ヴァイキングの暮らしと文化 =レジス ボワイエ/著 -- 白水社 -- 2001.と11 [ユーラシア・西]
ヴァイキングの暮らしと文化 原書:La vie quotidienne des vikings
出版年 2001.11
出版者 白水社
ページ数 >330,4p
大きさ 20cm
2001年版 ISBN >4-560-02834-6
新潟県立図書館収蔵 /238.9/B69/
新潟市図書館収蔵 /238.9/ボ/
内容紹介
「北欧の海賊」という従来の偏見を排し、ル-ン学、サガや詩などの史料を使い、ヴァイキングの実像に迫る。「家族」を中心とした社会を組織した、その豊かな文化全般を詳説。
生きる力に長けた人々」としての姿を見る
北欧の海賊という間違ったイメージではなく、洗練された芸術や文学をもち高度な技術をそなえた人々の、ありのままの姿を明らかにする。
高い技術力と現実的な思考をそなえた人々の姿
「角のついた兜をかぶった北欧の海賊」という、誤りを含んだ偏ったイメージで語られてきたヴァイキング。実際には兜に角はなく、平時には商人であり農民だった。そもそも「ヴィーキング(ヴァイキング)」という言葉の語源は、海賊ではなく、商業地を点々としながら活動する商人そのものを意味している。北欧のみならず、イギリス・フランス・イタリア・ギリシア・ロシア史に大きな影響を与えてきた彼らは、どんな人々だったのか。
彼らの芸術は、象徴的な抽象主義と純粋な現実主義との中間にあり、機能性と美とを同時にかねそなえた、いわば実用的理想の域にまで達していた。ヴァイキングの精神・物質生活はひとつの文化であるだけでなく、西欧のキリスト教文明に匹敵するひとつの文明である。
本書は、ルーン学、サガや詩などの史料を駆使し、ヴァイキングの陸上や船上での日常生活や年中行事の、物質的側面のみならず精神生活をも幅広く扱い、「家族」を中心とした社会を組織したその豊かで高い文化全般を詳説する。
[目次]
序章
第一章 ヴァイキングとは何か
第二章 史料
第三章 ヴァイキング社会
第四章 陸上での日常
住居/衣服/ヴァイキングの一年/飲食/陸上の移動
第五章 船の生活
第六章 たいせつな日々
人生の記念日/一年の行事
第七章 知的生活
屋外の運動/知的な楽しみ
おわりに
解説(熊野聰)
訳者あとがき
原註
用語解説
著者の主著一覧
参考文献
著者紹介
レジス・ボワイエ 1932年ランス生まれ。1970年からパリ第四大学(ソルボンヌ)教授、同大学のスカンディナヴィア言語・文化・文明研究所を主宰。中世北欧文化研究の第一人者。サガ研究や歴史書など著訳書は多数あるが、邦訳は本書が初めて。2017年没。
[監修者略歴]
熊野聰(くまの さとる)
1940年東京生まれ。東京教育大学文学部卒業、一橋大学大学院経済学研究科中退、経済学博士。
滋賀大学経済学部教授、名古屋大学情報文化学部教授、豊田工業大学教授を歴任(名古屋大学名誉教授)。
著書:『ヴァイキングの歴史』(創元社)、『北欧初期社会の研究』(未來社)、『ヴァイキングの経済学』(山川出版社)など多数。
[訳者略歴]
持田智子(もちだ ともこ)
1960年生まれ。大阪市立大学経済学部卒業。
=中世初期に、北部のヴァイキングがロシアの川筋に沿って黒海まで南下してきた時、奴隷は、極北の国で捕れる毛皮に次いで主要な商品だった。彼らヴァイキングはアルメニアの黒海沿岸で、胡椒とシナモン、絹織物、ビロード、真珠、宝石、そして北欧では常に渇望されていた砂糖などを買い、奴隷を売り込んだ。
ポーランドからボルガ河に沿ってウラル山脈にいたるロシアの平原で、ヨーロッパの奴隷狩り専門家たちによって、大がかりな奴隷狩りが行われた。スラブ人の男女が捕らえられたのである。「奴隷(スレイブ)」は、語源的に「スラブ人」と同じである。
この利益の多い生きた商品の交易は、キリスト教国だったアルメニアを繁栄させ、この地域を最強の国家へと発展させたのである。=
松原久子[ドイツ語・著]・田中敏[訳]
「驕れる白人と闘うための日本近代史」より
この奴隷貿易を調べてみる。
タグ:西欧
西欧諸国・奴隷のしつけ方= -- 2015その参、現代の奴隷 [ユーラシア・西]
奴隷のしつけ方 原書:How to manage your slaves
著者 マルクス・シドニウス・ファルクス /著 ジェリー・トナー /解説
訳者 橘 明美
出版者 太田出版 出版年 2015.6
ISBN 978-4-7783-1475-0
内容紹介 続きの続き
第一に、世界というレベルでみると、現代でも奴隷状態に置かれている人が多くいることです。トナー教授は次のように書いています。
続く
=マルクスのように奴隷制を容認し、それを正当化する人は今はもういません。けれども、わたしたちがどれほど進歩したかを喜ぶ前に、よく考えてみてください。今や世界のどこの国でも奴隷制は違法ですが、それにもかかわらず、奴隷状態に置かれている人々がたくさんいます。フリー・ザ・スレイブス(Free the Slaves)というNGOの推計によれば、暴力で脅されて労働を強要され、給料ももらえず、逃げる希望さえもない人々が2700万人いるそうです。現代社会には古代ローマのどの時代よりも多くの奴隷がいるのです。=
これが世界の実態でしょう。奴隷は決して過去の話ではありません。前に引用したトナー教授の推定に従ってローマ帝国全体の奴隷の数を仮に800~900万人とすると、現代社会にはローマ帝国の3倍の奴隷がいることになります(推定)。
さらに、奴隷ではないが身近な問題として、極めて低い賃金で働き続けなければならない「貧困層」の存在があります。そして、現代の社会は「貧困層」の存在を必要としていて、それを作り出すメカニズムが働いていると思います。
分かりやすいのは移民です。アメリカ西海岸のホテルに泊まったりすると、そこでベッド・メイキングしている人たちは、ヒスパニック系の人が非常に多い。英語が話せなかったりします。"生粋の"アメリカ人は、そういう仕事につかないわけです。ドイツでも、たとえばゴミ収集などはドイツ人はしないと言います。
日本では移民を厳しく制限していることもあって、アメリカやドイツの状況とは違います。しかし貧困に苦しむ人は多い。この前もテレビで、あるシングル・マザーの人を取材していました。高校生の娘が一人いますが、パートで晩まで働きづめで、月収はよくて20万円だそうです。大都会の生活ではギリギリです。それに解雇されるリスクがある。この方の母親もシングルマザーで、本人は経済的理由から大学進学は断念したとのことでした。娘が心配と語っていましたが、それはそうでしょう。親子3代にわたって貧困が連鎖する可能性があるのだから。
