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取り寄せ願った本たち、202002 [取り寄せ願う]

現代思想からの動物論  戦争・主権・生政治
著 者: ディネシュ・J・ワディウェル
翻訳者: 井上 太一<>いのうえたいち
>出版社:人文書院 
>ISBN:978-4409031056


権力支配の基盤に、人間による動物支配をみる力作

動物にたいする人間の暴力(生殖管理、食肉化、行動制限、殺戮)でえらえた成果が、人間の統治に応用されており、人間の生政治的統治と動物のそれとは現代ではほとんど識別不可能なほどである。


約5000種の哺乳類のうち、生殖管理、食肉化、行動制限の対象は約20種ほどしかない。その点を踏まえて、論議は組み立てられているか?読んでみたいので、新潟県立図書館から取り寄せ願う。

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神の書 イスラーム神秘主義と自分探しの旅
著 者: アッタール  
翻訳者: 佐々木 あや乃ささきあやの 
出版社:平凡社 
ISBN:978-4582808964
詩と伝説の国イランより。12世紀のペルシア神秘主義文学を代表するアッタールの詩集が完訳された。人間が欲情、幻想、自尊心や立身出世、生への執着、支配欲や金銭欲といった「煩悩」からの解放のためにいかに生きるべきか、膨大な逸話を積み重ねて説いた作品である。エピソードには王侯貴族から社会の底辺まで、様々な人や物までが登場し、読み物としても面白い。
アッタールはペルシア神秘主義詩人で、薬種商として医業にも携わっていた。本書は私たちに問題を投げかける。「この世に存在するものの価値は何か」「人間の深遠なる願いは何か」「最後に死を迎え消滅するこの世において、この世に存在するものへの執着から解放されるために何をすべきか」「この世に生を享けた人間は、日々何を思い、何を愛おしみ、何を探求しつつ人生を歩めばよいのか」。生命力溢れる草木や花で王妃が見立てられる。「糸杉のようにのびやかな立ち姿、スミレのような黒髪、アーモンドのような瞳、ザクロのような胸…」。
イラン文化とイスラーム文化の融合体としてのペルシア文学、伝統に基づいた宮廷文学が発展した。また徐々に厭世的傾向のある神秘主義思想を説く文学がペルシア文学の核をなし、華となっていく。
神の書 イスラーム神秘主義と自分探しの旅87.jpg
7世紀半ば、西アジアではイスラーム勢力が版図を広げ、ササン朝ペルシア帝国を崩壊させた。正統カリフ勢力がジハード(聖戦)を仕掛け、征服した。エジプト、シリアも征服された。だが、イラン人はゾロアスター教・拝火教からイスラーム・ムスリム化したものの、ジズヤ・人頭税ハラージュ・地租を納めアラブ化しなかった。そして、シーア派を生みだした。どんな神秘主義思想が説かれているのか。?
燕図書館から取り寄せを市図書館に依頼。
神の書 イスラーム神秘主義と自分探しの旅__The_Star.png
読みたいねの本
人を知る法、待つことを知る正義 東アフリカ農村からの法人類学
著 者: 石田 慎一郎いしだしんいちろう  
出版社:勁草書房 
ISBN:978-4326654239
3,200円(税別)
人間の裁きに宿る根源的困難に、アフリカの人びとはそれぞれの方法で対処している。ある農村では、即効性のない呪物を使い、時間をかけて解決を図る。やがて訪れる自身と周囲の環境・現実理解の変化、そして待つことを知る者の姿がそこにあった。人間による正義の希求、人間的法の探究をめぐる民族誌的発見から真の〈法人類学〉へ。 
書評者:吉井 千周
私たちの日常生活では、絶えず小さないさかいが発生している。たいていの場合、そうしたいさかいは当事者間で解決されるのが常であるが、当事者間で解決がなされず、第三者の介入を必要とする紛争(conflict)に発展する過程で、しばしば法を用いた解決策がとられることになる。だが、そもそも紛争に解決を促す「法」とは、どのような性質をもち、人間はなぜ、法に従おうとするのだろうか。なにより、私生活で生じる紛争の全てが表面化され、みなが法に従う―いうなればそこに存在しない第三者を含む価値観が言語化された法によって、即時的な解決が導かれる―社会とは、はたして健全なのだろうか。
本書に記されるケニアの呪術を用いる紛争処理は、これらの法に関する根本的な問いに向かい合う際に多くの示唆を与えてくれる。本書に登場するイゲンベ地方の事例では「ムーマ」、「イシアロ」という呪術的概念を用いて紛争解決が図られる。ムーマでは、非があると判断された当事者に、潔白であれば無害であるが、そうでない場合に厄災をもたらす呪物を飲ませる。また親族関係の社会関係イシアロを利用した紛争処理では、虚偽の証言や主張を行ったとおぼしき当事者に災いがふりかかる呪詛がかけられる。いずれの場合でも、厄災が生じるまでの期間は、数日のときもあれば数年、あるいは数十年にものぼる。紛争当事者に何らかの厄災が降りかかった場合、当事者が自らの非を認めれば、それらの厄災は解消される。こうした呪詛を用いた紛争処理には、性急な解決を避けることで、時間の経過によりその当事者をとりまく環境が変化し、自分の行為を紛争発生当時とは異なる視点で再解釈できるようになる利点がある。こうしたイゲンベの紛争処理は、人が人を裁くことのうちにある困難を時間の経過「待つ」ことによって、乗り越えようとする試みであるともいえよう。
本書では、イゲンベの呪術を用いた紛争処理について言及するだけではなく、慣習法を裁判所で用いる試みにも言及されている。イゲンベで行われる数々の訴訟では、『成文アフリカ法』を用いると同時に、部族のルールである慣習法が使用される。植民地化によって民族・部族が分断されたアフリカにおいて、慣習法をベースに成文法としてアフリカ法を制定し、裁判において慣習法を用いることは、共通の価値をもつ共同体を再構成する試みである。すなわち、イゲンベにおける紛争処理は、人間を法の支配下にある存在として単に位置づけるのではなく、法を制定し、慣習法を利用するプロセスを通して、主体的に法を使い直そうとする「人間」の存在を問う試みであることにも読者諸氏は気づくであろう。
後略
人を知る法、待つことを知る正義8.jpg

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