする本質的な意味での「任命権」など持っていませんし、日本学術会議法に基づく会員の任命は、一般企業で使われているような意味での「人事」でもありません。
1983年5月12日に中曽根康弘首相(当時)は、参院文教委員会で次のように答弁しました。
「これ(任命)は、学会やらあるいは学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命に過ぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば」
よく似た2つの言葉が使われている。「任命」と「任命権」です。前者は、任命という行為自体を指す言葉ですが、後者は自分個人の考えを反映させる形でその行為を行える「権限」を指す言葉です。
菅首相は、この本来意味が異なる2つの言葉をわざと混同して使い、歴代の政権が継承してきた「任命」という形式的行為に、首相個人の権限が介在する余地があるかのように国民を錯覚させるために、「任命権者」という似た言葉を紛れ込ませています。
unnamed.jpg この詭弁のトリックを読み解くには、過去の歴史的事件を参考にするのがわかりやすいかと思います。それは、1935年に起きた「天皇機関説事件」で有名になった、「天皇機関説」という憲法解釈の考え方です。そこでは、当時「神聖不可侵」とされていた天皇であっても、実際の権限行使はすべて「憲法に基づくもの」でなくてはならず、天皇だからといって何をしても許されるわけではない、との解釈がなされていました。
 日本学術会議法に基づいて、内閣総理大臣が行う任命という行為(「任命権」とはまったく異なる概念であることに注意)は、あくまで「手続きを行う国の機関」として、首相個人の好き嫌いや思い入れなどを完全に排した形でなされなくてはならないものです。
 よく似た言葉をさりげなく使って論点をすり替えるのは、詭弁でよく使われるテクニックです。今後も、菅首相はこの詭弁を使い続ける可能性が高いですが、野党議員や政治記者は「その説明は詭弁だ」と指摘し、国民も詭弁にだまされないようにしましょう。

続く

タグ:詭弁
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