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1348年 気候不順と生存危機--《歴史の転換期》5. [視座をホモサピエンス]

1348年 気候不順と生存危機    シリーズ:歴史の転換期 5
著者:千葉敏之=編  長谷部史彦  井上周平  四日市康博  井黒忍  松浦史明 
刊行: 2023年7月
仕様: 四六  ・  280ページ
ISBN: 978-4-634-44505-5
新潟大学 附属図書館 収蔵
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解説:
  1348年前後はユーラシア大陸全域が寒冷化した。こうした気候不順は自然災害(洪水など)を引き起こし、各地の生産活動(とくに農業)に打撃を与えた。さらに、栄養不足が疫病の蔓延を助長し、生活に困窮する農民の暴動や反乱を招いた。これら災害・飢饉・戦争・人口減少は、人々を生存危機へと追いやり、既存の体制の土台を掘り崩した。本巻では、気候不順に由来する生存危機を人々がどのように認識し、いかなる克服の試みを重ねていったかという点に着目し、渦中の人々による危機打開の模索の現場を、その成否を含めて論じる。また同時に、「体制(システム)の転換」という点で、とくに中央ユーラシアにまたがるモンゴル帝国の崩壊局面に光を当て、「崩壊」という歴史の転換の現場をビビッドに描く。
目次:
総論 気候不順と生存危機
1章 中東社会とペスト禍・自然災害
 ペストの大流行と社会
;自然災害;農村と都市の社会的危機
;死の日常化とイスラーム信仰の変容
 
2章 十四世紀ヨーロッパのペスト
 ヨーロッパにおける一三四八年
;天変地異と社会不安
;学識層におけるペスト原因論
;ペストへの対処と医療実践
 
3章 モンゴル帝国の覇権と解体過程、そのインパクト
 モンゴル帝国のユーラシア統合とその支配構造
;モンゴル政権の解体とその影響
;十四世紀の長期変動とモンゴル覇権のインパクト
 
4章 元明交替の底流
 崩壊の兆し
;開発と挫折
;冬の到来
;とだえぬ流れ
 
5章 東南アジアの十四世紀と気候不順
 カンボジア、アンコール朝の解体と気候不順
;十四世紀の大変動
;気候変動は東南アジアに何をもたらしたのか



日本
1348年その時日本は―鎌倉幕府が滅んで室町幕府が成立しますが、まもなく南北朝の動乱期を迎えました。14世紀半ばの日本の気候も寒冷期にあり農業生産力は低下しましたが、商業流通の活発化によって大きな飢饉は抑制されていました。
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異見
1336年、後醍醐天皇と対立した足利尊氏が持明院統(北朝)の天皇を擁立し幕府を開いたが、暫く京都を脱出した後醍醐天皇が吉野行宮に遷り朝廷(南朝・大覚寺統)がある、二つの朝廷が並存するという、王権の完全な分裂状態、南北朝時代が続いた。1392年、3代将軍義満によって南北朝が統一され、最終的に武家が優位に立った。将軍直轄の軍事力や財政基盤は弱く、中央の幕府が上位に立ち、地域権力たる守護大名がその監督下にありつつも、両者が相互補完的に政治的経済的支配を展開した(室町幕府-守護体制)。
応仁の乱(1467年から1477年)ないし明応の政変(1493年)以降は全国動乱の時代(戦国時代)を迎え、それまでの幕府 - 守護体制・荘園公領制が崩壊するとともに、各地に独立勢力とも言える戦国大名が並立するようになる。
農業面では、施肥量の増大や水稲の品種多様化、灌漑施設の整備によって稲の収穫量が高まり[3]、また、鎌倉時代にもたらされた二毛作が普及するなど、生産力が著しく向上した[1]。こうして、食料生産が十分になったことにより、カラムシ(糸が作れる)、真綿、エゴマ(油が取れる)などの原料作物も多く作れるようになった[
1270年代に、中国で元朝が南宋を征服して交鈔(紙幣の一種)を普及させたことから、余った宋製の銅銭が、大量に日本になだれこんだ。「(南宋の滅亡により)貨幣が出回ったから商工業が発達したのではないか」という説を大田由紀夫が唱え、2014年現在はこちらの説が支持されるようになっている。
文化面では、上記の農業・商工・経済の発達によって、民衆の勢力が増し大衆文化が隆盛し、猿楽(能楽)[4]・連歌[3]・闘茶(茶道の原型)[3]・ばさら(かぶき者・歌舞伎の原型)[3]などが生まれた。
宗教面では、古い寺社と結びつく南朝や公家勢力に対抗するために、室町幕府は新しく日本に輸入された仏教である禅宗を優遇し、京都五山を定め


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