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満州事変・1931当時、日の丸の旗をみて、これがアヘンの商標だと間違えているものが少なくなかった。=陸軍葬儀委員長―-1953 [満州・大東亜]

陸軍葬儀委員長―支那事変から東京裁判まで 
>池田純久 著 イケダ スミヒサ
--日本出版協同--1953
〔支那〕事変当時(1931)、日本で喰いつめた一旗組が、中国の奥地に流れ込んで、アヘンの密売に従事しているものが多かった。かれらは治外法権を棚に日の丸の国旗を掲げて公然とアへンを売っているのである。だから中国人のうちには、日の丸の旗をみて、これがアヘンの商標だと間違えているものが少なくなかった。時々日本の国旗凌辱事件がおこり外交問題に発展することがあったが、よく調べてみると、中国人はそれを国旗とは知らず、アへンの商標だと思っていたという、まったく笑い話のような滑稽談さえあった。
 戦前にある日本の名士が中国奥地を旅行した。車窓から山村の寒村に日の丸の旗が翻っているのをみて、「日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか」と随喜の淚を流したという話がある。なんぞ知らん、それがアヘンの商標であることを知ったら、かれはなんといって淚を流したであろうか。
 とにかく日本人のアヘン密売者は中国人から蛇蝎ダカツの如く恐れられていた。
【蛇蝎だかつ へびとさそり。人が非常に忌み嫌うもののたとえ】
著者
池田 純久 イケダ スミヒサ 大正・昭和期の陸軍中将 極東軍事裁判弁護人。1894~1968


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