これはあくまで一つの例ですが、冷静になって考えてみると、今の社会は「大都会で、年収200万円程度の(あるいはそれ以下の)、働き盛りの年代の人」を必要としているということでしょう。そして、そういう層を作り出すメカニズムがある。その最たるものは「やりたいようにやろう。好きなことを自由にして生きよう。他人に命令されずに生きよう」という、マスコミのキャンペーンです。ここに大きな落とし穴が仕掛けられている。そして、貧困層の人たちにもモチベーチョンをもって働いてもらう「管理方法」があります。さらに、貧困から抜け出す道も(必ずそうなるというわけではないが)ちゃんと開けている。
もちろん奴隷ではありません。人権があり、職業選択の自由があり、健康な生活を送る権利も有している。しかしこの資本主義社会の中では、古代ローマの奴隷と似たような役割を果たしていると感じます。
『奴隷のしつけ方』という本は、社会における貧困層の人たちを、どうやって動機付け、どうやって働かせるか、という "指南書" として読むと、現代もほとんど変わらない、歴史に学ぶ意義はこの例だけからしてもある、そう感じました。「愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ」という金言がありますが、その通りです。愚者は「自分」の経験に学んでしまうのですが(そして、成功体験に学んでしまって失敗したりするのですが)、賢者は「人間」の歴史に学ぶのです。
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人の《自己家畜化》 5000種以上いるほ乳類のうち、家畜と呼ばれるのはわずか0.3%、15種である。
家畜化できる動物には条件がある。「品種改良の世界史・家畜編」で挙げられている。
第一に群居性が強く、順位制で群の秩序を保つ動物であること
第二に雄が性的に優位で、配偶関係が不定の動物であること
第三に大胆で人に馴れやすい動物であること。
第四に草食性または雑食性で、なんでも食べる広食性の動物であること。
第五には環境への適応力が強い動物であること。野生と異なる飼育下の環境に適応する力のあるものだけか家畜になることができる。
第六に性質が温順で、行動が遅鈍な動物であること、行動が俊敏過ぎる動物種も馴致が困難である。
西欧諸国・奴隷のしつけ方= -- 2015その弐、奴隷の解放 [ユーラシア・西]
奴隷のしつけ方 原書:How to manage your slaves
著者 マルクス・シドニウス・ファルクス /著 ジェリー・トナー /解説
訳者 橘 明美
出版者 太田出版 出版年 2015.6
ISBN 978-4-7783-1475-0
内容紹介 続き
奴隷の解放
古代ローマには「奴隷の解放」という公式の制度があり、これが古代ギリシャの奴隷制度と大きく違うところでした。
奴隷の解放は、主人の遺言によるものと、主人が生前に解放する場合があります。そのとき "解放税(奴隷の価値の5%)" を納める必要がありました。また無制限に解放はできず、所有する奴隷の数で解放できる割合(たとえば、大半の奴隷所有者が該当する10人以下の奴隷所有の場合は半数まで)が決まっていました。もちろん主人としては自分に忠節であった奴隷を解放するわけです。主人が愛情を持った女奴隷の場合、正式の妻として迎えるために解放することもあったようです。
奴隷の解放は主として都市部の現象だったと、トナー教授は書いています。農場の管理人が解放された例はあるが、その下の農夫として働く奴隷が解放されることはほとんどなかったと推定されるそうです。主人と顔を合わせるわけでもなく、解放するメリットもなかったからです。
解放され自由人になったとしても、数年は元主人のもとで働くのが普通でした。しかし多くの奴隷は解放を切望していました。「自由人になった解放奴隷の多くは、それまでできなかったことを成し遂げようと必死に働きました」と、トナー教授は書いています。
感想 : ローマの発展と奴隷
ローマの発展の理由の一つに「ローマ的奴隷制度」があったこと間違いないと思います。周りの国と戦争をし、領土を拡大していくと、同時に奴隷も供給されます。現代に置き換えると、家電製品やクルマや農業機械を手に入るようなものです。貴族や富裕層はその奴隷(=最低限の衣食住を与えられて無給で労働する人)を買い、農場を運営する。一切の家事・労働から解放された裕福なローマ市民は、政治や戦争に専念できます。これが富の集中をもたらし、富裕層はますます富裕になる。こういった富の蓄積が文化や芸術を生み、また各種のインフラストラクチャが整備されました。
戦争捕虜の奴隷はもともと自由民だったわけで、誇りも自負もあるはずです。それが奴隷の身分になっている。しかしローマには「解放」という公式の制度があり、主人に一所懸命仕えれば、自由民になることが期待できる。解放されたとしたら、奴隷生活を取り戻すべく自由民として必死に働く。このローマの柔軟さが社会の活力を生むことになったでしょう。人間は「希望」がある限り、非常につらいことにも耐えられるものです。
しかし、領土の拡大がなくなり、戦争捕虜=奴隷の供給が止まったら、この社会は変質していくと考えられます。農業生産を増やすにしても、領土拡大ではなく生産性を上げるしかないわけですが、本書にも書いてあるように、奴隷には生産性をあげるモチベーションがありません。「最近の農業はほとんと奴隷になった。嘆かわしい」との主旨の記述がありました。かといって、農業経験がない自由民に農業をやれといっても出来ない(やりたくない)でしょう。
奴隷の発生源も、家内出生奴隷や捨て子がメジャーになります。つまり「生まれた時からの奴隷」であり、解放へのモチベーションが戦争捕虜とはだいぶ違うのでなないでしょうか。
「身の回りをさせる奴隷なら、ブリトン人よりもエジプト人」と本書にあります。まえに引用した『古代ローマ人の24時間』(アルベルト・アンジェラ)では、首都・ローマには帝国の各地から連れてこられた奴隷であふれている様子が活写されていました。この状況はある種の軋轢を生むでしょうが(極端には奴隷の反乱)、社会の活力になったことは間違いないと思います。しかし、帝国が最大版図で固定化すると、この状況が大きく変質していくでしょう。
発展の要因が、あるターニング・ポイントを越えると発展の阻害要因になる。そういう風に思いました。
第一に、世界というレベルでみると、現代でも奴隷状態に置かれている人が多くいることです。トナー教授は次のように書いています。
