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原発プロパガンダ 岩波新書 その⓶ [メディア]

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岩波新書 新赤版 1601
著者 本間 龍 / ホンマ リュウ
出版者 岩波書店
出版年 2016.4
ページ数 10,216p 
ISBN 978-4-00-431601-5
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 S/539.0/ホン/

目次

序章 「欺瞞」と「恫喝」
第1章 原発プロパガンダの黎明期(一九六八~七九)
第2章 原発プロパガンダの発展期(一九八〇~八九)
第3章 原発プロパガンダの完成期(一九九〇~九九)
第4章 プロパガンダ爛熟期から崩壊へ(二〇〇〇~一一)
第5章 復活する原発プロパガンダ(二〇一三~)
著者
1962年生まれ。博報堂で約18年間営業を担当。2006年退職後、在職中に発生した損金補填にまつわる詐欺容疑で逮捕・起訴。服役を通じて刑務所のシステムや司法行政に疑問をもち、出所後その体験を綴った『「懲役」を知っていますか?』(学習研究社)を上梓


序章 「プロパガンダ」とは何か  より
プロパガンダという言葉の語源は、ラテン語のpropagare(繁殖させる、種をまく )であり、一六ニ二年に設置されたカトリック教会の布教聖省 ( Sacra Congregatio de Propaganda Fide )、現在の福音宣教省の名称として歴史に登場している。つまりはキリスト教世界で最も重要な、宣教活動を指す言葉でもあったのだ。

  その後、プロパガンダは国家問の戦争において必要不可欠のものとなっていった。それは印刷技術の進歩により紙媒体を中心に発展したが、その手法は、ラジオや映画という新しいメディアが登場した第一次大戦時に長足の進歩を遂げた。太平洋戦争で日本の対外宣伝放送を担当した池田徳眞氏は、その著書『プロパガンダ戦史』 (中公新書、一九八一年 )の中で、第一次大戦中最も熱心にプロパガンダを研究し、効果的に戦場で展開したのはイギリスであったと指摘している (イギリスはすでにその頃、「ウェリントン・ハウス」   「クル—・ハウス」という宣伝機関を持っていた  )。また、大戦に参加した主要国のプロパガンダを紹介した書としてハンス・ティンメ『武器に依らざる世界大戦』を詳細に分析、外務省や参謀本部に報告したとしている。
アメリカもー九一六年に「アメリカ合衆国広報委員会」を設けており、すでに二〇世紀初頭において、先進国はプロパガンダの重要性を十分に理解、研究していたのだ。


ヒトラーの「反省」

第一次大戦当時のドイツはプロパガンダについて、全くといっていいほど無頓着であり、連合国が仕掛けた謀略宣伝に対しほとんど無力だった。実際に戦争に参加し負傷したアドルフ・ヒトラー (後のドイツ第三帝国総統 )はこの事実を肌身で感じ、後に著作『わが闘争』の中で、「宣伝を正しく利用するとどれほど巨大な効果を収め一つるかということを、人々は戦争の間にはじめて埋解した。 (中略 )われわれのこの点でぬかっていたものを相手は未曾有の巧妙さと真に天才的な計算で出迎えたからである。この敵の戦時宣伝から、わたしもまた限りなく多くのものを学んだ」 (『わが闘争 I』、角川文庫、   二三二頁 )と述べている。そして彼は後年、宣伝省を作ることで、その反省を十分に活かしたのだった。

 このように、プロパガンダ戦略は第一次大戦時にすでに連合国によって実施されており、ナチスはその敗戦の反省を活かすために宣伝省を設けたに過ぎない。
第二次大戦後に、米ソによる冷戦構造の中、互いの社会体制の優位を喧伝する熾烈なプロパガンダ合戦が行われたことは歴史的事実である。さらにその後の冷戦終結後、アメリカによる対中東戦略、とりわけ全世界に対しイラク戦争を正当化するために強力なプロパガンダ戦略が展開されたことは、ノーム・チョムスキーや E・W・サイードの著作によって明らかにされている。


日本における結実 続く

 

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