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近代日本の阿片政策と朝鮮人ー権論文覚え書② [満州・大東亜]

権 寧俊(クォン ヨンジュン Kweon,Youngjun)著の「植民地朝鮮におけるアヘン政策」(アジア遊学260・新潟市立図書館収蔵)より 覚え書  続き

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(2)大韓帝国期 1897明治39年~1910明治43年
1894年の日清戦争、翌年の下関条約で中国・清朝の李氏朝鮮・李朝に対する宗主権は放棄された。冊封体制から離脱させられた。李朝は独立国であることを明確にするために、国号を大韓帝国と改めた。 대한제국〈テハンジェグク〉
 清国人の朝鮮への移住はアヘン戦争敗北後の一八八二年からはじまった。表 1をみると、一八八三年の清国人の人口はーー二人 (漢城〈現ソウル〉で四十九人、仁川で六十三人)であるが、日韓併合のー九ー〇年にはー万ー八ー八人と大規模な移住が行われた。
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 清国人移住者の主な出身地は山東省で、アヘン取引の商人が大半を占めていた。アヘン戦争後に清・中国で合法化されたケシ・罌粟栽培とアヘン生産。そのアヘンを清国人は自国でのアヘン吸煙の習慣を捨てずに朝鮮に来た。朝鮮はもともとアヘンの吸煙習慣がほとんどない地或であったが、清国商人が吸煙習慣を持ち込んだ。それで清国との国境地域に居住する人々のなかに相当のアへン吸煙者が増加するようになる。
表 2でー九一二年の胡鮮人と清国人のアヘン吸煙者の分布数を示した。清国人が一番多く居住していた漢城〈現ソウル〉と清国との国境地域であり出身地の山東省の対岸の平安南・北道に吸煙者が集中。
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IMG_170810表2.jpg
 朝鮮と清国との『章程』ではアヘン流入禁止を強調していたが、実際には領事裁判権など朝鮮において清国人が保護される法があったことから、清国商人は朝鮮官憲の取締りを怖れなかった。とくに、ー九〇五年には「第二次日韓協約」によって朝鮮は外交権を日本に奪われ、ー九〇七年十一月には「第三次日韓協約」にって朝鮮の軍隊が解散され、警察権も軍隊も日本に奪われた。それゆえに、清国商人は、朝鮮人警察官が日本の警察と連携して取締りを実施しない限り、朝鮮人警察官の力をなんとも思わなかった。彼らは朝鮮全土でアヘン取引を行なったのである。
続ける

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