続く
西欧諸国・奴隷のしつけ方=マルクス・シドニウス・ファルクス/著 - 太田出版 -- 2015その壱 [ユーラシア・西]
著者 マルクス・シドニウス・ファルクス /著
著者 ジェリー・トナー /解説
訳者 橘 明美
出版者 太田出版
出版年 2015.6
ページ数 249p
大きさ 19cm
原書名 原タイトル:How to manage your slaves
ISBN 978-4-7783-1475-0
新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館 /232/フア
NDC分類(9版) 232
内容紹介 古代ローマの文献から奴隷に関するものを収集・整理し、奴隷所有者はどう考え、どう行動していたのかを想像し、ローマ貴族の家に生まれたという架空の著者"マルクス・シドニウス・ファルクス" に「奴隷の管理方法」を語らせ、それを英国・ケンブリッジ大学のジェリー・トナー教授が解説するとる体裁をとることによって、古代ローマの奴隷制度、ローマ社会の一面を紹介する。
マルクス・シドニウス・ファルクス(MARCUS SIDONIUS FALX)
何代にもわたって奴隷を使い続けてきた、ローマ貴族の家に生まれる。第六軍団フェッラタを退役したあとは領地の運営に専念し、現在ではカンパニア地方とアフリカ属州、そしてローマ市を見下ろすエスキリーノの丘にある豪奢な別荘を行き来しながら過ごしている。先祖代々、大勢の奴隷を使ってきた貴族の家系であり、奴隷の扱い方に大変詳しい。
本書の執筆にあたっては、現代人の理解を助けるため、ケンブリッジ大学の古典学研究者であるジェリー・トナーに監修と解説を命じた。
古代ローマ貴族が教える、究極の“人を使う技術”
◆奴隷の買い方 →若いやつにかぎる
◆やる気を出させるには →目標を持たせ、成果報酬を採用しろ
◆管理職にするなら →顔の良い男は避けろ
◆拷問の行い方 →奴隷は資産。適度な鞭打ち、鉤吊りを
◆性と奴隷 →家族を持たせて人質に
◆反乱を防ぐには →互いに話をさせるな
他、古代ローマ社会を知り、立派な主人になるためのヒントが満載!!省
目次
第1章 奴隷の買い方
第2章 奴隷の活用法
第3章 奴隷と性
第4章 奴隷は劣った存在か
第5章 奴隷の罰し方
第6章 なぜ拷問が必要か
第7章 奴隷の楽しみ
第8章 スパルタクスを忘れるな!
第9章 奴隷の解放
第10章 解放奴隷の問題
第11章 キリスト教徒と奴隷
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奴隷の発生源
わたしもかつてペルシャとの国境地帯で、ある小さい町の攻略作戦に参加したことがある。そういう場合はまず、命は助けるから素直に町を明け渡すよう説得する。だが住民たちが応じなかったので、われわれは猛然と襲いかかり、破城鎚で城壁を破って町になだれ込んだ。そして逃げ道をふさぐと、見つけた住民を男だろうが女だろうが子供だろうが片っ端から殺していった。
その惨状を見て震え上がった住民は中心部の旧市街に逃げ込み、そこから代表を送って命乞いをした。最初からこちらの寛大な申し出を受けておけばよかったものを、何と愚かな者たちだろうか。結局その代表との話し合いで、2000セステルティウス相当の金を支払うことができるものは解放することになり、1万4000人がこれに該当した。残りの1万3000人ほどは奴隷となり、その他の戦利品と合わせて売られる運命となった。
(本文)
2番目は、女奴隷から生まれた子供(=家内出生奴隷)です。戦争捕虜か奴隷の子供、この二つが奴隷の発生源でした。しかし、それ以外の奴隷もあった。つまり、
・ 貧しい者が借金の返済に困って自らを売る
・ 親が子供たちを食べさせていくために、子供の一人を売る
・ 捨て子
・ 人買いにさらわれたり、海賊に襲われて奴隷になる
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奴隷と性
さきほどあげたように、奴隷同士の結婚は法的には認められていません。しかし主人の承認のもとに奴隷同士が「事実婚」の関係になることはありました。こうしてできた子供が「家内出生奴隷」です。
さらに、主人が女奴隷と性交渉をもつことも多々あったようです。こうして生まれた子供も奴隷になります。一般に主人の正式の子供は、幼児の時には乳母となる女奴隷が世話をしますが、それ以降は奴隷の世話係がつきます。
少し大きくなってからの子供の世話係は、私なら自分が女奴隷に生ませた奴隷に任せたいところだ。子供たちにとっての世話係はもっとも親しい奴隷となり、しかもそれが長く続くことになるのだから。(本文)
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さら古代ローマでは法的手続きの一環として、奴隷に対する拷問が行われていました。それは奴隷が裁判の証人になった場合です。というのも、奴隷は道徳的に劣った存在であり、拷問しないと真実を言わない、と見なされていたからです。
奴隷の解放に続く
西欧諸国・ヨーロッパ半島のローマ時代の奴隷制 [ユーラシア・西]
Foreign Labor Problem accoding the reference of "ancient slave system of the Roman Empire"
古代ローマは、帝国の周辺への軍事的侵攻と征服(平定)とその周辺領域を属国として帝国に編入し、巨大な領土拡張に成功しました。この帝国の拡大は、広大な帝国内の管理の技術を洗練させました。その帝国の統治術で法制度と徴税制度が大きな意味をもつが、ここでの問題は法制度と奴隷制度です。
征服の帰結としての被征服民の奴隷化がいかに一般的であっても、同一の帝国内で、征服/被征服の人間の区分が続くかぎり、被征服民の離反や反乱は避けがたく、また同時に帝国の理念にも反します。さらなる帝国の拡大を保証するためには、帝国内の人間の身分を統一化することが不可欠になります。
