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自発的隷従論ーちくま学芸文庫-番号ラ11-1 [思考の型]

自発的隷従論--LaBoétie002.jpg 自発的隷従論  原書:Discours de la servitude volontaire
ちくま学芸文庫   ラ11-1
著者名1 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ /著 
 西谷 修 /監修  山上 浩嗣 /訳  
出版者 筑摩書房
出版年 2013.11
ISBN 978-4-480-09425
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館

内容紹介 16世紀フランスの若き俊秀/ド・ラ・ボエシ,エティエンヌ/による、なぜみずから屈し圧政を支えるのか。支配・被支配構造の本質的構造を容赦なく喝破した稀有の古典的名著。
本作と重ねて20世紀の全体主義について論じたシモーヌ・ヴェイユの小論と、政治人類学者ピエール・クラストルが本作をベースに「国家に抗する社会」としての未開社会を分析した論考を併録する。。
目次
自発的隷従論 (一者支配の不幸;多数者が一者に隷従する不思議;自由への欲求が勇気を与える;自由はただ欲すれば得られる;民衆は隷従を甘受している ほか) 7-170 頁
服従と自由についての省察 シモーヌ・ヴェイユ/著  177-190頁
自由、災難、名づけえぬ存在 ピエール・クラストル/著 191-223頁
不易の書『自発的隷従論』について 西谷 修/著 225-248頁
著者等紹介
ド・ラ・ボエシ,エティエンヌ [de La Bo´etie,´Etienne]
1530‐63年。フランスの小都サルラ生まれ。早くにオルレアン大学に進学、法学とともに人文学への造詣を深める。54年にボルドー高等法院に評定官として着任、のちに同僚となるモンテーニュと友情を結ぶ。相次ぐ宗教争乱に対して、宮廷の宥和政策を支持して事態収拾に奔走したが、63年病に倒れモンテーニュに看取られながら世を去った
西谷修[ニシタニオサム]
1950年愛知県生まれ。東京外国語大学教授
山上浩嗣[ヤマジョウヒロツグ]
1966年大阪府生まれ。大阪大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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ラ・ボエシは、本当に効果的な武器として、非協力の戦略、つまり非暴力の不服従の形態を理論化し、提案した最初の一人である。
解説「不易の書『自発的隷従論』について」で、西谷修はこう述べている。
 「この小著の眼目は、圧政が支配者(しばしばただ一人の者)自身の持つ力によってではなく、むしろ支配に自ら服する者たちの加担によって支えられると論じた点にある。強権的支配や圧政が問われるとき、たいていの場合人は、支配者の側に圧倒的な力を想定し、それによって弱者が受難を強いられると受けとめる。そして力の独占と専横、その圧政を被る犠牲者、言いかえれば加害者と被害者、強者と弱者といった図式があてがわれ、そこに善悪の判断を重ねて「強者=加害者」の悪を告発する、といった構えができる。
d0238372_1440417.jpg だが著者〔ラ・ボエシ〕は、この図式よりも先に、支配秩序に関わる人びとの具体的な相を見る。支配者が一人ではそれほど強力で残忍だとは見えないにもかかわらず、古今東西どこでも「一者の圧政」が広まるのはなぜなのか。獣たちが檻を嫌うように人間の本性はもともと自由を好むものではないのか。それなのに、人びとは隷従を求めるかのように支配に甘んじ、支配されることのうちに自由や歓びを見出しているかのようだ。この不条理を前にラ・ボエシは、なぜ人びとはかくも従容として隷属を選びとり、ときにはそれを嬉々として支えさえするのか、と問う。要するにかれは、圧政の正邪を論じるのではなく、そのような支配を可能にしているからくりを「人間の本性」から探ろうとしている。その意味でかれは、政治論者であるよりも人文主義者(ユマニスト)なのである。そしてかれがそこに見出したのは「臆病と呼ばれるにも値せず、それにふさわしい卑しい名が見あたらない悪徳」であり、名指されることのなかったその悪徳にかれは「自発的隷属」という名前を与えたのである。」

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