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ウクライナ・ノートー2023;02 [ユーラシア・東西]

ukraine-kiev-independent-square-7.jpgキエフ市の中心に位置する「独立広場」(マイダン・ネザレージュノスチ)は,旧ソ連時代には「革命広場」と呼ばれていました。
1990年夏には,キエフ大学を中心に学生のハンガー・ストライキがこの広場で行われ,ソ連共産党の指導的役割を謳った憲法の条項を削除することなどを要求しました。このデモは市民の賛同を得て,最後には当時のクラフチューク最高会議議長(初代ウクライナ大統領)が学生達と会うことにより解決されました。
1991年8月24日,ウクライナは独立を宣言し,同年末のソ連崩壊によりウクライナ独立が達成されました。武力衝突のない無血の独立でした,
2000年には,政治スキャンダルを巡る「クチマなしのウクライナ」運動もこの広場を中心に行われ
 2001年8月24日のウクライナ独立10周年記念式典にあわせ独立広場は大きく様相を変え,現在は,地下ショッピング・センターを擁する文字通りの中心地。
004年11月には,大統領選挙における当局の不正な選挙干渉に抗議して,参加者数十万人といわれる大規模な集会がこの広場を中心にして繰り広げられ,やりなおし決選投票を実施する大きなきっかけをつくりました。この大規模集会・デモは当選したユーシチェンコ大統領(当時)のシンボル・カラーにちなみ「オレンジ革命」と通称されています。
 2013年11月から2014年2月にかけてヤヌコーヴィチ大統領(当時)に対する大規模反政府デモがこの広場を中心におきました。政府と民衆の衝突により100名以上の死者がでました。現在この死者を記念する碑が広場のあちらこちらに作られています。


ウクライナには1996年憲法体制2004年憲法体制があり、それが大統領ごとに入れ替わる。前者はレオニード・クチマ(1994―2005年)のときに成立し,ヤヌコヴィチ時代にも採用された。2004年憲法体制では、2004年のオレンジ革命の際に成立し、ヴィクトル・ユシチェンコ(2005―2010年)やペトロ・ポロシェンコ(2014―2019年)によって採用された。両体制の違いは大統領の権限であり、前者の方が権限は大きい。詳細は、松嵜(2019a)や松里(2021)を参照。
松嵜英也 2019a. 「ウクライナ」松尾秀哉ほか編『教養としてのヨーロッパ政治』ミネルヴァ書房、381-399頁。
松里公孝 2021. 『ポスト社会主義の政治――ポーランド、リトアニア、アルメニア、ウクライナ、モルドヴァの準大統領制』ちくま新書。

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