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国民優生法史 人口戦を支えた厚生運動 尾渾彰宣 2011年 [武士道騎士道医道○▲道]

国民優生法史  人口戦を支えた厚生運動   尾渾彰宣  2011年

15年戦争と日本の医療研究会会報-2001より
http://war-medicine-ethics.com/Seniken/Journal_contents.htm

 近代日本の人口政策は、1869年、堕胎禁止令後、国民を兵力、労働力として位置付け、女性を人口増殖の役割とする母性として規足したことに始まる。第一次大戦後、ヨーロッパ各国、日本は、出生率の減少傾向を示した。1920年代から30年代、マルクス唯物史観、マルクス・レーニン主義、プロレタリア運動の高まる中、産児制限の議論か脚光を浴びた。同時に、人口の量ならびに質の両面から民族の将来の問題か論じられるようになった。
永井潜は、1926年の著書「生物学と哲学との境】において、「欧洲諸国における生産の減退に注意を払い、優良なる子孫のみが繁殖し、不良なる者は出来ぬようにしなければならぬ。其の実行に向って正当なる道程を示す羅針盤たる者は、人種改良学、すなわち優生学がある」と論述した。
 1928年、人口食料問題調査会の答中に、民族衛生を目的とする法規改正か唱えられた。

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タグ:帝国医療
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