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司馬江漢-「江戸のダ・ヴィンチ」の型破り人生-2018年刊 [明治以前・国内]

9784087210514.jpg司馬 江漢

「江戸のダ・ヴィンチ」の型破り人生

著者  池内 了 /イケウチさとる

出版者 集英社 集英社新書 №0951

出版年 2018.10

ページ数 317p 大きさ 18cm

ISBN 978-4-08-721051-4
新潟市立図書館収蔵 亀田館 NDC分類(9版) 721.83


内容紹介
1700年代の時点で西洋画をマスターし、遠近法をいち早く取り入れるとともに油絵・銅版画の技法を日本で最初に確立した天才画家。
さらに、地動説を我が国で初めて紹介した科学者でもあり、ドナルド・キーン氏も絶賛する『旅日記』を著した文筆家。
そんな大天才・司馬江漢は、奇行を繰り返しては周囲の人々を混乱に陥れる、稀代の「変人」でもあった。
まさしく「江戸のダ・ヴィンチ」とでも呼ぶべき司馬江漢だが、生前の活躍と知名度に反して、今日ではほとんど知られることのない人物になってしまっている。
本書は、そんな江漢に関する種々の記録を日本の天文学者、宇宙物理学者の池内 了が、丹念に読み解き、その破天荒な生涯の全体像を描き出そうと試みた一冊である。彼が遺した絵画のみならず、スケッチや科学的メモなども選り抜いて掲載した、画家としての司馬江漢よりも窮理者としての司馬江漢に着目した評伝の傑作。遠近法を先駆的に取り入れた天才画家にして、地動説を人々に紹介した科学者でもあり、かつ文筆家。「江戸のダ・ヴィンチ」とでも呼ぶべき才人・司馬江漢に関する記録を丹念に読み解き、その破天荒な人生の全体像を描き出す。

『一八世紀半ばから蘭学が輸入されるようになった江戸時代において、地動説や宇宙論がどのように日本に受容されていったかを調べるうちに、絵師として名高い司馬江漢(一七四七〜一八一八)に巡り合う。彼は絵師としての人生において「名利(名望と実利)」を執拗に追い求めた人間なのだが、それとは真逆の、名利にまったく無関係な地動説・宇宙論に好奇心から打ち込んで宣伝に努めたとを知った。その矛盾した生き方の面白さに惹(ひ) かれて、まとめたのであった。』


【本書の目次・内容】
はじめに
第一章 絵の道に入るまで
幼少年期の江漢
江漢が回顧する源内
源内の事績と江漢
小田野直武と江漢
第二章 町絵師江漢の誕生と成長
江漢の名の由来
母の死
絵画修行.
仙台藩邸での席画
日本創製銅版画
江漢の絵画論
第三章 旅絵師江漢
旅立ちから四ヵ月
日野の中井家との出会い
蒹葭堂ケンカドウとの交流
中国路
長崎見聞
平戸島・生月島
帰途岡山から京都まで
中山道
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第四章 窮理師江漢
『輿地略説』(一七九二年)
『地球全図略説』(一七九三年)
『和蘭天説』(一七九六年)
『おらんだ俗話』(一七九八年)
『和蘭通舶』(一八〇五年)
『種痘伝法』(一八一三年)
『天地理譚』(一八一六年)
各種引札
第五章 地動説から宇宙論へ
 『輿地略説』(一七九二年)
『地球全図略説』(一七九三年)
「天球図」「天球全図」(一七九六年)
『和蘭天説』(一七九六年)
『和蘭通舶』(一八〇五年)
『刻白爾天文図解』(上・下、一八〇九年)
『地転儀示蒙』(一八〇九年)
『春波楼筆記』(一八一一年)
『天地理譚』 (一八一六年)
江漢の地動説への反響
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第六章 こうまんうそ八
江漢の蘭学入門まで
玄沢との危うい関係
江漢と玄沢の仲違い
『盲蛇』
「蘭学者芝居見立番付」
タバコ批判
定信への反論
銅版画からの引退
第七章 退隠・偽年・偽死
退隠書画会引札(一八〇七年)
偽年 (一八〇八年)
偽死(一八一三年)
円通との須弥山問答
前哨戦(一八一〇~一八一一年)
本格論戦(一八一二年)
第八章 不言・無言・桃言
掛軸「桃栗に地球儀図」(一八〇九年、斯波嶮道人名)
掛軸「伊曽保物語図」(一八一一年、無言道人名)
掛軸「狐狸わな図」(一八一一年、不言道人名)
掛軸「和田義卿像」(一八一二年)
戯作「不言禅師法語まり歌」(一八一三年)
掛軸「劉子新論図」(一八一四年、桃言名)
『訓蒙画解集』(一八一四年)
おわりに
【著者略歴】
池内 了(イケウチ サトル) 日本の天文学者、宇宙物理学者
1944年兵庫県生まれ。京都大学理学部物理学科卒業。同大大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。博士(理学/京都大学)。名古屋大学名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。

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