古代の共和制ローマではBC450年頃に慣習法を明文化、成文化し十二表法(じゅうにひょうほう、Lex Duodecim Tabularum)を定めた。それまでの裁判は「神のお告げ」で、パトリキ・貴族階級から選ばれる神官が独占し、法は貴族だけが知っていてた。プレブス・平民が力をつけ、自分たちの権利を主張するようになり、プレブス・平民とパトリキ・貴族が争うようになった。貴族パトリキだけが法を知っていたため、裁判で法を貴族パトリキに都合の良い解釈をされたりした。貴族と平民が争ったとき、法を貴族に有利なごまかしをし放題だった。それで、平民プレブスは、貴族パトリキがつくる元老院に法律の公開を要求。元老院はその要求を容れて、議員3名をギリシアに派遣して立法者ソロンの業績を調査させ、帰国後十名からなる立法委員会が前451年から前450年にかけて法典を編纂した。12枚の青銅板または木板に記されたとする伝承があり、「Lex duodecim tabularum」と呼ばれ「十二表法」「十二銅表」「十二銅板法」と訳す。BC 390年,ガリア人のローマ侵寇の際,原典は焼失し,正文は残っていない。 続く
ヨーロッパとゲルマン部族国家--2019 [ユーラシア・西]
原タイトル:Les royaumes barbares en Occident
マガリ・クメール /著, ブリューノ・デュメジル /著, 大月 康弘 /訳, 小澤 雄太郎 /訳
白水社
文庫クセジュ 1028
サイズ 新書判/ページ数 178p/高さ 18cm
商品コード 9784560510285
新潟県立図書館収蔵 /230.3/C89/
新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館2階 /230.3/クメ/
内容情報≒出版社
1世紀から7世紀に定住したゲルマン人諸部族は、ローマ帝国と政治や文化の交流を重ねながら、独自の歴史を刻んだ。彼らは、今日のヨーロッパ世界を担う人びとの祖先といえるだろうか。本書は、19世紀以来の学問発展を踏まえ、研究の最新成果に立ち、古代末期から初期中世のゲルマン人諸部族の動勢に的確な展望を与える。
ギリシア・ローマ世界との接触、文明世界がみた「蛮族の国(バルバリクム)」に関する記述とその記述のあり方、後期ローマ帝国の諸部族の平和的定住、西ローマ帝国消滅後の自立的な部族国家の建設など、中世ヨーロッパ社会の根底における社会変容の諸相を紹介する。
現代ヨーロッパの基礎をかたちづくったとされる中世世界の基礎文化論にも論及し、最新の研究成果を盛り込む。流動化する現代ヨーロッパの理解にも大きな示唆を与えるだろう。
[目次]
序論
第一章 帝国侵入以前の蛮族
I 量的に乏しく信憑性に欠ける史料
II 大移動のテーゼ
III 前進的な民族形成のテーゼ
IV ローマの影響によって蛮族がアイデンティティを獲得したというテーゼ
第二章 ローマとその周辺
I いわゆる「大移動」
II 交渉
III リーメスの監視
IV 傭兵の生活
第三章 定住の形態
I 対立関係の突然の悪化
II 同盟軍の時代
III 歓待の対価
IV 独立の獲得に向けて
第四章 五世紀における蛮族文化
I 考古学的視点
II 五世紀における蛮族の宗教
III 相互的な文化受容の形態
IV 変化に関するローマ人の時代遅れな言説
III 相互的な文化受容の形態
IV 変化に関するローマ人の時代遅れな言説
第五章 蛮族王国の建国
I 新しい国家
II 行政
III 蛮族法の構造化機能
IV 依然として続いた帝権に対する服従
I 新しい国家
II 行政
III 蛮族法の構造化機能
IV 依然として続いた帝権に対する服従
第六章 蛮族王国の改宗
I 王国経営の補助者としてのカトリック教会
II 国家的改宗
III イデオロギーに役立ったキリスト教化
I 王国経営の補助者としてのカトリック教会
II 国家的改宗
III イデオロギーに役立ったキリスト教化
結論
年表
訳者あとがき
第二版と第三版の違い
日本語文献(抄)
参考文献
索引(人名・書物名・地名・民族名・用語)
訳者あとがき
第二版と第三版の違い
日本語文献(抄)
参考文献
索引(人名・書物名・地名・民族名・用語)
著者紹介
マガリ・クメール ブルターニュ大学准教授。諸部族の移動、定住、民族アイデンティティ、文化形成などに関する論文多数。主著:Origines des peuples. Les récits du Haut Moyen Âge occidental (550-850), 2007。
ブリューノ・デュメジル パリ第10大学ナンテール校准教授。初期中世ヨーロッパ世界の宗教・文化史を専門とする。また、王、貴族、女性に関する著書、論文も多数。主著:Les Racines chrétiennes de l'Europe. Conversion et liberté dans les royaumes barbares, ve-viiie siècle, 2005。
ブリューノ・デュメジル パリ第10大学ナンテール校准教授。初期中世ヨーロッパ世界の宗教・文化史を専門とする。また、王、貴族、女性に関する著書、論文も多数。主著:Les Racines chrétiennes de l'Europe. Conversion et liberté dans les royaumes barbares, ve-viiie siècle, 2005。
訳者: 大月康弘(おおつき・やすひろ)
1962年生まれ。1985年一橋大学経済学部卒。経済史、西洋中世史、ビザンツ学専攻。現在、一橋大学大学院経済学研究科教授。主要著訳著:『帝国と慈善 ビザンツ』(創文社)、『ヨーロッパ 時空の交差点』(創文社)、ピエール・マラヴァル『皇帝ユスティニアヌス』(白水社文庫クセジュ883)、ベルナール・フリューザン『ビザンツ文明』(白水社文庫クセジュ937)
訳者: 小澤雄太郎(おざわ・ゆうたろう)
1990年生まれ。2013年一橋大学経済学部卒。2015年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。2018年リール第三大学歴史学科修士課程修了。西洋中世史専攻。現在、一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程。主要論文:「ヒンクマール『教会と礼拝堂について』をめぐる研究史―私有教会概念からの脱却」『一橋大学社会科学古典資料センター年報』37、13‒25頁、« La notion du salut chez Hincmar de Reims (845‒882) ̶ la lecture de la Vita Remigii » リール第三大学修士論文
タグ:ヨーロッパ
ビザンツ帝国の最期 – 2013 [ユーラシア・西]
ビザンツ帝国の最期 – 2013
ジョナサン・ハリス (著), 井上 浩一 (翻訳
出版社: 白水社 (2013/2/23)
ISBN-13: 978-4560082690
発売日: 2013/2/23
