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〈身売り〉の日本史 =下重清/著 -- 吉川弘文館 (歴史文化ライブラリ- 341)-- 2012.4 [明治以前・国内]

〈身売り〉の日本史  

副タイトル1 人身売買から年季奉公へ
〈身売り〉の日本史 zBkL.jpg著者1 下重清 [シモジュウきよし]  
出版年 2012.4
出版者 吉川弘文館
シリーズ名 歴史文化ライブラリ-  341
ページ数 7,242p
大きさ 19cm
ISBN 978-4-642-05741-7
新潟県立図書館収蔵 /210/Sh52/
新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館 /210.0/シモ/ NDC分類(9版) 210.04


内容紹介
身売りから見えてくる社会の本質とは?
借金のカタに娘が泣く泣く遊女に売られる「身売り」。 中世の人買い船、戦国の人取り、江戸時代の人身売買禁止令を分析し、「遊女に売る」から「奉公へ出す」へ変わる人びとの認識とそのカラクリをあぶり出す。
目次
弱者が人身取引の犠牲になる―プロローグ
人身売買と「人売り買い」
戦国の人売り買い
「奉公人」から年季奉公人へ
身売りの変性
生き残る身売り
身売りは江戸時代の代名詞―エピローグ
著者等紹介
下重清[シモジュウきよし]
1958年北海道生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程(日本史専攻)満期退学。博士(文学)。東海大学文学部非常勤講師。著書に「稲葉正則とその時代」など。
書評より
鎌倉時代から昭和の高度経済成長迄身売りは続いていた。戦国時代〜江戸時代迄は男女共に生きる為に売られ、江戸時代から身売り=売春となる。中世時代から御法度が出来るが法の目を上手く掻い潜る体質が生み出されてきた。江戸時代になると巧みな言葉遣いで禁止するが根本は全く変わっていない。明治維新に入っても西洋社会への面目から早急に法案を作成するも、売春行為禁止は明言していない。昭和高度経済成長に入る迄暗黙されていた事は驚きである。
昔から、人を誘拐して売るのは違法だが、もともと奴隷の人の売買や親が子を売る身売りは合法だったこと、江戸時代になると家父長制に都合の良い女性の身売りだけが残るようになったことなど。そ、そうなのか。
身売りを通じて日本史を検証した本。身売りは現代では犯罪行為だが、それはごく最近まで存在していた。 中世の奴婢身分は近世で年期奉公人という雇用関係的な制度にシフトする。だが飢饉時は人身売買が公に認められていた。また男性の身売りは17世紀以降買い手が減ってくるが、女性は性の売買の公的な場所があった為、身売りは減らなかった。借金による縛りつけから抜け出す事は極めて難しい。売春禁止法が成立したのは1956年だが、現代でも引き続き解決できていない問題が多いと思う。
人身売買は禁ずるという建前の裏で、飢饉時は生き延びるための人身売買が認められていた。また、戦争時には褒賞に預かることのできない下級武士等の現金収入として人さらいおよび人身売買が当然のこととして行われていた。その後、年季奉公に関する制度が整えられるとともに、性の売り買いとしての女性を対象とした人身売買も整備されていき、他方において幕府の私娼が取締りの対象となることで、娼婦=悪という認識が定着する過程が整理されている。「イエ」の存続と女性の売買は現代になってようやく終焉を迎えたとされるが、どうなのだろうか。
日本にも古来存在した奴隷制度が秀吉の政策を起点に雇用契約へと形を変えていくあたりは目から鱗だった。そしてそれでも実質的な奴隷売買から脱却できなかった遊女・売春婦の問題は、戦後まで尾を引き、女性を買い受けるシステムは未だにジャパゆきさん問題として世界に汚点を残す。日本史における身分制を理解する上では必須の参考資料に思える。
日本の歴史を、「身売り」を通じて検証している。人身売買禁止令は、かならずしも小農自立政策とは言えなかった、しかし豊臣政権以降全国に明確な形で通底していく。それは、江戸時代にいたって「年期奉公人」という制度に組み替える。売買ではなく「奉公」に形式を変更したのだ。しかし、この奉公も身分制を支えるひとつとして変質することになっていく。とくに、遊女や飯盛女といった制度は近代を経ても存続したままであった。

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