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越後蒲原平野の成立ちと開発 ・・2019年3月の講演会「越後平野の地盤と防災」から① [農から見つめる]

2019年3月の講演会「越後平野の地盤と防災」・(鴨井幸彦 理学博士)などを基に、越後蒲原平野の成立ちと開発を纏める。  http://daichinokai.sakura.ne.jp/oitatchi/oitatchi97.pdf


新潟砂丘の果たした 3つの役割は,①砂丘ができたことで越後平野の形・大きさが決まったこと。②海岸沿いに厚い砂の地盤を形成し,生活の基盤となる土地を用意したこと。③排水の障害となって内陸側に湿原や潟を多く形成した。これは干拓による広大な水田の開発を可能にし,今日の穀倉地帯の基盤を作ったともいえます。
新潟砂丘は縄文時代の前期以降, 7000年前からできはじめ, 2000年前くらいにまでに大体の形が出来上がりました。歴史時代を通じて長岡など上流はあまり大きく変化していません。平野は砂丘の内側の窪地を埋めるようにしてできました。
 約20,000年前は最終氷期最盛(最寒冷)期の非常に寒い時代で、北アメリカや北ヨーロッパに、現在の南極大陸でみられるような厚い氷(大陸氷河)が発達しました。そのため水分が陸に移った分、海水が減り、世界的に海水面が100メートルあまりも下がったため、海岸線は現在よりもずっと沖合にあった。
このころの越後平野は、広い扇状地性の河原だったと考えられる。

潟の成り立ち _ -801.jpg
この寒い1万年よりも前の時期にできた砂丘を古砂丘(こさきゅう)というが、県内では上越市の北西寄りの大潟区、新潟県西部に広がる高田平野の北部平野が日本海と接する部分にある潟町砂丘の埋没基層部が古砂丘。
越後平野22989.jpg一般的に日本の砂丘は古砂丘があって、その上に1万年くらい前(完新世)からできた新砂丘が2層式で乗る。潟町砂丘は、標高マイナス30m上下にある固結粘土(泥岩)層の上に固結砂の古砂丘が乗って、埋没している。古砂丘の埋没上面は推定標高マイナス10~20m、その上に更に砂の2層の新砂丘が乗っている。
越後平野には古砂丘は確認されていない。新砂丘しかない。新潟型砂丘とも言われる越後平野の特徴である。やがて寒冷な氷期が終わって間氷期に入り、約15,000年前ころからだんだんと暖かくなり陸の氷が溶けて海水が増え、海水面はしだいに高くなってくる。約7,000年前には、ヒプシサーマル(最温暖期)と呼ばれる最も暖かい時期で、海水が一番内陸まで侵入し縄文海進高頂期ともいう。
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続く

タグ:水郷
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