梱包サイズ: 19 x 12.8 x 3.4 cm: 352ページ
ISBN-13: 978-4560082690
発売日: 2013/2/23
梱包サイズ: 19 x 12.8 x 3.4 cm: 352ページ
目次
序章
第1章 コンスタンティノープルの秋
第2章 幻影の帝国
第3章 策を弄する
第4章 断崖に向かって
第5章 獅子の尾をよじる
第6章 公会議と十字軍
第7章 ムラトからメフメトへ
第8章 復讐の女神
第9章 波止場にて
第10章 東か西か
終章
地図 1コンスタンティノープル、 2 一四〇三年のビザンツ帝国、 3 十五世紀前半のヨーロッパ
パライオロゴス家系図
年表
謝辞
ロマンの歴史をこえて──訳者あとがき
索引/原註/参考文献/図版一覧
序章
第1章 コンスタンティノープルの秋
第2章 幻影の帝国
第3章 策を弄する
第4章 断崖に向かって
第5章 獅子の尾をよじる
第6章 公会議と十字軍
第7章 ムラトからメフメトへ
第8章 復讐の女神
第9章 波止場にて
第10章 東か西か
終章
地図 1コンスタンティノープル、 2 一四〇三年のビザンツ帝国、 3 十五世紀前半のヨーロッパ
パライオロゴス家系図
年表
謝辞
ロマンの歴史をこえて──訳者あとがき
索引/原註/参考文献/図版一覧
内容紹介
西の「ラテン人」諸国と東のオスマン・トルコのはざまで国際政治に翻弄されたその最期を、コンスタンティノープル陥落の百年前から帝国滅亡後まで、最新研究に基づいて描く。
「日常的なレヴェルにおいて、ギリシア人とトルコ人は十五世紀の前半を通じて、たいていは平和的に交流していたのである。彼らは隣人であり、通商相手であって、互いの慣習や言語をどんどん取り入れていた。…ビザンツ人が対応することになった決定的な要因は、宗教や国という主張よりも国際政治の現実であり、外交的な駆け引きであった。そして自分たちの将来、家族の将来を確保するために個々人が選択する必要だったのである。」(本文より)
西の「ラテン人」諸国と東のオスマン・トルコのはざまで国際政治に翻弄されたその最期を、コンスタンティノープル陥落の百年前から帝国滅亡後まで、最新研究に基づいて描く。
「日常的なレヴェルにおいて、ギリシア人とトルコ人は十五世紀の前半を通じて、たいていは平和的に交流していたのである。彼らは隣人であり、通商相手であって、互いの慣習や言語をどんどん取り入れていた。…ビザンツ人が対応することになった決定的な要因は、宗教や国という主張よりも国際政治の現実であり、外交的な駆け引きであった。そして自分たちの将来、家族の将来を確保するために個々人が選択する必要だったのである。」(本文より)
一四五三年五月二十八日、ビザンツ帝国皇帝コンスタンティノス十一世は、コンスタンティノープルを包囲するオスマン・トルコ軍に対し最後の戦いに臨もうとしていた。出陣に際しての演説は、「たとえ木や石でできた者であっても涙をとめることができなかった」と言われるほど感動的なものだった。翌未明、城壁がついに破られたと悟った皇帝は、死に場所を求め敵中に突入する──
悲愴で劇的な、長らく語られてきた帝国滅亡の場面である。だが悲しいかな、この出来事を伝える記録は偽作であることが今日では判明している。では実際にはどうであったのかを、当時の他の記録を見ていきながら、その背景にあるビザンツ人の価値観や複雑な国際政治の現実を、最新の研究成果を盛り込んで分析したのが本書である。
同じキリスト教の西欧諸国は、かつて十字軍で都を征服した敵でもある。一方、オスマン・トルコの台頭から帝国滅亡までの大半の期間、ビザンツ人とトルコ人は必ずしも敵同士ではなく、日常レベルでは平和に交流していた。両者のはざまで、皇族から都市民衆まで個々人が、危機に際してどういう選択をしたかを、著者は包囲戦の百年前から帝国滅亡後の人々の動向まで描いていく。
悲愴で劇的な、長らく語られてきた帝国滅亡の場面である。だが悲しいかな、この出来事を伝える記録は偽作であることが今日では判明している。では実際にはどうであったのかを、当時の他の記録を見ていきながら、その背景にあるビザンツ人の価値観や複雑な国際政治の現実を、最新の研究成果を盛り込んで分析したのが本書である。
同じキリスト教の西欧諸国は、かつて十字軍で都を征服した敵でもある。一方、オスマン・トルコの台頭から帝国滅亡までの大半の期間、ビザンツ人とトルコ人は必ずしも敵同士ではなく、日常レベルでは平和に交流していた。両者のはざまで、皇族から都市民衆まで個々人が、危機に際してどういう選択をしたかを、著者は包囲戦の百年前から帝国滅亡後の人々の動向まで描いていく。
著者について
ジョナサン・ハリス Jonathan Harris
ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校ヘレニック・インスティテュート教授(ビザンツ史専攻)。ビザンツと西欧の関係、とくに十字軍、イタリア・ルネサンス、1453年以降のギリシア人ディアスポラを専門とする。著書は他にByzantium and the Crusades、Constantinople: Capital of Byzantiumなど。
訳者:井上 浩一(いのうえ こういち)
京都大学文学部卒、同大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学名誉教授。主要著訳書:『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)、『ビザンツ皇妃列伝 ─ 憧れの都に咲いた花』(白水Uブックス)、『ビザンツ 文明の継承と変容』(京都大学学術出版会)、『私もできる西洋史研究 ─ 仮想(バーチャル)大学に学ぶ』(和泉書院)、『世界の歴史(11) ビザンツとスラヴ』(共著、中公文庫)、ヘリン『ビザンツ 驚くべき中世帝国』(共訳、白水社)
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
京都大学文学部卒、同大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学名誉教授。主要著訳書:『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)、『ビザンツ皇妃列伝 ─ 憧れの都に咲いた花』(白水Uブックス)、『ビザンツ 文明の継承と変容』(京都大学学術出版会)、『私もできる西洋史研究 ─ 仮想(バーチャル)大学に学ぶ』(和泉書院)、『世界の歴史(11) ビザンツとスラヴ』(共著、中公文庫)、ヘリン『ビザンツ 驚くべき中世帝国』(共訳、白水社)
