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詭弁ハンター 1回目、菅義偉首相(当時)が述べた「詭弁」 [思考の型]

比較的見つけやすい「ウソ」、それよりも見つけにくい「詭弁」。「詭弁」を見抜くためには、本来その論があるべき「正しい姿」を頭の中で組み立てる「論理力」が必要とされる。
今回は、2020年11月25日の参院予算委員会において、菅義偉首相が述べた「詭弁」
共産党の田村智子参議院議員は、菅首相にこう質問しました。
「(日本)学術会議のホームページを見てみますと、何ページにもわたって、(菅首相による6人の任命拒否に抗議する声明を発した)大学・学会・学協会の名前がずらりと並んでいく。まさに空前の規模です。総理、まずお聞きしたい。なぜこれだけの規模で、短期間に抗議や憂慮の声、任命を求める声が学術界に広がったと思いますか?」
菅首相はこう答えました。
「理由については、人事に関することでもあり、お答えすることは差し控えたい。この点も、これまであわせて説明をしてきたところ」
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 実に「五重の詭弁」が、この短い答弁に仕込まれています。
第一の詭弁は「抗議が拡大した理由の認識」を問われているのに「6人を任命しなかった理由」について問われているかのように論旨をさりげなくすり替えた上で「(任命しなかった)理由については答えられない」と、全然関係ない話を始めていること。
第二の詭弁は、田村議員の質問は「学術界の反応」に関する内容なのに、あたかも「人事のこと」を聞かれているかのように論旨をすり替えた上で「人事に関することだから答えられない」と説明していること。
第三の詭弁は、仮に質問の内容が「人事のこと」であったとしても、菅首相には「なぜこのような『人事』を自分が行ったか」を説明する義務が課せられているのに、あたかもそれを説明しない「免責事由」が自分にあるかのような虚構を創り出していること。
第四の詭弁は、菅首相には内閣総理大臣として下す決定についての「説明責任」が常に課せられているのに、それを「控える」という一見すると謙虚な表現で、その義務を果たさなくても許されるかのような錯覚をつくり出していること。
第五の詭弁は、自分が今話しているのは「これまで説明してきたこと」だという、田村議員の質問と何の関係もない主張を持ち出して、あたかも「いま訊かれている質問に自分はもうすでに繰り返し答えてきた」かのような、事実に基づかない自分勝手な虚像を創り出して、質問者と、このやりとりを聞く国民を煙に巻こうとしていること。
田村議員の質問は、本題に入る前の予備的な内容でしたが、実はもう答えが出ています。学術界で抗議の声が広がっている理由は、菅首相の行動が、理不尽だからです。
 しかし、菅首相としては、それを素直に答えるわけにはいかない。「それは、学者が私の態度を理不尽だと思っているからでしょう」とは言えない。質問に「まともに答えない」という態度をとるしかない。それで、苦肉の策として、田村議員に問われている論点を徹底的にはぐらかしつつ、「論理力」があまり強くないオーディエンス(観客、聴衆)を煙に巻いて逃亡できるような、一見もっともらしいが実は内容が空っぽで何も答えていないに等しい「詭弁」がひねり出されたというわけです。
 本来なら、首相や大臣がこんな詭弁を弄して質問をはぐらかし、首相や大臣に付与された権力に付随する説明責任を果たさない態度をとった時、政治報道に携わる報道人が、それを目ざとく見抜いて市民に知らせる必要があります。それが、民主主義国で政治に関わるジャーナリズムの重要な職務の一つです。
もし、首相や大臣の言うことが詭弁まみれで、政治報道に携わる報道人がそれを見抜かないまま、詭弁を「正当な説明であるかのような体裁」で受け手に提示し続ければ、社会はどんなことになるでしょうか。
 その答えが、いまの日本社会の異様な姿だと思います。
続く

タグ:詭弁
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