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
タグ:ビザンティン帝国
ビザンツ帝国 生存戦略の一千年 – 2018 [ユーラシア・西]
ビザンツ帝国 生存戦略の一千年 - 2018
ジョナサン・ハリス (著), 井上 浩一 (翻訳
出版社: 白水社 (2018/1/20)
ISBN-13: 978-4560095904
発売日: 2018/1/20
梱包サイズ: 20 x 14 x 3.8 cm
単行本: 380ページ
ISBN-13: 978-4560095904
発売日: 2018/1/20
梱包サイズ: 20 x 14 x 3.8 cm
単行本: 380ページ
目次
第1章 神々の黄昏
第2章 帝国の戦略拠点
第3章 大洪水
第4章 変わりゆく世界
第5章 北方の征服
第6章 栄光の道
第7章 長い影
第8章 内なる敵
第9章 新しいコンスタンティヌス
第10章 ある老人の回想
第1章 神々の黄昏
第2章 帝国の戦略拠点
第3章 大洪水
第4章 変わりゆく世界
第5章 北方の征服
第6章 栄光の道
第7章 長い影
第8章 内なる敵
第9章 新しいコンスタンティヌス
第10章 ある老人の回想
年表
ビザンツ皇帝一覧
用語説明
訳者あとがき
図版一覧
読書案内
索引
ビザンツ皇帝一覧
用語説明
訳者あとがき
図版一覧
読書案内
索引
地図
1 五〇〇年頃のビザンツ帝国
2 五六五年頃のビザンツ帝国
3 七四一年頃のビザンツ帝国
4 九〇〇年頃のビザンツ帝国
5 一〇五〇年頃のビザンツ帝国
1 五〇〇年頃のビザンツ帝国
2 五六五年頃のビザンツ帝国
3 七四一年頃のビザンツ帝国
4 九〇〇年頃のビザンツ帝国
5 一〇五〇年頃のビザンツ帝国
内容紹介
《民族の十字路における繁栄と興亡の歴史
問うべきは、なぜ滅びたかではなく、なぜ存続できたかである》
アジアやアラビア半島から人の波が西へと移動していく地点という、不利な条件下で国が生きのびるには、何が必要だったのか。おもな皇帝と印象的なエピソードを軸に、対外関係からビザンツ史を語る。[口絵16頁]
「ビザンツ帝国の社会や精神の特徴は、国境へのきわめて強く、かつ絶え間ない圧力に対応するなかで形作られた。外からの挑戦に立ち向かうのに、ここでは勇敢な軍隊だけでは充分ではなかった。ある集団を軍事力で打ち破れば、代わって新たに三つの集団が現れるに違いないからである。まったく新しい考え方を採用し、軍事以外の方法で脅威を取り除くよう努める必要があった。」(本文より)
《民族移動の荒波のなかで生きる》
ギボンは『ローマ帝国衰亡史』で、彼のいう「ギリシア人」つまりビザンツ人の「臆病と内紛」を強調した。地図からビザンツが消えてしまった理由として、ビザンツ人に何かしら欠陥があったという認識は、今日でも残っている。多くの敵を打ち破るため軍団を整備すべき時に、教義論争や教会装飾にかまけて、政治・経済の現実を無視したというのだ。
だが、もし本当にビザンツ人が怠惰で無気力だったとしたら、なぜビザンツ帝国はあれほど長く存続したのだろうか。アレクサンドロス大王をはじめ、カリスマ的な開祖が死ぬとたちまち瓦解してしまった支配が歴史上にはしばしばみられる。しかもビザンツは、アジアやアラビア半島から人の波が西へと移動していく、いわば「民族のボウリング場」の端に位置していた。ある集団を軍事力で打ち破ったところで、新たに3つの集団が現れた。ここでは、まったく新しい考え方が必要だったのだ。
ゆえに問うべきは、なぜビザンツが滅びたかではない。なぜ不利な条件のもとで存続できたかなのだ――。本書は、おもな皇帝と印象的なエピソードを軸に、対外関係からビザンツ史を語る試みである。
著者について
ジョナサン・ハリス Jonathan Harris
ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校ヘレニック・インスティテュート教授(ビザンツ史)
ビザンツと西欧の関係、とくに十字軍、イタリア・ルネサンス、1453年以降のギリシア人ディアスポラを専門とする。著書は他に『ビザンツ帝国の最期』(白水社刊)など。
ジョナサン・ハリス Jonathan Harris
ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校ヘレニック・インスティテュート教授(ビザンツ史)
ビザンツと西欧の関係、とくに十字軍、イタリア・ルネサンス、1453年以降のギリシア人ディアスポラを専門とする。著書は他に『ビザンツ帝国の最期』(白水社刊)など。
訳者:井上 浩一(いのうえ こういち)
京都大学文学部卒、同大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学名誉教授、佛教大学特任教授。 主要著訳書『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)、『ビザンツ皇妃列伝――憧れの都に咲いた花』(白水Uブックス)、『ビザンツ 文明の継承と変容』(京都大学学術出版会)、『世界の歴史(11)ビザンツとスラヴ』(共著、中公文庫)、ヘリン『ビザンツ 驚くべき中世帝国』(共訳、白水社)、ハリス『ビザンツ帝国の最期』(白水社)
京都大学文学部卒、同大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学名誉教授、佛教大学特任教授。 主要著訳書『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)、『ビザンツ皇妃列伝――憧れの都に咲いた花』(白水Uブックス)、『ビザンツ 文明の継承と変容』(京都大学学術出版会)、『世界の歴史(11)ビザンツとスラヴ』(共著、中公文庫)、ヘリン『ビザンツ 驚くべき中世帝国』(共訳、白水社)、ハリス『ビザンツ帝国の最期』(白水社)
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
原題は『THE LOST WORLD OF BYZANTIUM』(失われた世界),Jonathan Harris著
「本書はビザンツ帝国の長い歴史を旅した、私なりの記録である」(本書)
「ビザンツ帝国は、人類が創った組織としてはもっとも長く存続したもののひとつである。三三〇年のコンスタンティノープル開都を始まりとし、一四五三年のトルコ人によるこの町の征服を滅亡とみなすならば、千年以上持ちこたえたことになる。
しかもきわめて厳しい環境のもとでなされただけに、その記録的な存続期間にはひとしお感慨深いものがある」
「一九三〇年代にドイツで権力を握った体制は、千年続くと宣伝していたが、たった十二年しか続かなかった。対照的にビザンツ帝国は千年の偉業を成し遂げた」本書は、三三〇年のコンスタンティノープル開都から、一四五三年のトルコ人による征服までを「なぜ滅びたのではなく、このようなきわめて不利な条件のもとでなぜ存続できたのか、なぜある時期には繁栄し、拡大さえしたのか、それこそが肝心かなめの問題なのである」(本書)として、皇帝を中心に話が進められている(コンスタンティヌス一世~コンスタンティヌス一一世まで)。
「一九三〇年代にドイツで権力を握った体制は、千年続くと宣伝していたが、たった十二年しか続かなかった。対照的にビザンツ帝国は千年の偉業を成し遂げた」本書は、三三〇年のコンスタンティノープル開都から、一四五三年のトルコ人による征服までを「なぜ滅びたのではなく、このようなきわめて不利な条件のもとでなぜ存続できたのか、なぜある時期には繁栄し、拡大さえしたのか、それこそが肝心かなめの問題なのである」(本書)として、皇帝を中心に話が進められている(コンスタンティヌス一世~コンスタンティヌス一一世まで)。
「ビザンツ文明に特徴的な要素が出そろうのがコンスタンティヌスの時代であった。
壮麗な難攻不落の都コンスタンティノープル、キリスト教の勝利、皇帝権を称えつつも制約を課す政治理論、禁欲的な精神の称賛、霊的存在を具象化する芸術、国境への脅威に対する非軍事的な対応」
「ビザンツ帝国の社会や精神の特徴は、国境へのきわめて強く、かつ絶え間ない圧力に対応するなかで形作られた。
外からの挑戦に立ち向かうのに、ここでは勇敢な軍隊だけでは充分ではなかった。
ある集団を軍事力で打ち破れば、代わって新たに三つの集団が現れるに違いないからである。
まったく新しい考え方を採用し、軍事以外の方法で脅威を取り除くよう努める必要があった。
外敵の同化や定住、買収や秘密工作、あるいは、もっとも特異な方法として、壮麗なものを見せて敵を畏怖させ、友人ないし同盟者として囲い込むことなどが試みられた。
ビザンツ帝国は繰り返し危機に見舞われたが、そのつど切りぬけ、立ち直った。(中略)
実際のところビザンツ社会は、際限なく続く脅威に直面するなかで、絶えず革新と適応を繰り返していた」
外からの挑戦に立ち向かうのに、ここでは勇敢な軍隊だけでは充分ではなかった。
ある集団を軍事力で打ち破れば、代わって新たに三つの集団が現れるに違いないからである。
まったく新しい考え方を採用し、軍事以外の方法で脅威を取り除くよう努める必要があった。
外敵の同化や定住、買収や秘密工作、あるいは、もっとも特異な方法として、壮麗なものを見せて敵を畏怖させ、友人ないし同盟者として囲い込むことなどが試みられた。
ビザンツ帝国は繰り返し危機に見舞われたが、そのつど切りぬけ、立ち直った。(中略)
実際のところビザンツ社会は、際限なく続く脅威に直面するなかで、絶えず革新と適応を繰り返していた」
著者は、千年の偉業を成し遂げられた要因を大きく四つ挙げている。
第一に、キリスト教は、政治的な指導権で宗教的な指導権を併せ持って国家の頂点に立つ支配者、という概念をビザンツ帝国に持ち込み、これが政治的安定をもたらした。
第二に、キリスト教皇帝権は被支配者に対して、次々と現れる支配者を受容するよう促し、支配者との驚くほど直接的な関係を提供するものであった。
第三に、キリスト教は、市民の生活必需品をまかなう公的な支援を提供し、市民の心情や精神を捉える霊的な雰囲気を創り上げた。
第一に、キリスト教は、政治的な指導権で宗教的な指導権を併せ持って国家の頂点に立つ支配者、という概念をビザンツ帝国に持ち込み、これが政治的安定をもたらした。
第二に、キリスト教皇帝権は被支配者に対して、次々と現れる支配者を受容するよう促し、支配者との驚くほど直接的な関係を提供するものであった。
第三に、キリスト教は、市民の生活必需品をまかなう公的な支援を提供し、市民の心情や精神を捉える霊的な雰囲気を創り上げた。
最後に第四点として、非物質的なもの、精神的なものを目に見える形で表現しようとする、新しい様式の芸術や建築を発展させた。
「ローマ帝国が拡大したのは豊富な人的資源を用いて隣国を次々と圧倒できたからであった。
繁栄したのは、いったん帝国が成立してからは国境を襲う敵がめったに現れなかったからである。これに対してビザンツ帝国は、千年を超える期間にわたって、ほぼ絶え間なく国境に圧力がかかり、侵入・包囲・戦争が不断に続く、激動する不安定な世界の産物であった。
そのような時代に、周辺世界がすべて流動状態にあったなかで、ビザンツ帝国は存続し、みずからの文化と存在を保持した」
繁栄したのは、いったん帝国が成立してからは国境を襲う敵がめったに現れなかったからである。これに対してビザンツ帝国は、千年を超える期間にわたって、ほぼ絶え間なく国境に圧力がかかり、侵入・包囲・戦争が不断に続く、激動する不安定な世界の産物であった。
そのような時代に、周辺世界がすべて流動状態にあったなかで、ビザンツ帝国は存続し、みずからの文化と存在を保持した」
ビザンツ帝国が千年続いたのは、「勝利に真に必要なのは、戦争の勝利ではなく、外交と調略である」という戦略的教訓を守ったからだ。戦争が不可避になっても、「戦争をするのは、外交の開始を相手に強制するためである」ということを忘れてはならない。
著者は最後に、ビザンツ帝国の最大の遺産は、もっとも厳しい逆境にあっても、他者をなじませ統合する能力にこそ、社会の強さがあるという教訓である、で綴じられている。
その歴史を通じて、ビザンツ帝国は次から次へと難局に立ち向かってきた。
その歴史を通じて、ビザンツ帝国は次から次へと難局に立ち向かってきた。
三七八年のアドリアノープル、ペルシャ人・アヴェール人・アラブ人の侵入、九一七年のアンキアロス、一〇七一年のマンツィケルト、一二〇四年の第四回十字軍のコンスタンティノープル占領。
ビザンツ帝国はこれらすべてから甦った。しかしここに至って、滅亡へ向かう坂道の舞台は整った。
著者には『ビザンツ帝国の最期』という著作もある
タグ:ビザンティン帝国
ビザンツ 文明の継承と変容―諸文明の起源〈8〉– 2009 [ユーラシア・西]
ビザンツ 文明の継承と変容―諸文明の起源〈8〉 (学術選書) 単行本 – 2009
井上浩一 著書
出版社: 京都大学学術出版会 (2009/6/1)
ISBN-13: 978-4876988433
発売日: 2009/6/1
梱包サイズ: 18.8 x 12.8 x 2.6 cm : 381ページ
世界史のなかのビザンツ文明
第1部 都市の変貌―ギリシア・ローマ文明からビザンツ文明へ(ローマ都市とビザンツ都市
都市自治の終焉
「パンとサーカス」のゆくえ
都市からみたビザンツ文明の起源と特徴)
第2部 皇帝・宦官・戦争―ビザンツ文明の諸相(皇帝―「神の代理人」
宦官―「皇帝の奴隷」
戦争―必要悪)
ビザンツ文明と現代
内容(「BOOK」データベースより)
ビザンツ帝国は、「文明の十字路」コンスタンティノープルを帝都に、約千年にわたる長いあいだに徐々に独自の文明を形成してきた。専制皇帝の絶大な権力、宦官の活躍で整備された官僚制、戦いに明け暮れながらも必要悪としか考えない戦争観―ここには、古代ギリシア・ローマの都市文明を継承しつつも、明らかに異なった文明への変容がみられる。この過程を、社会構造と人間類型の転換として描く。
評
この、日本におけるビザンツ研究の第一人者が監訳したジュディス・へリンの比較的最近の著作(『ビザンツ 驚くべき中世帝国』)が、興味深いディテールには富むものの、究極のところビザンツを、西欧にとってのイスラームからの防波堤として位置づけている点で、おそろしく古めかしいのとは好対照である。ローマ性やギリシア人共同体を含めビザンツを継承していくオスマン帝国の歴史像を見直していくのにも役立つだろう。
ローマ帝国の東西分裂後はつねに先進地域でありつづけ、3世紀末からは帝国の首都を擁し、西の滅亡後、中世を通して唯一のローマ帝国であった「ビザンツ」が、著者によって、後進西欧による劣等感に満ちた歴史像を払しょくされた上で、しっかりとした中心軸をもって描かれている。すなわち、「君主独裁制」による「政教一致」の「自由なき」国家という、西欧が他者を描く際に紋切り型となっている社会像がビザンツにも当てはめられてきたのだが、それが史実によって見事に解体されていくのである。
都市のあり方にも多くの頁が割かれているが、私自身にとっては、このビザンツでこそ継承されたローマ法の展開をふくむ、西(ローマ帝国)とは異なった政・教・法の関係がいちばん興味深く、むしろ西のあり方がかなり極端なものであるという示唆を受けた。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
井上/浩一
大阪市立大学大学院文学研究科教授。専門は西洋史。1947年、京都市出身。71年、京都大学文学部卒業。76年、同大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学文学部助手・講師・助教授を経て、現職。ビザンツ帝国の政治と社会を研究し、皇帝・貴族から農民・市民にいたる諸階層が織りなす歴史の解明をめざしている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
タグ:ビザンティン帝国
ビザンツ 驚くべき中世帝国 – 2010 [ユーラシア・西]
ビザンツ 驚くべき中世帝国 – 2010/10/28
ジュディス ヘリン (著), 井上 浩一 (監修, 翻訳), & 足立/広明,中谷/功治,根津/由喜夫,高田/良
出版社: 白水社 (2010/10/28)
ISBN-13: 978-4560080986
発売日: 2010/10/28
梱包サイズ: 19.2 x 13.6 x 2.8 cm: 497ページ
第1部 ビザンツ帝国の基礎(コンスタンティヌスの町
コンスタンティノープル―キリスト教世界最大の都市 ほか)
第2部 古代から中世への移行(イスラームへの防波堤
イコン―新しいキリスト教芸術のかたち ほか)
第3部 中世国家となるビザンツ帝国(「ギリシアの火」
ビザンツの経済 ほか)
第4部 ビザンツの多様性(十字軍を支えたもの
並び立つ塔―トレビゾンド、アルタ、ニカイア、テサロニケ ほか)
内容紹介
ローマ帝国の継承者として、千年にわたり東地中海に栄えたビザンツ帝国。その特徴をギリシア正教・宦官・十字軍など28項目から、西欧やイスラームとの関係ごと立体的に解説する。
《輝ける地中海帝国の歴史》
ビザンツ。4世紀に東西分裂したローマ帝国の東半分に始まり、15世紀にオスマン・トルコに征服されるまで、1100年あまりにわたって東地中海に栄えた帝国。世界史のなかで重要な位置を占める国家でありながら、これまで日本では今ひとつなじみが薄かった。
本書では、「ラヴェンナ・モザイク」「ギリシア正教」「聖像破壊運動と聖像崇敬」「ビザンツの経済」「宦官」など、政治・宗教・文化・経済などに関する28のテーマを時代順にならべ、西欧やイスラームとの関係とともに、立体的に解説する。700年にわたって地中海貿易で活躍したノミスマ金貨に彫られた図像の変化や、「書評の発明者」といわれる九世紀の文人など、興味深い情報も多い。ビザンツの文化は当時からヨーロッパ諸国の羨望の的であった反面、ヴォルテールやギボンなど、後世の思想家・歴史家から激しい中傷を受けてきた。その偏見についても、著者は原因を考察している。
最近のビザンツ史研究の動向を反映し、西洋史ファンの期待にも応える、お薦めの一冊。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1942年生まれ。初期キリスト教史、ビザンツ女性史を専攻。キングズ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大学)の古代末期・ビザンツ学講座名誉教授。皇族女性の活躍を描いた『緋色の女性たち―中世ビザンツ帝国の支配者』は高く評価され、各国で翻訳されている。考古学・美術史にも造詣が深く、現代ビザンツ史研究の第一人者である
井上/浩一
1947年京都市生まれ。大阪市立大学大学院文学研究科教授。専門はビザンツ帝国史
足立/広明
1958年加古川市生まれ。奈良大学文学部准教授。専門は初期ビザンツ、西洋古代末期史
中谷/功治
1960年大阪市生まれ。関西学院大学文学部教授。専門は中期ビザンツ帝国史
根津/由喜夫
1961年群馬県生まれ。金沢大学人間社会研究域歴史言語文化学系教授。専門は中・後期ビザンツ帝国史
高田/良太
1977年ブラジル・サンパウロ生まれ。日本学術振興会特別研究院・皇學館大学非常勤講師。専門は中世のギリシア人ディアスポラ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
タグ:ビザンティン帝国